5-20 プレゼント
チームベータが拠点としている建物の前に近づくにつれて警備担当の女の姿が見えてきた。彼女の顔は稔もラクトも知っているし、話したこともある。だが、素の状態で歩いていることもあり、何故か薄っすらと緊張感が出てきた。そんな気持ちを置き去りにし、二人は相合傘をしながら正面突破を試みる。
「……どこかで会いましたっけ?」
けれど、そこまで心配する必要はなかった。拠点の警備をしていた女はラクトの顔を見ると、銃を向けるのを一旦やめて問う。記憶の引き出しから取り出せそうなのに中々取れない。そんな状況が続く相手に、赤髪は優しげな声で言った。同時、顔がよく見えるように、稔が雨が当たらない程度に傘を斜めにする。
「この顔、見覚えありませんか?」
「ああ! あなたはラクトさん……でしたっけ?」
「うん。で、こっちが弥乃梨――改め、稔」
警備担当から名前を覚えてもらっていたのが分かると、ラクトはすぐにタメ口に切り替えた。そのまま稔を紹介する。彼が何を言おうとしていたか分かっていたための行動だった。赤髪の目には警備担当者に謝る必要はなさそうに見えたが、ここは黒髪の考えを尊重しようということで話を振る。
「本当に、騙してすまなかった」
「気にしないでください。驚きもありましたけど、『良い人も居るんだなあ』と感心しましたし。まあ、私個人の感想でチーム全員の共通認識というわけではないんですけどね。なにせ、中には相当嫌悪している人も居ますし」
「例えば?」
警備担当の女は、うーん……、と右頬を人差し指の爪で数回掻いて言った。
「部隊総長と私を除く全員ですね。……ふふ、良かったですね、警備担当が私で」
「本当だよ。命狙われるかもしれねえんだから」
「いえ、命は狙われませんよ。ナニが狙われるかはご想像にお任せしますけど」
その言葉を聞いた瞬間、稔の背筋が一瞬で凍った。体の震えは止まることを知らない。股間を押さえる黒髪に「オーバーリアクションだろ」と心の中でツッコミを入れるが、自分を同じ立場に置いてみた時、理解できない点も幾つかあったが、赤髪も恐怖感に陥る気持ちをなんとなく理解できた。
「ところで、どのようなご用件ですか?」
「部隊総長にこれを渡したいんだけど――」
「これは……衣装ですね?」
「うん。昨日の夜サテルデイタで戦った時に着てたやつで、本当はニコルに返すべきなんだけど、難しいからレーフを通して渡して欲しくてさ」
「分かりました。では、レーフのほうに渡しておきます」
警備担当の女はそう言うと、ラクトから衣類の入った箱を受け取って軽く礼をした。
「用件は以上ですか?」
「ああ」
「では、弥乃梨さん改め稔さんとラクトさんが謝罪に来ていたと伝えておきます。短い間でしたが、ありがとうございました」
「こちらこそ」
警備担当の女も稔もラクトも同じように頭を下げた。その後、黒髪と赤髪は後ろを向いてまた歩き出す。ふいに後ろを向くと女は手を振っている。五〇メートルくらい離れたところで、ラクトが傘を畳んだ後、稔はテレポートを使用した。警備担当者は部隊総長を部屋から呼び出して衣類を渡していた。
ホテルの割り当てられた部屋に戻ってくると、サタンが三角巾を頭に被ってマスクを着け、部屋の掃除をしていた。ピンク色のゴム手袋を装着していることもあって、ホテルで働いている清掃員に見える。稔は感謝の言葉を口にした。
「掃除ありがとな」
「元はといえば先輩達のせいですからね? フロントに事情は伝えてあるみたいですけど、だとしても、行為の形跡を残したまま同性以外は原則として立入禁止のホテルを後にするのは、色々とまずいじゃないですか。そういうわけで、勝手ながら掃除させていただいてます」
「手伝おっか?」
「日頃から動かないからデビルモードになっちゃったと思うので、今日のところは私一人でさせてください。なので、お気持ちだけ受け取っときます」
サタンはせっせと掃除していった。体を動かす度、三角巾の開いたところから出ている髪の毛が揺れる。常にロングヘアで居る紫髪の貴重なツインテール姿ということもあって、ついつい稔の目はそこへ向かってしまった。ラクトは少し頬をぷくっとさせるが、黒髪はそれに気が付かない。心の中で嘆息を吐いた後、赤髪は提案した。
「ね、テレビゲームやらない?」
「テレビゲームなんてあるのか?」
