1-37 市民会館の会議室での会談。
会議室準備室から廊下と繋がるような戸は無い。出入口は、会議室の方向への扉一つだけだった。つまり、繋がっていたのは会議室方面ただひとつ。
そんな事実を確認した後、稔はラクトに言った。
「椅子とかに当たると音がするから、変な行動取るなよ?」
「ご主人様は何なんだよー。私がそんなに信用できないの?」
「信用はしてるけど、念のためだ。念のため。――何せ、召喚陣から召使を出して指揮を執るよりも、お前を指揮したほうが時間短縮になるしな。……まあ、闘いなんざ起きないのが一番いいんだが」
そんなことを言いながら、稔はリートを待つ。スディーラを待つ。
……のだが。待っていたのは確かだったが、稔は大変なことに気がついた。
「ちょっと待て。鍵掛かってないか?」
テレポートしてきて、暗い部屋に来て。目の前に居る召使は女の子で。それなのに、鍵が掛かっているのである。部屋と部屋を区切るための壁を壊せば音が出るし、ドアを叩いても音が出る。テレポートが出来るとはいえ、まだリートは来ていない。
「ホ、ホントだ……」
「お前、狙ったわけじゃないよな?」
「なっ、なんでそうなるのさっ? テレポート先に此処を選んだのは、会議準備室が一番会議室に近くて、人が誰も居ないからってことでなんだよ。心を覗いた時、対象の人は言ってなかったから、責められても……」
「そうなのか……」
ラクトの言葉は嘘ではなかった。彼女の本心が、そのまま言葉に現れていたのだ。
稔も、ラクトの言葉を嘘だとは思いたくなかった。けれど、嘘ではないと彼は確信した。理由は表情だ。ラクトの顔に、笑みだとかは無い。しょんぼりした表情を浮かばせている。
「取り敢えず、リートが入ってきたらテレポートな」
「でも、突然黒服の人間が入ってきたりしたら、流石に――」
「そ、それは……」
不審者に見えてしまうというラクトの意見は、稔も反論しようにも出来ない意見だった。顔を隠していないので、防犯カメラに映ることは確かだ。それこそ、厳重警備の中で見たことのない、告げられていない面子が現れたなら、怖くならない方がおかしい。
「どうすれば……」
暗い部屋には、防犯カメラといったものはなかった。故に、不審者だとかに悪用されがちな場所だった。リートとリートをボン・クローネに呼んだ張本人との会話で、何故この場所を使用することになったのか、稔はとても疑問に思った。
しかし、防犯カメラが無いことに気がついたのは稔るだけではなかった。心の中で思えば、それは目の前の召使に伝わってしまう。故意にしたわけではなくても、偶然読んでしまった時と重なれば伝わってしまう。
「稔、カメラが無いことを気にしてる?」
「いや、別にそういうわけじゃ……」
「暗い部屋、同じ年齢の男女が二人きり、物音を立てれば周囲の関係者各位にバレてしまう――」
「お前、変なことするなよ?」
「それは私のセリフだよ」
ラクトは次第に笑顔になっていったのだが、笑い声は浮かばせなかった。そんな声、出せば途端に周囲が気づく。「不審者は御用!」などと言われて警察署送りになる末路すら、稔の脳裏に浮かぶ。
しかし、出さなくても気づかれてしまった。
「え……?」
「あ――」
暗い部屋に、一筋の光が差し込んだ。それは、最初細かったのだが、どんどん太くなっていった。けれど、それは太陽の光というわけではない。会議室、天井に取り付けられた蛍光灯から発せられた光だ。
「男と女が……っ!」
「ご、誤解しないでくれ!」
しかし、開かれた扉を早く戻さなければリートとスディーラが入ってくる。可能性は一〇〇では無いが、マスコミだってドアの目の前までついてくる可能性があるから、奴らに準備室の存在を知られかねない。
そんな心配も然ることながら、もう一つ、策を講じねばならない問題が生じる。
「あ、貴方達はなんなのですの……?」
