4-85 蒼龍王アブソリュート・シャワー
警備作業を開始してから一時間くらいが経過した時、チーム・ベータの拠点がある街で雨が降りだした。小雨と思って軽く見ていると、雨はあっという間に風を伴った大雨に変貌してしまった。強制収容所について調査をしに行ったアイテイルとサタンが心配になって、弥乃梨が魂石越しに質問する。
「サタン、アイテイル。そっちは雨降ってるか?」
『快晴ですよ。雨が降る気配はどこにもありません。……あ、待ってください』
「なんだ?」
『ベータの拠点が在る街に雨雲が捉えられていません』
「嘘だろ……」
弥乃梨は驚きを隠せなかった。豪雨一歩手前レベルの雨が降っているというのに、サタン曰くレーダーには表示されていないのだという。精霊罪源は、笑い混じりに主人の心配をした。
『先輩、幻覚を起こすぐらいなら休んだほうが良いですよ?』
「気遣ってくれてありがとう。でも、確かにこっちでは雨が降っているんだ」
『音と状況を聞く分にはゲリラ豪雨とかだと思いますけど……』
「もしかしたら、そうなのかもな。ありがとう。引き続き調査を続けてくれ」
『はい、わかりました』
魂石越しの会話が終わると、弥乃梨は得た情報を重要かつ有益なものと判断して紫姫と共有した。同時に、警備を中断することはないにしても、大雨の最中に屋根がない場所で警備をするのは体への負担が大きいと判断し、新聞社社屋一階の突き出した屋根の下に退避する。
「ひっ!」
「大丈夫か?」
雨の勢いはさらに強くなっている。そんな中で雷の轟音が響いた。もちろん、津波で全てがかっさらわれた街に雷が落ちてもそこまで影響は無い。しかし、弥乃梨の隣で彼と共に警備を担当している紫姫には大きな影響を与えた。雷が轟くやいなや、紫髪が偽りの黒髪の手を潰す勢いで握ったのである。
「す、すまない! 暗闇で突然音が出るのは苦手でな……」
「大丈夫。紫姫がオカルトやびっくりすることを嫌うことくらい知ってるから」
「ありがとう」
紫姫があまりにも強く握った結果、弥乃梨の右手の大半が赤くなっている。しかし偽りの黒髪は、紫髪がどんなに自分の手を痛めつけたとしても抗議しなかった。あまり騒がないほうが良い時もあるということを彼は知っている。
「ん、サタンから返信か?」
紫姫の件で弥乃梨が平穏を保っていると、サタンの魂石が点滅し出した。「ゲリラ豪雨では?」という先ほどの仮定を証明するためにわざわざ掛けてきたのだという。精霊罪源は前置きをすることもなく、調査結果について報告した。
『先輩。どうやら、ゲリラ豪雨でもないようです。気象情報に豪雨情報はありませんでしたし、やっぱり雨雲も捉えられていません。考えられるのは――』
「……考えられるのは?」
『召使などが発生させた雨、ということです』
液体を形成する魔法をいつも見ている弥乃梨が水を発生させる魔法が存在することに驚く必要はなかった。しかし、こんな大雨を降らせる魔法が存在するのかと思うと動揺を隠せない。一方で偽りの黒髪は、「もし勝手に雨を降らせているのだとしたら叱ってやりたい」とも思った。
『報告は以上です。失礼しました』
「報告ありがとう」
サタンが用件以外のことを何も話さなかったので、魂石越しの会話はそこで終わらせる。するとそれを合図にするかのごとく、弥乃梨の左肩を紫姫が優しく叩いた。大雨が降った要因として魔法の使用が上がってきたことで、思い出したことがあるらしい。紫髪は偽りの黒髪の目をじっと見ると、唾を呑んで言った。
「かつて、マドーロムには龍族が存在した。なかでも、特に三体の王龍は最も恐れられていたんだ。火、水、風の三種類だったはずなんだが、水の王龍は大雨をもたらすとして多くの民に恐れられていたように思う」
「その王龍の火の枠って、紅龍王《ハイパー・クリムゾン》か?」
「うむ。水の王龍は、蒼龍王《アブソリュート・シャワー》と呼ばれている」
「絶対的に雨を降らせるのか……」
通過する度にバケツがひっくり返るような大雨を降らせる龍なら民衆に恐れられても仕方がない、と弥乃梨は思った。特性で自分にとって有利な状況を作り出すモンスターはチートクラスの性能を有していると言っても過言ではない。
「おっと、噂をしていたら影が差してしまったようだぞ」
「この雨を作り出した主が現れたんだな」
