1-44 バーニング・ラビット
「じゃ、投降してもらうぞ」
「それが、貴様の願い?」
「ああ、そうだ。投降してもらえれば俺は嬉しい。……で、あいつを殺せばいいんだな」
そう言うと、稔はラクトの居る方向へと向かった。理由は単純だ。剣を返してもらうためだ。
「ラクト。ちょっと一発、ペレと共にあいつを倒してくるわ」
「まあ、麻痺はさせておいたから出る幕はないね。……なんか、あの兎は眠り状態や毒状態にならないみたいだし」
「……マジで?」
「いや、動きまわるのが得意ってことだからね? ……だから、ぶっちゃけ麻痺も意味ないと思うんだよね」
「そっか。……情報提供有難う」
稔がそう言うと、ラクトは「召使はこういうことをするためのものだぞ」とか言って、電車の中へと入ろうとした。けれどもう、電車の中に人影はない。それに、電車のある方向はスルトバリアの効果が途切れているため、死ぬ可能性も否定出来ない。そのため、ラクトはその方向へ行くことを諦めた。
そんなラクトに代わるようにして、織桜が稔との共闘を承諾した。
「愚弟。――私も、あのモンスターを倒すために協力させて欲しいな」
「別に構わないけど……」
「やった!」
そういうことになって、稔と織桜、それにペレ。三人が一緒になって、バーニング・ラビットの討伐作戦を実行することとなった。魔法が使えるのは、稔と織桜のみだ。だからといって、彼らの魔法が効果的に効くとは限らない。
そこで、まずは全員が剣を手に握った。
元々、稔はバーニング・ラビットを討伐――殺す事には否定的だったが、今となってはもうそんな面影はない。ペレが巧妙な手口で稔を誘っている可能性もあるが、稔はそんなことは気にしなかった。
「はっ!」
巨大になりゆくバーニング・ラビット。炎をまっとっている兎が、暴れ狂う四番線ホームの奥のほうでは、当然ながら紫姫が積もらせた雪が溶けていく。それを見てか、兎は防御面を弱くしていた。
「――隙を見せたのが仇だったな!」
そう言うと、稔は持っていた紫色の光を放つ剣を振りかざした。挑発である。その振りかざした剣は、バーニング・ラビット本体に斬り刻まれたわけではないため、挑発なのだ。もっとも、稔からすればあまりいい気分じゃなかったのだ。
いくら、頼まれたからとはいえ。ペットを殺すことには、どうしても躊躇いがあった。
でも、日本の至るところで現実にペットは殺されている。
飼い主が何も出来ないから。飼い主の求めるペットの理想が高すぎたから。理由は様々だが、引き取られなければ死ぬ運命しか待っていないのだ。
所詮、ペットは奴隷だ。人間を奴隷とするのは違法だが、他の動物を奴隷とするのは合法なのである。召使を奴隷として扱えないように、稔はバーニング・ラビットを奴隷としては扱えなかった。だから、殺そうにもその最後の一振りが出来ない。
――情けない――
そう、稔は思った。女々しいとも思った。でも、その気持ちだったのは稔だけじゃなかった。隣に居た織桜も同じ気持ちだった。
「……」
殺戮してしまうんじゃないかと思ってしまうくらいの狂気は、そこにない。けれど、それでも殺せば狂気が芽生えてしまうのは言うまでもない。笑い声が止まらなくなるはずだ。
「――」
警察に捕まる可能性は否定できなかった。折角、いい称号をもらったのに死ぬのはごめんだった。でも、犯人の身柄を警察に手渡すにはそれしか方法がない。凶悪な兎だって、処刑する以外に出来る措置は無い。
そんなとき。
「織桜……?」
「ごめん、愚弟。私、愚姉だわ。賢姉なんかじゃなかった」
「えっ――」
そう言うと、戦線から織桜が離脱した。織桜に兎を殺すことは不可能だったということだ。もっとも、自ら辞めたのだから、稔やペレが何か言う資格など無い。ある意味番狂わせだったけれども、強制参加なわけではないので、辞められたらそれを認めざるを得ない。
刻一刻と、目の前に迫ってくる動物の姿。ペレの夫というそれは、夫ではないような外見であるけれども、稔はそんな考えは全て払い、ペレが思っていることをそのまま自分の意見として、鵜呑みにして使った。
