5-4 強制収容所の解放 #4
フルンティ市の南に位置する強制収容所を解放した後、稔達は学園都市の東、西、北に位置する強制収容所を次々と解放していった。しかし、どの収容所も人体実験の場という印象を受けない。服がボロボロであるという共通点はあったものの、職員が襲撃してくるなんて事態は起こらなかった。
でも、解放者は被支配者と接しているうちに収容所の実情を理解した。南北は肉体的な実験、東西は精神的な実験を担当していたため、外傷だけで判断すると、学園都市の東西の収容所に居た収容者の傷は、無かったり浅かったりというケースが多かったらしい。
他方、フルンティの北の収容所はというと、地震が発生した際に、被支配者であった男達が支配者であり人体実験を行う女達を精神的にも肉体的にも介抱したのだという。津波が来ると分かって、彼らは近くのビルの屋上まで職員らを移動させたそうだ。食糧不足を心配し、自分達の食糧を職員に提供したそうだ。
そんな優しさが影響して、支配者層は被支配者にそれまでよりも優しく接するようになった。学園都市の北の収容所では、既に男女間の差を明確にするような傷を負わせる実験をやめ、代わりに差を縮めるような仲良く接する実験を始めている。その初弾として、衣服の更新、外傷治癒の処置が施されたそうだ。
無事フルンティにある強制収容所を解放した稔とラクトは、フルンティ駐屯地に戻った。学園都市に来てから既に四時間が経過していて、フルンティ時刻ではまもなく丑三つ時になろうとしている。そんな中、二人はセキュリティポリスから呼び出しを受けた。個室のような会議室に入ってソファに腰掛けた途端、彼女が話を始める。
「こちらの予定では、この後パルパに向かう予定になっています。ですが、フルンティとパルパの時差は七時間近くあり、戦闘機を使って移動したとしても五時間近く掛かってしまいます。なので、もしでしたら、あなたの魔法で移動するという方針に変更するというのも一手かと思っていまして――」
「むしろそのほうが良い。公用車の手配も要らなくなるしな」
「ありがとうございます。では、その方向で調整しますね」
セキュリティポリスはまず政府にその旨を伝えた。柔軟性があった政府の役人達はその考えを高く評価し、すぐさまテレポートを用いて行動することが決定する。計画表に書いてあった時間を訂正した後、女から収容所の場所について聞き、その場所を述べて魔法使用を宣言した。移動時間は一秒と掛からない。
パルパの強制収容所の前に着いて早々、稔は建物を見て驚いた。セキュリティポリスは自分が指示した場所であると主張しているから正解なのだろうが、外見が学校の校舎なため、どうしても怪しげな雰囲気を感じられない。それはさておき、黒髪はふと思ったことを学校に連れてきた女に問うた。
「この街に収容所はいくつある?」
「東西に二つあります。ただ、学園都市と違って、実験場という感じではないです」
「肉体労働を強いる施設と捉えればいいのか?」
「そうですね。基本的には刑務所と同じと思ってください」
フルンティの強制収容所が実験場と化していた事実と比較すると、つい「肉体労働をさせられるのはそこまで苦ではないのではないか」と考えてしまう。しかし、罪を押し付けられているという共通点がある。何も悪事を働いた覚えもないのに強制労働をさせられるのだから、これが苦でないはずがない。
あまりのショックを受けると、それまで自分が最大の衝撃と考えていた事柄が普通の事柄に成り下がってしまうということは、よくあることだ。価値観が塗り替えられれば、その価値観で比較を行うわけだから、元々の価値観で最大級だったものが普遍的なものに成り下がるのは致し方ない。
「もう一つ質問だ。未踏の強制収容所は幾つある?」
「サテルデイタ、フルンティ、パルパを攻略すれば、あと二つですね」
「まだ二つもあるのか……」
「でも、どちらも港町ですし、そう遠くありませんし、気にしないでください」
「わかった」
サテルデイタ、フルンティ、パルパと時差のある街を転々としていたので、稔の疲労感は結構な度合いになっていた。一方のラクトはというと、夜型までいかないものの元々夜に強い種族であるため、疲労感が張り詰めてきているのを感じさせないくらい元気だった。クタクタな黒髪は元気ハツラツな赤髪を羨む。
「では、行きましょう」
「夜間なのに校門閉まってないし、明かりもついてるけど、大丈夫なのか?」
「そこまで不自然ではないと思いますよ。パルパ時刻では、まだ午後七時半ですし」