「こ、声が大きいです! えっと、俺はこのエルフィリアの国民達の権利を全て持っている身でして、リート女王陛下がこちらへ来るということで、関係者から来るように言われまして――」
「きゅっ、急すぎるわよ! 全く、もう少し良い対応できないのかしら」
「む、無理ですよ! 俺、今日エルフィリアに来たばかりで、なのに将来有望とか言われて――」
「……詳しく、説明して頂けるかしら?」
金髪の女性は自分が誰であるか、何であるか、そういった事は明かさなかった。彼女の服装は、図書館で見た第七の騎士の服装でも無かった。しかし彼女が別人だとは考えられない。
「――すいません、先にドアを閉めてもらえませんか?」
「か、構わないわよ」
ドアを閉めれば出られないにもかかわらず、金髪の女性はドアを閉めた。暗い部屋であり、光は全くと言っていいほど入らない。そのため、ドアだってガラスが付けられていない。
「く、暗いわね……。鍵は閉めなくていいわよね?」
「あ、はい。大丈夫です」
金髪の女性はスーツ姿だった。ただ、ラクトとは違ってネクタイはしていなかった。また、黒色のスーツというわけではなく、灰色やねずみ色に近い色だった。そして、スラックスではなくてラップスカートを履いていた。こちらも灰色やねずみ色に近い色だ。
「それで、話してもらってよろしくて?」
「はい。……えっと、わかりますかね、『日本』って国」
「唐突ですわね。――ええ、わかりますわ。そもそも、私も日本から来た身ですもの」
「そっ、そうなんですか?」
「そうよ。大体一年位前にこっちに来たわ」
日本から来たと話す金髪の女性だが、どう見ても日本人ばなれしている。欧米人と言うべき顔だ。――しかし彼女の日本語はとても流暢で、外国人だとは思えない。
「……に、日本人ですか?」
「失敬な……。私は日本人ですわ。エルフィリアでは外来人と呼ばれておりますけれど、私の国籍は元々日本国ですの。父親も母親も、どちらも日本人ですの」
「えっ――」
突然変異で金髪になることは出来ない問題ではない。けれど、それはごく僅かの可能性を持っているだけであって、殆どの日本人夫婦から金髪の美女が生まれてくるはずがない。
「ふふふ、騙されましたね……。日本人と言っても、どちらとも日本国籍を取得した欧米人ですわ。父親がアメリカ人、母親がドイツ人で、どちらとも国籍を失って帰化して日本人になりましたの。そして、私は日本で生まれた為に日本人、というわけですわ」
突然変異、というわけではなかった。金髪の女性の父親は日本人だが、生まれはアメリカ。一方の母親も、生まれはドイツだけど国籍は日本。二人とも二○歳を迎えて日本に興味を持ち始め、国が示している滞在期間を日本で過ごし、帰化し、結婚し、稔の目の前の金髪の女性を産んだのである。
「まあ、日本語が流暢なのは母国語が日本語な為ですわ」
「では、英語だとかが話せないのですか?」
「違いますわ。私、英語は話せますの。ドイツ語も一応は話せますわ」
「す、凄い……」
ラクトはポカーンとしていた。彼女はエルダレア……大陸で言えばマドーロムの住民だったのだ。故に、稔や金髪の女性が住んでいた大陸……ではなく、極東の島国とは違う場所に住んでいるのである。
「あの、神風さん!」
「なっ、なんで名前を知っていますの?」
「神風織桜さんですよね! 知ってます!」
「……」
突如、ラクトが元気を出した。稔もその豹変ぶりには驚くしか無かったが、これは稔への苛立ちの表しである。「お前らばっかり会話で盛り上がってんじゃねえよ」というような、そういう感情が働いたために起こったのだ。
「第七の騎士で、ボン・クローネの市長で、王国の世界遺産を管理する会の委員長で――」
「……」
「アマテラスを召使にしてる、金髪の貧乳美女! 特別魔法は三つ!」