「ペレ……」
「なんだ」
「この兎を落ち着かせるためには、殺すしか無いのか?」
「突然何を言い出し――」
稔はそう言うと、ペレの方をじっと見て言った。
「正直、俺は共犯を犯したい訳じゃない。俺は人間だ。日本って国から来た、異世界人だ」
「異世界……?」
「その国じゃ、動物を殺すことはいいことではないと言われていた。でも、実際はそうなってしまうんだ。恵まれずに、飼い主の都合によって処分される」
「そう」
「考えてくれ。お前には、この兎を落ち着かせることは出来ないのか」
「無理だって、言ってるだろう。貴様は、裏表があるのか?」
「そうか」
稔は、目の前の兎に言い放った。
「――お前は、生きるか死ぬか。どっちを選ぶ!」
「貴様何を……」
「死にたくなければ、今すぐその姿を元の姿に戻すんだ! ペットの姿でいい!」
稔も、戦線を離脱したいのは確かだった。けれど、それでは自分のプライドが傷つけられてしまう。「俺にはこんなことも出来ないんだぜ」という証拠にしかならず、それは自分を傷つける証拠以外の何物でもない。だから、「だったら、功績を作ればいい」と思ったのだ。
稔は、悲しい顔面の持ち主である。そりゃ、現実世界の女にはモテることも特に無かったわけだし、ゲームに没頭していたわけだ。けれど、ここは異世界である。そして、攻略するのは異性ではなく、ペットだ。もっとも、同性という表現もできるが。
「俺は、召使を絶対に見下さないと決めた。召使は主人の玩具じゃない。お前もそうだ。主人の玩具なんかじゃない!」
「……」
「小さく、小さくなってくれ。ここは俺が復旧させるから」
「そんなこと出来るわけ――」
なんとか、稔はバーニング・ラビットを攻略しようと必死に頑張った。後ろから聞こえるペレの声にも稔はしっかりと耳を傾けており、言葉を聞き逃すことはなかった。
「人間ってのはな、何か一つに囚われる生き物じゃないんだ。自分たちが弱いからこそ、新しい何かを築くことが出来るんだ。まあ、今じゃ雑食界の王様みたいになってるけどな」
「どういう……」
「要するに。人間は工夫すれば大体なんでもできる。時間さえかかれば、なんだって」
復旧作業は、地球上でこのような規模のテロが起これば、それなりの時間を有することは言うまでもない。けれど、エルフィリアは魔法を使える者が居る国だ。だったら、それを使うべきであって、使わないなんて言語道断だ。
緊急事態に面している時も、あーだーこーだ言っているような者は、エルフィリアには必要ない。権力者たるもの、普通はそう考えるものだ。けれど、稔はそこまで統制するような人間ではなかった。「やりたい奴だけやればいい」というような、そういう精神だ。
「さあ、バーニング・ラビット。主人様の元へ帰ってやれ!」
「……」
「ああ、大丈夫だ。お前を殺さないことは俺が保証する」
稔のその言葉を聞いたバーニング・ラビットは、その瞬間に巨大だった姿を元に戻していった。まとっていた炎は、いつの間にか消えていた。そして見えてきた身体は白色ではなく、どちらかと言えば黒色に近い紫色の身体を見せていた。
「嘘……」
バーニング・ラビットは、戦意を喪失していた。でなければ、まとっていた炎が無くなるはずがない。
「貴様、一体どんな魔法を――」
「まっ、魔法なんか使ってねえよ! 俺はただ煽った攻撃しかしてないし――」
「……」
稔に、動物の気持ちがわかるわけない。そんな特殊能力を持っているわけではないから。けれど、気持ちを察することならだれだって出来る事は出来る。……でもこちらも、稔は結構出来ない方だ。
ただ、いくら言葉が伝わらなくても。稔は動物の気持ちを感じることが出来なくても。怒っているか、悲しんでいるか、そういう表情は顔に現れているんだと感じた。そしてバーニング・ラビットはその典型的な例だ。
「さて」
「……」
「投降、してもらえるかな?」
「――」
