1-63 メッセ行き臨時列車-Ⅲ
「取り敢えず、この乗客はマノンさんに運んでもらおうか」
「そうだね」
乗客がプラットホームを進んでいく最中、稔とラクトはそんなことを話していた。ラクトの入眠魔法によって眠らされた二人を運ぶのは容易であるが、片方は一応これから仕事が残っている。もう片方には業務執行妨害という事で、少々問いただしてもいいくらいだ。
……もっとも、マモンが戦いだしたから一概に相手が悪いとは言い難いのだが。
「それで、稔。運ぶって言ってもマノンさんは近くに居ないし――」
「だよなぁ。見えないもんなぁ……」
ごった返していた。次第に人影は小さくなっていっていたが、電車の中までマノンは入っていたために見つけることは出来なかった。インフォメーションセンターに届けてしまうことも一手かと思ったが、稔は止めた。なにせ、その場所に必ず駅員が居るとは限らない。
緊急態勢の今。通常通りの業務を行っているとは考え難く、駅員総動員で乗客の整理、仕分作業に当っているのではないかと考えたのである。だからこそ、インフォメーションセンターに乗り込んでいくような、そんなスタイルは出来ない。
「マモンはここで寝ているからいいとして、マノンは電車内に居るかもしれないからいいとして……。織桜は?」
「あっ――」
先の一件の影響も有り、稔とラクトは逸れてしまっていた。もっとも、それで困るかといえば首を縦に振ることは出来ないが、確かに相談出来ないのは心苦しいものである。
ただ、稔はすぐに織桜の居場所を把握した。彼女は跨線橋上に居たのである。乗客たちが転落しないように、六番線以降の渡れない部分に入る手前、その場所で彼女は待機していた。声を上げている彼女だが、これは役一年の間のアルティメット・アドバイザーとして培われた度胸、それが見えている図である。
「織桜も頑張ってんのな……」
「私達も頑張ろうよ、稔」
「けど、ここで起こしたら……」
稔は隣で寝ている男に暴行を加えないか、マモンが更に程度の重い罪などを被らないか、そんなことを心配して考えていた。起こしてそんな事になったら大事であるし、もちろんそんな状況になればまた駅が混乱してしまうに違いなく。
駅員総動員の中でそのような事態を起こすことは許されない。誰か一人が規律を見出せば、その一人が乱しただけでも評価はガタ落ちする。真剣にやっている人が真剣でやらなくなったりする。だから、そんなことを考えて稔は、乗客たちを混乱させないような対応を心がけた。
「なあ、ラクト?」
「なに?」
「ここは俺に任せておいてくれないか?」
「それってどういう――」
「この場所に、マノンさんを連れてきて欲しいんだ。彼女にこの男をインフォメーションセンターに連れて行ってもらいたいからな」
「つまり、探せと?」
「正解だ」
ラクトは、稔から指示されたことをしっかりと聞き取って頷いていた。そして、稔が「どうするんだ?」とするかしないの選択しから一つ選べという旨を伝えた。それから数秒を間を置いてラクトは答えた。
「するよ」
「そっか」
そうして、稔は二人が眠っている場所に留まることにした。一方のラクトは、マノンを探して電車の中へと入っていった。ただ、電車の中で整理をしているということは、その場に人員が必要だという意味でも有る。人影が少ないので二人も要らないが、それでも一人は居るだろうと考えて稔は言っておいた。
「お前、マノンの代わりに整理してろよ」
「連れてこないってこと?」
「正解だ」
ラクトはしっかりと聞き取って、唾を呑んでからブイサインを稔に示した。どう考えても駅員の制服とは思えない彼女の衣装。故に彼女は、瞬時に魔法で着替えてから電車へと向かった。
「んしょ……」
公の前で着替えるという行為は、警察からすれば黙りこんでしまうような行為である。とはいえ、今ここに警察官は居なかった。だからラクトはそんなことを気にせずに着替えられた。
なんだかんだ言って彼女は、元々サキュバスだったから、恥ずかしいという感情は抱かないのである。もちろんそれは個性であり、改善すべき点である。
「居た」
電車に入って早々、ラクトはマノンを見つけた。確かに、駅員の制服を着ているのは駅員かコスプレイヤーしか居ないのだから、見つけるのが難しいわけがない。いくら身長が関係しているとはいえ、電車の中の人はどんどん減ってきており、難しいわけがないと言って間違いはない。
「マノンさん! 稔が呼んでるので、すぐにホームに行って下さい!」
「でも、この車両の担当は私が――」
「そんなの私に任せて下さい! 取り敢えず、早く稔の元へ!」
緊迫した状況を生み出すラクトは、あまりいい印象を持たれなかった。だからなんだ、という話でも有るが、やはり印象が良い方が後々の行動の評価に響くため、いい印象を作っておきたかった。けれど、ラクトが内心にそんなことを感じるのは後からだった。