「色々あるっぽいよ。課金必須のやつと完全無料のやつとある。どっちがいい?」
「内容によるな」
「課金必須のやつはいずれも一口五〇〇円で六時間プレイ可能で、格闘ゲー、クラフトゲー、ギャルゲー、ホラゲーと色々あるね。完全無料のやつは、将棋、オセロ、チェス、トランプ、ウノとかで、時間制限なし。あ、見たほうが早いか」
ラクトは口頭での説明を試みたが、抽象的すぎると判断して実物を見せることにした。テレビのリモコンを操作してメニューからホテルの公式アプリを起動し、ホテルが提供しているアプリストアを見る。ゲーム以外にも映画、ドラマ、アニメなど全年齢から年齢制限ありまで幅広く取り扱っていた。
「お、卓球あるじゃん。課金必須だけど」
「エアホッケーなんかどうだ? これは無料だぞ。しかもダブルス可能だ」
「決まりだね。それでいこう」
稔とラクトはお互いに頷いた。続いて赤髪が、リモコンのカーソルを押して「AIR HOCKEY」のところへ動かし、決定ボタンを押す。「Do you want to buy it, really? It'll cost you 0 fics」という確認画面がポップアップ表示されたので、その下部に表示された「OK」ボタンを押した。
ポップアップ表示が「LOADING...」と切り替わり、その下に青色のバーが出る。ものの僅かで右端まで達すると、またも切り替わって「COMPLETE!」と出てきた。今度は左に「FINISH」、右に「START」と表示される。ただ終わるだけかゲームも始めるかの二択だったので、稔は迷わず右側を押した。
「はいこれ。コントローラー。操作方法は大丈夫だよね?」
「当然だろ。お前の分まで点取ってやるよ」
「おお」
ラクトは机の引き出しから片手で持てる縦長のコントローラーを二つ出し、うち一つを稔に渡すと、その後はすんなりと進んだ。ゲームのメニュー画面が表示されたので、稔は「始めから」の意である「BACK TO START」を押す。というか、「セーブデータから」の意の「RESUME」は使えなかった。
左下に二秒程度「Loading...」と表示された後、五秒前からカウントダウンが始まった。右上には「SET」「REDO」「RESULT」の三つのボタンがある。それぞれ、設定、やり直し、結果の意だ。左上には一セットの残り時間と、その下に得点数を示す欄が表示される。ブザー音とともに、ゲームが始まった。
テレビ画面下部に表示されたのは「1P」「2P」と書かれたサークル。コントローラーを動かすと伴って動いた。これでパックを返したりするようだ。開始数秒で、NPCとの打ち合いが始まる。稔が壁を使ってやると、負けじと相手方も壁を使って打ってきた。NPCは初期設定から強く設定されているらしい。
「ダブルスで戦ってるから強く設定されているのか?」
「あれじゃない? ラリー続けると強くなってくみたいな」
「それならこっちのレベルも上げて欲しいところだよな」
コントローラーをマレットに見立ててパックを相手方へ打ち返す稔とラクト。エアホッケーを謳っている癖に、プレイの仕方は卓球と瓜二つだった。お互いに一度打っては下がり、また前に出て打つという行為を繰り返す。時に緩急をつけて壁を使って方向を変えさせながらゴールを狙うも、強すぎるNPCの活躍によって中々暗闇の中に入れることが出来ない。
しかし、転機は突然訪れた。ラクトから速度控えめで渡されたパックを勢い良く稔が弾いた刹那、暗闇の中にヒュイっと入っていったのである。間もなく画面中央に表示される「GOAL!」の文字。左上の点数欄に得た点が加算された。同時に敵のレベルがアップする。と、その時だった。
『If you think you'll win me, you have another think coming!』
なんとポップアップで女キャラが表示されたのである。意味は『私に勝てると思ったら大間違いよ!』というもの。訳せば台詞こそテンプレート的なものだったが、割と現実に即した容姿をしたキャラクターだった。
『You got another pack.』
しかも、ここで、妨害エフェクトが発動する。勝ったらパック追加とは理不尽な話だが、戻ることができないので、仕方なくポップアップ画面の下部の「OK」を押す。刹那、二つのパックが登場した。それらはカウントダウンの後に投入される。
