5-33 私は王国のために
ミライは吹き付ける海風を切り裂いて超高層ビル群を進んで言った。その途中、津波を心配してビルの屋上に上がってきた学生達を見て「ここが貴方の死に場所です」と内心で言い、飛行魔法を使用し、箒を銃に変えてその方向へ乱射を始めようとする。その時だった。
「ーー」
疾風の如く現れた黒と紫の魔法使い達が、ミライに突撃した。彼らは無言で、ただひたすらに相手に剣を振ることだけを、最高速度に相手に衝突することだけを目標に突撃した。ブーン、という飛行時特有の機械音は一切聞こえない。力を込めるために声を出すわけでもない。静かに、忍者のように、無言で、彼らはミライの頭上から剣を振り下ろした。
「ふっ……」
しかし、そんなことは予想の範疇。ミライは「かかったな」と思うと、相手の愚策に堪えきれず笑みをこぼしてしまった。心の中で魔法の使用宣言を発すると、白髪ツインテールは稔と紫姫の方を見、銃を剣に変えて振り下ろした。生物の内臓を破壊するために叩き潰すようかのごとく。
「う……っ!」
凄まじい威力に『黒白』は絶句した。稔は一重のバリアでは耐えきれないだろうと考えて三重にして臨んだが、それでも全て無残に破壊されてしまい、紫姫がなんとか踏ん張ってくれたためにビルに衝突することはなかったが、あの火力で喰らっていたらと思うと……。二人が身震いしないはずがなかった。
「稔。ミライはバースト型だ。相手の攻撃をエネルギーにして、自分の魔法の火力を上げる。その上、『ふんばりチョコレート』を所持している」
「『ふんばりチョコレート』?」
「【総HPの50%以上の時に食べると、どんな攻撃を受けても必ずHPが1残る。】という効果だ。しかも、奴は二個も持っている。あと融けない」
「時間停止を使用せずに倒すには二撃必要ってことか……。相手が回復魔法を使うことは?」
「特別魔法には無さそうだが、持ち物に『回復の薬』がある可能性はある」
稔がバリアを再度展開する傍ら、紫姫はミライに関する情報を伝えていった。しかしこれらの一切は、紫髪が調査した内容でない。ラクトの内心を読んで確保しておいた情報だ。そして、ミライに直接剣を振り下ろしたことで分かったことがあった。
「それよりもだ。あれだけ高い火力の技を打ったにも関わらず、敵のHPはまだ85%だ」
「俺らから吸い取った魔力を防御に回したってとこか?」
「それはない。ミライは傘による防御魔法を使用していないからな」
「つまり、元から高いヒットポイントを有しているってことか?」
「おそらくそういうことだ」
高体力、高火力技、不死滅ーー。学園都市に現れた悪魔は、稔達がこれまでに相手したことのないような最強少女だった。そんな少女が再び殺戮を行う前に始末しようと、『黒白』はバリアを五重にして再び白髪の少女の元へ戻っていく。
少女はマンションの屋上に居た。稔達が時間を稼いだおかげで屋上に居た一般人達は下階へ避難することに成功していたが、言うまでもなく白髪はこれに不満を持っていた。ーー否、正確には異なる。彼女は、ただ殺したいだけだ。クスッと笑うと、くるりと『黒白』の方を見た。
「強者と戦うという行為は、ここまで燃えることなのですね」
「そんなことはどうでもいい! 一般人に手を出すな!」
「ホント嫌になりますよね、こういう正義心に満ち溢れた偽善者と対峙するのは」
「偽善……者?」
稔は、目の前でミライが自分を煽ろうとしているだけなのだと気づいていた。しかし、脳が、体が、上手く動かない。バリアは強力な魔法でなければ弾くはずだ。なのに、なぜ軽い洗脳を受けているのか。黒髪は混乱する。
「ね、……紫姫ちゃん?」
刹那、血飛沫が俺の顔に掛かった。
「いぎ……っ!」
「紫姫!」
本当に生きているかのような、鮮血。もう決して命が戻らないのではないかと思うような、紅色の血。紫姫の顔から、胸部から、体の各所から、目を覆いたくなるような光景が映し出された。
