5-11 実験施設《ラスト・プリズン》
「もちろん、あります」
受付嬢達から酷い洗脳を受けている可能性も視野に入れていたから、ラクトは意外と感じた。しかし、半々というわけでもなければ、百パーセント片方に傾いているというわけでもないらしい。母国へ戻ることにミカエルは前向きな考えを示していたが、そんな時、重々しい声で女は口を開いた。
「でも、もし、戻るならば、少しでも多くの人を救って欲しいです」
「どういうことだ?」
「ロスタンゲル東方沖に孤島がぽつんと在るんです。今もなお、そこで残虐非道な行為が実験と称されて行われているその島には、数多くの罪なき人々が居ます」
「なるほど。つまり、かつてお世話になった人達にお礼をしたいんだな?」
稔は失言したなんて思いは最初抱いていなかった。しかし、今一度ミカの話を思い返してみた時、自分がとてつもなく酷いことを言っていたことに気がついた。でも、相手は謝る隙を与えてくれない。作り笑いをして、いつもどおりの自分を演じ始めた。
「お礼をするつもりは微塵もありません。助けたいんです、彼らを」
「彼ら?」
「実験材料として島で飼われている、権利を失った人間を」
ミカの主訴。それは、自分以外にも同じ境遇になりそうな奴らが居るから助けて欲しいという悲痛な叫びだった。稔は数回頷いた後で、「お前の意も組んで絶対に助けてやる」と言う。そして、本人から行き先としてふさわしい島の名前などを聞いた上で一路、ラクトともに東の孤島へと飛ぶ。
絶海とまではいかなくとも周囲に小島を持たない孤島だったから、その島は言うまでもなく自然豊かだった。しかしそれは、裏を返せば明かりのないエリアが広くあるということでもある。稔とラクトが着いたところは比較的明かりのあるエリアだったが、山の方を見ると、そこに光は無かった。
「ここは港町みたいなところなのかな?」
「海に面してるし、旅館とか一杯あるし、可能性は濃厚だな」
稔は頷きながら言った。でも、本題は港町をぶらぶらすることではない。泊まりもしないのに旅館へ入ることには若干の抵抗があったが、再度訪れることはないだろうと思って、二人は堂々と旅館へ入っていく。だが彼らは、この島が一体どのような島であるのかということを忘れていた。入って早々、受付の女性に話し掛けたところ、無視されたのである。
でも、感謝の言葉は忘れなかった。「ありがとうございました」と一言置いて去ることで相手に対する大いなる皮肉にでもなればと思って、むしろ稔は、相手側の酷い行動を呑み込んだ対応を取ったのである。でも、そういう傲慢さが混じった対応をした稔はすぐに恥をかいた。旅館を出て早々、ラクトがある看板に気づいたのである。
「稔。あれ、読んでみて」
「【Woman Only】……。女性専用旅館ってことか。でも、さっきあったか?」
「さあ、どうだろ? 私も気が付かなかったし」
「なるほど。男が入ったから点灯したという可能性もありえるな」
「だとしたら、変装技術が褒められるのは光栄なんだけど、ちょっと複雑かな」
ラクトは、変装が上手だと褒められることに嬉しさと悲しさの両方を感じていた。センスが褒められて嫌がる人は殆ど居ないが、自分の存在を否定されて嫌がらない人は殆ど居ない。
「それなら、変装を解くっていう手も――」
「まあね。でも、それはエルフィリアに帰ってからかな」
「確かに、事態をこじらせない方が良いな」
「というわけで、男性専用旅館を探そう! ……あれば、だけど」
「あったぞ」
「え、どこ?」
稔達が無言退館させられた旅館から少し歩いたところにあった旅館。その屋上には、【Man Only】と青色の光を放つ看板が掲げられている。今晩宿泊するつもりはないけれど、先ほどと違い、情報を聞き出すことすら許されないわけではないだろうと思って、黒髪達は一目散に向かった。
大きな看板を掲げていた旅館の建物内に入ると、稔もラクトもまず驚いた。一切の装飾品が無かったのである。質素な建物であることは何ら悪いことでないのだが、街中に良い旅館がひしめき合っているのだから、旅館を謳っている以上、こんなに質素ではダメだろうと感じた。でも、泊まるわけではないので、辛口コメントを発したりはしない。
「ご来館ありがとうございます。予約無しでのお泊りですか?」
