1-64 メッセ行き臨時列車-Ⅳ
織桜に包まれて、ラクトとマモンは涙を流した。表面上と内面との葛藤や、過去と現在の価値観での葛藤といったような、二人だからこその葛藤がそこには有った。織桜に包まれているからこそ、彼女たちは泣けていたが、これが他の誰かだったらどうなっていかは検討もつかない。
と、そこへ。丁度マノンと駅員への業務妨害のような沙汰をした男を、インフォメーションセンターへと移動させた一人の男がテレポートして戻ってきた。もちろん、表面しきった目の前の二人を見て彼が何とも思わないはずがない。そんなの、察する察しないレベルの問題ではない。
「――なんで泣いてんだよ、お前ら」
稔は自分が泣かせている原因であることなんか分かりもしなかった。女心を理解する事が出来ないのである。まだまだ経験豊富というわけでもないし、エロゲーの主人公のようなアドバンテージが有るわけじゃない。だからこそ稔は、女心を理解することが出来なかった。
もっとも、ヒロインを泣かしているという時点で『主人公のアドバンテージ』は有ると捉えられるが。
「愚弟のせい……らしい」
「おっ、俺のせいっ?」
驚く稔。それまで分かりもしなかった事を突然言われたのだから、当然の反応といえば当然の反応である。
「ごめんっ!」
勢い良く謝る稔。深々と頭を下げようとするが、調子にのるのは御免だったので、頭を下げるのは限度を考えながら行った。だがラクトからもマモンからも、関係者から声がなかったのは、相当心に突き刺さる刃のようだった。織桜は第三者だから除くとしたとして、それでも相当なダメージだった。
「私に謝っているように聞こえてるんじゃないかな、愚弟さんよ?」
「そっ、そうか……」
織桜がアドバイスを稔に与えると、即座に彼女も行動をとった。抱き寄せるような形でラクトとマモンを手中に収めていた彼女は、二人をこの場所から逃がさないように、しっかりと腕を掴んだ。刹那、織桜は二人に言った。
「――ちゃんと、愚弟の話は聞いておけよ――」
ラクトが言われたのは耳元だった。一方のマモンは、耳元――とは言わなかったが、耳に近い場所では有ったから耳ということにすれば、どちらとも同じである。
「その、お前ら――じゃなくて、ラクトとマモン、ごめんなさい!」
稔は織桜から特に急かされたりすることはなかったが、それでも早めの謝罪となった。謝れば何でも解決するかといえばそれは大間違いである。ただ、謝罪しなければ関係が改善されるとは考えづらい。このような状況下、スポーツだとかをするのは無理が有る。
「私は~、別にラクトが泣いたから泣いただけだから~」
と言うマモン。ある意味の責任転嫁を彼女は行った。そして、責任が転嫁されたラクトは無言になってしまった。何かを言おうとしているのは稔からもしっかりと理解できたが、彼女が心の中で思っていることがそのまま稔に伝わったりはしなかった。彼には心を読むことの出来る魔法が使えないのだから仕方が無い。
「ラクト……?」
稔がラクトを呼ぼうとするが、これといって反応はない。何も喋らずに黙りこんでいるだけが職業のような、そんな素振りに見えてしまう。でも稔は、そんなことを言わない。喋りたくないのならば、喋りたく成るように導きたいと思っていたし、ここで彼女の心を傷つけたら元も子もないと思っていたからだ。
「お、おーい……」
ときたま、呼びかけを行う稔。けれどラクトはそれを無視した。黙りこんでいるのは照れ隠しとも受け取れなくはないが、稔は緊迫感が有ったからそんなことを考えたりは出来なかった。ゆえに今、発展的な考え方が今出来るとは考え難い。
「稔……」
ただ、そんな稔にラクトがついに返し声をしてやった。これまでの照れ隠しとも取れる雰囲気を払拭して、彼女は稔がこれまで言ってきていた事を認め、自分が会話に参加できるようにした。もちろん、それは稔からしてみれば相当な喜びに繋がった。
「やっと話してくれたか……!」
稔は喜びすぎてしまう。それが彼の個性であり、治すべきところであるが――
「ひゃっ!」
声を上げるラクト。「心を読める」というラクトの、特別魔法に限りなく近い魔法ではない『魔法』が、上手く機能しなかった。とてもじゃないが、ラクトはその場で驚いてしまった。いくら主人と言っても異性であるから、抱きついてくるのはどうかと思った。