「一対二なんてフェアじゃないですから、紫姫ちゃんには退場していただきましょう!」
紫姫のHPゲージが減っていく。緑色から黄色へ、そして赤色へ。バリアはどこも破られていない。なのに、なぜ、紫姫は一撃で酷いダメージを受けたのか。
「あはは、絶望してる! 今のうちに撃ち殺しちゃお!」
俺はまともな判断が出来なかった。遠くから俺を殺す通達が聞こえていたけれど、無視した。違う。無視すること以外に採れる術がなかったのだ。
「こちらが正義に捕らわれた哀れな少年の死に場所……です!」
銃声が聞こえた。ああ、ここで死ぬんだな。そう思い込んで、俺は諦めを付けた。でも、目の前には、懸命に踏ん張ろうとする少女の姿がある。HPゲージの減少は、残り5%のところで止まっていた。黒髪の裾を掴むと、紫姫は口を小さく動かして言った。
「銃、渡しておく、から……」
言いたいことはたくさんあった。なぜ最初に割合ダメージを与えなかったのか。なぜ魔法封印銃を使用しなかったのか。敵の取る行動が少しでも分かっていたなら、情報に従えば良かったのに。でも、稔には無理だった。気絶しそうな人を相手に、そんな感情をぶつけることは出来ない。「俺と紫姫はチームなんだ」という思いが、彼の気を引き締めさせた。
「我はこの一撃をもって離脱する。引き金を、握れ」
弱い力で引き金を握り、脇の下で銃を挟む紫姫。稔は頷くと、その小さな手を覆い隠すように彼女の手を上から握り、また、彼女の体の上から覆い被さるようにして体勢を整えた。そして、向かってくる銃弾に視線を集中させる。
「「空冷消除!」
銃声がビル間に鳴り響く。そして、すぐに銃弾同士がぶつかりあった。ーー成功だ。
「なっ!」
形勢逆転だ。稔の中にあった不安は一瞬で消え去った。普通の魔法使いが使える特別魔法の上限は二つしかない。一つは箒を変化させる魔法、もう一つは未来を読む魔法だ。詠唱魔法の上限は一つだし、これについては、詠唱の文句も使えるようになる魔法もバレている。
だが、箒を変化させる魔法ーー要は唯一の攻撃手段を封じたからといって、勝利が確定したわけではなかった。それは、ブラウズがミライの召使であるということに起因する。
「でも、さっき軽い洗脳魔法を浴びたよな? あれは一体どういうことなんだ?」
「主人の特権だ。詠唱を行い且つ召使、罪源又は精霊が魔法陣若しくは魂石の中に在る時、属性が一致した場合に限り、配下の者の魔法を使用することが出来る」
稔は離脱しようとする紫姫に、最後にひとつだけ、と質問した。紫髪は丁寧に答えたが、発された言葉は法律の文言のよう。内容自体はそこまで難しくないにしても、あえて難しくしているのではないかと疑問に思うくらいだった。
「要は、紫姫が魂石に居て、俺が詠唱した時、お前のブラック属性の技を使えるって訳だな?」
「あいにく、一致する技は皆無だぞ」
「馬鹿だな。お前がお前として戦うから、『黒白』なんだよ。……まあいい。お前の傷は俺が晴らしてやるよ。ゆっくり休め」
「銃は、使うか?」
「要らない。俺は剣でぶっ倒す」
「その意気込みがあれば、勝てるさ。……いい結果を待っているぞ、稔」
「ああ」
紫姫は柔らかな笑みを浮かべ、魂石に戻っていった。紫髪がバリア内に見えなくなったところで、黒髪は再び学園都市の上空へ飛び立つ。ミライの誘いを受けるため、一般人に危害を加える前にミライに天誅を与えるため。理由なんて、これでもかというほどある。
「お望み通り、一対一のタイマンだ」
稔と紫姫が話している間ずっと、ミライは先程のマンションの上で震えて動けずに居た。唯一の攻撃手段を一時的とはいえ失くしたため、ブラウズの魔法封印が解かれるまで、ろくに攻撃手段となりうる技なしで戦っていくしかない。白髪は、その現実を上手く飲み込めずに居たのである。
「魔法を封じるなんて卑怯です! そんな戦い方は正義ではない!」
「大災害を引き起こした奴が、一般人に危害を加えようとした奴が、俺の精霊に洗脳魔法を使った奴が、『正義』を語るな!」
