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チートなしで敗戦国家を救うことになりました。  作者: 浅咲夏茶
五章 救出編《The dawn of new age》
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5-24 クレーマー

 駅併設のショッピングモールは地上十階建てで地下五階建てである。自由通路と繋がっているのは二階部分で、家電量販店の店舗入口を除くと他はどこもかしこも飲食店だ。しかし、いずれの店も同階で潰し合うということはなくて、全ての店が他店と違うジャンルの料理や飲料を提供していた。


 喫茶店を見つけたラクトは、迷うことなくその店の扉を開けて入る。カランコロンと金属が当たることで出る音が聞こえると、それを合図にカウンターの方からバリスタが「いらっしゃいませ」と言い、軽く一礼した。いつの間にかラクトは翻訳魔法を切ったようだ。見える言の葉と聞こえてくる言の葉が噛み合っている。


「お二人様ですね。一人席ソロシート二人席ペアシート四人席マルチシートと御座いますが、どうされますか?」

「二人席で」

「かしこまりました。ペアシートは通路側の列になります。注文の品が決まりましたら、机上のベルを鳴らしてください。では、ごゆっくりどうぞ」


 店員はペアシートの場所に手を向けると、アルバム表紙のように素晴らしい質感の本を手渡した。筆記体で「MENU」と書かれている。中を広げると、仮名文字や漢字は皆無だった。相当凝ったデザインだが、手書きではないことなど二人はすぐに見抜いた。このフォントは文書作成ソフトで見たことがある。


 それはそうとして、稔とラクトはペアシートに向かった。着席して開口一番、黒髪がメニューをテーブル上に置いたところで、赤髪が恥ずかしそうに言う。


「通路から見られるの恥ずかしいんだけど……」

「別に日常会話くらい公衆の面前で出来るだろ。そんなので恥ずかしがるな」


 稔は何となくラクトの考えが分かっていた。彼女は人前では恥ずかしがらないが、いざ二人きりになって恥ずかしさが精神安定を妨害しだすと、接し方が分からなくなって普段の様子からは汲み取れないような表情を見ることが出来るようになる。顔を赤く染めるのもその一例だ。


「まあいいや、大抵は何事も慣れたもん勝ちだし」


 ラクトが言うと、稔は無言で頷いた。赤髪は机上中央に置かれていた魔道書のような本を開いて中身を見ていく。ざっと三十以上の種類の珈琲が英語筆記体表記で書かれていた。季節により、需要を考えてホットとコールドの価格を反転するそうだが、今の時期は有り難いことに同価格で売られていた。


「私カフェラテね」

「俺はブラックでいいかな。一時間ってことを考えると。……呼ぶぞ?」

「どうぞ」


 注文の品が決まったので、机上にあったベルを押した。ベルは、ボタンを押すと厨房側に伝わるような今風の物ではなく、金属光沢で銀色の半球が輝く古風な卓上ベルである。鳴らすと、チーンと音がした。厨房の方から「はーい」と返事が聞こえ、間もなく店員が一人稔達のテーブルの前に来た。

 

「ご注文は?」

「ブラックとカフェラテ一つずつ」

「一〇〇フィクス追加でカフェラテアートも出来ますが」

「お願いします」

「かしこまりました。ブラックとカフェラテプラス一つずつですね。……では、退店時にこちらをレジにお持ちくださいませ」


 店員は一礼すると、メモ用紙片手に厨房の方へ戻っていった。その時である。突如、入口の方から怒鳴り声が聞こえてきた。客席に出ていた店員が稔達に接客した人だけだったので、厨房から追加で出てくる人は一人も居らず、その人が聞き取った紙を取ったまま対応に向かう。


「おいどうなってんだ!」

「どうされましたか?」

「俺は微糖のコーヒーを頼んだはずだ。こんな苦いコーヒー出しやがって」

「申し訳ございません。直ちに微糖のコーヒーを御用意します」

「クソ対応の癖に俺に金払わせんのか!」


 男は座席を蹴ると机上にあったコーヒーカップを手に取り、それを店員の制服目掛けて掛けた。刹那、白地の制服が珈琲色に染まる。クレーマー男のイライラはすこぶる高まっていたようで、そのコーヒーカップは内容物がほとんど消えたと同時、床に向かって投げつけられた。


「申し訳ございません。申し訳ございません……」


 謝ることしか出来ない店員。厨房の店員達はその様子を見て恐怖を覚えたらしく、皆後ろを向いてクレーマーの方を見ようとしない。そんな状況を見て記憶の一片を思い出したラクトは、稔の静止を振り切って前へ出ていった。彼女は男の目の前に立つと、怒りを抑えつけてにこやかな笑みを浮かべる。