バーニング・ラビットは、独特の鳴き声を発した。そして、それと同時にペレは首を上下に振った。
「了承」
同時に出た言葉はそれだった。「私は投降します」ということを認めた、その言葉だった。
稔は、その言葉を聞いた後、バーニング・ラビットがペレの右肩に乗ったことを確認すると、ペレの事を抱きしめた。まあ、こんなことをしていれば召使から批判が出ることは避けられない――わけない。
「ふぇっ……?」
稔は下心があって抱きしめたわけではない。犯人の身柄を拘束するためには、これが一番手っ取り早いと考えたのである。何にしろ、稔はテレポーターだ。瞬間移動出来るのだったら手で繋ぐよりも、より拘束力が高いのは抱きしめるほうだろう。
「――テレポート、ボン・クローネ駅、一番線ホームへ――」
そう言って。稔は、ペレやバーニング・ラビットの声なんてものは無視し、そのまま一番線ホームまで飛んでいった。この後、ラクトらと共に復旧作業に全力をつくすこととなることを考えた場合、稔の心はそこまで浮かれるような状況ではなかった。けれど、稔は笑顔を見せたままで警察へと身柄を引き渡そうと計画した。
ボン・クローネ駅の一番線ホーム。そこに、人影はない。その奥、二階の通路あたりに人影は有ったが、ガラスがところどころ割れているところを見ると、怪我を負った人が居ると考えて間違いはないだろう。
抱きしめていた手を離す稔。けれど、ペレは逃げようとはしない。あれほど凶悪な狂気に満ちた女性となったペレだったが、今では稔に従順になっていた。俗にいう、『チョロイン』であろう。まあ、ペレはヒロインズではないが。
「――ペレ。お前は、この国で悪いことをした。恐らくそれは、報道機関にも知れ渡っている」
「うん」
「けど、諦めるな。二回目に電車を爆破させたのはお前じゃなくて、この駅の職員だから」
「そうなの?」
「ああ。……取り敢えず、お前が逮捕されるのは間違いないが、駅員も同罪だからな」
「稔……。もしかして、罪を作ってくれたの?」
「んなわけあるか。預けたら、駅員がスイッチ踏みやがって、それで爆発した」
「そっか」
ペレは初めてそこで稔のことを、『貴様』ではなく『稔』と呼んだ。要は、攻略完了のお知らせである。けれどペレの顔に、笑顔は浮かんでいた無い。いや、逮捕される人間が笑顔を浮かべているのはおかしいが。
稔は、ラクトを呼んで手錠を掛けさせようとしたが、辞めておくことにした。抵抗しているわけでもないのに、手錠を掛けてまで投降させるのは違った気がしたのだ。加害者への配慮は必要ないかもしれなかったが、若干ながらに反省の色を示しているわけであり、手錠は不要だという判断を下したのである。
被害者を出したという事実は消せない。だが、加害者が反省しているという事実も消せない。
そんなことを考えつつ、稔は駅舎一階へと階段を降りた。下っている時、階段の至る所にガラスの破片が散乱していることを確認した。無理もない、あの爆発の後だ。四番線のホームが壊滅的な被害にならなかったのは、稔達の思いが通じたからかもしれない。
稔とペレとバーニング・ラビットは、階段を降りた先、報道関係者が待つ駅舎一階の切符販売ゾーンへと真っ先に向かった。一番線ホームまでしかテレポートしなかったのは、ペレに被害の状況をしっかりと伝えるためである。
ボン・クローネ駅、一階の切符売り場。そこには多くの報道関係者と同時に、警察も犯人の登場を待っていた。もっとも、犯人はペレとバーニング・ラビットだけではないのだが、まずはこの二名を確保してもらうことにした。
「き、君は……?」
「夜城稔、といいます。失われた七人の騎士の第三の騎士です。そして、こちらの女性が貴方がたが逮捕しなければならない女性です」
「ま、まさか……?」
目の前には、多数の記者が居た。そんな場所で、流石に稔のような善意有る人間が偽装するわけがない。なんだかんだ言って、襲名してからまだ少ししか経っていないので、疑われても仕方がない。