「いえ、泊まるわけではなくて、情報を聞きたいのですが……」
「情報ですか。確かにもう、インフォメーションセンターは閉まっていますしね」
「それに先ほど、女性専用旅館に誤って入った所、無視されて終わりまして……」
「ああいう旅館は、そういう風にマニュアルが出来ていますから」
上から、男性客に対しては無視するように指示が出ているらしい。稔のように誤って入ってしまった人は数多く居るらしく、かつては怒鳴り散らされて男性専用旅館に来た人も居たらしいが、今は昔よりも陰湿になっていて、先程のように無視されてどうすることもできない客も増えているのだという。
「聞きたいお話は、以上ですか?」
「いえ、もう少しだけあります。実験場についてなんですが――」
稔が「実験場」という言葉を放った瞬間、男性専用旅館の受付の女の目が優しそうなものから厳しそうなものに豹変した。数回首を上下に振った後、彼女は深呼吸し、隣で働いていた従業員の右肩をポンポンと叩いて「後は任せた」と言う。その後、真剣な眼差しで黒髪と赤髪のほうを見つめた。
「ここで話すことは出来ません。スタッフルームにご案内します」
「わかりました」
稔が快諾するやいなや、受付の女が受付の机の一部を持ち上げて通路を作り、ロビーの方へ出てきた。彼女の手にはタブレット端末がある。相当重い話が待っているのだろうというのは、それを見るだけで簡単に分かった。赤いカーペットの敷かれた廊下を進み、『STAFF ONLY』と書かれた扉の前に立つ。
「どうぞ」
ついさっき風俗店で見てきたものと同じで、スタッフルームへ続く扉は二重になっていた。扉と扉に挟まれた真夏になると猛威を振るう狭い空間に三人とも入ると、受付の女が扉を閉めるよう声を上げた。ラクトはビクッと震えたが、言うことを聞いて扉を閉める。その後で、スタッフが前の扉を開けた。
「(普通の休憩室なら、気にする必要ないだろうに……)」
受付の女が「スタッフルーム」と読んでいた部屋は、ソファがあったりコーヒーメーカーがあったりと、何ら変哲のないごく一般的な休憩室だった。スタッフは、稔とラクトをソファに腰掛けさせた後、対面になる位置に自分も腰掛け、中央のテーブルにタブレット端末を置き、説明の準備を行う。
「それでは、実験場についての説明をさせていただきます」
ロック画面を指紋認証で突破し、女はすぐにブラウザを起動して表示された「お気に入り」からあるサイトにアクセスする。ホテル内は爆速無制限の無線LAN完備だったこともあって、ものの三秒ほどでページが開いた。しかし、アクセスした途端にポップアップでパスワード入力が促される。
「このサイトは、秘密裏に作られたものなのか?」
「簡単に言うとそうなりますね。当ホテルの従業員兼記者が収集した情報が載せてあります。入るためには二十四桁の暗証番号が必要ですが」
「えらいがっちりしたセキュリティだな」
暗証番号の桁数を言われただけで、彼女らにとってどれほど重要な情報がアップされているのか良く分かった。プロバイダに情報開示されたら一巻の終わりであるものの、普通に使っている分には公安から何か言われることもないから、執拗に攻撃する犯罪者から標的にされない限りは、とてもじゃないが暗証番号入力を突破することなどできない。
稔が感想を述べている間に、受付の女は端末を持ったまま後ろを向いた。メモ帳からパスコードをコピーし、ペーストし、ポップアップ画面下のエンターボタンをタップする。招かれた二人は常識があったから、当然彼女の邪魔をすることはなかった。事が終わるのを、静かに座って待つ。
「終わりました。では、こちらをご覧ください」
稔とラクトは机に置かれたタブレット端末を見た。英字で文章は書かれていたが、黒髪のすぐ隣には言語の違いをもろともしない有能な赤髪が居る。自分で直せる場所は自分で直しつつ、不明なところは彼女から聞きながら、稔はホテルで働く従業員の皮を被った記者達の暴露発言に目を通した。
「実験場は地上階なし、地下深くに多数の電子機器が存在、施設関係者は地下で生活している模様、地上と繋がる通路は島東と島北の二箇所のみ、通路では機巧が待機――」
