4-77 勲章授与はディナーの前に-Ⅰ
作業開始から五分位した頃、市街地にある元新聞社の本社屋上階で遺体管理を行っている彼女らの姿がラクトの脳裏を過ぎった。刹那、赤髪は「風呂に入らせないわけにはいくまい」と考え、黒髪に訴える。弥乃梨は「連れてくる」と即答すると、分身を作って例の新聞社社屋に向かった。
新聞社社屋内に設置された遺体安置所に着くやいなや、弥乃梨は第二小隊の小隊長を呼び出して入浴場所が変更された旨を告げる。勝手な変更に文句が噴出するかと思った偽りの黒髪だったが、第二小隊の小隊長は温厚そうな目で「わかりました」とだけ言い、監督下に有る小隊のメンバーらもこれに従った。
出発する準備が整ったところで、弥乃梨は自身が魔法を使える身であることを告げる。第二小隊の皆は初めこそ疑いの目を向けていたが、同じ部隊に所属する者同士であることを再確認すると、偽りの黒髪の言葉を信じた。第一小隊の小隊長は彼女らの期待に応えるべく、テレポートしかり影分身しかり、最大限の魔法使用パフォーマンスを行った。
野外入浴セットの付近に到着すると、拍手が咲いた。第二小隊のはしゃぎっぷりには目を引くものがあったが、そこは軍人。引くべきところはちゃんと分かっていた。十数秒で拍手するのをやめると、彼女らは一目散に野外入浴セットへと向かっていく。その後で、弥乃梨は分身を一つ消した。
第二小隊の皆が野外入浴セットから出てきたのは二一時過ぎのことだった。風呂あがり独特の火照った表情の彼女らに弥乃梨は若干鼓動を早めてしまったが、分身を作ることで収まった。偽りの黒髪はその分身に新聞社まで第二小隊を運ぶことを指示し、また到着後一分以内に遺体安置所で警備していた分身を連れて野外入浴セット付近に戻ってくるよう指示する。
移動はすぐに始まり、弥乃梨の指示通りに分身たちは帰還した。彼は、自分の分身に「よくやった」とグッジョブサインを送る。その上で、偽りの黒髪は自らの分身をゼロにした。
弥乃梨らが第二小隊を元新聞社に送った後、軍部が公務員らを強制的に入浴させる方針に固めたのだ。これによって、偽りの黒髪と赤髪は時間にして十五分程度、警備活動の延長を余儀なくされてしまう。
「一、二、三、四、五、六……。全員集まったな」
作業終了時刻が迫る五分くらい前に、第一小隊の皆が弥乃梨の周囲に集まった。弥乃梨が火照った女たちを見るのは、これが二回目。さすがに今度は心臓の鼓動が早まるとか心身に変化は見られなかった。長い間一緒に行動したせいで第一小隊の一般隊員が発する匂いに反応しなくなった結果だと考えられる。
弥乃梨は冷静に第一小隊の一般隊員の人数を数えると、先ほどと同じように自らの分身を形成した。刹那、偽りの黒髪は分身に先ほどと同じ指示を出す。「わかった」と返答すると、分身はバリアを張ってすぐにその場を離れた。二十秒くらいして分身が戻ってくると、弥乃梨は慣れた手つきで分身をゼロにする。
そんなこんなで、二人の野外入浴セット周辺警備活動は終わった。スマートフォンには『21:20』とあったが、作業の延長によって雑談タイムが延長したこともあって、弥乃梨とラクトには夜九時台に入ったという感覚がいまいちない。しかし、市役所庁舎に近づいてみて、二人の考え方は一変した。
「すげえ……」
市役所の正門に銃を持った陸軍兵士五名が配置されている。その向こうに、第十五師団の長であるバイオレットを中心として、災害派遣チームのアルファ、ベータ、ガンマ、デルタの長が一堂に会している。刹那、弥乃梨とラクトは予定表に書かれていたことを思い返す。二一時から師団ごとに会議、とあった。
「……なんか、近づいてきてない?」
弥乃梨とラクトが市役所の方向に視線を向けていると、市役所の正門で警備にあたっていた陸軍兵士の一人が二人に近づいてきた。兵士の足音が大きくなるのに比例して赤髪は怖気づき、ついには偽りの黒髪の後ろに隠れてしまった。彼女は偽りの黒髪の軍服の胸の横あたりを掴みながら、肩の上から前を見ている。
「既に入浴可能時間は過ぎているはずです。早く避難所にお戻り下さい」
「俺に避難所はない。これでも俺は、陸軍に属している」
「あ、あなたがたは第一小隊のお二人!」
