4-80 勲章授与のその後に-Ⅱ
誰も居ないことは承知しているので、寝ている第一小隊、第二小隊の面々が来ないことを祈りつつ、弥乃梨とラクトは鍵が閉まっているのを確認する。窓が無いことを確認した後、念には念を入れて展開していたバリアを室内ギリギリの範囲まで拡大し、魔法によって照明を付け、着替え用の空間を完成させる。
「ロッカーとかハンガーラック、使うか?」
「使わないよ。そろそろ洗わないと異臭を放ちかねないじゃん。ていうか、弥乃梨の制服はフルンティの警察署から借りてるわけだし、さっさと返そうよ」
更衣室の左右にはロッカーがあって、前方には左右のロッカー間を繋ぐような長さのハンガーラックがあって、ハンガー一式は後方の机の上に上がっていた。しかしラクトは、ロッカーもハンガーラックを使わない。理由は簡単で、クリーニングに弥乃梨が着ていた警官の制服を出すからだ。
「いや、九十分じゃクリーニング終わらないだろ……」
「別にいいじゃん。弥乃梨の寸法は分かってるから、ちゃちゃっと作るよ?」
「でも、現実世界に戻る権利は持っておきたいから、長くても三日だぞ?」
「権利獲得=現実世界に転送、とは限らないんじゃないかな」
「それなら、四日でも大丈夫なのか……」
弥乃梨は警官の制服をクリーニング店に出すこと自体に反対してはいなかったが、長引いてしまうのなら立場を反対に変えようと考えていた。もちろん、「権利獲得=現実世界に転送という方程式が覆るのか」という疑問も未だ募り続けている。ご都合主義的だと批判したい気持ちも強かった。けれど、最終的には彼女を信じることにした。
「ダメなら謝ればいいだけじゃん。深く考える必要はないよ」
「前世では負けを認めなかったお前が、よくも立派に成長したもんだ」
「弥乃梨のおかげだよ。ありがとね」
「こちらこそ。これからもよろしくな」
「もちろん」
ラクトはニッコリと笑みを浮かべた。しかし、感謝の気持ちを贈りたいのは弥乃梨も一緒。偽りの黒髪と赤髪は、今日一日の互いの頑張りを認めるつもりで笑みに気持ちを乗せ、自分なりに感謝の言葉を発した。
「さてと。私は魔法使えばすぐに着替え終わるから、先にどうぞ」
「やっぱりパーカーなんだな」
「パーカーはマジックアイテムだからね」
「まあ、わからなくもない」
弥乃梨は言うと、パーカー、Tシャツ、ズボン、靴下をラクトから受け取った。後方の机に置いてあったハンガーを三つ持ってきてハンガーラックに掛けると、部屋の右ロッカーの方を向いて服を脱ぎ始めた。一方、ラクトは左ロッカーの方を向く。裸体を晒すのは避けたいので、すぐに魔法を使用した。
「(――クローズ・チェンジング――)」
普段は物体の生成に転用して使っている魔法であるが、今回は本来の目的で使用した。ラクトは、弥乃梨に渡したのと同じパーカー、Tシャツを着て、黒のキュロットスカートを穿き、夜の盆地は寒いだろうと考え黒色のタイツを履く。五秒で脱衣、五秒で着衣したので、裸体である瞬間はほんの僅かだった。
「(弥乃梨は――)」
流石にまだ完全に脱衣しきっていないものの、弥乃梨は既にワイシャツ姿になっていた。ハンガーには黒色のネクタイが掛けられている。順調に進んでいることが分かったので、ラクトはそっと目を逸らした。そして、空いた時間を使ってエルフィリア王国の第二王女から頼まれている案件について、調査する。
スマホを作ってロックを解除すると、赤髪はブラウザを起動し、検索窓に「エルフィリア国王_ミカエル_誘拐」と打ち込んだ。青色で強調された『開く』エリアをタップし、検索結果を確認する。スクロールして比較的安全そうなサイトを見つけると、ラクトはリンクを押した。
「(これは……)」
サイト名は、『エルフィリア国王誘拐事件』。それは、王族の警護を突破するなど不可能であるはずなのに誘拐事件が発生してしまった件について書かれたウィキサイトだった。しかし、過去のサイトというわけではなく、トップページには『国王陛下の御無事が確認されました』との見出しがある。
