5-15 襲撃の結末
五〇四号室へ逃げ込むとまず、稔はドア横にあった照明用のリモコンを手に取って照明を点けた。部屋の内外に襲撃者が居る可能性を考え、部屋の中に倒れている人などが居ないことを確認する。誰も居なかったので、黒髪はすぐさま常夜灯に設定した。
「警察官、大丈夫かな? 襲撃した人達、魔法使えるから不利な気が……」
「人数によるんじゃないか? 圧倒的に強い相手ってわけじゃなければ、別に魔法が使えないくらいで勝率は変わらないだろ」
「そうかな?」
「そこまで心配なら、麻痺や睡眠の一つくらい使っておけよ」
「わかった。じゃあ、そうする」
ラクトは避難している時も、何か役に立てることはないかと模索を続けていた。もちろん、役に立ちたい気持ちは稔にもあった。だが、積極的に警察側に干渉していこうという気持ちは無い。その相違が、赤髪に与えた案が「好き勝手にしろ」と汲み取れるような言い回しであった原因である。
でも、突き放すような言い回しをしても視線や思いは彼女の方に向いていた。ラクトが襲撃者の残党に関する情報を得た上で麻痺魔法を使った時、稔は成功するように願っていたし、使用後に魔法の効果がしっかり効いているのを確認してバリア等で弾かれていないことが分かった時も、彼は一緒に喜んでいた。外面上は突き放しているように見えても、内面ではずっと繋がっていたのである。
「使ったんだな」
「うん。署に連行した時点で解除するつもり」
「解除するタイミング、忘れるなよ?」
「当然」
民間人を襲うという非道な行為を働いたものの、襲撃犯達はあえて対決しなくてもいい相手であった。そんな輩を敵に回した以上は事後処理をしっかり行うように、と稔は念を押す。ラクトは彼の目を見ながら大きく頷いた。右手をグーにして前に出し、親指を立てている。
その後の結末は言うまでもないだろう。ラクトの干渉によってさらに上の階に居た襲撃犯達は寝ているところをあえなく御用となった。下の階に居た襲撃犯達は、紫髪姉妹が実験施設を解放している間に稔とラクトが拘束していたから、警官が通報を受けてホテルへ来た際に連行されているため姿はない。
つまるところ、上の階に居た襲撃犯達を警察が確保したということは、加害者に一人も傷を負わせずに事態を収束させたということになるのだ。こういった事件での大きな成果は署内でも昇進する際の根拠になり得るから、上階へ向かった警察官数名は帰り道、心の中でとても喜んでいた。
喜びに満ちた表情の警官達が安心した表情の従業員達の前を通ってホテルを出た後、先ほどタブレットで実験施設についての情報をくれた女性の声が聞こえた。ピンポンパンポンというあの独特のメロディの後であるから、連絡それも相当重大なことだろうとすぐに予想がつく。
「これにて、各部屋の家電の使用禁止措置を解除します。テレビやルーター、ポットなど電気を必要とする製品をどうぞご利用くださいませ」
時を同じくして、周りの部屋の電気が明るくなった。当たりの空が真っ暗だったこともあり、宿泊している客の中で、部屋の照明が強制的に落とされた人は多かった。でもそれは、必要な手段を踏んで入室している部屋に居た人のみに起こった出来事。五〇四号室のように元々施錠されていた部屋のブレーカーは落とされていなかった。
「警官達、警察署に着いたか?」
「あと五分から十分くらいじゃないかな」
「それまでどうする? ここに居るか?」
「いや。避難してるだけだし、ロビーで挨拶したらさっさと去る」
「わかった。じゃあ、一階行くぞ。歩きで」
手を繋ぐと、二人はテレポートで廊下に出た。開けるための鍵もないのに施錠された部屋から歩くだけで出ようとするなんて不可能に近いから、テレポートが有効なのは言うまでもないだろう。もちろん、五〇四号室に背を向けた後は階段を使って一階まで降りていった。しかし、二階で足止めを食らう。
「待ってください、お二人さん」
「なんでしょうか、さっきの警官さん?」
二階から一階に降りようという時、ラクトはトントンを肩を叩かれた。振り向いてみれば、そこには先程赤髪達に話を聞いた警察官の姿。不審者ではないことが分かってラクトは一安心したが、目的が分からないので少し警戒は続く。しかし、警察官はいい意味で予想を裏切ってくれた。
「先程はご協力頂き大変ありがとうございました。犯人を眠らせてくれたんですよね?」
「まあ、一応……。でも、なぜそれを?」
「あの赤い髪の女性が魔法を使ってくれたから、こんな意図も簡単に犯人たちを逮捕することが出来たのだ、と部下が教えてくれたんですよ」
「そうなんですか」
「はい。ですから、粗末ながら贈り物を御用意致しました」
