5−61 叛逆
レアの金色の髪が揺れた刹那、人が立っているのがやっとなくらい凄まじい風が起こった。本来、防御魔法を行使できる者にとって平坦なバトルフィールドで風が起きた程度どうってことない。だが、統一神はその風に小石を乗せていた。ダメージは少なくとも、その小石が一斉に襲い掛かってこようものなら目を開けることも口を開けることもままならなくなる。
「くっ……」
稔は口の手前に手をやって服の裾で小石攻撃のいくらかを被弾させた。棘でも付いているのかと思うほど鋭利なものもあったが、じんわりと皮膚の奥から何かが溢れるような感触はない。それと並行して黒髪は防御魔法を展開していた。反射的に動いたのだ。小石が弾けるようになって、稔は紫姫の方を見る。
紫姫は魔法封印銃を背負い、札を一枚口に咥えながら石嵐の中を駆けていた。既に顔の表面には沢山の小石が当たっているはずなのに、彼女の速さは衰えない。痛そうな素振りも見せることもない。少女は、ただ一直線にレアを討ち取ることのできる地点を目指していた。
「――此処が貴様の墓場だッ!」
「さあ……どうかな?」
レアの顔には余裕があった。紫姫は、まだ他に手を隠していると相手に思わせるような言い回しも含めて警戒を強める。だが、防御や時間停止の魔法によらなければ回避できないはずの魔法をどうして動かずして止められるだろうか。たとえ心の中で宣言するにしても何かしらの変化はあるはずである。
だが、紫姫は見ていた範囲が狭かった。たとえ心の中で宣言しなくたって効果は発動する。理由は単純。『今』じゃなくて『前』に宣言をしておけば、それこそバトルフィールドを展開する時に仕掛けておけば、それだけで効果発動の用件は満たされる。以前同じような場面で発動しなかったことも、その時の相手を除外していたと考えれば、適用されなかったのも説明がつく。
「……気づいたみたいだね。そうさ、僕はどんな魔法でも【無効化】することが出来る。状態異常も魔法封印も天候変化も、属性や種族、魔法名を指定して攻撃を無効化することもね」
「……」
「キミはバカなのかい? そもそも統一神の席を賭けて戦っているのだから、本当はこんな接待プレイなんかありえないはずなんだ」
「……」
「大体、勝者は初めから決まっているようなものじゃないか。残った君達の魔法の効果は消えたも同然だというのに。まさか……物理攻撃で戦うつもりか?」
レアは大笑いしながら二人に問うた。物理攻撃をするにしたって、レアから魔法を喰らえば門前払いどころか生死に関わる問題になるかもしれない。魔法による戦いをしてきたこともあったが、初めから物理攻撃による戦闘など考えてすらいなかった。
「……妙だね。なぜ君達は表情を変えないんだ?」
「それを言うほどバカじゃねえよ。こっちもそれなりに戦闘を積んでるしな」
レアから敗北を突き付けられても黒白は絶望しなかった。これ以上の抵抗は無駄だと聞かされているような状況に有りながらなおも楯突く姿勢を崩さない二人を見ているうち、統一神は「警戒」の二文字を思い起す。同頃、稔が咳払いの後に質問した。
「一つ質問だ。属性神との戦いも接待プレイだったのか?」
「ああ、あれはザコのバーゲンセールさ。ああやってステップを踏ませれば慢心が生まれると思ってね。実際、いけると思っただろ?」
「まあな。でも、慢心したのはお前も同じだ」
「――どういうことだ?」
レアの表情が一変した。それまでずっと表から見えていた余裕が消えたのである。統一神は明らかに警戒態勢に入った。そして、見覚えのある姿を見た瞬間。女神は思わず口を開けた。
「言ってくれるじゃないですか、レア様」
「練度を上げるって名目だったから喜んだんだけどなあ……」
「まさか、私達みたいな『ザコ』をこの艦から追い出そうと計画していたんですね」