そう言って、笑顔で言うラクト。しかし、爆弾が混ざっていたことには織桜も反応を示す。その反応は冷酷な目というまではいかなかったが、どう見ても感情を押さえつけている。
「今、最後の方にに一つ、不要な言葉が混ざっていた気がするのですけど――気のせいかしら?」
「何か、余計な言葉とか混ざってましたかね?」
「最後に、お前は私を『金髪の貧乳美女』と罵っただろ……? 言い逃れすんのか?」
「えっ……」
お嬢様風の言葉遣いだったのにもかかわらず、一変した。闘おうとしている目、言葉遣い、それがそこには有ったのだ。流石、失われた七人の騎士の一人だけは有る。
「私は貧乳なんかじゃねえんだよ。パッドだって入れてねえんだよ」
「じゃ、証拠をお願いします! 脱いで下さい!」
「てめぇぶ○殺すぞ! マザーファ○ク!」
生放送で放送したとすれば、放送局に多大なクレームが行くのは間違いない言葉。それを、織桜は堂々と言い放った。……しかしながら、本当にその言葉の通りの行動をラクトがしたならば、ラクトが『同性愛者』という解釈になってしまいかねない。
「まあまあ、いいじゃないですか~……。騎士だからって強情なのはどうかと思いますよ~?」
「うっせえな。堪忍袋の緒が切れたんだよッ!」
織桜の怒鳴り声。当然、ここは会議室準備室。周囲にマスコミが居るわけで、バレてしまう可能性に稔は背筋を凍らす。
「ストレスに対する耐性、悪口に関する許容範囲……。小さいと、小さい男の人としかめぐり逢えませんよ?」
「何いってんだお前!」
「小さい男の人っていうのは、何も深い意味じゃないよ? ……ご主人様、変なこと考えた?」
「……」
稔の考えたことは言うまでもなく、身長に関することではなかった。では何を考えたのかというと、それはアダルティな事になってしまうので、言おうにも言えない。
「あっ……」
「ど、どうした?」
「やばい、リートとスディーラが来る……」
「分かった。……んじゃ、俺らも会議室入りますか」
織桜は声を上げることはなかった。理由は単純で、ラクトへの苛立ちを未だに抱えていたからである。稔は「貧乳くらいでコンプレックスを抱くんだろうか……」と考えてしまったが、男で言えばそれは、股間部のアレの大きさの話であるため、それを考えた時にはもう、何も口から発することは出来なかった。
会議室。リートとスディーラはまだ入ってきてはいない。しかし、足音は聞こえる。リートが、スディーラが、ボン・クローネ市内の大通りを通ってこの会場まで来て、そして今。この部屋の直ぐ目の前まで来ているのだ。
稔は、ネクタイの結び目を整える仕草を取った。だが、稔のネクタイの結び目はラクトがしっかりとしてくれた為に、結び目を整える必要はなかった。もちろんこれは、稔が緊張を抑えるためにしただけである。
刹那。
「――陛下が御出座しになります――」
スディーラの声だった。会議室の部屋の戸が開いて、向こうにはマスコミの姿。カメラのシャッター音が鳴るが、それでも稔とラクトは不審者とは思われなかった。
テレビ関係者として建物の中に入ってしまったことも有り、バレそうになってしまう可能性も否定できなかったが、彼らは稔とラクトがそんなことをしていたということを認識しておらず、最悪の事態は免れた。
「……」
リートの姿が、そこには有った。ドレスを着た一国の王女としてのリート。そして、後方にはスディーラ。スーツを着ている、秘書仕事を執り行う者としての姿。スラックスを着ていてネクタイもしているので、大体ラクトと同じくらいだ。
「ようこそ、ボン・クローネ市へお越しくださいました」
「こちらこそ、お久しぶりです。神風市長」
挨拶が交わされた後、マスコミが部屋の中へ入ろうとするのを断つように、スディーラが会議室と廊下との間の中の戸を閉めた。エルフィリアのマスコミは酷く陛下の関係者に従順で、スディーラの取った行動に反抗するものは現れなかった。
