4-78 勲章授与はディナーの前に-Ⅱ
フルンティ市役所の屋上に着くと、弥乃梨もラクトもその復興具合に驚かされた。二人が今日一日掛けて救助作戦を行っていた自治体とは異なり、ライフラインが復旧していたのである。まだ使用できる量には制限があるようだが、それでも至る所のマンションがまるで彗星のように白色の光を放っていた。
「星空、見えないな」
「復興した証だよ」
「皮肉なことを言いやがって」
月は右半分が見えている。だが、星はそのほとんどが見えない。チーム・ベータの本拠点がある新聞社の屋上から星空を見れば、月と併せて星の大半が綺麗に目に映るだろう。ラクトが言うように、星が見えない夜の空というのは裏を返せば復興した証なのだ。
「それはそれとして……」
ラクトのその一言で、会話は雑談から本題に移る。
「ここまで電気が点いてるのに正面玄関から入らなくて良いのかな?」
「浸水してないのか?」
「浸水してたら、電気なんか使えてないんじゃないかな?」
「確かに。じゃ、もう一回移動するぞ」
「うん」
市役所の屋上に降り立った意味を見失った二人は、迷うことなく正面玄関からフルンティ市役所の庁舎に入ることを決めた。弥乃梨はバリアを展開してテレポートしようと考えたが、その前にラクトが偽りの黒髪の手を握ったため、テレポートを使用することを宣言する以外は特段何かしたりしなかった。
フルンティ市役所庁舎の正面玄関に到着した刹那、二人は今日の朝と大きく異なる点に気が付いた。ラクトが予想していた通り、もうそこには水気がない。建物の四階を浸水させてしまうほどの威力の津波が襲ったというのに、フルンティ市は一日という驚異的なスピードで復興を遂げていた。
でも、完全な復興というわけではなく、ライフラインが復旧しただけにすぎない。市役所の周辺にあった建物の一階は弥乃梨たちが救助作戦に当たった自治体と同様に、鉄筋コンクリートがむき出しになったり何もない空間が形成されたりと、根こそぎ破壊されていた。やはり、一日では限界がある。
自然災害が何をもたらしたのかを知った後、弥乃梨とラクトは正面玄関からフルンティ市役所の庁舎に入った。彗星のように見える辺りのマンションとは異なり、庁舎内の照明は暗めに設定されている。床に泥の影はなく大津波が何の被害ももたらさなかったかのように見えるが、目を凝らして遠くを見ると窓ガラスが割れていた。
「召集からすぐ来るとは思わなかったんじゃね」
フルンティ市役所の被災状況を確認するべく、二人があちらこちらに視線を移していた時のこと。弥乃梨とラクトは、聞き覚えのある声で話す少女の姿を捉えた。言うまでもなく、少女はフルンティ市の市長だ。二人が昨日訪れた時はゴスロリ服を着ていたが、今日はスーツ姿に身を包んでいる。
「久しぶりだな、市長」
「そうじゃね。ところで、なぜ呼び出されたか理由は聞いているんじゃね?」
「いいや、理由は聞いてないが」
「そうなんじゃね。まあ、もったいぶる必要もないんじゃね、話すんじゃね」
市長は咳払いしてから二人を召集した理由を告げた。
「三百万人の市民を救った二人に勲章を授与するためなんじゃね」
「勲章を貰えるようなことをしたつもりはないんだが……」
「これを見るんじゃね」
市長は言うと、胸ポケットから手帳型ケースに包まれたスマホを取り出した。データ・アンドロイドを通じて情報をやり取りする社会では時代遅れのそれの画面を見ると、数多くの学生が『街を救ったヒロインに勲章を授与するべきだ』と声を上げているのが分かる。市が勲章授与を決定したことを告げる文章がまさに今各所に拡散されている光景を見ることもできた。
「二人にとって三百万人という数字は小さいものかもしれないんじゃね。でも、この街の学生諸君は君達の活動をとても高く評価しているんじゃね。だから、素直に勲章を受け取って欲しいんじゃね」
「わかった。勲章をもらう」