けれど、それは考えてみれば自己中心的な考えである。稔に抱きついた経験はないかと言われれば嘘だし、キスしたのも事実である。流石に彼も、後者はしたりはしない。でも、抱きつく程度であればスキンシップだとラクトは感じていた。
そこら辺が重なりあったからこそ、先ほどの「憎めないけど嫌いじゃないけど……」という涙が生まれてしまったのだ。そういう理論を仕立てあげると、ラクトは唾を呑んで納得してしまった。
「召使に抱きつくとはね~」
「愚弟は案外、ラクトに気があるんじゃないのか?」
「……」
織桜の一言は、マモンを若干ながら傷つけた。でも、それはなんとなくマモンも認めようとは思っていた。自分が彼を専有できるわけがないし、そんなのお似合いではないと思ったのだ。何せ、ラクトと稔が目の前で抱き合っているシーンを見ていて分かる。
二人とも、笑顔だ。あの涙の顔からは伺えないような、そんな顔が有った。
「稔、そろそろ離してもらっていい?」
「おお、いけねえ癖が……」
稔も自覚はしていたのだが、心の中での高揚が高鳴りすぎた形とも受け取れるため、ラクトからすれば別に有ってもよかった。謝る必要なんかなかった。
「あっ!」
僅か数分で忘れたりするような男ではないが、念のため稔は、早急な対応を取ることにした。何の対応かと言われれば、例の男を睡眠状態から開放する対応である。
業務を妨害しているようなふうに受け取れる行動をとったために眠らせたわけだが、その理由だとかを聞くためには起こさなければいけないわけで、それが出来るのは使用者であるラクトだけである。稔はラクト無しではどうにもならない事態だったために、ラクトに言った。
「眠らせたじゃんか、あの男」
「そうだね」
「その男を、俺らがこの駅を立つ前に眠りから開放する必要があるんだけど――」
「そうなん」
「うん。……やってくれる?」
ラクトは言葉にして口から出したりする事は無かった。かわりに稔の右手を柔らかな左手で掴んで、それでやる気があることを示した。この際の表情によっては、「誘ってる」などという印象を与えかねないわけだが、この時のラクトはそんな印象を与えるような顔はしていなかった。
「……合意と見て宜しいですね?」
稔は「言葉で返せ」と敢えて言わないで、そうやってネタを被った発言で伝えようとした。ネタであるが一応の意味は通じる。もちろん、これで誤解が生まれてしまっては元も子もないわけだが、心が読める相手だからと、稔は安心して使った。
「――いいよ」
稔が言ってから一〇秒程度経ってから、ラクトは小声でそう言った。笑顔だとかを一緒に見せたりはしていなかったが、傍から見るとイチャイチャしているバカップルにしか見えない。笑顔泣き顔、そんなのは然程大きな問題ではない。
「んじゃ――」
単語一つ、稔は吐き捨てるように言って行動を実行した。繋がれた手を離さないようにしてラクトは、少し稔のほうへと近づく。そんな二人を見ているマモンは諦めのムードになっていた。「キスをしたのに――」等と言っても、特に他のイベントがなければ二人の仲を切り裂くことなんか出来ない。
それに、マモンは物欲の大罪を犯した悪魔であって、色欲の大罪を犯した悪魔ではない。即ち、彼を誘惑する事は人並み程度か、プラスかマイナス一・二倍程度にしか出来ないのである。そう考えると、マモンはまた泣きそうになった。
稔とマノンがインフォメーションセンターへ向かった時に共に流した相手が、今度は何故か自分が恨んでしまいそうになる対象になってしまっていて、そんなのを否定したくても否定できなくて――。
「どうすればいいんだろ……」
マモンは、素の本性を露わにしていた。ただ、それを理解して包み込むのが織桜という女性である。マノンと比べれば、出てるところが必ずしも出ているわけではないから大人の魅力を十二分に感じないとも言える。けれど、彼女が人をサポートする力は本物だ。備わっている大人としてのサポート能力としては十分過ぎる。
「愚弟はきっと、ラクトもきっと……。互いに好きなんだよ。そうじゃなくちゃ、あんなことをしあって嫌いにならないわけがないし」
「……」
黙り込むマモン。織桜も、何故彼女が黙りこんでいるのかは大体見当がついたので、少しばかし煽るようにして言った。逆効果に成ることを恐れていては何も出来ないので、少し踏み込んで言ってみた形だ。
