1-50 駅とレールの復旧作業-Ⅲ
ラクトの台詞の中に隠れた意味は、紫姫にしっかりと伝わっていた。紫姫からすればある種『恋のライバル』的な存在に位置するラクト。一方稔を介せば、ラクトと紫姫が「仲間」だという事実もあったのだ。
紫姫は、稔と共に闘うことが嫌いなわけではない。表面上は稔を嫌っているかのような素振りを醸しだすものの、本心ではデレデレなのだ。でなければ、彼女がデートのお誘いを行うはずがない。
「う、うむ――」
返答に困る紫姫だったが、紫姫は唾を呑んでそう言った。
「そういえば、電車ってどこに置いてくればいいんだ?」
「ああ、それでしたら――」
駅員の召使であるというアドバンテージを活かし、エオスが稔の質問に答える。とはいえ、口頭のみの説明では理解し難いと言って問題はない。そのためエオスは、ポケットから有るものを取り出した。
「それは……?」
「こちらはエルフィリア王国鉄道が発行している、『鉄道手帳』というものです」
「なにそれ……」
稔は理解に苦しんだ。簡単にその手帳を表現するならただ単に、名前が『鉄道手帳』というだけの手帳としか言えないのだから。そんなものを見せられた所で、稔からすれば鉄道関係の会社が発行している手帳だとは流石に考えられなかった。
「どうやら内心で疑っているようですので、どうぞ」
「おっ、ありがと――」
他人の手帳を見てあまり良い気分はしない。けれど、稔は自分から見せて欲しいとせがんでいないため、見せて欲しい者が見せるのだから何も躊躇う必要はないだろうと感じていた。
「おお……」
鉄道手帳を開く稔。サイズ的には、大体生徒手帳と同じ大きさくらいだ。B7サイズと言えば分かるか。
ペラペラとページを捲っていく稔だったが、始めの数ページで手を止めた。
「――これ、日本地図じゃね?」
日本地図と酷似した地図を発見したのである。島の数などは違えど、北海道に限りなく近い島、本州に限りなく近い島、四国に限りなく近い島、九州に限りなく近い島が有った。離島も無いわけではない。
ただ、日本地図と言ったところで、言及できるのは織桜のみだ。いくら召使が主人の心を認識した所で、織桜のような日本人が言及すれば認識する手間はなくなり、スムーズに行く。
「ハハハ。愚弟、それが日本地図だと思ったか!」
「てかこれ、どう考えても――」
「そうだね。私も最初はそう思ってたから、なんとなく理解できるわ」
織桜と稔との間に、共感できるポイントが見つかって笑顔が生まれた。
ただ、流石に何時までも『日本地図』と言い続けていると、変な人にみえてしまう事も無くない。故に、織桜は稔にこの世界の地理に関して教えた。
「復旧作業が有るから早めにいくけど……。取り敢えず説明するぞ、愚弟」
「お、おう……」
ただ、B7サイズの手帳を二人で見るためにはそれなりに距離を縮める必要があり、織桜が稔の方へと近づきざるを得なかった。まるで家庭教師のような風貌さえ漂わせる織桜は、芳香の刺激を稔に与えている。
高校生と家庭教師、傍から見ればそんな感じに見て取れる。彼と彼女がそういった関係ではないとはいえ、何の事実も知らない人が見たらそう思う可能性はゼロじゃない。
「まず、北海道に限りなく近い島。それは『ノスドム』。全域がエルダレアに属している島だ」
「ほう」
こんな時にスマホがあれば……と稔は思ったが、探そうにも探す対象が少ないため、ここではパスした。自分の召使が覚えていてくれるだろうと思ったのである。
「次に、四国に限りなく近い島。これが『サウシド』。西部がユベルディルマ、東部がアングロレロに属する島だ」
「現実世界で言う、ニューギニア島か」
「そんなところ」
稔は平常心を保っているかのように見えているかもしれないが、彼はもうチラ見している。彼の召使に巨乳の女の子が居るというのにもかかわらず、彼は織桜の胸をチラ見しているのである。
