5-1 強制収容所の解放 #1
高速道路に乗ってから一時間くらい経過した頃、二人を乗せた公用車はサテルデイタ近郊の都市の最寄りインターチェンジで高速道路を下りた。最初の信号機で右折した後、さらに曲がってから最初の信号機で左折し、最初の住宅街を貫くような市道に入る。
「こんなところに収容所があるのか……」
閑静な住宅街にある街灯が照らすべきではない黒光りの車は、物静かな音を立てながら車一台通るのがやっとなような道を進んでいく。五分くらい住宅街を彷徨うように進んだ後、公用車はある民家の前で止まった。でも、建物の明かりは皆無で、そこに人は住んでいなさそうな民家だった。
「着きました。これから、収容所の解放を行います。車から出て下さい」
「ここが、収容所……?」
「ああ。ここが、北サテルデイタ強制収容所だよ」
稔とラクトが地震が起きる前に収容所を襲撃した際も、閑静な住宅街の中にあった。その時は公園という安全地帯があったが、今回来た収容所の周囲に緑地は一切ない。あるのは家、家、家、家しかない。でも、助手席の女が言うことを運転手の女が補足したということは、間違いないのであろう。
「でも、どう見ても普通の民家な気が……」
「見かけだけで判断するからダメなんだ。中に入れば、すぐに気づくはずだよ」
それでも稔は民家としか思えなかった。しかし、中に強制収容所があることを知っている運転手は、何度も目の前にある民家らしき建物が人権侵害の舞台であることを主張する。そんな中、後部座席に乗っていた二人と一緒に車から下りた助手席の女が咳払いした。
「真偽は見れば分かります! ここで待っていても何も始まらないじゃないですか! 話をやめて、中へさっさと入りましょう!」
助手席の女――もとい、セキュリティポリスは、そう言って稔とラクトの手を掴んだ。二人とも突然の行動に驚いて一時的に踏ん張ったが、建物内に行くことに対する抵抗はしない。助手席に乗っていた女は安心して二人と手を離すと、黒髪と赤髪の後ろについた。
「インターホンを押してください」
稔はセキュリティポリスから指示を受け、民家にしか見えない建物のインターホンを押す。系列局の少ないテレビ局の系列を除きほぼ全てのテレビ局の系列で中継されたことによって、稔とラクトの顔はギレリアル国民の大多数が知っているものになっていた。無論、二人はすぐに通される。
でも、中に入っても在り来りな民家であることに変わりはなかった。玄関のドアを開けると斜め左に上階へと続く階段が見えたが、地下に続く階段のようなものは見受けられない。それに、廊下や部屋と通路を隔てる扉だってよく見るようなものばかりだ。
「右の通路を少し進むと、その階段の裏に地下へと続く階段があります」
「上階へ続く階段はカモフラージュだったのか……」
階段下に倉庫があるような例は多々あるが、上階へと続く道と平行な場所に下階へ続く道があるという例はあまり見受けられない。例えばデパート等でエスカレーターが平行している例はあるが、その場合、上に向かうものと下に向かうものが平行している場合が多く、一方通行なため、乗り換えできない例がほとんどだ。
「『倉庫』……?」
三人は履いていた靴を脱ぐとそれを持ち、セキュリティポリスの指示を受けて階段右側の通路を進んでいく。ものの数秒で、稔は怪しげな部屋を発見した。一般家庭には不釣り合いな暗証キー入力装置がドア横にあったのである。でも、その上には『WAREHOUSE』すなわち『倉庫』とプレートが貼ってある。
「そのドアを開けて進んで下さい。靴を履いて下さい」
「わかった」
稔はそう言うと、ガチャ、という音を立ててドアを自分の方に引いた。目の前にはタイル九枚が正方形状に敷き詰められた場所が見える。横に視線をやると階段が続いていて、左右に交互に設置された電灯が物騒な感じを醸し出していた。正方形状の場所に自分の靴を置き、履いて、三人は下階へ続く階段を進んでいく。