「ああ、怖い怖い。こんな狂犬みたいな人が『正義』を語るなんて」
ミライは余裕の表情を浮かべることに必死だった。だが、マンションの屋上で震えながら動けなかったという事実を変えることは出来ない。押せばいける。そんな気がしたので、稔は右手に紫色の光を放つ剣を持って前進を始めた。
「ところで、ミライ。ーー時間稼ぎは、済んだか?」
白髪の少女は顔を左右に振る。何度も、何度も、垂らした左右二つの髪がブンブンと揺れた。後ろへ下がる途中で彼女はバランスを崩し、その場に尻餅をつく。これしかないとミライは可愛さで悩殺する方向へ舵を切ったが、意味は無かった。
「こ、殺さないんですよね? それが、貴方達の戦い方の根幹だと聞いていますが……」
「ああ、そうだ。相手を生かして勝利を得ることが、俺の、俺達の極意だ」
「そ、それなら! どうして、殺すかのように剣を振ろうとしてーーひいっ!」
ミライの顔スレスレの場所に、稔は綺麗な軌道を剣で描いた。
「自分から街を破壊し、人を殺そうとしたお前は、死刑囚と同罪だ」
「嫌です! 殺さないでください! 私にはまだ明るい未来があるんです!」
「あるわけねえだろ!」
稔は怒鳴り散らした。「こんな極悪人を言葉で叱ろうと考えている時点で俺は相当な平和ボケ野郎だ」と彼は思ったが、しかし、白髪の本心から抽出された台詞だとすれば、黒髪も叱る気力を失う。それはもう、自己による反省ではなく、病院送りを本格的に考えるレベルだ。
しかし、自分の怒鳴り声でミライがシュンと花のように萎んだのを見て、稔は「まだこの女には良心が残っている」と薄っすらながら思った。しかし、演技である可能性は払拭できないので、反撃を食らった場合の逃げ道を確保することを頭の片隅に置きながら、黒髪は白髪の方に若干近づいて言った。
「……なんで、俺に突っかかってきたんだ?」
既に恣意的に発生した地震による被害が出ている以上、警察が介入する話になることは確実といえる。であるならば、いかにミライに気持ちよく自首させるかは非常に重要だ。犯罪者の犯罪後の行動は罪にも大きく影響する。今、白髪に必要十分とされている罪を重くするようなことをさせてはいけない。
「ーー話せば、殺しませんか?」
「相手の不意を突くのは正義じゃねえよ」
稔は慰めるように優しい声で言った。しかし、これを聞いたミライの表情を見て、黒髪は背筋に電流を走らせる。僅かに一瞬だったが、白髪の少女は口角を上げていた。それも、目の前の精霊使いから見えないような角度で、である。稔は、何か企んでいるのではないかとすぐに思った。そのため彼は、剣を後ろに隠す一方で警戒レベルを引き上げた。
「私は、精霊と契約したかったんです。それなのに、何年も来ることを待ち続けたのに、私と契約したいという精霊は一人も現れなかった。それなのに貴方は、三人も、精霊と契約した! こんな不公平、許せるわけがない!」
全ては、契約者を失った精霊を自分の支配下に置くために。ただ、それだけのために、白髪は黒髪を倒そうと必死になっていた。彼女の話を聞いて、ふと稔はあることを思い返す。
「そういえば。紫姫のHPが5%残されてたが、あれはミライが恣意的にやったのか?」
「はい。自分に渡る頃には使えるようになっているだろうと思ったから残したんです」
洗脳した上で自分自身に攻撃を与えさせることで、ヒットポイントを調整する。精霊を得るために精霊を調べ尽くしたからこそ出来る業だった。
「でも、なんで精霊なんだ? 召使でも困ることは無いだろ?」
「強い魔法が使えるからなんてことは、理由ではありません。精霊に込められた魂が魅力的に映るから、欲しいのです」
精霊に込められた魂というのは、第二次世界大戦争においてエルフィリア軍の陸海空二人ずつの司令、そしてそれを束ねる総司令が魂石に込めたとされる霊力のことだ。ミライはその霊力に興味があるから、精霊が欲しいと考えるようになったのだという。