「――御客様、足元にお気をつけてお願い致します! 押さないで下さい! 譲って下さい!」
ラクトがマノンから担当を引き継ぐ。駅員としての服を彼女は着ているが、実際は駅員ではない。稔に指示されたからこのような役割があてられているわけであり、ラクト自身が自ら立候補してなったわけではない。
一方のその頃、マノンは稔の元へと駆けていた。もちろん、彼女は御客様を大事にする精神を持っている駅員であるから、誰かを押しのけてまでして駆けたりはしなかった。加えて、彼女の履いている靴はハイヒール。靴はずれたりしてはいなかったものの、それでも走ると痛かった。だから、駆けるのは容易ではなかった。
「マノンさん、戻ってきたんですか」
「貴方の召使に……はぁ……言われて……はぁ……」
息を上げるマノン。疲れている様子を浮かべているが、疲れきってはいない。ほんの少し、身体を動かしすぎたから疲れているだけであって、椅子に五分くらい座っていれば疲れが引いていくような、その程度の疲れだった。何しろ走った距離は僅かであるし、サバを読んで見積もっても一〇メートルしかない。
「疲れているようで申し訳ないんですが、インフォメーションセンターまで運んでもらえませんかね、この男の人を」
「でも、それって貴方がテレポートして連れて行けば良い話なんじゃないですか?」
「あっ、すいません……」
稔はそこで言ってもらって、ようやく自分が言い間違っていたことに気がついた。恥ずかしいような素振りは見せない稔だったが、内心では大人の女性に失態を見せるのは恥ずかしかった。
「ここに寝ているマモンっていう女性なんですが、この人は鉄道関連の会社に勤務している人なんです」
「はい」
「それで先程、この女性の隣にいるこの男性が僕に暴行をしてきまして」
「はい」
「マモンが僕を助けてくれたんですが、その際に暴行を加えたような形になってしまいまして……」
「はぁ……」
「ラクトがなんとか眠らせてくれて、今は暴力などは振るわないような状態に居ますが、今後どうなるかわからないですし、それにここを利用する乗客の皆さんにはいい思いをして貰えないでしょうから――」
稔が丁寧な説明をすると、マノンは頷きながら言った。
「まあ、テレポートして頂いて眠らせたままなのであれば、インフォメーションセンターで見張っておいても大丈夫ですよ。自動的に睡眠から覚める時間とかが分かればいいんですが――」
「すいません。それは……」
「分かりました。……では、乗客の皆さんを整理した後、インフォメーションセンターにお立ち寄り下さい。その際に召使さんと共に来てもらって、彼女に眠っている状態から治してもらいましょう」
「それもそうですね」
稔はそう言って返す。するとマノンは、これで終わりかと考えて礼をした。稔は突然礼をされたと思って、何か有ったのか心配しそうになった。ただ、それを口にだすことはなかった。また失態を犯したら恥ずかしい。だからこそ、口に出したりしなかった。
「では、お願い致します」
「テレポート……ですよね?」
「それ以外に何が有るっていうんですか?」
マノンはそう言っているが、稔も何故聞いてしまったのかを自分に問うていた。もっとも、それを聞く意味があったのかということ自体を否定しているのだから、首を左右に振っているのだから、そうなってしまわないとおかしい。
「すいません」
自分を笑い、稔は言った。一方のマノンは、「でも、そういうのが貴方のいいところだと思いますよ」と言った。どちらかというと弄る側に行きたかったのだが、稔のそんな思いはマノンの前で通用しなかった。
「では、稔さん。お願い致します」
「はっ、はい!」
敬語で受け答えしていたのだが、稔はそんなことを忘れるくらいに驚いていた。大人の女性の手を繋いでいるのである。どこがとは言わないが、織桜のような可哀想な大人ではない。だから稔は、大人の女性というものをマノンから感じ取っていた。
「私達だけがテレポートしても、この人達はテレポート出来ないんじゃないですか?」
「あっ――」
緊張のあまり、稔は失態をまた犯してしまった。犯さないように頑張ろうと思った矢先だったので、ショックも相当なものだった。
「取り敢えず、彼女はここに置いておくのもあれですから、貴方の召使に――」
言い切る前だった。その時、ラクトが丁度電車から降りてきたのである。彼女が電車に乗る前に稔が見た姿は、駅員の制服なんざ着ていないパーカー姿のラクトだった。だが服装が変化していたために、稔は大きく驚いた。
「稔! 仕事終わったよ!」
「はっ、早かったな……」
見てみれば、確かにマノンとラクトが担当していた車輌内に客は居ない。他の車輌には若干の客が居たが、そんな客ももうすぐ降りてしまって、最終的には列車内の乗客は空になる。もちろん、そうならないとこれから乗る稔をはじめとする乗客たちが行動できないため、早く空になったことに越したことはない。