警察官の笑顔が耐えることはなく、会話をしている時も感謝状ならぬ感謝プレゼントを渡そうとする時も顔を綻ばせていた。作り笑いにも単純な笑いにも見えて裏で何か企んでいるのではないかとラクトは疑心暗鬼になったが、心を読んでみてとても誠実な人だと分かって、赤髪は疑うのをやめた。
「どうぞ」
贈呈品は、ピンクの下地に白色のハートマークが描かれた可愛いラッピング用紙に包まれていた。中には箱が入っているようで、包装紙は密着するように赤いリボンで結ばれている。箱の裏側、包装紙を留めるためのシールはハート型で、ここにも可愛い成分が取り込まれていた。
「(凄い……)」
襲撃犯達を始末した後のわずか数分の間しか掛かっていないことから、感謝の品を送る理由がほんの数分前の部下の発言を発端としていることから、贈り物の包装は警察官が行ったものと推測できるが、職業名からイメージされる勇ましさからは想像できないほど美しく可愛らしい包装で、ラクトは息を呑むと同時に強い尊敬の気持ちを抱く。
「これからのご活躍に期待しております。では、失礼致しました」
「ありがとうございました!」
タイミングを合わせて頭を下げる稔とラクト。二人とも感謝の言葉を口から発したが、当事者ではない黒髪の声量は明らかに小さかった。警察官は、そんな彼らの真面目な態度を見て首を上下に振る。その後は何も言わずに自身の背中を見せ、そのまま一階へ続く階段を降りていった。
「俺達も行くぞ」
「うん」
改めて手を繋ぎ、警察官の背中を追うように二人は一階へ降りていった。経由地や行き先は違うから、一階ロビーに着いてすぐに進む方向は異なってしまったが、それでも姉のような立派な背中を持った警察官に対する尊敬の気持ちは変わらない。警察官がホテルを去った後、稔とラクトはロビーの受付担当者に声を掛けた。
「お疲れだったな」
「いえいえ、とんでもありません。掲げられた理想は達成されましたか?」
「もちろんだ。情報提供、本当にありがとう」
「そのせいで命狙われましたけどね、今日。でもまあ、悪事を暴いて死ねるなら、ジャーナリストとしては本望ですよ」
「そうか」
悪事だけを暴くのが報道記者の仕事ではないはずなのだが、受付の彼女を初めとする男性専用ホテルで働く従業員達は内部告発を主として活動を行ってきたから、辞書に書かれている文章とは異なる考え方を持っているようだ。もっとも稔は、見過ごせないわけでもないということで、特段何か言おうという気にもならなかったが。
「ところで、今日は宿泊されていきますか? 今なら特別価格でいいですよ」
「……いくらだ?」
「税込み二〇〇〇フィクスでどうでしょう? 通常朝夕食付きプランの八割引きです」
「八割引き、だと……」
ツインの朝夕食付きプランが税込み一万フィクスというだけでも結構良心的な価格であるというのに、受付の女はその八割引きの値段を提示した。これには、稔もラクトも大きな衝撃を受ける。同時に、あまりの低価格で提示されてしまったということで、呑まないと申し訳ないという気分になる。
「分かった。このホテルに泊まろう」
「ありがとうございます。お部屋は、露天風呂付が良いですか?」
「もちろん」
「わかりました。当ホテルはチェックイン時またはチェックアウト時に会計をすることになっていますが、今されますか? 今されると、外出が可能になりますが……」
「今しておくよ」
「かしこまりました。では、二〇〇〇フィクスになります」
話を進めるのは稔の担当だったが、支払いの担当はラクトだった。今回も黒髪は返済する気満々だったが、貯蓄が五〇〇万フィクスある身としては四桁の支出など痛くも痒くもないものであるからと、赤髪に返済を断られる。財布から千フィクス札を二枚出して、ラクトは手早く会計を済ませた。
「丁度お預かりします。レシートは必要ですか?」
「もらいます」
「わかりました。では、こちらレシートと……鍵になります」
ラクトは金銭やり取りの詳細が書かれた感熱紙と部屋の鍵を貰うと、すぐに部屋の鍵を稔に渡した。自分はレシートを財布の中にささっと仕舞う。
「最後に、目覚ましサービスのご案内です。何時頃に致しましょうか?」
「朝の四時半頃起こしてもらえると助かるんだが……朝六時以降とか制限あるか?」
「二十四時間対応ですよ。承知致しました。朝の四時半ですね」
「ああ、よろしく頼む」
「それでは、ごゆっくりと。何かご不明な点などがあれば、気兼ねなくお部屋の電話で『000』番にお掛け下さい。なお、お食事処はそこの階段下に御座います。二十二時までにお越しくださいませ」
「ありがとう」
稔とラクトは一礼してロビーを去った。時刻は既に夜の九時半を回っている。エルフィリアのニューレ・イドーラ市は朝の七時半だ。国王帰還に関する式典に出席する関係で夕方六時前には王都に戻らなければならないので、こちらの時間で朝の七時過ぎにはもう出発しなければならない。
