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チートなしで敗戦国家を救うことになりました。  作者: 浅咲夏茶
五章 救出編《The dawn of new age》
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5-39 スクラップ・アンド・ビルド

 休憩室は施錠されておらず、照明も点いたままだった。人の姿はない。壁には一つ時計が掛けられているのみで、貼り紙やホワイトボードなど連絡する類の物は皆無。部屋にはただ長机と椅子が並べられているだけだった。椅子を六脚一列に並べた間隔で一つポットが置いてあった。


「どうぞ、正面に座って下さい」

「俺が読んだのにサタンに案内させるとか、ちょっと申し訳ないな」


 サタンは休憩室の入り口から一番近い机、壁側の椅子に座った。その表情は柔らかい。稔はそんな少女に逆らえず、軽く謝ってその対面座席に座った。


 お互いに着席した後で、紫髪の少女はポットの注ぎ口のロックを解除し、その隣に逆さに積み重ねられていた紙コップを二つ取り、内容物をそこへ注いでいく。二人分出来たところで、サタンはうち一つを稔に渡した。特に何の記述も無かったが、湯気が立っていることや匂いから、ホットコーヒーだと推し量れる。口に一口含んだ後、少女は紙コップを置いて言った。


「それで、話って一体何ですか?」

「お前を、魂石から退去させたい」

「魔法陣に移すということですよね? ここまで連れてきて私をパーティーから追放するとか、変な冗談言わないですよね?」

「なんで最強戦力を自分から手放さなきゃいけねえんだよ。お前から契約解除の申し出がないのに」

「良かった……」

 

 最強戦力を手放したくないという気持ちは稔もオスティンと同じ。だが、今のサタンの主人は、「使用する側だからこそ、使用される側のことを第一に考えたい」という思いも併せて持っていた。紫髪の少女は心を読んで安心材料を手に入れたことで、ほっと一息つく。


「それで、サタンの意向を知りたいんだがーー」

「問題ないですよ。エーストからの確認は取れてるんですよね?」

「ああ。『俺の指示に従う』ってあいつは言ってたぞ」

「そういうことなら、ちゃちゃっと終えてしまいましょう」


 サタンの言葉を聞く限り簡単な方法で解除できるようだが、稔にはその方法が分からなかった。黒髪は軽く頷いた後で話を変える。


「そうだな。それで、俺は何をすれば良いんだ?」

「精霊契約時と同じことをすれば完了です。あと、エーストは元から魂石に居るので、魂石から彼女を出す必要はないです」

「そうか。じゃ、机越しだと色々めんどいな」


 キスをしなければならないことが判明し、稔は「面倒」と言って席を立った。彼は、そのまま対面の座席に座るサタンに近づいていく。だが、これはある意味の照れ隠しだった。それなりに幅のある机の向こう側の人とキスをすると、どうしても体が前のめりになってしまうからである。いくら仲間といえど、彼女でもない相手と端から見てバカップルに見える行為をする気は起きない。


 しかし、実際にしたやり方にも問題があった。サタンが椅子に座ったまま、顔だけを稔の方に向けていたのである。始めは柔らかな唇に軽く触れるだけだったが、何を履き間違えたか、途中でサタンが舌を入れてきた。これはまずいと思って、稔は途端に顔を後ろの方へ引く。糸が引いていた。


「性行為しなければ、約束には反さないんですよね?」

「なっ……」


 サタンの言うことは間違っていない。稔とラクトの間で結ばれた約束の内容の通りだ。しかし、ディープキスとなると話は変わってくる。赤髪がどう捉えているかは分からなかったが、少なくとも黒髪は、下手したら性行為よりも情熱的な行為だと捉えていた。


「……彼女とするキスとは違うキスじゃなきゃダメですか?」


 サタンは上目遣いで稔を見る。黒髪は自分が追い詰められているとすぐに分かった。表情にも動揺が出ている。「据え膳食わぬは男の恥」。そんな諺が稔の頭を過るが、ラクトの顔を思い出すことで何とか踏み止まることが出来た。