「まったく、腸が煮えくり返ってしょうがないぜ!」
「プロメーはもうちょっと雰囲気読むべきだと思いマス……」
稔と紫姫の背後に集結したのは紛れもなく五柱の属性神であった。イザナミは冷たい視線を送りながら、鳳凰は溜息を吐きながら、ティアマトは満面の笑みで上司への愚痴をこぼす。プロメテウスやガンガーからはさほど怒っている様子は見受けられないが、五人ともここにいるということは、皆戦う意志があるということと同義である。
「参ったなあ。まさか、こんなリンチを仕組まれるとは」
「これは部下を大事にしない上司への天誅だ」
「そうかい。それじゃあ、もっと本気でいかないと――」
「おっと、既に貴様の無効化魔法は封印されている」
レアが無効化魔法を使用したと同時に紫姫が言った。属性神らが登場してすぐに統一神は無効化魔法の対象を増やしたのだが、紫姫はこの隙を突いてレアの魔法を封印していた。しかし魔法封印銃は、レアの無効化とは異なり、相手の使う魔法を全体的に封じ込むことは出来ない。しかも時間制限がある。だが、今の紫姫は紫姫であって紫姫ではない。
レアは何度も何度も魔法の使用宣言を行ったが、強い効果の魔法は軒並み封印されていた。統一神は戦闘で使用する魔法の大半が使えないことを知ると、ついさっきまでの威勢はどこへやってしまったのか、魔法封印の効力が無くなるまで耐えずに降参を選択する。
「――降参するよ。僕にはもう勝ち目がない。痛いのは嫌だからね。これで『試合』はお開きだ」
「俺の――いや、俺達の望みを叶えてくれるんだな?」
レアの降伏宣言とともにバトルフィールドが消失し、左上に表示されていたヒットポイントゲージが姿を消した。ようやくこれで願いが叶うと思って稔は確認の意も含めて統一神にその旨を問う。だが、返ってきた答えは予想外のものだった。黒髪も紫髪も目を丸くする。
「え? 何を言っているんだい?」
「それはこっちの台詞だ。最初聞いてた話と違うぞ」
「嘘は吐いてないよ。僕は今も昔も双方合意の上での約束は守る主義だからね」
「なら、なんで――」
「だってさ――、『試合』は終わったけど、殺『し合い』は終わってないよね?」
レアは刃渡り二十センチは有ろうかというナイフを取り出し、そして襲い掛かった。バトルフィールドで戦闘していた際に紫姫が発動させた魔法を封印する魔法は、試合が終われば解除されているのは言うまでもない。しかも、レアはもとより獲得していた魔法によって、鈍器だろうが刃物だろうがいくらでも殺傷能力のある武器を製作することが出来るようになっていた。つまるところ、神は試合で負けても勝負で勝つことが可能だったのである。
「稔ッ!」
紫姫は稔の名を叫ぶとすぐに彼の目の前に出た。それから一秒もしないうちにレアのナイフが精霊の右腹部に突き刺さる。レアが走ってきた勢いで、稔と紫姫はその場に押し倒された。精霊は、かはっ、と抑えることも出来ない声にもならない言葉を口から発する。紫姫は右手を痛む場所に当てた。じんわりとして温かかな液体が噴出しているのが分かった。
「紫姫!」
わずか一秒や二秒で防御魔法なんて撃てないし、魔法封印だってそもそも物理攻撃には効かない。だが、一周目にとって、どんな生命を終わらせることも始めさせることも出来る世界における死という概念は、絶対服従しなければならない強力な存在である。今ここで二周目が一周目を終わらせないように働かなければ、他の二周目の者達は悲しみに暮れる。だから、自分がやらなければいけなかったんだ。
そんな風に咄嗟に動いた経緯を主観的にまとめ上げると、紫姫はポケットから一枚の札を取り出し、それを稔の額に当てた。そして、深呼吸の後でいつもの済ました顔立ちで精霊は言う。