それぞれ別の記者からの投稿だった。しかし、それらは全て極秘施設という位置づけで厳重な警戒態勢が敷かれている建物内の情報である。ここまで詳細を提供してくれるとなると、もしかしたら目の前に居る女が味方ではないのかもしれない、という不安が生じてくる。稔は躊躇わずに聞いた。
「ところで、質問させて欲しいんだが」
「なんでしょうか」
「なんで、ここまで詳しい情報を部外者である記者が仕入れられるんだ?」
「いやいや、ジャーナリストであれば、これくらいしなくてはいけませんよ」
受付の女は稔とラクトを鼻であしらいながら言った。黒髪は、ここまで報道したいという意欲に駆られる彼女を尊敬の眼差しで見ながらも、思いが強いという理由だけではどうしても納得できなくて、サイトに載せられていた情報群のソースを提示するように求める。
「思いの強さは分かった。でも、これらの情報がどこから来たのかが不明だ」
「電波を駆使して情報を得てるんですよ」
「電波?」
「ええ。このホテルの地下に、調査用の電波発信機を作って置いたんです」
「なるほど。そこから電波を飛ばして構造を調べているわけか」
「あとは、定番ですけど、警備員に工作員を配置したこともありました」
国家機密を漏洩しないように配置した警備員から情報を盗まれていた――なんて、創作の世界では多くの作品で描かれていることだが、受付の女は、そういった創作の世界で得た考え方ややり方を真似して極秘情報を暴くことに成功したらしい。稔は内心、素直に拍手を送った。
「でも、電波とかって一歩間違ったら捜査対象になりかねなくないか?」
「対策してますよ、それくらい。私たちは一流のジャーナリストですから」
「もはやスパイだと思うが……」
「この国で男性差別に反対する女性は少数派ですから、そう言われたことが無いわけではありません。でも、正しくないことは斬りたいんです」
受付の女の正義感は堅かった。政府の言うことに何でもかんでも反対するのではなく、自分の考え方と違うものだけ強く反対し、ありとあらゆる手段を使って破滅へ導く。「スパイ」「革命家」と批判されてもおかしくない思想であるが、それでも、彼女は自分が正しい道を歩んでいると信じていた。
「堅い意志は評価に値するものだと思う。だが、自分の考えが必ずしも合っているとは限らない。その点は頭に入れておくべきだ」
「活動内容を聞き出したのは、やはり、リークするためだったんですか?」
「それは誤解だ。俺達はミカ――元の名をミカエルに頼まれて、この島の研究施設で酷い目に遭っている人達を助けたいと思ってお前に聞いたまでだ」
「そうですか。でも、研究施設のガードは堅いですよ」
受付の女は稔のことを一時的に敵視したが、裏切るために忠告を行ったわけではないことを知って態度を改める。その上で、お返しの忠告をした。自分たちがかき集めた情報を出来る限り自然に伝えようと、彼女は頑張った。
「それはさておき。研究施設を襲撃する考えをお持ちということで、いいですね?」
「実力行使を再優先で考えているわけではないんだが――」
稔が相手に対して弱腰を見せるつもりでいることを知ると、受付の女は机をドンと勢い良く叩いてすさまじい音を響かせて立ち上がった。少しの間俯いて呼吸を整えると、彼女は手を動かし額や頬に汗を伝わせながら力説する。
「ふざけないでください! あの場所はギレリアル連邦軍の特殊機関が管轄してるんですよ? あなたにどういう経歴があるのか詳しくは知りませんが、もし敵を殲滅できるほどの魔法を持っているというのなら、あんなところで働く研究員なんか気にしないで、どんどん前進しないと痛い目見ますよ!」
受付の女はまだ言いたそうだったが、自分の思いを言葉に出来なかった彼女は一気に脱力してソファに尻餅をついた。同時、稔が自分の経歴について言い始める。現実世界では語るに足らないものばかりなので、堂々と言えるのはマドーロムに来てからの自分の活躍についてのみであったが。
「経歴を少し話しておくと……。俺がこいつと強制収容所の解放を掲げて戦い、勝利し、一部頑なに拒んだ被収容者を除いて、全ての収容者をエルフィリアへ送ってきた」
「ごめんなさい。後半は知りませんでしたが、前半は知っていました。あなた方がギレリアル政府を敵に回して見事な勝利を収めたのは見てましたから」
「まあ、そうでもなければ、部屋に招くわけもないわな」
