4-86 解析データ
蒼龍王アブソリュート・シャワーを撃破した後は、何事もなくただ順調に時間が過ぎていった。雷が轟くこともなければ警備担当者が倒れることもなく、地震が起こることも無ければ津波なんか起こるはずがなく。現行犯逮捕案件になるような出来事だってなかったから、撃破後の一時間半は、とても平和だった。
午前三時を回り、予定表に書かれていた通りに第二小隊の隊長が旧新聞社の建物内から出てくる。弥乃梨とラクトが入浴と夕食の時間を前倒ししたことが功を奏したようでその顔に眠気は見えない。彼女曰く、精神的にこそ不安定になる内容だが、肉体的疲労が少なかったため、元気でいられるのだと言う。
「ところで、三時間の間で何か事件等はありましたか?」
「龍王と呼ばれる存在が攻めてきたから、これを撃破した。他は特に何も起こらなかったぞ」
「わかりました。では、万が一の際は弥乃梨さんに真っ先に応援を求めますね」
状況の報告を求められた弥乃梨は、取り敢えず簡潔に話した。結論を最初に持ってくるのは常識である。第二小隊の隊長は偽りの黒髪の説明を聞いて特に質問がない感じだったが、最後の一文が引っかかった第一小隊の隊長が彼女に問うた。
「……龍王ってそんなに強い存在なのか?」
「もちろんです。龍王の強さは龍族のトップスリーに値するんですよ。それに、科学と魔法の融合ってなんだか面白そうで強そうじゃないですか」
「個人的主観かよ。まあ、頼まれたらそれに応じることに変わりはないが」
「ありがとうございます。では、四時間、お休みください」
第一小隊の小隊長は柔和な表情を見せると、優しい声で弥乃梨に言った。一方、偽りの黒髪は彼女に背を向けて二階へと上っていく。彼は無言で進んでいったが、心の中では間近に迫った就寝について考えていた。今日一日の激務を思い返していた。そんなこともあって、階段で障害物とぶつかってしまう。
「ん? こんなところに壁なんかあったか?」
弥乃梨は色々と考えていたこともあって、下を向いて階段を進んでいたようだ。上や左右に視線を集中させていると段差にぶつかってしまうこともあるが、下ならそういう心配がない。しかも彼は、意図的ではなく本能的にやっていた。もっとも、障害物に当たったのは意図的なものでない。
「悪い、サタン。お前だと気づいて言った訳じゃないんだ。許してくれ」
「見損ないました。紫姫さんも何か言ってください」
「我は失言だとは思わないぞ。アメジストは常にラクトと行動しているわけで、彼の目に狂いが生じるのも何らおかしいことではあるまい」
紫姫はサタンも弥乃梨も敵に回した。最初こそ偽りの黒髪に同情していたが、後半は明らかに彼を批判している。二極化ではなく三極化になったのだ。回答を求めた精霊罪源は不満気な顔を浮かばせていたが、すぐに咳払いして本題に移る。これについての話を深めても何も生まないと考えたのだと言う。
「まあいいです。話があるのでついてきてください」
「調査結果か?」
「話が早くて助かります。でも、それに関する情報は向こうで話します」
第一小隊のメンバー全員が仲良く過ごせているのは事実だったが、情報管理の面では、弥乃梨派とエディット派で大きな隔たりがあった。偽りの黒髪は、やはり一日で出来ることには限界があるものなのだと痛感する。同頃、紫姫が魂石に戻る旨を二人に告げた。どちらも拒まなかったため、彼女は帰還する。
サタンが案内したのは三階の一室だった。階段を上って左折し、まっすぐ進んでいった先にある突き当りの部屋で、新聞社の本社機能が移転する前までは印刷室として使用していたらしい。当時の面影はとっくに昔のものとなっていたが、部屋の前には印刷用紙が貼られていて、『印刷室』とある。
部屋の中に入ると、中央に漫画喫茶で見た物と五十歩百歩なちゃぶ台が置いてあった。上にはパソコンがあり、周りには座布団が三つ均等な位置に置いてある。パソコンの前の座布団には、既にアイテイルが座っていた。部屋のドアを閉めて施錠すると、サタンが入口から見て左側のカーテン前に座る。
「この設備は元からあったものじゃないよな?」
「全て私の魔法によるものです。書類の作成はラクトさんの担当です」
「あいつ、また睡眠時間削ったのか。てか、今どこに――」
「カーテンの向こうで寝てますよ。書類作成終了直後にばたんきゅーしました」
