1-43 ペレ・アンド・バーニングラビット
稔が、自分自身の剣を紫姫の目の前で止めたように。織桜も、轟音を鳴らした後はもう何もしない。精霊との契約であればキスなど、そういったことをする。だが、今はそういった状況ではなく、単なる怯えさせる手段にしか過ぎなかった。
「ラクトが居れば……」
状態異常魔法を使用できるのはラクトのみである。もっとも、視点を広げれば多くの召使やエルフィート達が使えるけれど、稔の周りでラクトのみしかそれを使うことが出来ない。
「私を殺さないとは、貴方は私を舐めているの?」
「温情だ。――お前を殺したら警察に差し出すことも出来ねえしな」
「許すまじ……」
そう言うとペレは、従えているペット――もとい、奴隷的な存在の兎を呼び戻した。それこそが、『バーニング・ラビット』である。ふと、その時稔が視線を上にやったのだが、有ることに気がついた。
「ラクト……?」
「わっ……」
呼び戻されたバーニング・ラビットは、どう考えても普通のうさぎサイズである。ゴ○ラ程の大きさの、まるで怪物のようなものと戦っていたラクトからすれば、そのようなものに当たることができなくなり、結果的に降下するはめになった。
四番線ホームの、いつもなら乗客が乗り降りをするような点字ブロックが敷かれている場所、白いラインが引かれている場所。そこの目の前にある炎上する電車。そこへ、ラクトは落ちていく。
「ラクト……ッ!」
ラクトには、状態異常魔法を使用することはできるが、だからといって火傷耐性が有るわけではない。彼女は、ああ見えても弱いのだ。いつも笑顔で居てくれているラクトだが、それでも身体は弱い。
「今、助けに行――」
「愚弟ッ!」
「えっ……?」
その時だった。
「ぐはっ……」
思わず、稔は声を出してしまった。ラクトを助けようとテレポートをしようとした時、後ろから猛烈な勢いで飛びかかってくる、灼熱の動物の存在を確認したのだ。背中を見れば、燃え盛る炎。
「嘘……だろ……?」
稔は唖然とした。稔はゾンビではないため、生き返ることなど不可能だ。現実世界で彼は死んでいるが、マドーロムという稔から見た異世界で死んではない。
と、そんな時だった。
「ご主人様。ただいま、治療薬をお持ちしましたっ」
「ラク……ト……?」
「いいから、これを早く飲め。その間は、私が戦うから――」
「えっ……」
燃え上がる炎に包まれた電車の中に、何の抵抗もできぬまま落ちていくかと思われたラクト。だが、彼女はその結末を変更した。なんと、ホームの屋根の上に一度上陸し、そこから少し移動、そして稔の元へ駆けつけたのである。それも、薬を持って。
「稔。力になれるかはわからないけど、その剣を貸してもらっていい?」
「ああ。でも、俺が復活するまでの間だからな……」
「私の力を侮るなよ。へへっ」
笑顔を稔に見せた後、ラクトは猛烈な速さでペレの元へと向かう。その一方で、稔はラクトから貰った薬の錠剤を口に入れる。その薬は、水がなくても問題のない薬だった。
「あれ……?」
稔の身体に異変が起こった。「ラクト、まさか媚薬を持ってきたか?」と始めは疑った稔だったが、そんなことはない。正真正銘の、火傷治療薬だった。背中にある火で出来た傷は、一瞬でその原型を留めぬ姿にまでなった。
「――麻痺――!」
ラクトはそんな辛い稔の為に、必死に戦った。自分に出来る事を出来る限りするために。こんなところで、稔に自分の情けない姿を見せてたまるか。そんなことを思いながら。
そして、ラクトは斬る。
「殺さない程度に、お前を斬る――」
「ひっ……」
悪魔の髪、紅の髪が揺れる。エロスーツを着ているわけではないため、戦闘モードではない。だが、その時のラクトは異常なまでに剣に力を込めていた。目も赤くなっている。
