1-55 駅とレールの復旧作業-Ⅷ
多くの召使が召喚された後で、作業は再開された。ユースティティアとバタフライ、二人の精霊はまだ眠っていたが、二人とも精神や肉体を酷く使ったためにこうなってしまったのだ。
さて、先導や指導というような役に就いた織桜。しかし彼女は、稔たちが枕木を敷いていたりする作業の指揮を執るだけで、本格的に参加したりはしない。これまでこき使われているような風に聞こえてしまっていたため、参加したらまたそういう風に使われるのがオチだ、と思ったためだ。
「枕木敷くだけの簡単な作業ってわけでもねえしなぁ……。マジ重機欲しい」
「というか、それ以上にお腹減ってるんじゃない?」
「それはそうだけど、そんなこと気にしてちゃ作業進まねえじゃん」
「んなこと言ったら稔、お前の発言もその一つだろ」
「あっ……」
稔は、自分の言ったことに矛盾点を見つけられ、少し悔しい感情を持つ。召使に馬鹿にされたような気分になった稔だったが、ラクトからすればこれは煽りの範疇でなく、注意の範疇である。
しかしながら、昼ごはんのことを考えると、稔はついつい唾液を零しそうになってしまっていた。無理もない。三大欲求の一つが大変な刺激を受けているのだから。
我慢強さで自分をコントロール出来ているが、人間だって動物。故に、理性やら我慢強さやら、そういったものが制御不能になった時、最後はケモノと化す。それが男であれ女であれ、ケモノと化す可能性がゼロではないという事実に揺らぎはない。
「そこ! 会話は後!」
「お前なぁ……」
やり過ぎ感が否めないので、稔は抗議の言葉を送ろうと思った。でも、出来なかった。する必要性を考えた時に、しなくていいと思ったのだ。抗議して解決して、そういうふうに簡単にいくような事ばかりであれば、現実世界で稔が底辺に居たわけもなく、この世界で色々な事件に巻き込まれていたわけもないのだから。
「取り敢えず、その一〇〇メートルくらいのところに敷いていく!」
「はいはい……」
織桜は本当、キャラクターが一々コロコロ変わる女だ。稔は、そんな織桜が嫌いというわけではなかったが、ラクトと比べると手に負えないような感じもしていた。もっとも、年齢の違いがそれを生んでいるとも考えられなくはないわけだが、結局は相性だ。年齢がどうであれ、最後は相性である。
でも稔は、それを即決できるような人間でない。
「そういえば……。金具とかが有るのはいいんですが、それを取り付ける工具が有りませんよね?」
「いいところに気づいたな、エオス」
エオスを褒める稔。稔には到底考えられないような内容だった。淡々と仕事を熟していく中、そんなことには手を付けられなかったのだ。だからこそ彼は、エオスを褒めた。でもその行為は、他の召使からは歓迎されないような行為であった。
「自分の召使じゃないのに……」
「本妻気取ってんじゃねーよ」
「べっ、別にそんなんじゃないもん!」
ラクトがツンデレ気味な発言を行うが、こういう時は彼女が弱っている時である。稔がラクトとデートをし、大体彼女がどういう女であるのかということは認識していた。だからこそ、今彼女が弱っているのだということをしっかりと理解していた。
「まあ、落ち着けって」
稔は取り敢えずそう言って、ラクトの苛立ちを抑えようとする。ある意味万能な台詞であるから、使っても特に変な気分にはならない。使われた側もそうだ。……ただ、稔とラクトの口論は思わぬ方向へと向かう。
「そういう痴話喧嘩はやめて、早く復旧作業に務めろ。この愚弟が」
「……」
愚姉と自らの口で言っていた女による、『痴話喧嘩』発言。痴話喧嘩であるとか無いとか、そういうことは稔からすればどうでもよかった。痴話喧嘩だとか言われても、軽く否定すればいい話だと思っていた。だが、ラクトの取った行動はその真逆。重く受け止めて否定した。
「痴話喧嘩じゃない! 召使と主人の間にある愛情は基本的には共戦関係のようなもので、恋愛感情だとかそういうものはない! だから私は稔と痴話喧嘩なんてしていたわけじゃ――」
「説明が長くなってるところを考えると、ねえ……」
「だから違――」
織桜はすっかり、ラクトを虐めることに夢中になっていた。稔を虐めているようにみえるかもしれないが、織桜に年下を虐めるという趣味はない。故にどちらかというと、ラクトを虐めているのはじゃれあいの範疇だった。
痴話喧嘩と煽ったのもそれが原因だったのだが、織桜はラクトが本気で怒ってしまったことに相当なショック、自分が犯してしまった罪の重さ……。そういったものを感じてしまい、謝ろうと頭を下げた。
「なっ、何してんだよ!」
「どうした、愚弟?」