深夜に学校の明かりがついているとなると霊的現象を疑ってしまうが、午後七時台ならまだ教職員が働いている可能性は十分あり、部活延長の対象となった生徒がまだ部活動に勤しんでいる可能性すらある。校門が開いていても、明かりが点いていても、何ら不思議なことではない。
「でも、なんで学校なんだ?」
「学校は色々な設備がありますからね。例えばここでは、教室を居住スペース、体育館や特別教室を作業や教育のスペースにしています。屋上や花壇を菜園にしたり、プールで魚を養殖したりしています」
「要するに、可能性が山ほどあるわけだな」
「そういうことです」
さすがに地下にゾンビから逃れるための避難施設は無いらしいが、屋上に農業スペースと聞いて、稔は十字架も一緒に在るんじゃないかと勘ぐってしまった。そういう考えを咳払いして一掃した後、黒髪は赤髪とともにセキュリティポリスについて校門から正面玄関へ進み、職員用玄関の前に立つ。
「政府の施設担当の者ですが」
「承知しております。どうぞ、お入り下さい」
インターホンを鳴らして軽くセキュリティポリスが自己紹介する。だが、施設の職員が真っ先に視線を向かわせたのは、その女でなく稔の方だった。ものの数秒で通されたのは黒髪の力によるところも大きい。ガチャ、という音とともに施錠が解除されたので、ラクトがドアを開けてまず中に入った。稔、セキュリティポリスが続く。
縦一列に五段、横一列に十二段、靴を入れる場所が計六十個ある下駄箱が右手に見える。三人は使いやすい最上段のそれを使った。下駄箱は扉付きで、扉を開けると上下に区切られているのが分かる。上段にはスリッパが入っていて、三人は履いてきた靴を下段に入れるとスリッパと交換して履いた。
「お待ちしていました。生徒は体育館に整列させていますので、そちらへご案内します。スリッパのサイズは合っていますか?」
「大丈夫です」
「承知しました。では、こちらへ」
スーツ姿の良く似合う女性教諭に案内され、三人は体育館へ向かった。彼女の体つきはラクトと五十歩百歩で、男子受けが良くないはずがない。職員室の前を通り体育館に入ると、案の定その女性教諭は多くの男子生徒から視線を集めていた。チラ見からガン見まで、見方は多種多様だった。
セキュリティポリスは途中で列から外れ、稔とラクトだけが女性教諭に連れられて体育館前方中央に用意されていた校章入りテーブルの前に立つ。その女は笑顔で一礼すると二人の近くから離れ、体育館入口付近に設置されたスタンドマイクの前に移動した。呼吸を整えた後、彼女は司会の仕事をする。
「本日は、テレビで話題になっているお二人に本校へご来校頂きました。恐らく生徒の皆さんは既に担任教諭から聞かされていると思いますが、お二人は強制収容所の解放を掲げて戦ってこられた方々です。そして先のテレビ中継の通り、強制収容所の閉鎖が決定しました。お二人のご活躍により、本日をもって、この収容所から生徒の皆さんは卒業するのです」
生徒は「閉鎖」という言葉だと実感が沸かなかったようだが、「卒業」という言葉を聞いて始めて強制収容所の存亡がどうなるのかを理解した。そんな中、稔よりも身長の高い男子生徒一人が立った。そして、叫ぶ。
「帰れ! 僕達の学校をぶっ壊す悪は帰れ!」
教諭達は生徒の反乱を止めようとはしなかった。否、出来なかったのである。最初に立った男子生徒は生徒の代表――即ち生徒会長の座にある者らしく、彼が立ったのに続いて沢山の生徒が立ち上がったのだ。いつしか「帰れ!」という叫びは「かーえーれ!」というリズムを持ったコールに変わる。
そんな中、稔はシュッと立ち上がって深呼吸し、マイクを握った。前の方で立っていた生徒達は、自分達の「帰れ」コールに怒ったのではないかと体を震わせ、大声を上げるのをやめる。その波は後ろの方にも伝わり、三十秒足らずで体育館は静まり返った。一方の黒髪は、頭の中で即興の原稿を完成させると、それに従って言った。
「俺らはサテルデイタやフルンティで酷い目に遭った収容者達を見てきたから、ここもそういう場所なんだと思っていた。でも、実際は違った。ここは学校として成立していた。夢も、希望も、友情も、ちゃんとあった。もしお前らが『帰れ』と言うのなら、俺らは潔くこの場から去る」
教諭達に洗脳されている可能性は十二分にある。でも、収容者達は今まで見てきたその立場の中で唯一制服を着ていたし、首輪などの拘束具も当然着けられていなかったし、何より収容者達がやる気に満ち溢れていた。まだ本性を明かしていないだけなのかもしれないが、特別保護するべき度合いでもない。総合的に判断して、稔は生徒に選択を迫った。