民家の中にコンクリート製の階段は長かった。地下空間に貯蔵庫機能を持たせる場合は一階のすぐ真下に作るのが一般的であるが、その階段は民家の土台部分のコンクリートの直下ではなく、さらに二十メートルくらい地下に進んだところまで繋がっていた。無論、踊り場の数も相当な数に上る。
「……着いたか?」
階段を下り始めて二分くらいが経過した頃、ついに踊り場ではない下階と同位置の場所が見えた。そこに下りてみると、遂にさらに下階へと続く階段が途絶えているのが確認できる。また、目の前に赤色の重そうな扉があるのも確認できた。また、開かない左右のドアのうち右側に、暗証キー入力装置が設置されている。
「少々お待ち下さい」
そう言うと、セキュリティポリスは一歩前に出て暗証キー入力装置に数字を入力していった。数字は数字として一瞬だけ表示されたが、一秒足らずでアスタリスクに変わる。セキュリティポリスが十文字の暗証キーを入力し終えエンターキーを押すと、入力装置は青色に光った。そこに『CLEAR』と表示されてすぐ、赤い扉が開く。
「ここが、収容所――」
稔とラクトが二日前に襲撃した収容所とは構造が違っていた。受付で働く従業員が着ている制服などはその時と同じ物だったが、監禁場所はさらに下階ではなく同階にあるらしい。セキュリティポリスの指示のもと、三人は上から吊り下げられているプレートに従って進んでいった。従業員と会う度頭を下げられるのは、なんだか居た堪れない。
受付を進み、三人は交差点となっていた場所を左に進んでいく。その前方方向にはトイレがあったが、性別を示すプレートはなく、男子禁制の軍隊に所属していた稔とラクト――後者は男子ではないのだけれども、それはそうとして、二人はそれが何を示すのか理解していた。女性しか居ないから、性別を表記する必要が無いのである。
でも、収容所に匿われているからといって、まともに用すら足せないほどではなかった。交差点を左に進んでいくとさらに前左右の三方向に分岐する交差点があったのだが、直進する通路の左右に男性用トイレがあったのである。大聖堂を出てから一時間経っているということもあり、セキュリティポリスがこんなことを言う。
「どうされますか? トイレ、行かれますか? 基地にトイレはありますけど女性専用ですし、ヘリにトイレはありませんから――」
「わかった。じゃ、少し待っていてくれ」
「ちょ……」
稔はセキュリティポリスにトイレの外で待っているよう言うと、ラクトの手を強引に引っ張ってトイレの中へ消えていった。しかし、被支配者にもトイレがあるのだと感心していたのも束の間。小便器が横に羅列された稔からすれば見慣れた光景を目にした時、白い便器が黄ばんでいたりドアの一部や半分が破壊されていたりと、整備が行き届いていないのが見て取れた。
「稔。いつまで私の手首を掴んでるつもりなの?」
「ごめん」
「いいよ。……そんなことより、どの個室もボロボロなんだけど」
「小便器使えばいいじゃん」
「私には使えないよ! ……だから、バリア張って。消音するから」
「仮設トイレで音消し装置をバカにした奴が言う台詞とは思えないな」
「うるさい!」
稔はニヤニヤしながらラクトのほうを見た。赤髪は股間に手を当てるような仕草を取っていないが、それはその行動をはしたないと思っているからに過ぎず、限界に限りなく近いところにあるらしい。黒髪は弱っている彼女の姿を見てさらにいじめたくなったが、相手の立場になって考えた時、泣かれても仕方ないと思い、即座にラクトの周りにバリアを展開した。
「……ありがと」
少し顔を赤く染めた状態でラクトから感謝の言葉を言われ、稔はドキッとしてしまった。レストランの時と同じように、彼女の恥ずかしがる姿を見てさらにいじめようとした自分を責めると、黒髪はやるべきことをした。ラクトより早く済ませられるのは言うまでもないので、稔は、手を洗ってハンカチで拭いた後、手洗い場の近くで待っていることにする。