「ぐあっ……!」
「――」
右腕に。稔の剣を使ったラクトが、切り目を入れた。音はなかったが、そこから切り目は上下に広がって、血が吹き出していく。滴る血には、稔の火傷の傷跡を思い起こすよう。酷く残虐だったが、それでもラクトからすれば大丈夫だった。
けれど、ラクトはペレを放置したりはしなかった。
「ほら、ティッシュ。二箱置いておくぞ。あと、これタオルな。……止血、絶対にしろ」
「貴様、こんなものは戦いに不要――」
「お前を殺すわけにはいかねえっつの」
「……」
未使用のティッシュだったが、一箱だけ開封がされていた。一方、タオルは開けられていないのティッシュの箱の上に置かれ、使用される時を待っていた。
そして、ペレをある意味攻略し終えた後。ラクトは、ついに決戦を迎えた。
「バーニング・ラビット――」
うさぎは、鳴き声を上げる。鳴き声は泣いているような声だったが、それはペレを思っての声だった。もっとも、その鳴き声の対象となっている女は爆弾魔であり、稔などは泣かれる理由が分からなかった。
ラクトは、そんなバーニング・ラビットの正面に立ち、稔の剣をぎゅっと握りしめる。
「ハハハ……」
その時だった。後方で、ペレが影分身を始めたのである。
「嘘……?」
そして、その刹那。ペレは本体となっている一体のみとなり、そのペレの装いは元々の装いより変化していた。黒色のブラジャーに、フラダンスで使用するような黒色と赤色のスカート。ニヤけるような笑みを浮かべた後、その凶悪化した女神は、ホームを自由自在に動き回る。
「――究極形態――」
それが、彼女を表す言葉だった。
「ラクト。……どういう意味だ?」
「本来は、魔法が使える者のみが使うことの出来ることだ。これまでの衣装とは全く異なる衣装となり、戦闘能力も相当なものとなる。しかし代償として、自らの体力全てを奪うから、本当に窮地に立たされない限り使う者は居ない」
「そうか……」
要するに、最終進化形態。凶悪化し、殆どの魔法では歯も立たないような状況になってしまう。それが、『究極形態』の力だ。宇宙がビックバンを起こすくらいの力はないが、それでも魔法使用者に対する強烈なアタックとしては、十分な威力を発揮する。
そしてこの『究極形態』。致死率は、強いものだと八〇パーセントを超える。
「さぁ、バーニング・ラビット。最後の戦いを始めよう――」
「なっ……」
バーニング・ラビットとペレに呼ばれている生き物は、ペレの右肩に自分の陣地を持った。そして、その場所で座って鳴き声を発する。その瞬間、ペレの分身がまた登場して舞踊を始める。
一二、二四、三六、四八――。
彼女らの数は増えていく一方だが、彼女らは何かが欠損している。そう、心が。
体に入った傷は治ってはいない。止血を白と言われてもなお、彼女らは攻撃を止めようとはしない。
「――大地の源――」
そうペレが言った時。雷が鳴ったと同時に、ボンクローネ市から少し離れた場所で、火山が起こった。だが、ペレの狂気は収まることを知らぬ。故に、その火山から出てきた全てを、口に加えようとして手を伸ばす。まるで、某漫画の麦わら帽子の彼のように。
「――大地を食べる者――」
そして、最後に彼女はこう言った。
「――聖なる大地――」
刹那。
稔を始めとし、ボン・クローネ駅から周囲一キロ以内に居た全ての者が、壊れるような幻覚に襲われた。
地震が発生したような幻覚が襲って、津波が発生したような幻覚が襲う。超高層ビルが立ち並ぶ海辺の街が津波に飲み込まれ、ビルの中に居た大切な人が消えた。そんな幻覚が襲う。
『帰ってきて!』
『嫌! そんなところへは行かないで!』
『生きて!』