「この学校に残りたい奴は、立て」
重々しい空気に押し潰され、立ちたくても立てない生徒もそれなりに居た。そんな状況を打破するために、嘆息を吐いて一人の生徒がその場に立つ。彼は嫌われ役になることに抵抗が無いらしい。体育館前方中央の稔が使っていたマイクを取ると、それを使って生徒達に自身の考えを打ち明けた。
「人権が剥奪された世界で生きることがそんなに楽しいか? 教師達がお前らに向けている笑顔が作り物だって気付かないのか? 俺の父さんは核実験で死んでいる。もう、こんな国で生きるのは懲り懲りだ。新天地で新しい職に就いたほうが絶対身のためだと思う。だから俺は、ここに残らない」
しかし、自己保身を重点においた発言は生徒会長の逆鱗に触れた。
「お前は何も分かっちゃいない! そうやって権利を拡大してきたせいでこうなったんだろうが! この世界にとって一番不要なのは、少数派のくせに大声で権利を主張する奴らなんだよ! 僕達は追い込まれても声を上げなかった。だから、自分で自分の首を絞めなくちゃいけなくなったんだ!」
大声を上げて自分の意見を主張する少数派が、自分の意見をあまり主張しない多数派を飲み込む。いつの間にか追い込まれていて、気が付いた時には手遅れだった。そういった過程を踏んで、現在のギレリアルが出来上がったのだという。しかし、生徒会長の話には主軸となることが無かった。
「その話のどこに、逃げちゃいけない理由があるんだ?」
「読み書きができても学がなければ他の国じゃ生きていけないじゃないか!」
「今の時代、人権を正しく保障している国には生存権がある」
「他人の金で飯を食べるつもりか!」
「何が悪い? 労働は義務の前に権利だ。権利を行使して何が悪い」
「この野郎……」
生徒会長は右拳を握ってイライラを表現した。今にも噴き出しそうだが、そこは生徒会長という役職上押さえつけなければならない。他方、生徒会長に唾を付けた生徒はまだ反論できそうな態度である。しかし、ここで稔が介入して無理やり論戦をやめさせた。喧嘩が起こってからでは遅い。
「さて、今の二人の意見を聞いて意見が変わった奴も居るだろう。迷ってしまった者も居るだろう。それでいい。だが、結論だけは導いてもらう。そのための時間を二分間だけ取る。周辺の奴らと自分達の今後について話し合え」
「てめえに口出しされる筋合いはねえ!」
しかし、稔が場を仕切ったことに対する批判は当然出た。割りとしっかりと鍛え上げられている肉体を持った男子生徒が前に出てきて大声を上げる。対する稔は冷静に対応した。返した言葉の中には嫌味成分も微量含ませておく。
「残念ながら、話の進行は俺に一任されている」
「そんなの知ったことか!」
「まあまず、落ち着け。話はそれからでもいいんだ」
「まだ分かんねえのか、お前。帰れよ! ここから出て行けよ!」
「そこまで帰らせたいのなら、強引に引きずり下ろせばいい」
「殴ってもいいんだな?」
「もちろん。ただ、殴るなら俺だけにしろ」
稔が頷いて言うと、生徒はすぐに手を出した。しかし、黒髪は軽々と攻撃を防いでいく。相手の手首を掴んだりして更に下へ来るのを防止したり、頭を下げるなど体を巧みに動かして相手の攻撃を振り切ったりしながら、攻撃をどんどん躱していった。そして、ついにラクトが攻撃対象になる。
「あーあ、稔にだけ攻撃しておけばよかったのにね」
「なっ……」
ラクトの頬めがけてパンチが繰り出された。しかし、赤髪は敏感に反応して攻撃を予測。すぐさま自分に向かってくる群衆の三列目くらいまで微弱な麻痺魔法で防御措置を加えた。収容者の体は鍛えられていたが、もちろん魔法に対する耐性なんてものはなかったので、攻撃によって座り込む者も現れる。
「攻撃するつもりはないんだけどな」
ラクトは嘆息を吐きながら言った。同頃、稔が自分に向かってきた生徒達を始末する。二人が掲げた正義の執行内容に傷を負わせるという文言は無いので、なるべく彼らの痛みが軽症な段階で生徒達の考え方を問うことにする。とはいえ、与えた二分間の猶予はまだ過ぎていないので、ひとまず休憩とした。
あれほど稔とラクトに「帰れ」コールを浴びせていた生徒会長の意見の支持者――要は施設に残りたい生徒はすっかり静かになり、ラクトの麻痺魔法を浴びて観念した者達は赤髪に魔法の解除を依頼し、隙を突いて反撃することもなく自分の定位置へと戻っていった。一方、会長はその場に残る。