弥乃梨と紫姫が水の龍王について話をしていると、メジャーすぎる諺の通りになった。蒼き龍王はつい数分前のように雷を轟かせると、そこに自分のシルエットを浮かばせる。刹那、龍は闇夜を切り裂くような叫声を響かせた。もちろん、大きすぎる雷の音と声に紫姫は過敏な反応を見せる。だが、今回は珍しくサポート役を必要としなかった。紫髪は、すぐに前を向く。
「紫姫」
「うむ、あの龍のもとへと向かおう」
紫姫が弥乃梨の呼びかけに応じた後、二人は息の合った相槌を打った。彼らは手を繋がずテレポートも使わずに新聞社の本社社屋を離陸し、蒼龍王の元へと向かう。しかし、高度が上がるのに合わせて視界が不良になっていった。だが、これは紫髪の魔法で解決する。心を読むと大体の位置関係が把握できるからだ。
「即時にここから撤退しろ。拒む場合は実力行使による追放を行う。選べ」
弥乃梨は龍相手にも会話で解決する姿勢を持ち出した。しかし、水の龍王は彼の忠告を聞き取れない。言葉が分からなければ行動で示すしか手段が無いのは常識である。蒼龍王は再度雷を轟かせると、叫び声を上げながら魔法を使用した。
「――跳ね返しの透徹鏡壁――」
弥乃梨は先制攻撃を受けて報復攻撃――もとい防衛措置の準備を始めた。迅速かつ必要最低限の魔法行使で事態を収束させるために、まずは敵の攻撃を分析する。偽りの黒髪がバリアの使用を宣言して数秒後、攻撃が透明な壁に当たった。
「水を一点にぶつける技か。次は――手?」
龍の手はそこまで大きくないから、弥乃梨と紫姫を包み込むには十分過ぎる大きさの手を見た瞬間に、『黒白』はそれが魔法によって作られたものだと判断した。二人は攻撃を防ぐにはバリアだけで事足りると考え、万が一のためにテレポートがいつでも出来るように準備だけしておく。
「アクアクラッシュ……弥乃梨、今すぐ退避だ!」
「わ、分かった!」
紫姫の判断で二人は黒白はバリア内を離れた。その後は、遠すぎず近すぎずの位置を保つために、蒼龍王を中心に半径二十メートルの軌道を周回する。そんな中で見たバリアの握り潰される光景は、弥乃梨と紫姫の脳裏に強く焼き付いた。
「バリアが、一瞬で壊されただと……?」
二人とも、まさかバリアが破壊されるだなんて思っていなかった。しかし、実際に事態が起きてみれば呆気無く崩壊してゆく防衛線。しかし『黒白』は、取り敢えずバリアから脱出して一名を取り留めたために安堵した。一方で、強力な魔法、悪天候、属性相性の悪さ等、積み重なった悪条件を前に戦慄を走らせる。
「攻撃は最大の防御。今すぐ防衛装備を展開せよ」
「わかった」
バリアを使用しても意味が無いことを知った『黒白』は、防御を度外視し、攻撃に重点を置いて戦うことにした。防御だけでは足りないと判断し、圧倒的火力による瞬殺に転じたのである。弥乃梨は剣を二刀作り、朝に紅龍王を一撃で仕留めた時と同じく剣を一つにした。紫姫は強力なダメージを与える銃を用意する。でも、敵に攻撃には間に合わなかった。
「え……」
弥乃梨は思わず口を開いたまま何も出来なくなった。同頃、悪天候が回復したかと思った矢先に響いた雷の轟音によって紫姫が怯んでしまう。精霊という火力では圧倒的優位な立場にある存在を排除できたのをいいことに、水の龍王は弥乃梨の周囲に水の円環を形成した。それを見て、紫姫が叫ぶ。
「そこを離れろ! 今すぐに!」
「わかっ――」
弥乃梨は、戦友の叫声を聞いてテレポートを宣言した。しかし、一瞬できた油断を突くのは戦闘における常識である。人間でないからと言って、敵を知識が無いと見下すことは出来ない。蒼龍王は、弥乃梨を渦巻の中に引きずり込んだ。
「うがっ……ぐっ……おごっ……」
弥乃梨は水泳が苦手ではなかった。しかし、敵の圧倒的な攻撃力の前には手も足も出なかった。意識があるうちにバリアを展開してみたが、水深が下がっていけば水圧は上がっていく。言うまでもなく、形成したバリアは破裂した。
「弥乃梨!」
紫姫が弥乃梨の名を叫ぶ。しかし、彼女にはどうすることも出来なかった。時間を止めることは可能だが、それは延命措置にしか過ぎない。氷の銃弾を発砲することで水勢が収まることはないし、魔法の効力を止めれば弥乃梨への悪影響は避けられない。かといって、紫姫が突撃すれば蒼龍王の勝利は確定的となる。