市長は弥乃梨の返答を聞くと、ただ静かに頷いた。少し間を置いてから、偽りの黒髪と赤髪に対して「こっちへ来るんじゃね」と声を掛ける。二人は市長に案内されるがまま、『STAFF ONLY』と張り紙のある扉を抜けて職員用階段を通り、一階から五階まで一気に上っていった。階段から抜けるべく関係者以外をシャットアウトする扉を越えて廊下に出、直進して右に曲がる。その時。
「うそ……」
「これは――」
背を向けた側には備蓄庫。真っ直ぐ進むと市議院。そこは一度来たことのある廊下だった。しかし、そのことを考えさせないようにするかのごとく、廊下の左右には多くの学生が立っていた。彼女らは弥乃梨とラクトが姿を表した瞬間、拍手を始める。口笛を吹く者も居たし、歓喜の声を上げる者も居た。それはまるで、訪問された王族を一目見ようと群がる臣民のようだ。
「二人はこれだけ多くの市民から尊敬されることをしたんじゃね。たまには謙虚さを捨てるのも良いことなんじゃね。それじゃ、市議院で待っておるんじゃね」
市長はそう言い、そそくさと市議院の方に向かって歩いていった。弥乃梨とラクトに自らの意思で民衆が形成した道を通るようにさせたのは、彼女なりの気配りである。二人は市長の気配りに応えるように、民衆の声援に応えるように、市議院まで続く一直線の道をゆっくりと歩き出した。
鳴り響くシャッター音。途切れることのない握手を求める声。二人が手を振れば、それだけで民衆は歓声を上げる。握手時に「大変だったな」とか「頑張れよ」と言うと、声を掛けられた大半の学生は何度も何度も軽く頭を下げて深い感謝の意を表す。中には泣き崩れてしまう学生も居た。
弥乃梨とラクトが市議院に続く扉に到着したのは、彼らに群がるようにして握手とか撮影を求めてきた学生達にサービスを開始してから二十分近く経過した時のことだった。午後十時にチーム・ベータの本拠点に戻ることの難易度が次第に上昇してきている。だが、二人とも前に進むことをやめない。
「開けてくれ」
弥乃梨は、市議院に続く扉の前に居た二人の警備員に言った。警備員両名はそれぞれ左扉と右扉の取手を掴むと、同じタイミングで扉を自分の身体のほうに引いた。声を発さずに連携プレーをするところに、偽りの黒髪も赤髪も感嘆する。刹那、弥乃梨とラクトは一歩進んでレッドカーペットを足で踏んだ。
議場には溢れんばかりの人、人、人。主役が登場した直後、議場に居た学生達は皆一斉に立ち上がった。市議院まで続く通路には警備員が居たため、そこに居た学生達はまだ節度ある対応を取っていたのだが、市議院には警備員が居なかったため、立ち上がった学生達が皆一斉に二人のほうに近づいてきた。
「サインお願いします!」
一人の学生がサインを求めた。弥乃梨は「もちろん」と言って笑みを浮かべ、正方形の真っ白なサイン色紙と黒色の油性ペンを受け取る。「偽名をサインに用いていいものだろうか」と一瞬頭の中に疑問が過ぎったが、ペンネームと考えれば問題なかった。弥乃梨は、サイン色紙に『Minori』と筆記体で描く。
「ありがとうございます!」
「こちらこそ、ありがとう」
弥乃梨は返答すると同時に、アイドル同然の扱いを受けているということを自覚する。ラクトのほうを見てみると、こちらもアイドルのような扱いを受けていた。偽りの黒髪がしたようにサイン色紙と油性ペンを受け取り、筆記体で下の名前を描く。彼女は、本名でなく弥乃梨が名付けた名前でサインを描いていた。
市議院は劇場のような作りになっていて、二人が入場したような入口は三つある。その入口から質問者と回答者が立つステージまでは三つの赤い道路が続く。その赤い道路に挟まれる形で議席が設置されているのだが、満員でしかも全員が起立しているせいで、そこに議席の面影は窺えない。