「いやいや、ここまでの話でどこに謝る箇所があったんだよ」
「ありありだぞ、愚弟。お前の召使がこんな風に可哀想な顔を浮かべてるか――」
織桜はそう言ってラクトを庇おうとする。勿論、稔にだって召使を思う気持ちがないわけではなく、ラクトを庇おうとしたかったのは間違いじゃなかった。だが、稔は他の主人に庇ってもらわなくても、謝ってもらわなくてもいいと思っていた。
「俺は召使を大切にしたいけど、別に大丈夫だよ、織桜」
「そう……」
織桜は後ろめたさを残しつつ、また指示側に戻った。稔とラクトと織桜が話している間にも、スルトやらヘルやらがエオスやらが作業を進めていたため、稔は一回頭を下げてから作業に復帰した。
「稔」
復帰して間もなく、ラクトが稔のすぐ近くで作業を始めた。話しかけられて稔は瞬時に反応したが、それがラクトの求めていた反応だったため、ラクトは少し顔の硬い表情をゆるめる。
「あの……さ」
「なに?」
「なんで、織桜に謝らせなかったの?」
「んじゃ、逆に聞く。気分を害したか?」
稔の逆質問に、ラクトは首を左右に振って否定する。
「だろ? お前はそういう人間なんだ。人から謝ってもらっても、軽く受け流すことが出来るようなね」
「ヒューマンって訳じゃないんだけど……」
「そんなん別にどうでもいい」
ラクトが補足するが、稔は言って補足を切る。ラクトの前世はサキュバスであり、ヒューマンではない。エルフィートでも無く、元はデビルルドだ。男を殺すことに何の躊躇いを持つこともなかったような、男殺しの悪魔だ。稔を他特別視しているのは言うまでもないが、他の男は今でもまだ無理だ。
「俺が言っていいのかわからないけど、俺はお前と一緒にこれからもいたいからな。あんまり色々と問題を抱えたくねえんだよ。謝罪とかでいざこざが起こるとか、本当に有り得ない」
「……」
「ともかくだ。俺はお前と一緒にいたいってわけ。だから今、こうやって一緒に行動している人たちとの間に妙な溝を掘ってほしくないし、それでいざこざを作ったり、変に疎遠になってほしくない」
「分かった」
稔が織桜にラクトへ謝罪を行わせなかったという、その事実の裏にあった稔の思いを聞いてラクトは、また稔への好意のゲージが上昇した。愛情度が限界突破――とまではいかなかったが、若干依存しはじめていた。
もっとも、ここまでくれば『痴話喧嘩』と言われても無理は無い。稔がラクトへ依存しているという事実ないが、稔もラクトも話している時に涙を見せることはない。若干ムキになったりすることはあっても、それで手を出したりはしない。
「マスターとラクトって、本当に仲いいっすね」
「ヘル。お前も俺に優しくして欲しいのか?」
「出来ればそうしてほしいっす」
「分かった」
ヘルとスルトを召喚していたわけで、二人の召使ともに作業を行っている。ラクトのようにそれといって口を挟んだりすること無く、二人の召使は淡々と作業を進めていたのだ。だからこそ、稔の質問には大きな意味があった。優しくする側にその自覚はそれほど無かったが。
「マスターは温かいです」
「そうか」
「んじゃ次は、スルトに――って、あれ?」
見てみれば、そこには巨人としてのスルトは居なかった。召喚された時、稔の目には巨人としてのスルトの姿が映っていたはずなのだが、それは幻覚だった。本当に召喚されていたのは、目の前に居る美少女であった。
「これが……スルト?」
「私がスルトです、マスター」
否定しない事から察すればいい。この女、間違いなくスルトだ。
「おい待て。スルトが女の子になったのは分かった。去勢済みだからスムーズに行ったのかもしれない。そこまではいいけど、一つ言いそびれてるだろ。なんで女の子になった?」
「ああ、そのことっすか」
「うん」
「なんか、私に交渉してきたんすよ」
「そうなのか」
交渉してきたと言うことを聞いて、稔は安堵の溜息をする。ヘルの押し付け、ないしその他の主人や召使や精霊の押し付けでないことを確認し、ついつい漏らしてしまったのである。
「しかしマスター。見て下さいよ、このおっぱい」
「公衆の面前で言うな! ラクトみたいに成るんじゃねえ!」
「サーセンっす。……でも、それなりにあるっすよね?」
「そ、それは否定しないけど……」
超展開すぎてついて行けない読者が居るかもしれないが、稔もついていききれていなかった。公衆の面前で胸の話をし出すという、まるでラクトのような態度をとるヘルに対して、稔の評価はガタ落ち――まではいかなくても、少し落ちてしまっていた。でもそれは、嫌いになるレベルではない。
「こんな死の女神は嫌っすか?」
「嫌じゃないんだ。でも、自分の召使に同じような奴が二人いると、手が負えなくなるからさ」