「ダメだ。俺はお前の彼氏じゃない」


 深呼吸して気持ちを整え、稔は簡潔かつ過不足なく自分の気持ちを告げる。一方のサタンは、それを聞いて笑みを浮かべた。まるで自分が予想した通りの答えが返ってきて喜んでいるかのようだ。


「先輩は、そういう人ですもんね。彼女思いで情に厚くて冷静で」

「俺のことをそんなに褒めたところで、褒美はないからな?」

「褒美が欲しくてやってるわけじゃないですよ」

「つまり、単に俺を褒めたいだけってことか?」

「それも違います」


 稔にはサタンが自分を褒める理由が分からなかった。計画的にやっているのか、本心が現れたのかも定められていない。しかも、紫髪の回答を聞けば聞くほど謎が深まる。黒髪は混乱を鎮めるために首を左右に振った。


「ダメだ。お前が何のために俺を褒めてるのか、さっぱり分からん」

「……鈍感」

「なんか言ったか?」

「何も言ってませんよ。というか、そろそろ戻ったほうが良いんじゃないですか?」

「罪源との契約みたいなものはーー」


 精霊契約の解除は行ったが、罪源との契約的なものは何一つしていない。稔がそのことをサタンに告げると、少女は何も言わずに席を立った。そのまま黒髪の方へ近づいて、彼と体を触れ合わせる。これには稔の心臓も鼓動を早めた。だが、少女は黒髪に落ち着く暇を与えない。サタンはそのまま彼の唇を奪う。


 彼女はそのまま先程と同じように舌を入れた。ここまで二秒ほど。その少し後で突然何が起こったか把握し、稔は紫髪を押しのけようとする。だが、体が触れ合った際にバランスを崩していたために、体勢を立て直すまでに時間がかかり、黒髪はその間にサタンに距離を開けられてしまった。稔は少女のやったことを叱るが、少女は笑ったままで反省の色はどこにもない。


「俺がさっきあれだけ言ったってのに、お前は……」

「避けられなかった方が悪いんですよー。それじゃ、私は戻りますね」

「おい、サタン!」


 サタンは稔の静止を振り切って魔法陣に消えていった。もっとも、魔法陣にロックを掛けることは出来ないから、黒髪が紫髪に出てくるよう命令すれば強制的に召喚出来る。けれど、稔は使われる側の気持ちを尊重する立場を取っていたから、サタンに命令を出すことは出来なかった。


「中身残ってるし……」


 稔もサタンもまだコーヒーを飲み干していなかった。黒髪に至ってはそもそも手を付けてすらいない。彼は大きな溜息をついて、とりあえず自分の分を口に運んだ。多少は冷めていたがまだ熱いと言うには十分過ぎる温度だった。舌を麻痺させない程度に、一度に口に含む量を考えて飲んでいく。


「どうしたものか……」


 自分の分を飲み干した後、自ずと彼の視線はサタンの分のコーヒーに向かった。紫髪の少女がどこに唇を触れさせたかは不明だが、彼女は一口飲んでいる。普通ならその類稀な冷静さで間接キスも余裕で出来てしまう稔だが、今回は、二度もディープキスをされたことがフラッシュバックしてしまって行動に移せなかった。


 そんな時、稔はふと思った。紙コップの中身を飲み残しとして捨ててしまえば、間接キス自体が無くなるのではないか、と。しかし、休憩室内に水が出るような場所はない。飲み残しを回収するためのボックスもなかった。洗面所まで行こうかとも思ったが、途中でコップを顔見知りに見られたら大変なことになる。