「ブラック勤めかよ」
魔法を使って目が覚めたのも束の間、ラクトは再び疲労を感じて寝てしまったらしい。詠唱魔法は覚醒状態で使用される特別魔法と違って、体力の消費量が凄まじいことになる訳ではないが、ろくな休憩も取らずに夜遅くまで来たツケが回ってきたのだろう。カーテンを開けて彼女の寝顔を見てみると、心地よさそうにしていた。
「……枕が二つあるのはどういう意図だ?」
「先輩にとって一番安心して就寝できる場所が彼女の隣だと判断しただけです」
「気遣いってことか。ありがとな」
「気にしないでください。では、そろそろ本題に移りますよ?」
弥乃梨は惚気けた気分からすぐに直って、開いていた残り一つの座布団に座る。三人の準備が整ったところで、調査で最も大きな役割を果たしたアイテイルがプレゼンテーションソフトを起動し、スライドを始めた。原稿はパソコンではなくスマートフォンにあって、銀髪はそれを見ながら説明を進めていく。
「私たちが調査したのは、赤で示した九つの強制収容所と断定される施設と、青で示した五つの強制収容所の疑いが強い施設です。なお、説明中は、機密情報漏洩防止策として、赤をX、青をYとして説明します」
一枚目で言う文章を読み上げ終えると、サタンがマウスを操作して次のスライドに移った。以降は強制収容所の実態について説明するページで、二枚目はフルンティ市の施設についての説明だった。右上には地図が表示されている。地図はある都市周辺を拡大したものではなく、ギレリアル連邦全域を示すものだった。
「最初に、施設X及び施設Yにおいて、収容所として機能してしない施設はありませんでした。中でもフルンティ市付近にある施設Xは学生の研究所としても機能しており、これに収容されている総人数は千人と推定されます」
「研究所? 少数派について何を研究するんだ?」
「人体実験です。フルンティ市にある施設Xは人体実験場として機能しており、中にはギレリアル出身者ではない方も多数確認できました。彼らは入国後に強制連行されたようです」
「不法入国者とか、犯罪者ではないんだよな?」
「はい。彼らは何の罪もなく性別だけで連行された方々です」
弥乃梨は、アイテイルの話を聞く度に心が締め付けられていく感じを覚えた。それまで平穏に平凡に暮らしてきたのにも関わらず、大統領の一存で劣悪な環境に強制連行されたのである。そこで受けた痛みと早くここから開放されたいという彼らの願いには同情を禁じ得ない。
「……続けてくれ」
出来るならば耳を塞ぎたかった。出来るならば目を逸らしたかった。けれど、自分が置かれている現在の環境を考えたらそんなことは出来ない。どんな事であれ、高い地位にある者が弱い地位にある者を手助けしなければ何も変わらないのだ。言い換えれば、失敗することも成功することもないのである。
「施設内には、切り取られた男性器を陳列したコーナーがありました。その他、原爆実験で亡くなられた方の遺体の模型が展示されていました。また、これは実験中の様子だったのかはわかりませんが、性処理器具等によって発散できなかった性欲を発散するために実物を使用している学生も発見しました。近くに生体物質を発見しましたから、これは生体と推定されます」
アイテイルは、弥乃梨の顔を見て強制収容所の実態を説明することの意味を改めて知った。けれど、銀髪は主人の指示を呑んで事実を淡々と伝える。続く三枚目のスライドには写真が二枚貼られていた。その次、四枚目のスライドはフルハイビジョン画質の写真が一枚貼られている。いずれも、時間を止めた状態でサタンが撮影したものだという。
「こんなことして、大統領はその品質を問われないのか?」
「現大統領は裁判官の資格があり、かつ警察と関係が深いと言われています。加えて、大統領には不逮捕特権が存在していて、任期中は逮捕されることがありません。彼女は既に十五年目ですから、任期満了まで逮捕は難しいと思います」
大統領や国会議員が警察機関等に干渉されないことは常識的な事である。しかしそれは、その特別に与えられた権利によって国民を痛みつける為政者ではないことが前提条件だ。もっとも、今ではメディアが権力者として君臨しており、恐怖政治にならないように政界と攻防が続いているのは確かであろう。