「負担が掛かるって事ですか」
「ごめんな、ヘル。お前が邪魔者みたいな扱いになってしまって」
「いいっすよ別に。なんせ私もスルトも、ラクトには遠く及ばないっすからね」
自分を否定的に見るヘル。巻き込まれたスルトは何も言わない。でも、稔は一言言っておいた。それは、かつて現実世界で味わってきたことを教訓として踏まえての言葉だった。
「あんまり自分を否定してると、本当に自分が嫌いになるぞ。それで精神が不安定になる。死の女神がそんなんだったら、自分から死ぬ奴減るぞ」
「『ヘル』だけに『減る』。上手いっすね」
「茶化すなコラ!」
ヘルは稔のツッコミに反応し、笑みを浮かべた。一方、それを見ていたスルトが言う。
「私の場合は?」
「するとスルトが――いや、これはあんまり面白くないか」
「もっと感情的になるべきですよね、マスター?」
「無理はしない程度にな」
無理はしない程度にというのは、イコールで『キャラ崩壊しない程度に』という意味だ。ツッコミを入れてそれなりの対応をとってくれる人は、いくら自分が嫌いだとしても好意的に接することが出来る。それが稔だ。
彼を見ていると、関わりが少ないように感じたりしなくもないが、稔は元の素質は悪くなく、接してきた人の数も少なくない。ただそれは、高校生時代での話ではなくて小・中学生時代などの話だ。
それはともかく、いくら好意的に接することが出来たとはいえ、キャラ崩壊してしまったら意味は無い。それでギャップ萌えが生まれるなら別だが、生まれなければ痛い人。裏表が激しい人……など、様々な罵称を手にすることになってしまう。
「無理するのが召使ですよ、マスター」
「無理してもいいけど、それでも程度は有るぞ」
「いい無理と悪い無理って、なんか話がどんどん難しくなっていませんか――?」
スルトの指摘通りだったため、稔はその意見を呑んだ。巨人だった時は全然話なんて出来なかったのに、こうやって会話出来るようになって、こういうのがギャップなのだと稔は改めて思った。
ときめきのようなものを感じたりはしていないが、稔はそこに重点を置いていたわけではなかった。だからこそ稔は、ギャップ萌えのようなものを心で感じたりはしなかった。『ギャップ』は感じていたが、『ギャップ萌え』ではなかったのだ。
「しかしマスター。元男に越されるとはショックっす……」
「知らねえよ! だったらお前、交渉呑むんじゃねえよ!」
「だってぇ、貧乳だと思ったんですもん……」
「それだけで男は女を評価しないと思うが――」
希望を与える稔。それだけで付き合うとか付き合わないとか、そんな極端な人は正直少ない。貧乳にしろ巨乳にしろ、あくまでそれは特筆すべき点のようなもの。それだけで決めるなんていうのは、後先を考えささすぎだ。
「違うんす! 仲間が欲しかったんす!」
「貧乳仲間かよ。哀れって言われるぞお前……」
「うわあああ! 主人に虐められたあああ!」
「作業してる奴に迷惑だから動き回るな!」
ヘルがラクトのようになっていっているが、辛うじて顔と胸で少し違いを生まれさせていた。ヘルの本性がこんなものだということを稔は思っていなかったが、人間の性格なんてものは周囲の人の影響を受け易いものだから、それも一つ、ヘルの本性が見抜けなかった一因だ。
「まあでも、スルトは私より負けてるけどね……」
「そうだな、ラクト」
「……聞いてたの?」
独り事のはずだったラクト。それを稔に聞かれているとは思いもよらず、顔を赤らめてしまった。水のように沸騰し、ラクトはその場で俯く。ただ、このままでは作業なんて進むはずもなく、稔は会話ばかりするのは止めることにした。此処から先は、真剣に人のことを考えて作業をしていこうと、そう考えたのだ。
「んじゃ、私とスルトは向こうで作業しているので、要件があったらお願いするっす」
「分かった」
そういった言葉を交わした後、ヘルとスルトは担当していた場所へ帰っていった。稔たちが会話していた中でエオスが作業していたわけだが、稔とラクトの前を通り過ぎた際にも彼女は何も言わず、無言で作業を続けて通って行った。
静かな空気が流れてなどいない。聞こえてくるのは整備士たちの声。聞こえる大きな声は、「自分たちが頑張らなければいけない」というような気持ちを奮い立たせるようなエネルギーになった。稔とラクト、夫婦のような二人の気持ちを奮い立たせる、そんなエネルギーに。
「それじゃあ、稔。作業頑張ろっか」
「おうよ」
そんな会話の後で、ようやく稔の枕木を敷く作業がスタートした。他の人と比べればとてつもなく遅いスタートだったが、枕木を他の人が使っていたので稔は楽を出来た。