ただ、これはラクトにバレバレだ。ラクトもラクトで何も言わないが、内心では「この主人は――」と思っていた。
稔の織桜に対するチラ見カウントが一〇を突破した時。織桜は話を再開した。
「んで、本州に限りなく近い島が『マド―ロム』。九州に限りなく近い島は『ウェスチア』」
島の話の最中。所々で国名の話だとかをしていたが、織桜はマド―ロムの国名も稔に話した。何を隠そう稔は、リートやスディーラに『新国家元首』と呼ばれる存在であり、何もおかしくない。
「日本で例えれば、北海道と青森県を支配しているのがエルダレア。それ以外の東北、北陸地方を支配しているのがギレリアル。関東地方を支配しているのがエルフィリア。甲信と東海と兵庫県の大部分を除く関西と、四国に限りなく近い島の東部を支配しているのがアングロレロ。それ以外がユベルディルマだ」
「なるほど」
日本地図で例えることが出来なくない現状がそこには有った。地図に書かれた都市名を見れば、東京の辺りはニューレイドーラ市ではない。八王子市辺りがニューレイドーラ市と酷似した位置にある。ボン・クローネ市に至っては、千葉県の銚子市周辺だ。
「まあ、難しい話はいいや。以上だ、愚弟」
織桜はそう言って説明を止めた。「そろそろ終わるのかな?」と稔も思っていた頃だったので、何も言うことはなかった。――が。肝心なことを稔はエオス含め、関係している仲間たちに聞いていなかった。
「ところで、この電車は何処へ運べばいい?」
「そうですね……」
エオスに稔は聞いた。ラクトや紫姫、それに織桜にも知識があるのは重々承知の上で、駅員の召使であるという事を活かして欲しくて聞いたのだ。また、それを心で思っていたこともあって、ラクトも稔に何一つとして変なことを聞くことはなかった。
「『クローネ・ベーグ車両基地』なんてどうでしょうか?」
「……それって何処に有るんだ?」
「あの山の麓です」
「なっ――」
電車で行けばそう遠くないし、テレポートで行けばそう遠くないのは確かだった。だが稔は市内の中心部に位置するこの駅から、その車両基地までテレポートする事に、いい気持ちでは居られなくなってしまった。山の麓、そんなところまでテレポートで行くのが面倒くさいように感じたのだ。
ただ、稔が先導してきたこのプロジェクト。稔が指揮を執らないで何を執れというのか、という話だ。電車なんざスルトの魔法――否、魔法なんか使わなくても持ち上げられるはずだ。その事を実行した事実はないが、稔には何故か自信があった。
「取り敢えず、稔。ここまでの事をまとめて早くレール復旧だよ!」
「あ、ああ。そうだな……」
稔たちは、鉄道関係会社勤務の者として働いているかのように見える。正解はそうでなくても、人のために働いていることは変わらない。それは誰かから評価を受けなかったとしても、自分の誇りにするべきだ。『埃』ではなく、『誇り』にするべきなのだ。
稔は、ラクトからのレール復旧を急げという声に応えるべく、咳払いしてから言った。
「まあ、説明なんざ後でいい。――俺は、車両基地へ行って来る」
「みっ、稔……?」
「あ、ラクトと紫姫は消火活動しなくていいや」
稔は人が変わったかのように、仲間たちを先導していった。レールを復旧させるために、それを急ぐために先導していったのだ。人が変わったように見える稔の顔には、焦りといった表情を窺うことは出来ない。
「――スルト、ヘル、召喚――!」
消火活動しなくていいと稔が言った理由は、スルトの属性にあった。火傷状態になったとしても、カーマイン属性なら無問題では無いのかと思ったのだ。スルトの属する属性がカーマインであり、凍らせるよりも燃やしたままのほうがいいんじゃないかと思ったのだ。
ただ、そんな事を考えている稔に対してラクトが言った。丁度召喚陣を起動させて、そこからスルトとヘルを出している最中でだ。