「あの――」

「誰だお前? 店員でもない奴が出しゃばってんじゃねえ」

「いや、そのメモに書かれてる内容に、私が注文したのも入ってるんですよ」

「そんなもん知った事か! そんなのこいつの管理能力が無いだけだろ」


 ラクトは数回頷くと、意図的に深呼吸をして言った。


「そういうあなたも、管理能力の無さを指摘できるんですか?」

「俺は客だ。客は店員に何を言っても許される」

「もちろんその中に、意図的な営業妨害は含まれませんよね?」

「……」


 男はハッとした表情を浮かべた。ようやく失言したことに気が付いたらしい。


「偶然の産物に苛立ったからといって、それに意図的な行為で報復するというのは、同等の力で報復するという観点から見れば、間違いでしかないですよ」

「……」


 負けを宣言しようかという局面まで男は追い込まれたそうで、最初の威勢の良さはもう原型を留めていなかった。しかし、ラクトは一度握った弱みをそう簡単に忘れないし、悪を徹底的に叩きのめす。クレーマーの内心を読むと、赤髪は机上に置かれていた注文票の留まったボードを裏返した。


「それに、注文票には『ブラック 1』とあるんですけど? 書取時刻は今から五分前。……貴方、本当に『微糖』頼みました?」

「――」


 自分を不利な状況に追い込んだことが分かり精神的に参っているところで決定的な証拠を見せつけられたこともあり、クレーマーはそれ以上自分で自分の首を締めるような手段を取らなかった。口を閉ざし何も言わず去った時間の後で、男は床に正座し頭を下げた。


「申し訳なかった。金に困っていたんだ。本当に済まない」

「では、店側と十分話し合った上で必要な対応を取ってください」


 ラクトはクレーマーが頭を下げても、「だから何? 謝る相手間違ってるよね?」と冷たい態度を見せた。謝罪して冷たく返されたときの絶望感は測り知れないものがある。


「この通りだ。本当に済まなかった。許して欲しい」

「何度も言わせないで下さいよ。店側と話し合って問題を解決してください」


 クレーマーは何度も頭を下げた。謝れば許してもらえるという甘い考えが男にその行動をさせていたのである。しかし、ラクトは冷たい態度を軟化させない。繰り返される謝罪が鬱陶しくなって、彼女は店員に一言注文の品を伝えると自分の席へ戻った。同時に、クレーマーの表情が硬直する。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――」


 クレーマーの精神がどんどん壊れていく。彼の口から出てくる言葉は謝罪、謝罪、謝罪。謝ること以外に意識が向いていなかった。それでもラクトは口を閉ざしたまま、まともに話を聞いてやらない。一方店員はクレーマーの餌食に成りかけていたが、赤髪の言葉に勇気を貰ったらしく、強気に出た。


「今回の件は当店の不注意によるものとして処理しますので、代金は不要です。ですが、貴方がここで奇声を発していると他のお客様の御迷惑になりますから、奇声を上げるのを止めるか又は直ちに退店してください」


 男は自分の起こした罪を理解した。金が無いからといって盗みを犯した自分の愚かさ。計画性なき犯行を実行した自分への嘲笑。しかし精神という山岳地帯が吹っ飛んだ今、クレーマーは、心の中に込み上げてくる感情を抑えつけられなかった。湧いてくる感情が入れ替わる事に、表情も移り変わる。


 男はフラフラと歩きながら喫茶店を出た。肉体的な戦いではなく精神的な戦いに勝利したラクトは内心でガッツポーズを浮かべる。一方、クレーマーに対する心配もあった。これが原因で自殺しないだろうかとか、障碍を背負うことにならないかとか。終わった後で、申し訳無さが彼女を襲った。


「良かったぞ!」

「グッジョブ! でも、もっと懲らしめてやってもよかったのにね」


 追い打ちを掛けるように、店内に居た客達がラクト擁護に回る。席を立つ者、拍手する者、口笛を吹く者。客達は営業妨害一歩手前の大盛り上がりを見せる。しかし、稔は喜ばなかった。ラクトが落ち込んでいる様子を一瞬でも見れば、拍手や口笛など傷口を広げるだけだ。そんなの絶対出来ない。


「(……出しゃばらなきゃ良かった)」


 後の祭りであることくらい分かっていた。けれど、一時いっときの正義感に突き動かされた自分の行動に対する怒りと反省はとどまるところを知らない。虚偽の話をでっち上げたのはあの男であり、悪いことに変わりないが、店員と客との揉め事に第三者が割って入るほど重大な話では無かったはずだ。


「終わったことは水に流せ、と言えたら警察なんか要らねえ。悪いことをしたと思って自責の念に駆られるくらいなら、罪滅ぼしでもなんでも、自分に出来る行動を今すぐにでも始めろ。他人の評価なんて気にするな。当事者の評価だけ見てればいい。……分身貸してやっから、行ってこいよ」