権力者とそれを監視する国民や組織の話が出たところで、マウスを操作していたサタンが横から入ってきた。脱線に脱線を重ねていくようにも見えるが、すぐ近くに寝床がある安心感は凄くて、パソコンは画面を暗くしている。
「ところで先輩。この女がなんで最年少で大統領に就任できたか分かります?」
「コネか?」
「違います。理由は色々有りますが、大きい方から三つ。まず、『若さ』と『学歴』です。首席卒で最年少大統領候補。若年時にしか入手できない特権です」
「確かに、年齢の割に頭がいいって凄いことだな」
「次が、『性別』と『環境』です。実はギレリアルの女性大統領って初めてで、しかも地方都市の出身者。どうです、有能っぽい感じがしませんか?」
「わからなくないな」
若いのに高学歴で地方都市の出身、なおかつ初めての女性大統領――。今の恐怖政治を予感して見る目があった人達は他の候補に入れたのかもしれないが、外見や肩書、耳障りの良さだけで判断してしまった人が数多く居たのだろう。
「そして、最後が『弱者の優遇』です。奴は、社会的地位の低い人達に媚を売ってきました。生活保護費の受給要件を大幅に引き下げ、高速道路と高速鉄道を無料にし、移民や難民に対する差別発言を徹底的に糾弾しました」
差別は許されない。しかし、区別であっても差別と見なす風潮があるのも事実である。サタンが言っているのは、まさにそのことだった。
「一方で、彼女は社会的地位の高い人達を敵視し、高額納税者に対して納税額を年収の九割に設定したり、籍と資産を同じ国に置かなければならない法律を作りました。これが後にデータ・アンドロイドの開発費となり、または生活保護費の財源となったわけです。もちろん、国内総生産は急速に減速しましたが」
高額納税者を虐めて国内総生産が成長するわけがない。資産が少ない人よりも多い人のほうが国にとって有益な存在であるのは事実である。しかし、そういった少数派の意見を無視したのが現大統領だった。理由は単純。少数派を無視して多数派に媚を売れば選挙で勝てると知ったためである。
「そういう環境でデータ・アンドロイドを発売したわけです。あれは凄く画期的な物で、卵子と正常な皮膚さえあれば誰でも楽に子供を産めるんですよ? となると、出産の痛みを負わなくていいと知った人がバンバン買うわけですよね」
「一歩立ち止まった奴は居ないのか?」
「政府はそれを予見して『発売』から『配布』に変更しました。維持費も掛からない、無理に世話を焼く必要もない、自由な時間が増える。――勝てますか?」
サタンは弥乃梨の質問に回答した後、質問で返した。偽りの黒髪は精霊罪源の言う話と自分を重ねて震え出す。そんな主人の動揺っぷりをサタンはクスッと笑った。その後、精霊罪源は「ロボット相手は無理」と主張した少数派が居たことも述べた。また、当時は男性とロボットが共存していたことも述べた。
「異変が起こったのは配布から二年後のことです。外国を相手にしている企業からは『経済政策は失敗だった』とされて票を得なかったんですが、国民の大部分は少額か普通額の納税者な訳で、総選挙で大統領率いる与党が圧勝するんです」
まさしく多数派に媚びた結果だった。それまで高みの見物をしていた高額納税者は高収入であることを理由に政府からも民衆からも蹴られたのである。
「とはいえ、経済が大変なことになってることは揺るがないわけですよ。そこで現大統領はついに手を出しちゃうんですね。弱者である『女性』に。今度は上院の選挙だったんですけど、大統領なんて言ったと思います?」
「『男には子供が産めない』みたいな感じか?」
割りと定番のフレーズだったが、民衆を動かすには案外簡単な言葉のほうがいい。弥乃梨はそんなふうに考えてサタンの問いに答えた。
「正解です。そのときに『離婚推進キャンペーン』をやって、裁判を起こせばどのような理由があれ、その費用は男性側の負担にさせ、慰謝料も何もかも負担させました。当然、男性から猛烈に批判されるわけですよ。けど、それは差別発言として抹消されました。ひっどい話ですけど、これ実話ですからね?」
そんな政策をやって批判されないほうがおかしいのだが、三権機関は反対意見を殺したらしい。国家権力の暴走時には司法が動くのが常識だが、離婚推進キャンペーンで一人で処理しなければならない件数が格段に増えたこと、また、男性側が不服を申し立てても民事裁判のため最高裁まで上告することができなかったこともあり、違憲判断を出すことは出来なかったのだという。