それはそうとして、まずは夕食だった。二十二時まで残り三十分しかないということで、ラストオーダーの時間も考慮すれば、今行かなければ夕食にありつけない。肉体的な感覚としては「徹夜した上で摂る朝食」と同じということもあり、稔もラクトも戦闘や移動を通して空いた腹を満たさないわけにはいかなかった。二人とも先程下りてきた階段の下へ急ぐ。
「ショッピングモールみたいだな」
料理店に着いて稔は少し驚いた。一つの店がその空間内の座席を独占するような、完全に一店舗として独立した店があるわけではなかったのである。階段の下にあった店舗は、ショッピングモールで見られるような調理場は独立しているけど座席は共有するという形式だった。
「何食べる?」
階段下の料理店は定食屋とラーメン屋の二軒。定食屋は洋食や和食などの主となるメニューからデザートまで幅広い種類で対応している一方、ラーメン屋は麺類とデザートのみ二百種類近くという狭く深くの提供となっている。稔は自身の腹の虫と相談しながら五秒ほどで結論を出した。
「ラーメン屋かな。量が変更できるのは、俺的にポイント高い」
「さすがは食べ盛り。じゃ、私もラーメン食べようかな」
「アイスも食べる気だな?」
「食べないよ。寝る前だからね」
ラクトはそこまで太っているように見えないが、体型を維持するために日頃から実行できることは意識して行っていた。「乙女か」とコメントしようとしたが、マジレスで返されると危ういことを考え、言わないでおく。もっとも、そんな稔の葛藤など赤髪にはお見通しなわけだが。
そんなこんなで、稔達はラーメン屋の注文テーブルに並んだ。席取りしなければいけないほどの混雑ではないので、二人で注文しに行く。お互い壁に掛けられていたメニュー一覧表を見て注文の品を決めていたから、注文机の前に立った時もスラスラと口からメニュー名が出てきた。
「塩ラーメンの並盛一つお願いします」
「俺はチャーシューメンの大盛一つ」
「塩ラーメンの並盛とチャーシューメンの大盛がお一つずつですね。かしこまりました。三番の番号札でお待ち下さい。呼び出しの際は番号札を会計台へ持って来てください。なお、ドリンク類はセルフサービスです」
「了解です」
どうやらこの階段下の料理店二軒、宿泊しない人に対してもご飯を提供しているらしい。男というだけでご飯の提供を断られるお店もあるらしく、そういったお店に対抗するためにやっているらしい。まあ、稔達は朝夕食付きプランで支払っているから、会計台へわざわざ赴く必要などないが。
稔が店員から番号札をもらった後、二人は向かい合う定食屋とのほぼ中間地点に置かれたウォーターサーバーへ向かった。通常の座席とは異なる楕円形のテーブル上に置かれた機械の脇に並べられたコップを取り、製氷機を使って数個氷を入れた後、本命の水を八分目くらいまで注ぐ。
その後二人は、ウォーターサーバーの目の前の座席を取って、向い合うように座った。稔もラクトも着席早々に一口水を飲んで喉に来るひんやり感を味わい、ビールを飲んだ後ような表情を浮かべる。少しして、どちらの注文品が先に出来上がるか、という謎の勝負が始まった。
「三番でお待ちの方――」
しかし、待っていた結果は二人の望むものではなかった。「二人で一つの番号札を渡された時点で気づけよ」という話でもあるが、会計台へ注文品を取りに行くタイミングか重なったのである。お互い真剣に勝負していたわけでもなかったので、笑うことで引き分けという結果を流すことができた。
ウォーターサーバーの目の前の机まで注文の品を運び、座席に座り、稔とラクトは声を合わせて「いただきます」と言って箸を持った。しかし、黒髪は箸をラーメンにつけようとしない。食欲不振は風邪その他様々な病気の症状として現れるものだから、赤髪は彼氏の行動を見てすぐに問うた。
「アングロレロのマナー的に、麺を啜るのはアウトか?」
「うん」
「わかった。啜った方が食べやすいんだがな」
「でも、『郷に入っては郷に従え』だよ」
ご飯の食べ方は、その国その国でルールが変わるものだ。母国の食事作法に則って食べ進めることが出来ればこれ以上に楽なことはないけれど、恥じる心があれば、訪れた国でマナー違反とされる行為くらいは知っておくべきである。稔は、ズズズと啜らずチュルチュルと、チャーシューメンを食べ始めた。
「なあ、ラクト。美味しそうに食べてくれるのは良いんだが――」
「なに?」
「『入眠』、解除してないよな?」
「忘れてた!」
稔が指摘すると、ラクトは夢で何か一悶着あって目を覚ました時のようにハッと顔を上げた。警官に連れられていった襲撃犯達が警察署の手錠で拘束されているか確認の上、使用した魔法の効果を解除する。
「ありがとう。助かったよ」
「どういたしまして」
その後、二人は改めて箸を持った。