「でも、お前が地震を起こした罪は無くせない。欲しいものを手に入れるために評価を下げて、後悔とかは無いのか?」
「はい。最強同士が組めば、警察など意図も簡単に破壊できるはずですから」
「自分を裁く奴らを皆殺しにするとでも考えているのか?」
「私の最終目標は強かったエルフィリアを取り戻すことです。邪魔者は排除対象です」
侵略に侵略を重ねた大帝国は、世界の全てを敵に回して崩壊一歩手前まで追い込まれた。ミライは、精霊達を自らの支配下に置き、まだ国号が「帝国」だった頃のエルフィリアを取り戻したいと本気で思っているらしい。
確かに、精霊ーーここでは紫姫を例に挙げるとすると、時間を停止して銃弾を与えれば敵国の中枢を破壊することなど余裕すぎる。同じ技で、数億、数十億の民を殺戮したり、相手の体力を半分ずつ奪うことで、相手を痛めつけることだって容易い。
「私は、精霊の所有者達が争いを繰り広げるより、一人の精霊使いが全ての精霊とともに排除対象と戦ったほうがはるかに有益だと思います」
ミライの立てた計画は筋道が立っていると思ったし、殺戮をやろうという意気込みも素晴らしい。しかし、内容には賛同できず、稔は「こんな奴に精霊を渡すわけにはいかない」との思いを強めた。けれど、これほどまでにエルフィリアを思う気持ちは評価に値する。そう感じた黒髪は、白髪に質問した。
「ミライは、エルフィリアの首相にでもなる気なのか?」
「もちろんです。我が国の権利のために、私は全力で戦います」
「その思いは、精霊を使わずに達成できないのか?」
「できません。ですが、貴方が私の代わりをするならば、私は手を引きます」
「俺は他国に宣戦布告する気もないし、ましてや殺戮する気なんざ毛頭ないぞ」
「……何か、誤解してませんか?」
話は噛み合っているようで噛み合っていなかった。ミライの発言に、稔は思わず「え?」と言葉をこぼしてしまう。
「他国民を殺戮するとか他国を攻撃すると、いつ言いました? ……言ってないですよね? 『強いエルフィリアを取り戻す』と『邪魔者を排除する』を表面だけ汲み取って勘違いされると、凄く困るんですけど……」
「本当に申し訳ない。俺はミライの発言を誤解してたみたいだ。もしよければ、最終目標を具体的に言ってもらえるか?」
稔は、場の雰囲気に流されてミライに対する殺意を高めず良かったと痛感した。白髪が罪を犯したことは確かなことであるけれども、彼女の白状を聞かずにこちらの独断と偏見で話を進めるのはよろしくない。
「腐敗したエルフィリアをぶっ壊したいんです」
「それは、王制の破壊を意味するのか?」
「そういうわけではありません。私は、自分達の利潤だけを求め、都市部の富を農村部に還元しない今のエルフィリアが大嫌いで、元に戻したいんです」
ミライが取り戻そうとしている国家の理想像は、エルフィリア帝国時代にあった余裕のある国家。富を分かち合うことの出来る国家だ。割りとまともな考えを持っていることを知り、稔の中で白髪を見る目が変わる。だが、彼女が起こした事実は未来永劫消えることはない。
「ならなおさら、なんでフルンティで地震を起こした?」
「貴方の精霊を得るためです」
「一般人に死人が出るかもしれないんだぞ? なら、恣意的に地震を起こすにしても、他に適当な場所があるだろ」
「また、誤解してるみたいですね」
ミライはクスッと笑って言った。
「貴方達が見ている学園都市に時間は流れていませんよ」
「つまりここは、バトルフィールドってことか……」
「ご名答。市役所庁舎の崩壊も地震発生も幻想です。大体、HPゲージが見えた時点で気付かないとか、稔さん相当疲れていらっしゃるみたいですね。もっとも、こちらとしては貴方が一人になってくれて好都合なんですけど」
白髪はそう言って魔法陣からブラウズを召喚した。魔法封印の効果は消えているらしく、ミライの顔面は自信に満ちている。
「さあ、稔さん。精霊を賭けて戦いましょう」