「この女性こそが、爆弾事件のきっかけを作った方である。公安警察及び民間警察には、彼女とこの兎の拘束を要求したい。――また、もう一人の犯人を私は知っている」
「もう一人……?」
「そうだ。もう一人の犯人だ。この女性が持っていた爆破スイッチを私が奪取し、それを駅のインフォメーションセンターに居た駅員に預けた。すると、彼は私が預けたスイッチを落として踏んだ」
「そんな……」
「名前はわからぬ。だが、結果として四番線ホームに止まっていた電車の爆破が発生してしまった。故に私は警察に、インフォメーションセンターに居たその男を調べることを要求する」
稔はそう言って要求をする。ただ、警察はそれに簡単に応じようとはしなかった。なにせ、彼らの武器は『証言』や『事実』なのだから。防犯カメラなどを探らない以上、事実や証拠を得ることは不可能である。
「待ちなさい。君も共犯者ではないのか?」
「……はい?」
話を聞いていた警察が、稔に対して犯罪者ではないのかという疑いをかけたのだ。そもそも、稔は誰にも障害を負わせているわけではない。ペレに障害を負わせたのは、ある意味で正当防衛だと主張することも出来る。
ヴェレナス・キャッスルでのやり取りとは違い、流石に警備が厳重になっている場所ではそう簡単に無罪を主張できないのである。事実無根であるにもかかわらず、疑いをかけられて工作されて、結局有罪判決を受けるのがハメなのだ。
「君は言ったね。『インフォメーションセンターの彼がどうたらこうたら』と。でも、爆弾をそこまで持っていったのは君だろう? 何故、君はそこまで爆弾を持っていく必要があったんだい?」
「じゃ、あんたに聞くよ。もし、犯人が爆発させることの出来るスイッチを持っていたとして、それを奪い取った後、自分がどうなるかあんたらには分かるのか?」
「恐怖に怯えて、それで他人を囮にしようとしているわけか……。有罪だね」
「――は?」
稔には訳が分からなかった。自らの正義に基づいて対応したというのに。警察が遅れてきたからこそ、自分が必死に頑張って対応したというのに、拘束したというのに。そんなの有り得ない。
「警察が遅れて到着したとはいえ、何故『失われた七人の騎士』が拘束まで実行する必要があるんだい? ……君、もう少し頭を冷やしたほうがいいんじゃないか?」
「なんだと? 頭を冷やすのはお前らだろ!」
一七歳の騎士の必死の抵抗だった。稔は、自分が無罪であることを主張していたが、誰もそれに賛同しようとはしなかった。所詮、警察組織なんて嘘を塗り固めれば事実にできてしまう組織なのだ。
「まあいい、拘束しなさい。この男を……」
「てめぇ……」
ペレは、犯罪者として稔が言ってしまった。そんな彼女に助けられることを、稔は正直望んでいなかった。助けてもらえることの有り難みを、稔はまだ分かっていなかったのだ。
けれど、そんな時だった。
「私のご主人様を勝手に犯罪者に仕立てあげるとは……。警察は捏造組織ですか?」
「我、貴台を助けに来た。証拠の防犯カメラも我が所持している」
「助けに来たぞ、愚姉が愚弟をな!」
ラクト、紫姫、そして織桜の到着だった。……ただ、考えてみれば四番線ホームに自分の召使が取り残されているわけだったので、稔は彼らを召喚陣の中に戻すことにした。一階から二階の四番線ホームまで届くかは心配だったが、稔はその心配を払拭して言った。
「ヘル、スルト、応召!」
召喚陣が展開して光っている事を確認すると、稔はその中に存在を感じた。
そして、ここから四人の戦いが始まることになった。捏造させないための、精霊と召使と外来人の四人の、共闘戦が始まったのである。
「ハハハ! まあいい。インフォメーションセンターの者を犯人だと言うのであれば、その防犯カメラを僕に寄越しなさい」
共闘戦が始まった時、ボン・クローネ駅の入り口から一人の男が入ってきた。男はニヤリとした笑みを浮かべて、稔達が実行しようとしていることを軽く嘲笑うようにしていた。
「僕はボン・クローネ鉄道警察局の局長さ。――さぁ、その証拠を提示してもらおうか」
「ああ、構わない」