「このパーティーの存亡は貴台にかかっている。やりたいようにやれ」
「……分かった」
「貸し一つ、忘れるな……よ……?」
「――肝に銘じておく」
返答を待たずに紫姫は姿を消した。まだ人肌の温かさは残っているが、稔の声は紫髪精霊には届いていない。鮮紅色の液体は黒くなり始めている。稔は大きく深呼吸した後で剣を作り、出来た紫色の光を放つそれを一度勢い良く振り下ろした。レアは若干ばかし口角を上げると、褒めるような、見下すような言葉を投げた。
「随分と気が入っているじゃないか」
「原因を作ったのはお前だ」
「目の前の相手をこの世から消し去ろうと思ってるのはお互い様みたいだけどね」
レアはそう言って黒と白二つの剣を準備した。それぞれ左、右の手で持ち、剣を勢い良く振り下ろして二回バツ印を描く。下を向いて深呼吸すると、統一神はもはや何も恐れていないような様子だった。ただ目の前の少年を、自らがこの異世界に連行してきたその男を殺すことだけに一生懸命になっている。
「泣いても笑ってもこれが最後だ。倒れたほうが負け」
「その勝負、――呑んだ」
稔が返答すると、まずレアは間もなく姿を晦ませた。もう自らの本性を部下達に隠す必要はない。統一神は実に気を楽にして戦うことが出来た。しかし、感情をぶつけて戦闘に臨もうとしていたのは属性神らも同じであった。薄々感づいていた者も居たようではあったが、本人の口から発せられた言葉に憤怒の感情を拭える者はない。
「消え失せろ!」
「させるか! ――禁忌の解放ッ!」
「――チッ」
稔の前に出て火司神が叫ぶ。彼は物理攻撃に用いるような道具は持っていなかったが、炎の雨を降り注がせるだけで十分にそれをカバーすることが出来ていた。だが、全体を通して見れば、相手をほんの少し後退させるだけに留まっていて、一瞬の間を得て攻略法を見抜いたレアは、炎の雨を回避しながら前進した。それを見て、水司神を次なる手を打つ。
「私が迎え撃ちマスッ! ――天地の命運!」
魔法使用宣言の刹那、場の空気が凍りついた。そして、地を裂くような揺れとイカれた耳にしかねない凄まじい轟音が戦闘世界を覆う。属性神は全て、ガンガーの考えを分かっていたらしく各々揺れを回避する技を使用していたが、唯一分からなかった稔は、鳳凰の助けを借りてこれを回避した。再び稔の近くから離れると、緑司神は、炎の雨を駆け抜けてレアの背後から打とうとする。
「疾風迅雷! 我は女と与に散る!」
翼を大きく広げると、鳳凰は空を切ってレアに突撃した。使いは右手に短剣を有している。攻撃は――成功だった。剣も刺さっている。返った血飛沫が鳳凰とその使いの胴体を赤く濡らしていた。レアの攻勢一辺倒が遂に崩れ、ここぞとばかりにティアマトが最前線に出る。
「神類停止!」
レアは拘束された騎士のように敵に対して目をカッと剥き、眉をピクピクさせながら、自らの現在の不運な処遇を思い、そうすることで生まれた苛立ちを誰にもぶつけることの出来ないつらさを痛感する。統一神は必死に抜け出そうとした。血潮の勢い凄まじく、状態異常攻撃を前に劣勢になるような身体機能の低下も発生していたため、属性神は皆「そんなことは出来まい」と考えていたが、火事場の馬鹿力が常識を覆した。闇司神は口を開けたまま言葉を失っている。
「――反撃の時間だ」
レアの調子はいつもに増して冷ややかで、その目つきは憎悪に満ち、その動きはいずれも殺意に染まっていた。そして気が付いた頃には、彼女の物理攻撃で受けた傷が完全に治っていたのであった。いよいよ攻撃のみに力を注ぐことが出来るようになったところで、レアは左手に持っていた剣を右へ、右手に持っていたのを左へ、地面と刃が並行になるように動かした。もちろんこれは儀式ではない。
――四柱の首が飛んだ。