月光が弥乃梨の顔を照らすと同時に、今度は陸軍兵士が怖気づいてしまった。兵士はまるで他国の国家元首を相手にしているかのごとく驚いてしまっていたから、弥乃梨とラクトに対し何度も何度も九十度近く頭を下げる。
「ご無礼をはたらき、大変申し訳ございませんでした」
「気にしないでくれ。というか、そんなに敬意を払うな。俺らはニコルに上官に任命された以外は新米兵士と同じなんだから」
「しかし、三百万人の命を救ったということもありますし……」
「十六億分の三百万なんて、そんなの一厘にも満たないだろうに」
「違います。ギレリアルの西部から東部までの沿岸地域、総勢七百万人のうちの三百万人を救ったんです。つまり、お二人だけで四割の国民を救ったんです!」
弥乃梨は沿岸地域に七百万人しか居ないことにまず驚いたが、その計算で出た救った人の割合にもまた驚いた。しかし彼は、意見をまるっきり改めない。「そういう考え方もあるのか」と視野を広げるのみに留めた。
「そういえば!」
「なんだ?」
「お二人に参考人招致が掛かっていた気がします。急いで向かってください」
「どこに向かうんだ?」
「市役所庁舎です」
「それならいいが……」
弥乃梨は「勲章授与の為に首都まで行かなきゃならなくなるのでは?」という不安があったから、「市役所庁舎に向かう必要がある」と聞いてひと安心する。だが、その安堵感は一瞬のものだった。『市役所庁舎』に係る修飾語には都市名が入るわけだが、それを聞いた瞬間に偽りの黒髪は安堵から一転、落胆した。
「市役所庁舎と言っても、フルンティ市の市役所ですよ?」
「そうか。分かった」
「頑張ってくださいね!」
「ああ、頑張ってくるよ」
もちろん落ち込みようを表情に出すことはない。折角情報を伝えてくれた相手に失礼だし、何よりプロジェクトが成功していないのにも関わらず階級では下にある相手に喜怒哀楽を示すのはペーパーリーダーと言われてもおかしくない。リーダーなら励ますものだと思って、弥乃梨は笑みを浮かべながら返答した。
警戒対象ではないと判断した陸軍兵士は市役所庁舎のほうへ帰っていく。カノアと違い憧れの対象が目の前に現れたからといって興奮を高めない彼女は、市役所庁舎正面玄関に戻った後は弥乃梨たちの方向にほとんど視線を向けなかった。同頃、第一小隊のトップ二人は今後の予定について話を進める。
「現在時刻は二一時半か。弁当、持って行っていくべきか?」
「勲章授与長引くかな? たとえ誰ひとり亡くならなかったとはいえ仮にも被災地なわけだし、そんな豪華なメニュー振る舞ったら暴動起きると思うけど」
「そこなんだよな」
弥乃梨とラクトは、大統領や軍のトップが集まる首都に召集されたわけではない。誰の命によって召集されたかはまだ明かされていないが、兎にも角にも、二人はサテルデイタではなくフルンティに召集されている。しかし、そこが疑問だった。なぜ、首都ではなく学園都市に二人を召集したのか――。
「でもまあ、私たち顔は知られているわけだし。弁当の場所は把握してるから、持って行こうと思えばすぐに持っていけるけど……どうする?」
「急がば回れ。持ってくぞ」
そう言うと、弥乃梨はラクトの手を握った。赤髪は「うん」と言うと、自分が得ていた情報を頼りに市役所庁舎の裏へ続く道に進んでいく。街頭に明かりはなく、夜空の星と市役所一階の暗い照明だけが二人を照らしている。一分くらい歩くと、ギレリアル陸軍の制服を着た兵士が一人見えた。
「ここへ何をしに来たのか告げよ」
「仲間の食糧をもらいに来た」
「部隊と役職と名を告げよ」
「第十五師団災害派遣チームベータ、第一小隊。小隊長、夜城弥乃梨」
「なるほど、君たちが三百万人を救ったヒロインか。通れ」
弥乃梨の名は既にギレリアル連邦軍の各位に伝わっているらしい。ラクトの名を告げるよりも前に、弥乃梨が姓名を名乗っただけで警備担当の陸軍兵士は二人を通した。偽りの黒髪と赤髪は、さらに市役所の裏へと進んでいく。少しして陸軍の戦車とテントを発見した。テント前の看板には、『The Fourth Platoon』とある。テントの出入り口にはでかでかと『α』の文字が書かれていた。
「ここに来たということは、食糧を貰いに来たんだろう?」
「その通りだ」