サイトでは、項目立てて国王が誘拐された経緯について書かれていた。だが、ラクトが知りたいのは失踪したミカエルについての話。赤髪はメニューからページ内検索を実行し、『ミカエル』と書かれた場所を追っていく。
その中でもラクトの目に留まったのが、『ミカエル失踪の場所』という項だった。国王に誘拐されていた期間の記憶がないことから、失踪の場所と言ってもそれは推測にすぎない。しかし、ミカエルの画像を見る限り男の神なのは明らかだった。失踪の場所として強制収容所が挙げられていたのは、国王を救出した身としては、説得力のある話だと思わざるを得ない。
しかもサイトは親切で、『ミカエル失踪の場所』を列挙するだけでなく地図上にも示していた。強制収容所は計九箇所。うち一箇所は弥乃梨とラクトが開放して劣悪な環境下で奴隷的拘束を受ける者が居なくなった場所なため、すぐ他のほうに視線を移す。すると、フルンティ市付近に二つ印を確認した。
「(市役所の……地下?)」
付けられていた印は、弥乃梨とラクトが救助にあたった自治体の市役所庁舎付近だった。衛星写真地図で確認すると、そこは、野外入浴セットが置かれていた巨大駐車場であることが分かる。ラクトは「まさか……」と思いながらも、しかしながら不自然な点が多々あることを思い返した。
まず、衝突事故が起こった結果、巨大駐車場の一部ではなく全域が封鎖された点。警察車両は車道に停まっていたし、野外入浴セットだって片付けられていたのだから、あれほど広域なエリアを封鎖する必要はなかったはずである。
次に、警察官の多さ。巨大駐車場の全域を封鎖した結果、警察官の人員が異常に多くなっただけなのかもしれない。しかし、駐車場の周囲をあれほどまでに多くの警官が包囲していたということ、駐車場より先には静けさが広がっていたことを考慮すると、事件処理以外の要素があったようにしか思えなかった。
「(後で、アイテイルに頼むか……)」
ラクトは他人の心が読めるが、百パーセントそれを認識することは不可能に近い。ポーカーフェイスを得意とする人を相手にした場合は勝率が格段に低くなってしまう。赤髪は正確性を求め、アイテイルに順を追って依頼することにした。
「(そういえば、フルンティ市にも一箇所……)」
ラクトは地図を縮小させていき、フルンティ市付近にあった印を見つける。中央に持ってきて今度は逆に拡大していく。刹那、そこが病院であることが判明した。しかもそこは、海岸に最も近い高校で子どもを産もうとしていた少女を搬送した例の病院。すなわち、フルンティ市の高台に位置する病院だった。
「(あと六箇所――)」
ラクトが引き続き地図とにらめっこしようとした時のこと。赤髪は右肩をトントンと叩かれた。叩く強さから優しさを感じ後ろを振り向いてみると、やはり偽りの黒髪だった。着替えている間ずっと下を向いていたのが気になっていた彼は、ラクトが振り向いて早々、それについて聞いてきた。
「何してたんだ?」
「リートから頼まれた『ミカエル失踪』について調べてた。でもって、『ミカエルが居るのではないか』と囁かれてる施設の情報を得ていた」
「施設……強制収容所か?」
「よく分かったね。サイトでは、その説を主軸に情報を掲載してたよ。ほら」
偽りの黒髪は頷きながらラクトが見せたスマホの画面を凝視する。地図上に示された点が強制収容所であることを知って、彼は残念そうに嘆息を吐いた。けれど、サイトに記載されている情報が全て正しいとは限らない。「そういう考えもあるよな」と頷いた後、彼はラクトにこう発した。
「引き続き、暇な時に調べを進めてくれ。けど、もしやるとしても、救出は証拠が揃ってからだからな? あの一件以来、確実に警備は固くなってるだろうし」
前回、強制収容所を解放した際、最終的には解放という栄誉を手に入れることが出来たが、失った代償は大きかった。それに、今強制収容所を強引に開放するというのは、震災の混乱に乗じてテロ事件を起こしているのと大差ない。それでは貰った勲章に埃を付けてしまうも同然だ。ゆえに偽りの黒髪は、そこにミカエルが居ようが居まいが、平和的解決をするべきだと思っていた。
「それはそうとして。着替え終わったし、王都行こうぜ?」
「じゃあ、制服ちょうだい。クリーニング店に出してくるから」