もちろん、作戦を考えている間にも水の龍王は攻撃をやめない。バリアという安全圏が存在しない今、立ち止まるなんて行為は愚かにも程があった。しかし、今のまま水の中に弥乃梨を閉じ込めておくことは出来ない。彼は魔法を使えたとしても人間である。少なくとも一分後までには救出しなければならない。
「背後がガラ空きなんだよ、龍王さんッ!」
そんな中、暗闇に叫び声が上がった。劣勢に陥っていた弥乃梨や紫姫はその声の方向に視線を向ける。そこには、パーカーを着た赤髪の少女が居た。右手にはステッキを持っており、その先端ではメラメラと炎が燃えて風になびいている。
「――束縛――」
『黒白』が少女の動向を注視する中、赤髪は左手を広げて魔法を使用した。刹那、蒼龍王の攻撃が止む。水の龍王は何度も雄叫びを上げて拘束から開放されようと試行錯誤したが、どうにもならなかった。蒼龍王の影響力を受けなくなった渦巻は次第に効力を失っていき、対照的に弥乃梨が拘束から開放される。
「正義を執行する!」
あまりにも短すぎるフレーズだったが、それは少女の【詠唱】だった。正義の執行が承認されると、瞬く間に赤髪の持っていたステッキの先端が赤く染まり始める。十秒位すると、蒼龍王の右胸に紅色の桜の花びらが五つ表示された。詠唱から三十秒を経て、ついに少女は詠唱魔法を使用する。
「――五焔一撃――」
紫姫は赤髪が放とうとしている魔法が凄まじい威力のものであることを見抜くと、すぐさま弥乃梨の元に駆け寄った。紫髪は偽りの黒髪にバリアを展開する隙を与えず、猛スピードで蒼龍王の近くから退散する。
次の瞬間、少女は狙い通りに蒼龍王の右胸に炎を直撃させた。もちろん、紫姫が危険クラスと判断しただけであって、攻撃の効果はそれだけに留まらない。なんと、赤髪は発射からコンマ数秒のうちに炎に向けて特別魔法を使い、攻撃を受けると同時に麻痺状態に陥るよう調整していたのである。
発射時こそカーマイン属性の攻撃だったが、麻痺させる魔法を混ぜたことによって、その炎は強力な電流を帯びたカナリア属性の攻撃に変貌した。カーマイン属性の攻撃はシアン属性に対して相性が悪いが、カナリア属性の場合は効果抜群になる。赤髪が狙ったのはこれだ。二分の一倍と二倍では大きな差である。
「クウウウウン! クウン……」
叫び声の後で、水の龍王は結晶が砕け散るような音と同時に姿を消した。意図的に集中豪雨をもたらす存在がなくなれば、当然それまでそこにあった雨雲も無くなる。レーダーで観測された通りの天候になると、すぐに星が見え始めた。綺麗な月が顔を出したのと同頃、弥乃梨と紫姫は少女の元に向かう。
「救ってくれてありがとな、ラクト」
「私はラクトじゃな……」
到着するやいなや、弥乃梨はパーカーを被った少女に感謝の気持ちを伝えた。赤髪は偽りの黒髪の言葉を素直に受け止めたが、一点、名前を呼ばれてビクッとする。少女はとぼけて弥乃梨の言っていることを否定したが、簡単すぎる嘘はすぐに見抜かれた。偽りの黒髪は、赤髪の着ていたパーカーのフードを脱がせる。
「やっぱりラクトか。やっぱり、俺の目に狂いはなかったな」
蒼龍王をワンパンした少女の正体は、弥乃梨の彼女だった。ラクトは詠唱シーンとかが見られたことを恥ずかしく思って、顔を真っ赤に染め上げる。一方、彼女の可愛さに心を奪われてしまった偽りの黒髪が赤髪の頭を撫でた。
「ラクトはこの後、警備作業するか?」
「寝れずに仕方なく起きてたら弥乃梨がやばそうだったから助けに来ただけだから、強制されないんであれば寝るよ。魔力も体力も今大量に消費したし」
「そっか。じゃあ二回目になるが、おやすみ」
「おやすみ」
弥乃梨と会話を交わすと、ラクトは欠伸をしながらチーム・ベータの拠点へと戻っていった。赤髪の背中を見ながら手を振った後、偽りの黒髪は紫姫のほうに身体を向ける。彼は、紫髪に対しても彼女にしたように感謝の気持ちを伝えた。
「紫姫もありがとな。作業は一時間半残ってるが、引き続きよろしく頼む」
「それはお互い様だ」
互いに頷いて固い握手を交わすと、弥乃梨と紫姫は再び警備作業を始めるべく地上に戻った。移動手段はテレポートである。帰還後、『黒白』は新聞社の正面玄関から少し道路側に立って警備作業を再開した。