「ねえ。愚弟のことは諦める?」
「それは――」
「恋人になれなくてもさ、友人とか戦友とかになれれば、それはそれでいいと思うよ?」
「……」
マモンは自分に味方なんか一人も居ないんだと考えてしまった。けれど、それは織桜の言いたいこととは違った。確かに織桜は味方になろうとは考えていなかったが、それはマモンに否定的になって欲しいからではなかった。煽って、煽って、最後にどういう判断を下すのかを見たいために行っただけだった。
「織桜さんは、私と彼は似合うと思わないよね?」
「ラクトと愚弟が似合いすぎるからね」
「だよ……ね……」
確かに、あそこまでやっているのに笑って過ごす召使も、何をされても暴力を振るったりしない主人も。考えてみれば「似合っていない」なんていう言葉、それこそ似合ってないだろう。
「よし、諦めよ」
「えっ――」
「私、彼はラクトに譲ることにします。それで私は、戦友として頑張ります」
「……」
織桜は反応に困った。どちらの陣営にも付くこと無く、最後まで応援をしていきたいと思ったのだが、このような結果になったのは何とも言い難いものだった。ただ、だからといってキレたりはしなかった。自分の意見が何でも正しいかと思うような人ではなかったから、織桜はこう言って締めた。
「――それがマモンの判断なら、私はその判断を支持するよ」
陣営どちらにも付きたくないからこその発言だった。ただ、この発言は責任逃れというような印象を持たれてもおかしくないだろう。応援するとかほざいているくせに、何故そういうふうな責任逃れをするのか、と言われてもおかしくないくらいだ。
ただ、織桜の立場としては「責任逃れ」とか思ってほしくはなかった。伝言ゲームがそうであるように、誰が捉えるかで印象は大きく変わるため、織桜の言っていることがそのまま確実に伝わるとは言い難い。けれど、「責任逃れ」ではないことを色んな人に認識しておいて欲しかったのは事実だ。
「なんか、相談したら涙無くなっちゃった」
「いいじゃんいいじゃん。活発な女の子は、泣いていないと色んな人に元気を与えてくれるから」
「へー」
織桜がこれまで慣れ親しんできた色々な人を考察し、浮かび上がってきた事実のようなものをマモンに告げた。マモンは語尾を伸ばしたりする所から分かる通り、元気な女の子である。だからこそ、そういったアドバイスも欠かせないと思った。失恋した今、慰めてあげるのは自然の理と思ったのである。
「お……」
丁度その時。九番線ホームの向こう、即ち一〇番線ホームへと続く方向の跨線橋を渡ってきた乗客たちが、この八番線で降りてきた。どう考えても八番線から発車する臨時列車に乗車するためである。大きい手荷物を持ったりしている人が居ないのは、この線路が幹線と地方交通線の中間のような位置づけだからだ。
「まあ、この場所に待機しているのも何だし、愚弟達を待つのは列車内でにしようか」
「でもそれ、二人が来るの遅くなると先に出発しちゃうんじゃ……」
「そこら辺はなんとかなるってば」
「そうですかね?」
織桜が首を上下に振る。ただ、ここまでくるともう「爺」である。髭などは生えていないが、彼女が声優であった以上はそういうことが出来ても過言ではない。それを知っている人が目の前に居ないから、マモンはそんなことを言ったりはしないけれども、そう見えるのは確かだ。
「あんまり立ってばっかりいると良くないからね。座ってばかりいるのも駄目だけど」
「加減が大事、と?」
「正解。――まあそういうことで、乗り込め!」
「うわっ!」
稔を愚弟呼ばわりしている織桜であるが、彼女は自分のことを愚姉と自虐したことがある。そして今、そんな愚姉と失恋した妹が会話をしていた。もちろん、血縁関係の一つもないような、これまで赤の他人だったような二人だが。
「危ないな~」
「ハハハ。これが私だ。多くのキャラクターを演じる、それが愚姉なんだよ!」
「自慢かな~?」
「ノー。自慢じゃないノー」
掛けあわせたのは見え見えだった。そこが強調されているから、分からないはずがない。けど、寒い。
「うーん……。五点」
「それは五点中五点――」
「一〇〇点中五点だよッ!」
ツッコミを挿れられた後。織桜とマモンとの間の関係は縮まっていて、二人の顔も柔らかくなっていた。