一分くらいして個室からラクトが出てきた。彼女は顔を真っ赤にしている。理由は単純だ。水を流した時に発生する音が尋常では無いほどの大きさだったのである。赤髪は稔のほうを見ないようにしながら手洗い場で手を洗い、トイレから出ようとしたが、当然黒髪に止められた。
「らしくねえな。音くらいで恥ずかしがってんじゃねえよ」
「恥ずかしいものは恥ずかしいんだよ。仕方ないじゃん……」
「可愛いやつめ」
「頬をつねるな!」
ラクトの左右の頬をそれぞれ対称の方向に引っ張り、稔は赤髪が照れた様子を楽しむ。可愛い反応に思わず時間を忘れてしまいそうになるが、始めて三十秒くらいが経過した頃、黒髪はほんの僅かに残っていた理性で歯止めを掛けた。咳払いした後、稔は彼女の手を取って言う。
「作業はこれからだぞ」
「そうだね」
惚気けた態度を取っていた彼氏とは別人に見えるくらいの変わりようだが、ラクトは、本来の稔がこんな感じだということを良く知っていた。顔の紅潮を抑えると赤髪は黒髪の言ったことに一言返して、彼氏の先導に従って付いて行く。トイレを出ると、若干怒った表情のセキュリティポリスが居た。
「男性にしては長くないでしょうか。三分も掛かっていますよ」
「申し訳ない」
「まあいいです。他人がどのようにトイレを利用しているかを探る趣味なんてありませんから。そんなことより、解放です。早く仕事を片付けましょう」
「ああ」
「では、右に曲がって進んでください」
トイレを済ませた後も、稔とラクトはセキュリティポリスの指示に従って行動した。方向は全てトイレに入る前と逆の向きになっていたが、計画に変更はなく、三人は元の計画で決められた道順で通路を進んでいく。途中、セキュリティポリスが両手を叩いて「あっ!」と言った。
「忘れていました。お二人に、マスターキーを渡しておきます」
「マスターキー?」
「監獄の施錠はまだ解除されていないんですよ」
施設で働く従業員は稔達の解放作業に抵抗しない様子を見せていたが、監獄の檻は下ろされたままだった。セキュリティポリス曰く、ニコルが政府と稔達とのバトルを取り付けた時点で決まっていたそうだ。行政が勝手に介入すると事実を隠蔽するかもしれないから、というのが理由らしい。
「借り物ですから、無くさないでくださいね」
「もちろん」
「無くしたら、お二人が築き上げた『被支配者解放』の夢が無くなりますよ」
「……かけているのか?」
「そういうわけではありません」
セキュリティポリスが本当に発した台詞を意訳前のものに戻すと、『If you lose the key, you'll lose a dream made by you guys, "emancipation of slave".』となり、『なくす』という意味の語句は『lose』しかなく、言葉をかけているわけではないと分かる。
「下らない会話をしていると、時間はとっくに流れてしまいます。早くしてください」
「ごめんごめん」
セキュリティポリスの顔から怒りを窺うのが容易になってきたので、稔は軽く謝って立ち止まっていた場所から前へと進んでいく。三十度くらいの曲がり角を右へ進むと、ついに監禁施設が見えてきた。檻には銅製のプレートが掛けられていて、そこの上には部屋番号を示す数字が、下には監禁されている者の名前が書かれている。
「三桁か……」
プレートの部屋番号を示す欄に「001」とあったのを見て、稔は思わず口から思ったことをこぼしてしまった。欠番がある可能性は否定できないが、少なく見積もっても百名程度はここに居ると考えられる。でも、そんなことは今どうでもよかった。考えることよりも先に、しなければならないことがある。
「あなたは今日から自由の身です」
「ありがとう、ございます……」
