5-31 歓喜の歌
国内最高級の演奏やパフォーマンスの色々を観ながらパーティーを楽しみながら頂く料理は、いつもと違った味がした。最初は差こそあれ二人とも緊張していたが、自分たちの出番を終えて美味しい料理を頂いて言ううちにすっかり緊張が解けて、王国海軍吹奏楽団が二曲目を演奏し始めた頃には、二人にいつもどおりの表情が見え始めた。
七時台は演奏が中心だったが、八時を過ぎようとした頃からダンスのパフォーマンスが始まった。次もその次もダンスだったので、気になって近づいてきた執事に聞いてみる。箸が止まるようなパーティーにしてはならないという演出家の図らいらしい。稔はなるほどと思った。確かに、食べているときに横で激しく動かれてはそちらに目がいってしまう。宴会会場のどこを見てもテーブル上には料理がないのは、それが理由らしい。
八時半を過ぎて、今度は演劇が始まった。司会曰く国王杯で最優秀賞に選ばれた劇団の作品とのこと。でも、パーティーに出席している全員が全員夜遅くまで居れるわけではない。だから、本来なら九十分間のところを半分の四十五分に短縮しての上映だった。それでも、四十五分間のショートバージョンの方が本編に感じられるくらいに仕上がっている。
演劇の後は歌唱パフォーマンスが披露された。出演アーティストは五組で、うち二グループがアイドル。主催者が出演オファーを送ったのは今話題のアーティストのみだそうだが、残念なことにファン達は宴会会場に居ない。サイリウムもなければ合いの手もないのである。だから、アイドルにとってはアウェー空間以外の何物でもなかった。
しかし、一組目に登場したアイドルグループはむしろ楽しみながら歌うことができた。稔とラクトのおかげである。赤髪がサイリウムを作り、黒髪がそれっぽく振り方を即興で考え、宴会会場の隅っこから目立たないよう声を出さずに応援を送っていたのだ。もちろん、アイドル以外の曲は着席して聞いた。
五組目のアーティストの演奏が終わったところで、出演したアーティスト全員がステージ上に上がり始めた。それだけではない。ステージ裏から演劇やダンスを披露した人達が次々と上がってきた。ステージのすぐ下では、王国海軍の吹奏楽団が行進してきている。
金管木管楽器担当の海軍吹奏楽団、弦楽器担当の吹奏楽団、打楽器担当の吹奏楽団。歌唱パフォーマンスをしていたアーティストや演劇を披露した劇団員の手には楽譜。ほぼ全ての演者が準備し終えたところで、海軍吹奏楽団に対して指揮棒を振っていた指揮者がステージ上を歩いてくる。
「それでは、最後の演奏に移ります。来賓の皆様も合唱ください」
指揮者が前を向いたところで司会が言った。指揮者はくるりと百八十度回転して演奏者たちの方を見ると、指揮棒を上げて振り始める。始まったのは、誰もが聞き覚えのある年末の定番曲だった。
「第九の第四楽章か。でもこれって、マドーロムで作られたやつじゃないだろ?」
「織桜が伝えたんだって」
「凄えんだな、あいつ。剣道の道も声優の道も極めた上でクラシック音楽もなんて」
「でも、織桜が本当に吹奏楽をしていたかは疑問が残ると思う。事実、公言している経歴にはそんなこと書かれて無いわけだし」
マルチな活躍ができるほどの才能を有していることに間違いはないのだろう。けれど、三つの道をまだ二十代の人間が極めたとなると、どこかに詐称があるのではないかと勘ぐってしまうのは仕方のないところである。
「まあ、そんな難しい話はおいておいて。演奏聞こ?」
「そうだな」
演奏は合唱が入ろうという場面だった。指揮者は大きく手を振り、楽譜を持った歌唱者達に指示を送る。しかし、ショートバージョンにアレンジされているとはいえ、曲はまだまだ盛り上がりの途中。指揮者はまだ体を大きく動かしてまで指揮棒を振っていない。
合唱は原曲準拠の独語で行われた。何度聞いても、サビの盛り上がりでは鳥肌が立つ。それまで静かに静かに続いてきた曲が、気持ちを抑えながら奏でられてきた音色が、まるで水を噴き上げたかのようにワッと一気に爆発するのである。観客たちはその瞬間、背中にゾワゾワと電流を走らせる。
最初の盛り上がりを過ぎると合唱隊の殆どは口を閉ざした。ソプラノ、アルト、テノール、バスの各パートが一人ずつ声を出している。劇団員がアルトとバス、アイドルグループがソプラノとテノールを担当していた。高い発声が得意な者達と低い発声もいける者達が組み合わさり、宴会会場には四人とは思えない音量の歓喜の歌が響いている。