もはやそこにダブルスの文字は無い。一つのコートで二人対二人で戦っているというところだけ取り上げればそう言っても差し支えないのかもしれないが、実態的には一人対一人になっていた。でも、二人でコートを使っている為に起こる恩恵もある。パック同士の衝突だ。それで、二人は勝利を得た。
『Aw hell! You are strong ...! But, we'll be winner, soon!』
再度入る女キャラの台詞。キャラの容姿やボイス等の雰囲気を元に意訳を作っていく。『ああ、私達としたことが! 貴方達、強いですわね……。でも、勝つのは私達ですわ!』と、そんな感じで。間違っていたとしても、楽しめればそれでいい。自分一人でやるだけなら、後で気が付いても、自分一人が恥ずかしくなるだけなのだから。
『Your area got small.』
とかなんとか思っていると、打ち返せる範囲が狭まった。比率的には相手陣が六で自陣が四である上にパックは二つ使用するということで、稔とラクトは不利な状況に追い込まれる。しかし、ここでラクトがあることに気付いた。左上の点数の横に二つ赤丸が表示されたのである。これは、NPCに勝つ為に必要な残り勝利数を示したものらしい。
カウントダウンの後に再開されると、これまでよりも更に短時間で二人は勝利に漕ぎ着けた。息の合ったマレット捌きで、パットを相手陣の自陣にほど近い地点で勢い良く衝突させる。パックはそれぞれ当たった時の角度が違ったために時間差が生まれ、これにより、ゴールに吸い込まれるまでに再び衝突するという事態が起こらずに済んだ。
『I didn't think We were caught in an endgame by your technique. ▼』
『But we aren't interested in other than win of us. ▼』
『Therefore, I must release my potential. ▼』
『Let's start the battle from zero ―― ▼』
黒い三角の文字は上下に少しだけ動いていた。コントローラーのAボタンを押すと進むのは万国共通らしい。コントローラーを操作するのと並行して、稔はまた意訳を始める。彼の中では強情を張る少女の姿が出来上がっていた。絶対こういうキャラ居るよなとか思いつつ、翻訳を進めていく。
『まさか、この私がここまで追いつめられるとは思わなかったわ。でも私達、勝つこと以外に興味がないの。だから、そろそろ本気で行かせてもらうわ。さあ、始めましょう。無勝完敗からの戦いを――』
そして、ポップアップ表示が来た。
『You got lots of pack of other self』
今度のギミックは「分身パックの登場」というものらしい。これ以上パックを追加されると困るのは言うまでもないが、案外楽しめていることもあるので、稔もラクトも「やってやろうじゃねえか」という前向きな気持ちで「OK」ボタンを押した。そして、画面に灰色のパックが登場する。
「(あれ、二つとも……?)」
それが示すことはただ一つ。片方が正解で、片方が不正解ということだ。パックが一つに戻ったことは歓迎できるが、打ち返せないパックと打ち返さなければならないパックを間違えば、何が起こるのかは容易に想像できる。ここは気を引き締めて集中して取り掛からなければならないと、稔もラクトも相手陣でのやり取りに視線を注ぐ。
その時だった。あろうことか相手のゴールから追加のパックが三つ、四つ……と出てきたのである。しかも全て灰色。触れなければ実物かどうか知ることなど出来ない。稔もラクトも、ここまで酷い妨害ギミックを受けるとなるとやる気が失せてくる。しかし、勝利まであとわずか一つ。引きたい気持ちを押しやって、二人はやる気を出す。
しかし、あと一回勝てば良いだけなのに、という状況でギミックの餌食となってしまった。一敗を記録した後、二人は立て直せずに二敗、三敗とずるずる負けていく。そうしているうちに後がなくなり、バトルカウントは七を記録した。文字の下には小さく「Final Battle」と表記されている。