弥乃梨とラクトは、そんな人混みの中をゆっくりと進んでいった。時折、第一小隊の面々の顔を思い浮かばせ、市議院に設置された時計に視線を向ける。偽りの黒髪と赤髪がステージに到着したのは、入場してから三十分後のことだった。
「待ってたんじゃね」
聞き覚えのある声、見覚えのある顔。スーツに蝶ネクタイとさながら成人男性のような装いであるが、その体型を見れば彼女が誰であるかなどすぐに分かる。二人の目の前に見えているのは、フルンティ市の市長だ。
「似合ってると思うぞ」
「君は彼女持ちじゃね。思ってもいないことを言うのは避けるべきなんじゃね」
「いや、似合っているってのは嘘じゃないんだが……」
「そうじゃねそうじゃね。じゃ、ついてくるんじゃね」
その容姿に衣装が不相応なのは言うまでもない。でも、市長は自分なりにアレンジを施していた。大人の色気を全く感じられないならギャップで攻めろ、と市長はブカブカなスーツを着ていたのである。決して弥乃梨はロリコンでないのだが、子供っぽさを前面に押し出す作戦によって、彼は大きなダメージを負った。
「定位置じゃね。でも、取り敢えず立ってるんじゃね」
しかし、ダメージを負ったのは弥乃梨だけでない。市長はうっすらと頬を紅潮させていた。同頃、弥乃梨は左隣を見る。ラクトは怒ったような表情を浮かべていなかったが、すぐに「なに?」と聞いてきた。しかも作り笑顔を見せている。刹那、弥乃梨はラクトが動揺していることを察した。
『フルンティ市の市民、総勢三百万人の命を救われた女傑二人の栄誉を称えるべく、これより、勲章授与式を挙行いたします。始めに国歌斉唱。一同起立』
弥乃梨とラクト、それに市長が一列になって椅子の前に立ったところで、アナウンスが入った。国歌斉唱を行う旨が告げられると、ステージ上の三名は一斉に後ろのほうを向く。見れば、ギレリアル連邦の国旗とフルンティ市の市旗が掲揚されていた。後ろを向いてからまもなく、国歌の前奏が始まる。
弥乃梨は、男性差別の著しい国家ということで、それを体現したかの如き国歌が歌われるのかと思った。しかし、蓋を開けてみれば、ギレリアル連邦の国歌は実に平和的な歌詞で温かみのある曲だった。
『一同着席。続いて、勲章授与を行います」
弥乃梨とラクトが後ろを向いた時、あれだけ歓喜していた学生らは口を閉ざし席にじっと座っていた。やるときはやる、とはまさにことのことである。偽りの黒髪と赤髪はアナウンスに従って指定された席に座った後、学生たちが一様に静まり返ったことで緊張感を持ち始める。
『市長の言葉』
市長は小さく一礼し、マイクを持って起立する。ステージ中央に移動した後、彼女の口から二人に勲章を授与する理由が告げられた。
「私が彼女らに勲章を授与する理由は一つ。それは、周知の通り、彼女らがこの街の犠牲者をゼロにしたからなんじゃね。ある人は『たかが三百万人』と思うだろうが、それでも、三百万人を無傷で救出できたことは素晴らしき栄光であるんじゃね。だから私は、ここに、二人に勲章を授与することを宣言するんじゃね」
市長はそう言うと、後ろのほうにあったボードを立てるための机の上にマイクを置いた。直後、彼女はその机をステージの前方方向に動かし始める。定位置に設定し終えたところで、再びアナウンスが入った。
『勲章授与。市長から勲章を授与される者は、登壇してください』
アナウンスが入ったと同時、弥乃梨とラクトは勢い良く起立して市長の居る机の前に移動した。後方からはたくさんのシャッター音が聞こえてくる。一瞬の静寂が会場を包んだ後、市長は表彰状を両手に持って、その内容を読み始めた。
「表彰状。弥乃梨様、ラクト様。あなたがたは、フルンティ市民総勢三百万人の命を大きな慈悲とボランティアの心で救われ、われわれに傷を負わせないばかりか、われわれの傷を治癒し元気づけてくださいました。ここに、あなたがたのこの栄誉を称え、かつ勲章を授与します。フルンティ市長ならびに市民一同」