 稔は周囲に誰も居ないことを確認し、サタンが口をつけた紙コップを持ち上げた。ゴクリと音を立てて唾を呑む。もう一度人が居ないことを確認し、ふーっ、と息を吹きかけて残りの分を飲んでいく。飲み干した後は変に記憶をフラッシュバックさせないよう注意しつつ、黒髪は近くのゴミ箱の中に紙コップを投げ入れて一目散に休憩室を出ていった。


 そのまま大浴場の前を通過し、洗面所へと向かう。既に大浴場の扉を開けてから二十分弱が経過していたが、約束の場所にラクト達の姿は無かった。もしかしたら洗濯場に居るかもしれないと考え、黒髪は休憩室と対の場所にあるその部屋に入ってみる。


「上がってたのか」

「ついさっき上がったばっかりだけどね。それはそれとして、今日着てた衣類は?」

「これだ。精霊と罪源の衣服は洗わなくて良いのか?」

「みんな大丈夫って言ってたよ」


 稔は脱いだ衣類が全部入った黒袋をラクトに渡した。赤髪は袋も含めてどんどん洗濯槽に投下し、慣れた手つきで必要な手順を踏む。会話をする余裕もあった。


「ならいいか。ところで、どこに干すんだ? 前みたいに部屋で干すのか?」

「最終的には私が回収するわけだから、干さずに乾燥機でやるよ。シワになろうが関係ないし」

「今日も長起きするのか?」

「今日は寝るよ。今日一日だけで相当な量の魔力を消耗しちゃったし」

「ということは、洗濯物は誰かに取りに行かせるってことだよな?」

「サタンに頼んであるから大丈夫だよ」


 その名前を聞き、稔は先程の出来事を再び思い出してしまう。ラクトはそのせいで彼がビクッと震えたのを見逃さなかった。怪しいと勘ぐって黒髪の心の中を読んでみる。何が彼の身に降り掛かったのか把握した後、赤髪は黒髪をいじることにした。洗濯機の蓋を閉め、口を開く。


「なんか隠してる顔だね?」

「何も隠してないぞ?」

「そういえば、キスされた衝撃で立ち直れないって話聞いたんだけど、本当なの?」

「その話、誰から聞いた?」

「聞いたも何も、稔の心の中を読めば分かっちゃう話じゃん」


 予想通りの回答だったので、稔は「だよな」と思わず言ってしまう。


「……怒ってないのか?」

「怒る要素ないじゃん。精霊や罪源を攻略するのに必要な手段を使っただけなんだしさ」

「でも、前にこういう話で怒ってなかったか?」

「あれは練習台ってのが気に食わなかっただけだよ」

「そうだったのか。じゃあ、今回はお咎めなしってことでいいんだな?」

「もちろん」


 ラクトが笑いながら、しかも勇気づけるように言ってくれたことは、稔に大きな安堵感をもたらした。だが、まだやるべきことは終わっていない。肩の荷を下ろしてすぐの黒髪に、赤髪はブラッシングに必要な道具の入った黒い袋を渡した。


「歯ブラシとコップね。あ、コップといえばーー」

「やめろ」


 ラクトが何を言おうとしているのかすぐわかったので、稔は瞬時に割って入った。悪い思いをしたわけでないのでトラウマというわけではないが、思い出す度にある特定の人を連想してしまうとなるのはつらい。一方、黒髪の素早い対応を見て赤髪はクスクス笑う。


「他人事だと思って笑いやがって……」

「私が照れた顔を見て笑ってた人が言う台詞じゃないと思うけどな」

「くそっ、言い返せない……」

「でも、今みたいなやり取りが出来るなら、きっといつか良い思い出になると思うけどなあ。……そんなことより、洗面所行こうよ。まだ、しなきゃいけないことあるんだし」

「そうだったな」


 寝る前にやっておきたいことはまだ残っている。ラクトはそのことを分かっていた。洗濯機のディスプレイに表示された残り時間を確認して、二人は洗面所へ向かう。その途中で、二人は紫姫とアイテイルを見かけた。軽く会話した後、精霊二人は魂石へと帰還する。

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