そして、楽曲は最終局面を迎えた。国王陛下が無事帰還したことに対する歓喜の歌として、また、元気のない国王陛下を励ます意味も込めて、フォルテッシモの置かれた二度目にして最後の盛り上がりへ入っていく。指揮棒の振りも指揮者の動きも最初の盛り上がりより大きくなっていった。
時を同じくして、ステージ下に食事を運び続けてきた執事やメイド達が出てきて、合唱を始めた。臨席した外交官なども歌い始める。歌詞が分からなくともリズムなら分かるという人達の中には、鼻で歌う人や首を振りながらリズムを取る人もいた。そんな場の雰囲気に釣られ、稔とラクトも合唱に参加する。
指揮者が大きく広げた手をくるっと回して握る仕草を見せたのを合図に、壇上の者も壇下の者も来賓も口を閉ざした。しかし、演奏はもう少し続いた。楽器の演奏者達が口や弓やバチを楽器から離したあとで、ソプラノとテノールの二人によるソリパートが始まったのである。長さは十小節。機敏な動きを見せていた指揮者も、今度はゆったりとした静かな動きで指揮棒を振っていた。
演奏が終わると、二回目のスタンディングオベーションが行われた。リートも立ち上がって拍手を送っている。十秒経っても二十秒経っても拍手は止まなかった。長い拍手はアンコールの要望と受け取るべきものなのだが、生憎合唱は数日の練習しかしていない。それゆえ、壇上の者達は来賓の声に応えることが出来なかった。一部の演奏者は断腸の思いを顔に滲ませている。
「素晴らしい演奏をありがとうございました。今一度、大きな拍手をお願いします!」
司会の一言で再び会場内に拍手が響き渡った。演奏者達は軽く頭を下げて、精一杯の実力を披露した自分への褒美としてその音を聞かせる。客も演奏者も拍手する度、闌となった宴を止めたくない気持ちが強まっていった。しかし、どんな物事にも終始がある。司会の言葉から十五秒ほど、総立ちが起こってから実に五十秒ほどが経った頃、司会はようやく来賓達に座らせる指示を出した。
「皆様、ご着席ください」
それを合図に、壇上の者達がステージ裏へと一斉に移動を始めた。ステージ下に並んでいた執事やメイド達も一斉に宴会会場の入場口へ移動する。ステージ上からパフォーマー達が居なくなり、使用人達が自分の持ち場に着いたのを確認してから、司会は次の指示を出した。
「国王陛下がご退場されます。拍手でお送り下さい」
リートとともに国王がステージ裏へと消えていく。まだ完全には戻っていなかったが、少しずつ感情を取り戻しているようだった。妹に手を握られながら歩く彼の顔は、ほんの僅かながら綻んでいた。ステージ上が司会者だけとなり、照明器具も一人を集中的に照らすようになったところで、閉会の言葉が司会者から告げられた。
「閉式の辞。皆様、ご起立下さい。これをもちまして、国王陛下の帰還を祝う会を閉会致します」
区切りをつける意味なのか、司会者がそう言うと、宴会会場内の全ての照明器具が凝った演出の出来るモードから普通の照明モードに切り替わった。
「解散」
司会者は置き手紙を残すように言ってステージ裏へと消えていった。同時、来賓達が一斉に立ち上がる。彼ら彼女らは皆一斉に宴会会場から出るために扉を目指した。特に停車場機能を持った中央玄関へ続くゲートは相当混んでいるのが窺える。一方、稔とラクトが向かったゲートからはスムーズに退場できた。
来た道を戻って更衣室を目指す二人。時刻は既に夜の九時半を回っている。ミライが言っていた地震発生時刻まで一時間を切った。着替えるには十分な時間を確保しているが、連絡先を交換したわけでもない相手と待ち合わせていることを考慮すると多少早めに行動した方がいい。渡り廊下を渡ってそれぞれ男子更衣室、女子更衣室に入ると、出来る限り段取り良く着替えていった。
夜の十時を回る直前、ようやくラクトが更衣室から出てきた。メイク落としと衣装チェンジ以外にトイレや歯磨きなど、時間的な制約に負けないよう前もってやっておくべきことをした結果、少し長く時間が掛かってしまったらしい。事情を聞くと、稔はそれ以上責めなかった。
「忘れ物は無いな?」
「うん」
「そんじゃまた人助けといくか」
「いこう!」
ラクトと手を繋ぎ、稔は魔法の使用を宣言した。行き先は王都中央駅……ということは確かだが、どちらの改札口でミライ達が待っているかは分からない。相手が未来を読めるならばそこに来るだろうと考え、二人は取り敢えず王都中央駅の王宮口に向かった。