「まあ、お座り下さいませ」
「ええ」
織桜とリートとの会談が始まった。そもそも、ボン・クローネ市での会談は、王女が市長を訪問することを目的として計画された企画である。稔がエルフィリアに転生してくる前から、決まっていた計画なのだ。
「稔さん、一時間ぶりですね」
「ああ、そうだな……。スディーラは、それは秘書か?」
「そう、僕は秘書だよ。さっきまでは秘書候補だったんだけども、リートから正式に秘書としての称号を貰ったからね」
「へえ」
この一時間の間で、様々なことが進展したのだ。話し合いはまだ始まっていないが、リートもスディーラも、稔が初めて会った時とは違う印象を受けるくらいだ。
「お茶をご用意致します、陛下」
「よろしく頼みます」
スディーラが積極的な行動を取り、リートと織桜へお茶を提供する。部屋の中央の机の上に湯呑みが置かれ、その中に黒色の液体が注がれていく。ちなみに、液体の正体はコーヒーだ。
「神風市長。貴方に一つ、お願いがあるのです」
「なんでしょうか?」
「貴方を王国軍初の女性司令官として、王女より任命させていただきます」
「私を、司令官……?」
「はい、その通りです」
リートの言っていることは即ち、エルフィリア王国の軍部の大将になれということだ。しかし、織桜の顔立ちを見てみても、その顔が該当する年齢からして有り得ない。
「ですが、王女陛下? 王国の軍部の大将になるというのは王宮へ行くということになって、ボン・クローネの市役所から抜けなければならないということかと思うのですが」
「いえ、大丈夫です。貴方は任期まで市長の職を全うして下さい。貴方の名前が欲しいのです」
「私の……名前……」
王国軍の最高地位に値するのは、王国の王だ。エルフィリア帝国の帝王の血を受け継いでいる者だ。そしてそれは、『男性』である。エルフィリア王国は男系の王しか認めていないため、正式にはエルフィリア王国の王はリートの兄だ。しかし、彼は拉致された。そのため、実質の王はリートだ。
「あの、陛下」
「なんでしょうか?」
「その、そちらの外来人を軍の大将にするというのは駄目なんでしょうか?」
稔は一応、エルフィリア王国の権利をリートから譲渡された男だ。将来を見据え、リートから貰ったその称号が有るのだから、軍部の大将になるのは相応しく無いとは言いがたい。
しかし、リートは言い放った。
「彼は、エルフィリア王国に来てからまだ一日も経過していないのです。一方の貴方は、それなりにエルフィリアを知っているでしょう。まだ早すぎるかもしれませんが、現実世界の技術を活かしながら王国を再建する協力をして欲しいのです」
「……」
エルフィリア王国の実質の王はリートだ。そして、そのリートからエルフィリアの全権利を掌握しているのが稔である。そして、アドバイザーのような立ち位置に居るのが織桜なのだ。
「気にされているようですが、ボン・クローネ市とニューレ・イドーラ市は離れていますけれど、気にする心配は無いです。何しろ、稔さんは『テレポート』の使い手ですからね。刹那にボン・クローネまで王都から移動することができるので、心配は不要です」
「ということは、私がこちらで市長としての公務を行うことは気にせずとも大丈夫……ということですか?」
「ええ、先程からそう言っていますよ」
飛行魔法を使ったとしても、テレポートのスピードに比べれば速度は落ちるし、当然目的地まで行くためにも様々な制限が伴ったりするので、そういうことを考慮すると稔は非常に有用な人材だった。
ただ、リートの言っていることは、まるで稔を鳥のように考えているかのようだった。
「陛下、分かりました。名前だけお貸し致します……」
言って織桜は、自身がエルフィリア王国軍の『大将』の座につくことを、王女の前で容認した。