「夜だぞ?」
「メガシティだよ?」
「なら問題ないな」
偽りの黒髪はハンガーラックにかけてあった制服、ワイシャツ、タイトスカートの掛かったハンガーをそれぞれラクトに渡した。長い靴下については、ラクトが再利用することになった。しかし、クリーニングに一緒に出すことは不可能。かといって、コインランドリーに行って靴下だけ洗うのは気が引ける。
「わかった。靴下、手洗いする」
ラクトはそう言って深めの桶を二つ作り、それらの中に氷を形成した。少量の洗剤を用意すると、彼女は深呼吸して魔法を使用する。
「――火傷――」
「おお」
人差し指の先端に炎を帯びさせ、彼女はちょん、と氷に触れさせた。氷は一瞬にして溶け、水に変化する。その後は弱めの炎で桶を燃やさないよう留意しながら、水温を三十度にした。洗える環境が整ったところで、ラクトは片方の桶に洗剤を入れる。靴下を入水させると、赤髪は優しく押し洗いを始めた。
「手伝え、稔」
「なるほど。桶が深いのはそういう理由か」
ラクトと対の位置に座り、偽りの黒髪も優しく押し洗い始めた。だが、聞き捨てならない言葉があったことを思い出す。彼は、それについて聞いた。
「……稔?」
「私の彼氏の名前は稔って名前じゃん。まさか、自分の名前忘れたの?」
「そうじゃない。なんか、久しぶりに聞いた感じがしてな」
「そっか。なら、王都に言ってからもっといっぱい言ってあげよっか?」
「不自然にならない程度に頼む」
「分かった」
雑談をしながら手洗いを続ける二人。稔もラクトも会話を楽しみながら洗濯をしていたが、黒髪は時折ラクトの太ももを見ていた。夜も深まる中、疲れてきたことで段々と欲求が強くなってきていたのである。それこそ六十デニールという絶妙な薄さのタイツを間近に見てしまっては、抑えるにも一苦労。
「そろそろ終わる?」
「おう」
二分くらいして手洗いが終わった。すすぎ用の桶に靴下を移し、洗剤を落としていく。途中ラクトは一時的に離脱し、洗い用桶の回収を行った。もちろん仕事放棄はせず、回収終了後すぐに作業に復帰する。
「靴下、ちょっと持っててもらっていい?」
「わかった」
すすぎを終えた後、ラクトが稔にそう頼んだ。黒髪は依頼通り靴下を持つ。一方赤髪は、すすぎ用の桶を回収するやいなや魔法を使用し手動のプロペラを作り出した。彼女はそのハンドルを力強く回し風を起こす。続いて、人差し指に火を起こして親指と擦り、風を温風にした。再び、全力でハンドルを回す。
「便利だな」
「これでも一応カーマイン属性入ってるからね」
「『ヒロイン火属性の法則』か」
「最近、『主人公火属性の法則』を塗り替えてる感じあるよね」
一人は靴下を回転させながら、もう一人はハンドルを回しながら、最近の風潮について語る。そんなことをしているうちに靴下が乾いた。温風の効果は絶大だったらしい。今一度水気を帯びていないことを確認すると、ラクトはビニール袋を作った。丁寧に靴下を畳んで袋に仕舞う。そして、保管人を呼ぶ。
「紫姫」
「なんだラクト」
「靴下の保管、頼めるかな?」
「どいつもこいつも我を倉庫屋だと思いやがって……」
「そうは言いながらも手を出すとか、ツンデレじゃん」
「勘違いするな。我の良心が傷つくからやっているだけに過ぎない」
紫姫は自分がラクトの依頼を引き受けた件について弁明する。しかし、黒髪も
赤髪も声にこそ出さなかったが、紫髪がツンデレの素質を持っていると断定して譲らなかった。そんな中で、精霊はビニール袋を片手に魂石へと戻る。
再び二人きりになるとラクトは、稔の着ていた女装用セットをすぐに畳み始めた。慣れた手つきで畳んでいき、制服、ワイシャツ、タイトスカートをそれぞれ別の袋に入れる。次にラクトは、これらをまとめるべくバッグを作り、三つの袋を丁寧に入れた。バッグを肩に掛けてから、彼女は稔に問う。
「ところで、何食べる? 経度的には同じだけど、向こうは深夜十一時半だよ」
「着くのは日付変わるギリギリってことか。うーん……ファミレス?」
「賛成!」
行くべきところが決まったので、二人は早速、エルフィリア王国の王都へとテレポートした。