 稔の分身が完成した直後、ラクトは彼の分身とともに王都中央駅の自由通路へ出ていった。拉致されないようにということで、行動は一緒に行うこととなったが、謝罪については赤髪が一人で対処する方向で調整が行われた。そのすぐ後、店員が注文の品を黒髪達の席に持ってきた。


「お連れの方は――」

「あいつは忘れ物を取りに行ってる最中だ」

「当店へ戻ってこられますか?」

「もちろん」

「かしこまりました。では、こちら注文の品です。お間違いありませんか?」

「ああ」


 店員は一礼して厨房の方へ戻っていた。一方ラクトは、同頃、探して五分くらい経ったところで、クレーマーを見つけていた。走り回ってきたせいで吸ったり吐いたりが小刻みになる。赤髪は男の方に視線を合わせた。


「あ、あの!」


 駅の改札口で声を掛けると、色々な人がその声に反応して視線を向けた。だが、すぐに自分に対して行っているのではないと判断し逸らしていく。でも、男だけはラクトの方を見続けていた。まもなく、自動改札機を挟んでの会話が始まる。彼女は開口一番、クレーマーに対して頭を下げた。


「先程は、本当に申し訳ございませんでした」

「君が謝ることはない。元を正せば俺が悪いんだ」

「しかし、精神的に追い詰めたのは私の責任で――」

「大丈夫だ。もう治ったから」

「本当にすみませんでした」


 男は一八〇度回ってホームの方向を見た。片やラクトは、申し訳無さから頭を深く深く下げる。ホーム階から来た客から白い目で見られていたのは言うまでもない。しかし、彼女は謝罪を止めなかった。そして、謝罪について何の言葉も掛けられないという状況を体験する。自分がしたことがそっくりそのまま返ってきた形となった。


「そろそろ、行くぞ」

「……」


 クレーマーがホーム階へ完全に消えた頃、稔の分身はラクトの方に近づいて彼女の肩を叩いた。赤髪は黒髪の存在に気が付き、振り向く。しかし、ラクトは言葉を発して答えず、小さく頷くだけで済ませた。稔の分身は喫茶店の手前まで赤髪を案内し、彼女と分かれる。その後、家電量販店の男子トイレまで行って分身としての役割を終えた。


 ラクトが喫茶店の店内に戻ってきたとき、もうその場に居合わせた客達からの称賛の声は無かった。赤髪が勢い良く一時的に退店した時には気が付かなかった彼ら彼女らも、時間を置いたことで冷静になって事態をより深く認識したらしい。静かな店内を進み、彼女は稔の座る対面の席に腰を下ろした。


「忘れ物は取り戻せたか?」

「ダメだった。『俺が悪い』の一点張りで、足早に逃げられちゃったよ」

「そうか」


 稔の問いにラクトは首を左右に振った。一方、質問者は首を上下に振りながら回答者の話を聞く。赤髪は作り笑いを浮かべていたので、黒髪は心配になって慰めの言葉を送った。傷口に蓋をするだけで根本的な解決にならないのは分かっている。けれど、咄嗟に思いついた考えはそれしかなかった。


「まあ、今回の一件は今後の糧になると思うし、引きずるレベルではないと思うぞ」

「ありがとね、心配してくれて」

「作り笑いしてたからな。精神的に参ってるのかなって思ってさ。まあ、パーティーまで一時間あるわけだし、珈琲飲んで元通りにしていけばいいさ」

「そうだね」


 簡単にクレーマーに対する謝罪の気持ちに蓋をすることは出来ない。けれど、誰にだって後ろめたい気持ちになる取り返しの付かない出来事の一つや二つある。ラクトは深呼吸すると、気持ちを入れ替えるためにコーヒーカップを手に取った。そして、酒を飲むように珈琲を喉奥へ導いていく。だが。


「にがっ!」

「自分の頼んだ珈琲の色を覚えておけば、こんなことにはならなかったのにな」

「わざと入れ替えたな!」

「色を見抜けなかったラクトが悪い」

「このやろー……」

 

 ラクトは右手の拳を握ってプルプルと震わせたが、店の設備や稔の体に傷を負わせるような行為はしなかった。ムスッとした表情がとても可愛くて黒髪はニヤけてしまう。赤髪の苛々は徐々に徐々に積み重なっていくが、途中でぷつんと切れてしまい、バカバカしくなって笑いが込み上げてきた。


「なんか、馬鹿みたいだね」

「いいんだよ。バカみたいなことでも、お前の笑顔が作れるなら」

「そっか」


 ラクトの頬が少し赤くなった。気持ちを元通りにする為にそのまま雑談へ突入し、時折スマホの時計を見ながら、珈琲片手に二人は世間話や黒歴史を話し続ける。その中で赤髪は、「かつて働いていた料理屋でクレーマーから胸ぐらを掴まれたらしい際、必死に謝ることしか出来なかったことが必要以上の攻撃に影響したのではないか」と稔に話した。


 そうやって、一時間はあっという間に過ぎていく。

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