「稔は忘れていないかな? その電車を届けるのが『車両基地』だってこと」
「あっ――」
車両基地へ行けば、もしかしたらシアン属性の魔法が使える人が居て、楽に消火出来る可能性は否定出来ない。けれどもしそういった人が居なかったとしたら、大問題だ。熱さが残る電車の金属部分などを触りたい奴がいるはずがない。
「しゃあないな……」
ラクトは言いつつ、稔に自分自身の力を見せるために魔法を使う。口から言葉を発さず、魔法を波動に変えて電車を対象物として使った。状態異常魔法の中の『氷結』だ。
ただ。ラクトの善意は、紫姫には善意ではなくて悪意に見えた。そんなことをしでかしたということは、「稔は渡さないぞ」と言っているようなものだと捉えてしまったのである。そうなってしまえば、紫姫のイライラは募るばかりだ。
活躍する場所を失ったわけではないが、稔への思いは変わったわけではないが……。紫姫は、イライラを募らせて舌打ちをしかけた。でも、愛する契約者の為にそれは出来なかった。
「ほらよ――」
炎によって溶かされ水と化した氷によって消されていく炎は、有る一種の芸術を思わせるかのようだが、そんなことを紫姫は気にしない。一方のラクトは紫姫への悪意とも感じ取れる行動をとるが、本人はそんな事を微塵たりとも考えていなかった。
だが、ラクトは人の心を読むことが出来るサキュバスだ。人だけでなく、召使の心だって読むことが出来る。ユースティティアの一件でそうだったように、彼女は召使の心の中を読むことが出来、主人との間で生まれたログを実体化することも出来る。
ある意味チート能力。でもそれを彼女は悪用しようとは考えていなかった。いくら前世が魔族だったとはいえ、そんなことを考えていては召使が務まらないと感じていたのだ。
だからこそ、チートは誰かの為に使う必要があると思っていた。誰かの為にということを、ラクト自身は当初は分かっていなかった。だが、稔とその召使、精霊、その友人とその友人の精霊や召使と親しくなっていくうち、何だか分かってきていた。
「紫姫」
「――貴下、なんだ?」
「私は別に、そんなことを考えていった訳じゃないんだよ……。ごめんね……」
紫姫の方を見て、心を読んだラクトがそう言って謝る。謝る必要が無いといえば無いのだが、罪悪感に潰されそうになることを恐れ、ラクトは謝っておいた。
「紫姫のためもそうだし、稔のため、皆のためにやっただけだったんだ……。急いでする必要があると思ったから、特別魔法を使って――」
「貴下。別に我は、貴下を許さないわけではないんだが――」
「そっか。ありがとう!」
紫姫は、別にラクトに対して怒りを露わにするつもりは無かった。そんな些細な事で怒っているようなら、自分がキレやすい女だと認識されてしまうかもしれないと思った為だ。稔に対してのアピール出来る部分が減ってしまうことを恐れ、紫姫はそれを止めた。
「取り敢えず。凍らせてくれて有難な」
「いやいや。召使たる者、主人のためになんでも奉仕するものだよ」
「ん?」
少々棒読みになりそうだった稔。一々聞き返したのには、某ホモビデオのワンシーンを連想してしまったからである。もっともそんなことを、このマド―ロムの世界の召使と精霊が知るはずもなく。唯一知っているかもしれないのは、織桜くらい。けれど、その織桜もこういったことには言及しなかった。
「何さ、聞き返して」
「いや、なんでもないよ」
取り敢えず場を丸く収めようと、稔は行動に出た。ラクトから疑いの目をかけられた稔だったが、ラクトも魔法の使いすぎでそれなりに疲労が溜まってきており、あまり動きたくなかったために疑いの目をかけるのをやめる。
「んじゃ、『クローネ・ベーグ車両基地』まで行ってくるよ。お前らはレール上から電車が無くなった後、ラクトの特別魔法だとかでレールを敷設し――」