弥乃梨が前に出て、市長から表彰状をもらう。表彰状を渡す頃にはもう、照れた顔から普通の顔に戻っていた。少しして弥乃梨が後方へ一歩足を引き、それを合図にラクトが前に出る。勲章の授与だ。ラクトは、ギレリアル連邦の国旗が描かれた小さなバッジを市長から受け取る。
『授与された二人は後ろを向いて下さい。……大きな拍手をお願いします』
アナウンスに従って弥乃梨とラクトが後ろを向くと、すぐに大きな拍手が始まった。また、一人の学生が起立したのをきっかけに皆が立ち始める。二十秒後には、スタンディングオベーションになっていた。
『拍手をやめてください。これから、授与された二人が退場します。もう一度、大きな拍手をお願いします』
静まり返るやいなや、拍手の大きさはぶり返した。弥乃梨とラクトは市長から「頑張るんじゃね」と激励を受けた後、「ああ」「はい」とそれぞれ質問に答えて往路と同じ道を戻っていく。行きは三十分も掛かったが、市議院の入口まで帰りはわずか十二秒しかレッドカーペットを歩かなかった。
市議院に直進する通路に戻ってくると、やはり歓声が巻き起こった。しかし、市議院の復路でサイン色紙を出されなかったように、通路の復路でも弥乃梨とラクトに何かを求めるといった行為はなかった。二人は、行きとは段違いの速さで職員用階段と通路を隔てる扉の前に着くことができた。
偽りの黒髪は扉を締めた後、鍵を掛けた。二人は、ペースを合わせて階段を下りる。弥乃梨とラクトの靴が最初の踊り場に着いた時、赤髪はもらったバッジの袋一つを丁寧に開いて、中からバッジを取り出した。
「着けようよ。引っ掛けタイプだからやりやすいと思うよ」
「わかった」
バッジを一つ受け取ると、弥乃梨は左胸のポケットに引っ掛けた。ラクトも同様にバッジを引っ掛ける。その最中、魂石から紫姫が飛び出してきた。弥乃梨が持っていた表彰状をどこで管理するのか気になっているらしい。
「当然で申し訳ない、弥乃梨。その表彰状はどこで飾るんだ?」
「……魂石の中で管理してくれないか?」
「わかった。では、責任をもって管理させていただく」
丁寧に表彰状を受け取ると、紫姫はすぐに魂石へと戻っていった。再び二人になった後、無駄な荷物であるバッジの袋を捨てるためにごみ箱を探し、偽りの黒髪と赤髪は一階まで階段を降りていく。途中、二階と三階の踊り場にごみ箱を発見した。中にビニール袋があることを確認した後、ラクトがごみを捨てる。
「じゃ、戻ろっか」
「夕飯は?」
「き、きっと皆が食べないで残しててくれるはずだよ!」
「そう願うしかないもんな」
「うん……」
弥乃梨とラクトはまだ夕飯を食べていない。間食だって食べてない。一般的なヒトが死ぬまではまだ残り時間がたっぷりとあるが、精神的肉体的に疲れていた二人にとって夕飯というのは、言うなれば死活問題のようなものだった。
「まあでも、そんな深く落ち込むな。仕事が終われば飯を食べに遠征できる」
「でも、あと一時間半もあるんだね」
移動してきてすぐに事が進むか、或いは二十三時台まで事が長引くかしたら食事の話は早く進んだだろう。弥乃梨とラクトがフルンティ市役所で過ごしてしまった五十分という時間は、なんとも微妙だ。恐らく小隊のメンバーは既に夕食を食べ終わっているだろうし、レーフも例の新聞社に戻ってきているはずだ。しかし、腹は空いている。
「そこまで食べたいんなら、食糧を生成すればいいんじゃないか?」
「金属や化学物質に変化させたものを食糧にするとか絶対嫌だよ! ていうか、食べ物にしたら手の中に異臭を放つアレを置くことになるじゃん!」
「なら、却下だな」
食糧を生成するという考えは却下された。その後二人は話し合いを続け、「あと一時間半我慢する」という結論に至った。食事の予定以外に予め考えておくべきことは特に無いので、弥乃梨は踊り場でバリアを展開する。深呼吸した後、弥乃梨は例の新聞社社屋を行き先に選んで、テレポートの使用を宣言した。