ボン・クローネ駅を中心とし、多くのエルフィート達の悲鳴が鼓膜を破るくらいに届く。涙を流してその場に立ち尽くす者が居れば、炎上していく電車を見て床を何度も何度も蹴る者も居た。
全てが、地獄のように。
そして、ペレの魔法のような何かは続く。
「くっ――」
街の至る所で、人間が不快に感じる超音波が発せられた。その音波は、誰が発したかといえば言うまでもないだろう。そう、ペレだ。彼女がその音波を発せさせたのだ。しかし、それでも地面に変動はない。 彼女が狙ったのは、『地面が裂かれること』だった。そうすれば、大地の源となるように全てが地の色に化してくれるわけであり、彼女はそれを狙ったのだ。火山のエネルギーを使いながら。
しかし、実現しないことにはする意味もなく。ただ、不快な音だけを感じさせるだけしか出来なかった。
「くぁは……」
血を吐きそうになるペレ。先ほど渡されたティッシュを、ペレは使用しようとする。けれど、自分のプライドを犠牲にするわけにもいかずに、ティッシュを電車の中へ放り投げた。
一方で、ペレの使い魔的存在だった奴の姿はいつの間にか何処かへ消えていた。――違う。消えていない。
「あれは……」
ペレの心の中の闇の部分だけが強く目立ちたがり、そしてそれがバーニング・ラビットの心に宿った。当然ながら、バーニング・ラビットは凶暴な犬となってしまう。
声を上げ、その場ではしゃごうとすることは、現実世界でも珍しくないようなペットの姿である。だがこの異世界マドーロムでは、そんなかわいいペットということが、全ての犬に当てはまるわけではない。
呻き声のような、そんな声をあげる犬。犬の行動を阻止しようともしないペレ。
「なんで、なんで犬を止めないんだよ! お前は、あの犬の主人様だろ?」
「無理よ……」
「え……?」
究極形態だったはずのペレが、一瞬にしてその状態ではなくなってしまった。通常の状態とも言える状態に戻ったペレはその場所で手をつき、自分を否定し始める。
「無理。あれは、私の夫となるはずの男の命が宿ってる。私がどうこう言った所で、彼に聞こえるはずがない」
「なんで……。なんで諦め――」
「諦めるよ。……無理。もう、無理」
「ちょっ……」
ペレは稔の方に抱きついた。心の休める場所を求めていたのだ。心を休めることで、自分自身の使い魔のことを忘れたかったのだ。けれど、そんなことを稔は許すはずがない。
ただ、ペレが強情でなくなったということを踏まえて、稔は聞いてみた。
「ペレ。お前は、あの使い魔をどうするつもりなんだ?」
「あの使い魔は、私が拾ったうさぎがいつの間にか大きくなっていたことで、ああいうことになった」
「拾った兎ってことか」
「そう。そして、あの中には魂が宿っている」
その言葉の信憑性は、稔が判断しづらいことだった。でも、投降してくれるかどうかの事も踏まえた結果、稔はペレの言っていることを信じる決断を下した。
「魂が宿っているということは分かった。それじゃ、もうひとつ聞かせてくれ」
「何だ」
「お前、警察に投降する気はあるか?」
「でもその前に、あのペットを片付けなきゃ」
「それってどういう……」
稔は何となく察していたが、ペレは稔の察していたことと同じことを言った。
「バーニング・ラビットを、殺す――」
「えっ……」
「殺すには、貴様の協力が必要だ」
「そ、そんなの嫌だ! な、なんで殺す必要が……」
稔は、いくら執行せねばならないとしても、兎のようなものを殺すのには躊躇いを感じた。かわいがってあげればいいのに、と思ってしまった稔だったが、現実は非情である。そう簡単にはいかない。
「それに俺、共犯なんて――」
「殺してくれたら、逮捕されるまでの間、貴様の言うことをなんでもいうことを聞く。……ダメか?」