「さて、二分が経過した訳だが」
黒髪がマイク越しに言うと、それまで周囲と話をしていた生徒達は一斉に口を閉じた。稔は体育館が静まり返ってから、マイクを持って机の前に出る。一度下を向いて呼吸を整えた後、彼は真正面を見ながら生徒に問うた。
「質問だ。この収容所から出て自由な生活を送りたい奴は、その場に立て」
生徒会長の意見に向かっていた生徒はもちろん起立した。そんな彼の意見を支持する者も少なからず居て、稔が質問を投げてから五秒、十秒、十五秒……と経つごとに体育館の左の方に座っていた者達が続々と立っていった。ラクト曰く、彼らは肉体労働に嫌悪感を示す系らしい。
「立たない奴は、ここで今後も過ごすということになるが……いいんだな?」
「僕はこの施設が好きだ。だから、僕はここから離れない」
「わかった。じゃあ、そろそろ締め切りといこう。生きる権利が認められた異国の地で働きたいという奴は、直ちに寮へ戻って身支度と持ち物の整理を行うこと。準備が完了したら講堂に集まれ。その後、空港へ向かう」
立ち上がった者達が一斉に自室へ戻っていく。直後、「友人が行くから」という理由で着いていこうとする者が多少現れた。他方、「友人を生かせるもんか」とわざとバランスを崩させたりする者も出てくる。施設を出ようとする者達がその勇姿を残留組に見せつける中、稔が握っていたマイクは先程の女性教諭に渡った。
「『ここに残る』という選択をしてくれて、本当にありがとう。教員一同、これからもよろしくお願いします。では、皆さんはこれから入浴時間となるので、調理班は夕食の準備を、それ以外の生徒は入浴場へ移動してください」
残る選択をした生徒が一斉に立ち上がり、体育館のギャラリー下にある入浴場へと向かっていく。入浴場は広さは銭湯と同じかそれ以上らしいが、生徒の人数を考慮して浴槽は広めに設計されているらしい。風呂の話をしていると、例の女性教諭が二人の方に近づいてきた。
「講堂の方で一通り準備が終わるまで十分から二十分は掛かると思いますし、もしでしたら、自慢の入浴場に入っていかれますか?」
「だってよ、ラクト」
「こっちに話題振るなっ!」
「……そういうことらしいから、講堂に行く。もちろん手伝いはきちんとする」
「ありがとうございます。では、ご案内致します」
ラクトが少し顔を赤くしながら猛烈に拒否反応を示したので、稔は「可愛いなあ」と思いながら女性教諭の提案を蹴った。その代わり、教諭達の手伝いをさせてもらうことにする。案内役の女性教諭は快諾してくれて、すぐに稔達は体育館から出て、講堂へ向かった。
「あれ、俺らのセキュリティポリスは――」
「既に講堂へ向かっています」
「そうか」
セキュリティポリスは先に行ったらしい。要人警護の観点から言えば待機しているべきだが、稔もラクトも襲い掛かってきた悪人に反撃を喰らわすには十分な能力を有している。防衛の必要性が無くなったと感じれば、自分が先に動いてレクチャー出来るようにしておいたほうが良いと考えるのは、そこまで特異でもない。
家庭科室の前を通り、教室棟へと続く通路を越え、理科関係の研究室の前を通って、突き当りの玄関で横に曲がる。左手に下駄箱が見えなくなるとトイレが見えて、さらにそれが見えなくなると職員用の更衣室が見えた。それらの部屋を通過すると左手には階段が見える。
「本来は上階席に生徒を呼ぶのですが、今回は一階に生徒を呼ぶことにします」
「連絡とかしてないが――」
「私達のことを見れば、一階に降りるべきなのだと気付くでしょう」
「なるほど」
三人は階段を通過して扉をくぐった。二人の前から消えたセキュリティポリスが講堂で他の教諭と共に生徒名簿の確認をしているのを見て、稔とラクトはひと安心する。彼らは女性教諭とともに講堂のステージ前へと進み、収容者が戻ってくるのを待った。
生徒は徐々に徐々に集まり始め、女性教諭が言ったとおり講堂への移動を開始して十五分後くらいに全員が集合、名簿確認が終わった。マイクが準備されていなかったので、稔は声を張って空港への移動方法を説明する。教諭達を講堂の壁際に移動させた後、黒髪は収容所から出ようとする生徒を囲うようにバリアを展開し、いつもの通りテレポートを宣言した。
生徒らは沢山の教員に拍手を受けつつ空港へと向かう。空港に着いた後、稔達三人は彼らの搭乗便のチケット配布まで行って、パルパの西にある収容所へと向かった。