橙色の電灯に照らされた赤レンガは暖かな趣きがあった。しかし、そんなレトロな雰囲気を醸し出す駅舎の機能はモダンで、夜十時を回っているというのにひっきりなしに電車が出入りしている。流石は全国民の九割弱が暮らしている街というだけある。
「へえ、一階は地下鉄駅の入り口になってるんだね」
ロータリーの歩道部を歩きながら駅舎の方に近づいていくと、桃色の発色で「王都地下鉄 王都中央駅」と書かれた看板が取り付けられていた出口を発見した。エスカレーターが地下へと延びている。列車の発車時刻などが表示される電光掲示板を見ると、まだ十分間隔で運行していた。視線を向けたのとタイミングを合わせて、到着した電車の欄に書かれていた時刻と行き先がパカパカと点滅を始める。
「こっちの出口には居ないのかな?」
「さあな。でも、今回ばかりは無闇に動かず待っていたほうが得策だと思うぞ。なにせ、向こうは未来を知ることが出来るわけだからな」
点滅していた列車の表示がなくなった頃、徐々に客達が地上から見えるようになってきた。稔とラクトが邪魔にならないように出入口の外へ出ようとエスカレーターに背中を向ける。その時だ。背中を軽く叩かれた気がしたので、黒髪は後ろを向いた。釣られて赤髪も振り向く。
「ミライか。地下鉄で参上とか、今まで何してたんだ?」
「さっきまでラジオ局で収録の仕事があったんですよ」
「もしかして、ブラウズも一緒にやってたのか?」
「いいえ。ラジオ局までは一緒に行きましたけど、時間を過ごした場所は違いましたね」
ブラウズはミライの妹でありマネージャーだった。つまるところ白髪の少女は、スタジオで過ごしたか控室で過ごしたかを言っていたのである。でも、そこまで深く姉妹のことを知る気はなかったので、稔は話題を変えようと質問を振った。
「ふと疑問に思ったんだが、あのホテルからここまで相当な距離があるのに、よくもまあ、そんなに早く移動できたな」
「普通の私はこんな姿ですが、戦闘態勢に入ると 魔法使いになるので。というか、テレポート出来る人間が言わないでくださいよ」
ミライは笑いながら言った。でも、ほんの数秒で真剣な眼差しに戻る。
「そろそろ、移動しませんか? もしだったら私の箒に一緒にーー」
「いや、遠慮しておく」
「そうですか。……まあいいです、私達が箒で移動することに変わりはないので。待ち合わせ場所はフルンティ市役所屋上にしましょう。それではまた後で」
戦闘モードに衣装を切り替えると、ミライは先の尖った黒いハットを被って作り出した箒に跨った。同じようにブラウズが彼女の後ろで箒に跨る。妹が姉の体に抱きついたところで、ミライはフルンティ市役所屋上へ向かって飛び立った。再び二人きりとなったところで、ラクトが稔の服の裾をぎゅっと掴んで自分の方に引っ張る。
「どうかしたか?」
「稔。あの魔法使いの行動、ちょっと警戒したほうが良いと思う」
「どういうことだ?」
「さっきの見たでしょ? 笑顔から突然素の顔になる瞬間」
「そこまで心配するようなことか? さっさと話を進めましょうってことだと俺はてっきり思ってたんだが……。つか、お前が俺に馴れ馴れしくしてる異性に対して嫉妬してるだけなんじゃないか?」
稔はラクトの考えに「一理ある」と頷きながらも、現況を楽観的に考えて彼女をおちょくった。しかし赤髪は、笑い混じりの黒髪とは対照的な鋭い視線を送ってみせた。
「それはない。単に私は、ミライを警戒して言っただけ」
「……心を読めなかったからか?」
「そうだね。私が前に拉致された時、実際に相手方が行動に移る直前まで感情を見抜けなかった。今は、その時に似てる気がするんだよ」
ラクトは自分が強姦される一歩手前まで追い詰められた話の真相を話した。稔が助けに向かって何とか最悪のシナリオを防ぐことは出来たが、あの時咄嗟に勘が働かなければ、赤髪の純血は不本意に消えていたかもしれない。勘に従順であることは自分の首を絞めることに繋がるが、時に自分の目の前にある危険を知らせてくれる。
「分かった。お前の勘に懸ける」
「なんか、稔を手のひらで転がしてるみたいな気分なんだけど……」
「バカ、困ったときはお互い様だっての。痛みくらい分けさせろ」
「……ありがと」
ラクトは小声で呟き、稔の右手を優しく握った。お互いに少しだけ顔を赤く染める。その後で、黒髪は咳払いしてフルンティ市役所へテレポートした。