「そうですね。テレビで見てましたから、顔だけは知ってましたし」
受付の女は自覚なきまま毒を吐いた。でも、その毒は稔にある事実を思い出させる。テレビ中継で使用したということは、黒髪と赤髪の使う魔法がバレているということでもある。移動魔法も、剣の魔法も、ステッキの魔法も。精霊がいるから打つ手が一つも無いわけではないが、結構な痛手である。
「……話を戻します。襲撃予定とのことですが、勝算はあるんですか?」
「だから襲撃じゃないって。というか、勝算の有無は俺が聞くべき事柄だろうに」
「私達に勝算を判断することは出来ませんよ」
「でも、情報はくれるんだろうな?」
「もちろんじゃないですか。あ、仕事あるのでちょっと抜けますね。サイトに集めた情報載っているので、旅立つ前に見ておいてください。ではまた」
受付の女はそう言って従業員用の部屋からまた受付へと戻っていく。机の上に置かれていたタブレットの画面を見ると、受付に人が来ていることがポップアップ表示されていた。右上の×印を押して消去すると、見ていない情報を見るためにラクトが下へスクロールする。
「建物構造図っぽいね、これ」
「中央部の本棟まで続く通路長すぎるだろ」
「縮尺的に、直線距離で三キロはあるみたいだね。関門九個もあるし」
「そこまでして隠さなければいけないことをしてるんだろうな」
実験場は島の二方向からしか入れないことは聞いていたが、まさかここまで通路が長いとは思っていなかった二人。だが、その上を行く驚きが稔とラクトを襲う。なんと、被験体が暮らす部屋と実験者が暮らす部屋の広さに五倍近い差があったのである。でも、部外者が秘密機関に関する詳細な情報を得れてしまう状況は、疑心暗鬼にならざるを得ない。
「内部告発、だと?」
だが、心配する必要は無かった。なんと、このホテルで働く受付の女を含む従業員達は、元々島の中央にある施設で働いていたというのである。文章を載せていた記者達のプロフィールをタップした時、全員に同じ経歴があって驚いた。でも、内部告発となれば、一気に信用度が増すのは言うまでもない。
その後、電波発信機の設置が嘘だということを暴いた上で、稔とラクトはサイトに載っている情報を参考に作戦を練っていった。その中で黒髪は自分達が参戦することのリスクを説明し、精霊を主戦力として戦うことで合意する。しかし、一つ問題があった。魔力が、紫姫は残り六割しかなく、アイテイルに至っては残り二割を切っていたのである。
「サタン、出れるか?」
「大丈夫です。もっとも、シアンはカナリヤに不利ですが」
「ブラックなら有利にも不利に働くだろ」
「でも、私が使える魔法のうち一つは封印されたようなものじゃないですか。先輩達が使う技はバレバレなんですから」
「じゃあ、二陣として出撃する方向でどうだ? 紫姫が中継を見ていたか判断した上で、見ていれば出撃なし、見ていなければ出撃する」
稔がその場で思いついた作戦を口にすると、サタンは深い嘆息を吐いた。
「先輩、紫姫さんに狂気を感じるほどの期待を寄せてるんですね」
「言うほどか?」
「ええ、相当ですよ。でも、そこまで溺愛してる相手と競り合えるとなると……燃えてきました。先輩、やっぱり私を一軍に入れてください」
「お前、プライド高かったんだな」
「序列旧一位が現一位をライバル視したらダメですか?」
サタンの問いに、稔は首を左右に振った。精霊の頭に手を置いて、黒髪は言う。
「そんなわけねえだろ。頼んだぞ」
「はい!」
元気の良い返事とともに、サタンは笑みを浮かべた。少しして、まだ万全の態勢とはいえない紫姫が魂石から出てくる。稔とサタンが茶番をしている間に肉付けしておいた作戦内容をラクトが二人に説明し、片耳ヘッドホン型の通信機器を渡す。
しっかり外れないように装着した後で、サタンは稔、ラクト、そしてアイテイルの魔法を写した。使用可能時間はコピー完了から一時間以内。詠唱魔法込みで合計九つ写したこともあって、一番最初にコピーした魔法は五十分程度しか使えないことになってしまっていたが、そこまで長引かないだろうと思って、彼女は前向きに捉える。
「さあ、行って来い。紫姫、サタン」
「了解」
「分かりました!」
バリアを展開した上で、紫髪姉妹は戦いへと向かう。