テントの目の前には陸軍の制服を着た兵士があぐらをかいて座っていた。弥乃梨もラクトもその光景を見て、「なんだこいつの態度……」と思う。だが、兵士は二人が用件を話す前にすっと立った。女は問いかけながら、偽りの黒髪と赤髪の方向に近づいていく。
「何人分の食糧を要求する?」
「十一人分、頼む」
十一という数字は、レーフと第一小隊・第二小隊の総人数を含めた数字ではない。偽りの黒髪が発した数字は、弥乃梨とラクトの分を引いた総人数だ。極端に多いわけでも少ないわけでもない数字を聞くと、兵士はテントの中に入っていった。二十秒ほどして、弥乃梨の言葉通り十一人分の食糧が提示された。
「以上だ」
提示された食糧は、大きな一つ段ボール箱の中に全てあって、一切が透明なプラスチックの容器に入っていた。容器は二段構えで、一段目にはチョココロネとカレーパンとハンバーガーが一つづつ入っている。二段目はそれよりも少し小さめの大きさで、そこにはサラダとドレッシングの入った袋が入っている。二段目の上には、紙パックのアップルジュース。
「これで全部か?」
「そうだ。栄養に心配があるかもしれないが、問題ない。夜は軽くすべきだ」
「そうだな。じゃ、これらをもらっていく」
「待て。署名をしていない」
「署名?」
「購入者の名前を記録すると同時に、データ・アンドロイドの配達に関わる重要な記録になるからな。署名の必要性は大きい」
説明をしながら、陸軍兵士は胸ポケットからメモ帳を取り出した。布を挟ませていたペンを弥乃梨に渡し、メモ帳を渡す。書類の大きさこそ小さいものの、メモ帳と思しきそれはきちんとした署名用紙だった。
「だが、俺らは魔法を使える。データ・アンドロイドによる配達は要らない」
「そういう場合は、ここの『Delivery』の欄の『No, Thank you』にチェックを入れてもらえればそうする」
「わかった」
書類上の『Name』と書かれた欄に英字で自身の姓名を記し、隣の欄に師団と小隊の名を記す。弥乃梨は、物資を渡す際は公務員か軍人の許可が必要というのは例の市役所職員から聞いていたから、あえて堂々と職業を書いた。下の欄に移り、言われたとおり『デリバリー』の欄は『ノーサンキュー』をチェックする。
「署名を確認した。では、持っていけ」
「ああ」
提示された食糧の入った段ボール箱を持ち上げると、弥乃梨は陸軍兵士を巻き込まない広さでバリアを展開した。しかし、すぐ目の前に人が居る状況で魔法を使うのは見せびらかしている感じがして気が引ける。でも、時間が時間だ。偽りの黒髪は小隊の皆に早く食べさせたいと思うと、瞬時にテレポートした。
行き先は例の新聞社。到着するやいなや、二人は正面玄関から暗闇を進んで階段へと進む。不審者扱いされるのは嫌だったので、二人とも周囲に声を掛けながら、自身の身分を明かしながら、バリアを展開しつつ階段を進んでいく。一階と二階の踊り場に差し掛かった時、ラクトが一般隊員の姿を発見した。
「隊長! 隊長補佐!」
「夕飯、持ってきたよ」
「ありがとうございます! 早速、部隊総長室に運びましょう」
「うん」
一般隊員は部隊総長室のドアを開けることを即決した。でも、ドアの向こうにポンと置いたりしない。ドアが閉じようとすることを阻止するかのごとく、ドアを開けて出来た廊下と部屋との間に挟んで置く。
「もう夜の九時半だから、食べてていいよ」
「食べてて、というと……?」
「召集が掛かってな。これからフルンティに行かなきゃいけないんだ」
「そうなんですか」
召集が掛かった旨を告げ、一般隊員が返答すると、直後にラクトが口を開く。
「その段ボール箱の中には私達以外の第一小隊全員と第二小隊全員、それに部隊総長の分の食糧が入ってるよ。ちょっと質素かもしれないけどね」
「これだけあれば十分です。あとは寝るだけですから」
「そっか。じゃあ、食べててね」
「はい、わかりました。では、頑張ってください」
一般隊員の言葉に、弥乃梨とラクトは同じタイミングで「おう」と「うん」とそれぞれ言った。一通り用事が済んだところで、弥乃梨はバリアが展開されていることを再確認する。行き先をフルンティ市役所庁舎の屋上に指定すると、弥乃梨は内心で魔法使用を宣言した。
「それじゃ、行ってくる」