「ラクト」
「何?」
「マノンさんと一緒に、俺はこれからインフォメーションセンターにこの男の人を待機させてくる。それまでお前は、マノンさんと俺が戻ってくるまでこの場所に待機していて欲しい。あと、出来ればマモンを眠りから解いてやって欲しい」
「分かったよ」
特に嫉妬したりすることもなく、ラクトは稔の言い分を呑んで受け入れた。快諾してくれたラクトに対して、稔はとても喜ばしい気持ちになって、嬉しい気分になった。
一方のラクトだが、そんなことを心から読み取ってつくづく、「男は単純なもの」だと感じていた。
確かに、自分は稔を特別扱いしているということは分かっていた。ただラクトは、それを上手く言葉に出来なかった。「好き」だの、そんな言葉であればいくらでも言うことは出来る。確かに照れたりすることは有るが、伝わらなかったとしても言うことならば出来る。
ただ、ラクトはその『伝える』ためにどうすればいいかが分からなかった。だから稔といちゃついたりして探っているのであるが、やはり無理だった。それだけでは、特別扱いしているということだけにしかならない。
稔も男だから、それなりの性欲が有るのは分かっていたし、単純なんだということも分かっていたし、察することが容易にできないことも分かっていた。でも、ラクトはそんな稔が嫌いではなかった。むしろ、言葉に出来ないけれども、伝えることは上手く出来ないけれども。特別扱い以上の扱いをしていたつもりだった。
当然、そうなれば嫉妬が生まれないわけがない。余裕なんかこいている暇なんかない。――けれど、それをしたら嫌われるかもしれないと思って止めた。それが今、こうやってマノンと稔がインフォメーションセンターへ向かうシーンである。
「永遠の一七歳には、興味を示さないのかな……」
ラクトは、稔とマノンが手を繋いでテレポートしようとしていた裏で、そう小さく呟いていた。でも、それが片思いかどうかなんて結局は稔の判断に成ることを、ラクトはしっかりと受け入れようとしていた。彼がなんというと、結局は召使と主人の関係なのだ、と。そう思って受け入れようとしていた。
「――テレポート、ボン・クローネ駅一階のインフォメーションセンターへ――!」
威勢のいい声がラクトの耳に聞こえた時、稔はマノンと共にインフォメーションセンターへと向かっていった。向かった先で何をするのかとか、そんなのは大体分かっていた。それを拘束したらやはり召使ではないから、ラクトはそんなことをしない。
大切なご主人様であり、唯一好きになれる男性であり、憎むべき男性である。それが、ラクトの中の稔の評価だった。
「眠らせたの、解除しなきゃ……」
ラクトの声は小さくなっていた。何故こうなってしまったのかは言うまでもないが、それは別に稔が悪いわけではない。好きになってしまったラクトが悪いのである。思えば思うほどに締め付けられていく心が、これまで男なんか憎むべき対象だと思っていたからこそ、締め付けられていく心が。
理解できず、後悔しか生まない異性への恋心が今。ラクトの中で花開いた。大きな花が、そこに咲いた。
「――入眠、解除――」
咲いた花には目もくれないようにして、ラクトは自分がしなければならない仕事をこなす。マモンの目を覚まさせること、それが今しなければならない仕事だから、ラクトはしっかりとそれをする。
「何泣いてんだよ~。玉ねぎ、ここには無いぞ~?」
「……泣いて、いいかな?」
「どうした急に?」
「――」
マモンの質問には何も答えぬままに、ラクトはホーム上で寝ているマモンの胸の中にうずくまった。そして、涙を流した。起きたばかりでマモンは事態を完全に把握できてはいなかったが、「こいつが泣くのは大変なことだ」というのはしっかりと認識できていたため、彼女はラクトの後頭部を撫でた。
「泣けよ~。いっぱい泣けよ~」
笑い混じりの声。それをマモンはラクトに与えた。情けないような、強気な少女を撫でているマモンであるが、彼女も涙腺が緩んできていた。もらい泣きしそうになっていたのである。
「泣けよ……いっぱい……泣け――」
言い切れなくなりそうに成るくらい、マモンは泣きそうになるのを堪えた。けれど、それは駄目だった。失敗に終わった。泣いてしまったのだ。泣いたら駄目だと思っていたのにも関わらず、二人は共に泣いてしまった。
広がる傷口。誰かに包み込んでもらえればと、そういうふうに思っていく二人。そんな中で、一人の女性が二人の身体を包み込むようにした。温かな体温が当たるが、自己主張する胸はない。金色の髪の毛が風で少し揺れている。
「お前ら、愚弟に泣かされたのか?」
「……」
「――」
答えようとしない二人に、織桜は続けて言った。
「恋に涙は付き物だ。でも、泣かなくちゃ人間、成長しねえんだよ。――ほら、姉ちゃんの胸貸すから、泣きな」