「ごめん、稔。私ちょっと休む――」
「大丈夫か? ……無理すんなよ?」
心配になって声を掛ける稔。主人として当然の対応であるが、ラクトはその行動に違和感すら覚えていた。もっと厳しく扱うような主人も多く、どうしても違和感が有ったのだ。でもこれが異世界人であり、これが日本人だ。
「エオス。車両基地にレールって有ると思うか?」
「それは難しい話ですね……」
エオスは『ボン・クローネ駅』には詳しいのは確かだが、鉄道全てに詳しいわけではないのだ。資材が何処にあるかなど、一般的な駅のインフォメーションセンターに務めている人間、及び召使に必要不可欠な情報ではなく、ヒントすら持っていなかった。
でも、そんな時に役立つのが『鉄道手帳』だった。資材関連の情報が無いか、エオスが念入りに調べてくれたのである。行ったり来たりして、心の中で何度も読み返した。
「有りました!」
「お」
三分くらいが経過した時。丁度エオスが鉄道手帳の中に、レールが何処にあるかを記述してある文章を見つけた。悲しきことにエオスは文章を速読することが苦手だったため、探すのに困難を極めたのである。
「鉄道手帳によると、クローネベーグ車両基地に有るみたいです」
「そっか。……んじゃ、それも俺が持ってくるパターン?」
「それがいいと思います」
「そっか。把握したぞ」
レール程度であれば、稔もヘルも持ってこれる。スルトは絶対に持ってこれるだろうから考える必要はないと稔は考えていたが、万一怪我などをした際の為に、スルトの事も気遣って車両基地へと向かうことにした。
「んじゃ、行ってくるわ」
「おいおい、電車――」
「あっ……」
織桜からの指摘を受けた事もあって、稔はスルトに指示をだすことが出来た。眠気なんてものは払拭して無かった稔だったが、少しぼんやりしたのである。人間、そういうことは起こりうることなのでそこまで心配する必要はない。
「スルト! 電車を持ち上げろ!」
「きゅれりる!」
指示後スルトが何か言ったが、稔はスルトが何と言っているのか、理解することはまだ出来なかった。
でも、スルトは嫌がっている声を上げていなかった。そして稔は、自分の指示で召使が嫌がっていないことをとても良いことに感じた。
稔は確認のため、ヘルに問う。
「ヘル。スルトは嫌がってないよな?」
「そっすよ。スルトは嫌がってるっていうよりも、喜んでやってるっすよ」
「まじか」
流石巨人。力が桁違いだ。
「うお……」
桁違いの力に驚く稔。その上で、スルトは電車を持ち上げて稔に言った。
「きゅらい!」
でも、それを稔が一発で理解することは不可能であって、それを理解するためには翻訳してくれる者が必要不可欠だった。それに該当するのがヘルで、彼女はこう翻訳した。
「早くして欲しいみたいっす」
「分かった」
ただ、手を繋いでテレポートすることは不可能に近い。そのため稔は、ある決断を下した。
「――ヘル、スルト、応召――!」
ヘルとスルトを召喚陣の中へ応召し、自分一人で移動した方がいいだろうと考えたのである。
召使が隣に居たりすると少々厄介になってしまうことも有るためだ。エルフィートとの会話の際、何かを交渉する際、隣から奇声などが聞こえたら話にならない。
もっとも、ヘルもスルトも、そんなことをするはず無いが。
「んじゃ、頑張ってね」
「おうよ」
頑張るのは稔ではなくスルト、翻訳者としてヘルだ。今回稔は頑張る側の人間ではなく、頑張るものをサポートする側の人間だ。サポートする側に立つということは、頑張ってもあまり功績は作れない。
「――テレポート、クローネ・ベーグ車両基地へ――」
ただ。そんなことはお構い無しに、稔はそう言って車両基地へと向かった。王冠山、クローネ・ベーグの麓にある車両基地へとテレポートして、電車を預けてくるためにだ。