「そして、世紀の憲法改悪が起こるわけですね」
「法の下の平等の『性別』項とかから『男』を除外したやつか」
「話が早くて助かります。非国民と見なしたために、【国民】に対して保障されている権利が無効となったんです。一方で、【何人】に対して保障されているものは有効でした。もっとも、すぐに法律が改正されて無効になりましたけどね」
もちろん、そんなことをすれば反対意見が出てくるのは言うまでもない。しかし『離婚推進キャンペーン』の時と同様に、人権擁護は特定の場合以外には適用されなかった。しかも、ギレリアルには国民投票がないから、憲法の改正は上下両院で賛成が三分の二を越えれば可決する。法律上、憲法改正から三年間は覆すことが出来ないため、非国民扱いされた男達に為す術はなかった。
「けど、非国民扱いされても人間だろ?」
「私も最初は先輩と同じ考えで疑問を持っていたんですけど、『何人も』――即ち、『いかなる人も』という記述から除外されたということは、人間と同じ扱いを受けるべきではないと判断されたわけです。ちなみに、この国の憲法学会はこれを通説としていているみたいですよ」
「なるほど。となると、『男』はどういう区分になるんだ?」
ギレリアルで生きてきた男達は、どのような場合であっても、ヒトとしての扱いを受けられないらしい。弥乃梨はさらに収容所に強制連行された男達に同情した。彼の中のイライラパラメータはどんどんと上昇していく。そんな中、偽りの黒髪は精霊罪源に対してふと感じた疑問をぶつけた。
「『動物』ですね。だから、マウス、犬並びに猫を去勢するようにヒトの男性に対して去勢その他の非人道的な行為を働いてもお咎め無しになるんです」
「そういう理屈か……」
「でも、彼らに裁判を受ける権利はないし、教育を受ける権利もない。納税の義務はないですが、彼らの資産は、改正時に財産権が国または妻に移行したからゼロです。勤労の権利は有りますが、あってもブラック企業への派遣くらいです」
サタンの口から出てくるのは酷すぎる具体例ばかり。それまで相手の言葉には適切に返してきた弥乃梨だったが、以前解放した強制収容所の施設内の光景と照らし合わせて精霊罪源の言葉を聞くと、コメントなんかしていられなくなる。
「女性に絶対服従なんてものは常識中の常識で、彼らは、首輪で繋がれた生活か檻の中で過ごす生活くらいしか認められていないんです。そういう例を合憲と判断しているために、最高裁判所は強制収容所を合憲としているんですね」
「世論は賛成派が多数なのか?」
「はい。もっとも、大統領の魔法は転用することで国民を洗脳できますが」
「つまり、本当の民意ではないってことか?」
「可能性は否定できません」
サタン曰く、洗脳されて人権の剥奪に賛成票を投じた人が多数派を占める可能性もありうるらしい。もちろん投票とかでそういう結果になれば、大統領や政府機関に対して、既に去勢された男達が多額の賠償金を求めるのは間違いないだろう。希望が少ないのは分かっていたが、弥乃梨はそれに望みをかけた。
「国民投票をして、結果が出れば――」
「いいや、それは出来ないよ、弥乃梨くん」
弥乃梨の背後から聞き覚えのある声が聞こえた。しかしそれは、目の前に居るサタンの声でもアイテイルの声でもない。もちろん、ラクトは爆睡中だし紫姫は魂石の中に居る。偽りの黒髪はビクビクと身体を震わせながら、恐る恐る後ろを向く。そこには、ギレリアル陸軍の陸軍大将が立っていた。
「ニコル? なんで施錠されているこの部屋に――」
「僕の特別魔法は『錯覚』ともう一つ、『通過』があるんだ。厚さが一メートル以内なら、施錠されていようがいまいが、僕は通過できるんだ」
「そうなのか」
弥乃梨は、「実に便利な特別魔法を持っているものだな」と自分の魔法と対比させて思った。実戦で向くのはバトルで有利になる魔法かもしれないが、実践で有利になるのは地味だけど面白い魔法が大半だからである。だが、現実逃避はニコルの一言によって終了し、弥乃梨は背筋を凍らせた。
「ところで、弥乃梨――いや、稔くんは僕に内緒で何を話してたんだい?」