『In your face! You're an idiot! You were losing to me, weren't it?』
ゲーム画面の向こうの女キャラは三連続勝利に湧いていた。「ざまあみろ!」などと言ってドヤ顔をするなど、回を追うごとにイライラする要素が増えていく。だが、だからこそ、稔とラクトは絆を深めることが出来た。共通の敵を手に入れ、その内容をさらに悪く描くことで、それに対する敵対意識をメラメラ燃やすことに成功する。
ラリーはすぐに始まった。間もなく彼らは、投入された四つのパックを捌きながら感覚を頼りに本物と偽物を区別していく。十秒程度で把握すると、稔とラクトはフェイントを掛けた上で一気に畳みかけに入った。壁に当たると、跳ね返ってきたパックと掠れることなく勢いに乗り、ゴールへ一直線に進んでいく。
『Oh my god...』
稔とラクトはついに勝利を掴んだ。集中力と絆による勝利は、黒髪と赤髪を大いに喜ばせる。一方、画面の中の女キャラは相当落ち込んでいる様子だった。しかし、彼女はすぐに立ち直る。髪の毛をくるくるする仕草を描いた絵が表示されると、咳払いして女キャラは不本意そうな様子で言った。
『That's life. I'll admit that I was losing in the fight with you. But, I had a good time. Thank you for playing this game! See you again!』
女は「仕方ない」と一言置いた上で、負けを認める。しかし、彼女は強情を貫かなかった。Aボタンを押して進めると、全体絵から顔だけをアップした絵に切り替わり、美少女の最後の台詞が始まる。下を向いてからこちらを向き、思いを伝える仕草は、まるで隣で一緒にゲームをした赤髪のようだった。
『Are you sure you want to save?』
保存するか否かを問われたので、稔はラクトと相談して『Cancel』を押した。別に保存したところでそのデータを開くわけでもない。記録媒体に残しておくだけでしかないのだ。さほど意味を成さない行為を敢えてする必要はない。しかし、ポップアップ画面は一度では消えなかった。もちろん、そこに書かれている内容は異なるが。
『What would you like to do? Please select from among these.』
口語で訳せば、「この後どうするかここから選択して」というような内容の文章だった。選択肢としては「Continue」、「Redo」、「Finish」、「Uninstall」の四つが挙げられている。時計を見ると料理店街の開く時間と針が重なっていたので、黒髪は「Finish」を即決して押した。
選択肢の中で一番データのやり取りを行う量が少ない選択をしたことで、ポップアップ画面はリモコンの「Enter」を押すとすぐに閉じられた。ゲームアプリのホーム画面へ戻り、テレビとして使えるようにモードを切り替えようとする。そんな時、黒髪の目が「Browser」という文字を捉えた。
「朝からネットサーフィン?」
「『情報収集』と言え」
「何調べるの?」
「さっき大雨で痛い目見たからな。天気だけ確認しておく」
王都の時刻では午後三時半。エルフィリアとアングロレロは隣り合った国家だからテレポートする際に中継地点を必要としない。王都まで直行で行けるのだ。集合時刻の夕方六時には、テレポートすれば余裕で間に合う。もちろん、不測の事態に備えて段取り良く進める必要があるのは確かだが。
ラクトからマドーロムで有名なサイトを聞き、ブラウザーのアドレス窓に直接入力してアクセスする。エルフィリアの国別ドメインである「.el」を最後に入れて、これから向かうところの情報を入手するために必要な環境を構築する。トップページは検索窓だけのシンプルなものでなくて、ごちゃごちゃした古風なサイトだった。
「二龍物語……?」
検索窓の下にはニュースや天気を表示するエリアがある。トップページにあるのはニュースのタイトルのみ、十列で固定らしい。天気情報を確認すると、稔はそのうちの上から三つ目、「二龍物語」なるものに興味を持った。リモコンの「Enter」を押して進むと、興味深い内容が記されていた。隣で見ていたラクトも食い入る様に視線を向けている。