檻の施錠を解除して開閉部を開ける。顔を出して稔が助けに来た旨を告げると、収容されていた男性は大粒の涙を流して感謝の気持ちを言葉にした。ボロボロの白い服を来ている彼の体の至る所には、痣が見受けられる。監禁されている間に実験の被験体にされたのだろう。
「助けに来ました」
「やっと、外の世界に出れるんですね……」
稔の後ろでも、同じように解放計画に沿って作業が行われていた。ラクトが助けに来た旨を告げるやいなや、収容されていた男性は咄嗟に立ち上がって彼女のほうに近づいて抱擁を求める。だが、赤髪は見ず知らずの男を抱きしめるほどビッチではない。被支配者を慰めるために背中を撫ではしたが、抱きしめることはしなかった。
「ふと疑問に思ったんだが、……この後どうやって地上まで連れて行くんだ?」
「テレポートを使って下さい。大人数を運べるそうなので」
「でも、ひとまとまりにする必要があるぞ?」
「受付近くの広場であれば、二百名くらい整列させることができます」
「なるほど。じゃあ、後でそこに連れて行こう」
一つの場所に誘導する際、その人数が三桁に及ぶ集団にもなると、一人ずつその場所へ連れて行くとなると面倒くさい上、体力や魔力の消費量が移動回数に比例して増えていくことになる。唯でさえ疲労が溜まっている今、そのような愚策を取るわけにはいかなかった。
「後でまた呼ぶので、身支度をして待っていてください」
「わかりました」
稔の考えを尊重したラクトは抱擁を解くと、檻の施錠を解除したまま監禁部屋を去った。黒髪は赤髪がとった行動をそっくりそのまま実践し、道順に従って次なる監禁部屋へと向かう。鍵を開け、名乗り、身支度を済ませておくように言うという単純な作業が、それから十分にわたって続けられた。
通路の最奥の部屋まで檻の施錠を解除すると、稔とラクトは声を揃えて叫んだ。収容者の中にはびっくりして腰を抜かす一歩手前まで追い詰められた男性も居たが、そのほとんどは二人の「後で呼ぶ」ということを頭の片隅に置いていたから、びっくりしたものの、彼らの行動に批判的な言動をとる者は誰一人として居なかった。
「一号室の方を先頭に、整列してください」
ラクトが後ろから指示を出すと、稔は出てきた収容者たちを前にならえさせて並ばせていった。同頃、セキュリティポリスが一号室で監禁されていた男性に挙手を指示する。少しして、二号室以降の監禁の対象者に前へつめるように言った。女性恐怖症を発症していた彼らは、セキュリティポリスに何かされるのではないかと思って、抵抗せずに指示を呑んで従う。
その頃、稔は通路の左側を、ラクトは通路の右側を通って前の方に向かっていた。理由は単純だ。大幅に列が前に動いたためである。二人は最後尾の人が動いた地点まで来ると足を止めて、セキュリティポリスの指示を仰いだ。
「これから場所を移動します。そこで今度は、一列につき二十人の列を作ってください」
セキュリティポリスの後ろに総勢二百名ほどが一列になっている。三十度のカーブを曲がり、トイレのある交差点を右折し、受付と反対の方向にある広場まで向かった。セキュリティポリスが立ち止まると、恐怖心から先程聞いた内容を思い出し、収容者達は一列二十人の列をなす。
「どこに連れて行けばいい?」
「サテルデイタ空港の会議室に政府職員を派遣しています。三百人収容可能ですから、そちらに連れて行って下さい」
「わかった」
「あと、ニューレ・イドーラ行の臨時便は三便を予定しています。これから同じことを五回繰り返しますが、いずれも十二分程度で終わらせて下さい」
「了解」
セキュリティポリスの注意を理解した旨の発言をすると、稔は自分の分身を一体作った。分身と本体の間で何をしなければならないのか確認した後、二百人全員を飛行機に乗せたら帰って来いと指示する。間もなく、彼の分身は収容者二百人を覆うバリアを展開して、空港へと向かった。
「次は直進方向に進みます」
解放作戦はまだまだ続く。




