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チートなしで敗戦国家を救うことになりました。  作者: 浅咲夏茶
四章 ギレリアル編 《The nation which has only women.》
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4-76 カップとミルクとバスタイム

 中学校に移動してきてすぐ、弥乃梨達は三つのチームに分かれた。直後、ラクトが大きめのポリ袋を作ってそれぞれに渡す。準備が整ったところで、三組は一斉にノックを行う。持ち場の教室のドアが開いたのを合図に、それぞれのペースでの容器の回収作業が始まる。


 食料の配給が完全に終了したのは十九時三五分頃なので、偽りの黒髪達が来た時には既に三十分が経過していた。しかし、たとえ人口が二桁に届かない自治体といえど、避難所には老若男女――もとい老婆から幼女から乳児までが身を寄せている。教室に入って早々、一児の母と思しき女性がラクトに近づいてきた。


「兵隊さん、私の赤子にミルクを下さいませんか?」

「母乳は……」

「昨日から出ないんです。家から一日分のミルクは持ってきたのですが……」

「分かりました。至急、手配します」


 ラクトは内心を読んで母乳が出ない理由を理解した。女性が赤子に母乳を上げられないのは、震災によって家族を失ったことに起因しているらしい。つまるところ、ストレスが一番の要因というわけだ。ラクトは母親にミルクの無償提供を約束すると、弥乃梨のほうに視線を向ける。一方、偽りの黒髪は頷いた。


 教室から退場していく途中、弥乃梨はラクトに近づいてその耳元で言った。左手に持っていたポリ袋をバトンパスかの如くスムーズに赤髪に渡しながら、傍受されないけど伝わらないわけでもない絶妙な声量で、彼は言った。


「ちょっとだけ、一人二役がんばってくれよな」


 弥乃梨の言葉に、ラクトは少しだけ口角を上げる。赤髪はニヤけ顔を公衆の面前で晒せるようなガサツ系ではないので、下を向きながら笑みを浮かばせていた。弥乃梨が教室から出て行く音を聞くと、彼女は「彼氏の分までやってやろう」と奮起し俄然やる気になる。


 一方の弥乃梨は、教室から出た廊下で精霊魂石に声を掛けた。もちろん、石と会話するなど異常者と思われてもおかしくない行為なので、トイレに行こうと教室から出てくる人がゼロであることを祈る。当然ながら声量は最小だ。


「紫姫、ここ周辺の警備をお願いしたい」

「了解した。貴台からの指示があれば、ラクトとの仲介役も務めよう」

「凄く助かる。じゃ、頼んだ」

「うむ」


 紫姫に警備を依頼すると、弥乃梨は野外入浴セットが設置されている市役所庁舎の目の前にテレポートした。物資が野外に置かれていることなどあり得ないので、事前に得ていた情報から行くべき場所を判断する。偽りの黒髪は、まず市役所一階の窓口に赴いた。


「すみませ――あ、貴方は朝の!」

「声が、大きいです……。それで、どのような御用件でしょうか?」


 弥乃梨が声を掛けた市役所の職員は、障碍者に暴行を振るっていた三人のうちの主犯格の女だった。女は弥乃梨の驚きように身震いしていたが、何かを諦めたかのようにシュンとした声で言葉を発するのを見て、偽りの黒髪は朝の一件について猛省しているのだと察する。


「ミルク、貰えないか?」


 身体が不自由な人に対して全体の奉仕者が暴行を振るうという絶対に許されない行為を叱った時、弥乃梨はタメ口だった。改まって敬語を使うとかえってバカにしているように聞こえるだろうと思い、偽りの黒髪はタメ口で依頼を行う。市役所職員は、テーブルに置かれていた一枚の紙を提示した。


「本日二一時、二四時、明日三時、六時の四回分でいいですか?」

「それで頼む」

「分かりました。では、こちらに依頼人と代理人のサインをお願いします」

「依頼人……」


 市役所職員が提示した書類の上部には、太字にゴシックで『Certificate』と書かれている。全面にわたって英語で書かれていたが、『Sign』の項目は枠の中にあったのですぐに分かった。枠は二つあって、上が『Client』で依頼人、下が『Agent』で代理人がサインする欄のようだ。


 サインするにあたって注意事項が書かれていたが、さほど長文というわけでもなくスムーズに読み取れた。しかし、今求められていることは読み取ることではなく依頼人と代理人の名前を書くこと。代理人の名前は良いとしても、偽りの黒髪は依頼人の名前が分からなかった。


「ちょっと、保留にしてもらえないか?」

「構いません」


 弥乃梨は一時的にサインを諦めると、ロビーを早歩きで進んで市役所庁舎から出た。野外入浴セットを左手に見ながら暗闇のほうに進み、周囲に人気が認められない場所に到着したところで魂石に話しかける。


「紫姫に頼みがある。ミルクが欲しいって依頼を受けて市役所に来たは良いものの、ミルクの提供には依頼人の名前が必要でな……。だから、依頼人の名前を読み取ってもらいたいんだ」

「我はバーコードリーダーか何かか? ……それはそうと、少し待っておれ」


 紫姫は『読み取る』というところで違和感を覚えたらしく、「バーコードリーダーみたいに言うな」と不満気に言った。でも、そこはパーティー内で一番弥乃梨に従順な精霊。特段自分に被害があるわけでもないので、紫髪は依頼主の女性の名前の調査を始めた。結果は、三十秒くらいで魂石越しに送られる。


「メモアプリの準備はいいか?」

「メモアプリは必要なのか?」

「メモアプリを準備しろ、というのはラクトの考えだ。エルフィリアと違って、ギレリアルで使用される書面の大半には英字が使用される。聞き取って書くのは簡単かもしれないが、スペルという概念がある以上、万全を期すべきだろう?」

「さすが気が利く女……」


 弥乃梨は先を見据えた素晴らしいアドバイスが出来る彼女を持ったことを、改めて嬉しく誇らしく思った。もちろん、紫姫はこれを好ましく思わない。精霊はそれまでよりも格段に冷えた声で言った。


「それでは、スペルを読み上げる」


 紫姫の台詞を聞くやいなや、弥乃梨は慌ててスマホを取り出しメモアプリをタップした。ディスプレイを軽く押してパカパカする青色の縦棒を画面上に表示して、紫髪が言い上げる英字を素早く入力しようとキーボードをクワーティ配列にする。ひらがなにされては困るのでアメリカ仕様だ。


 しかし、弥乃梨が準備を終えた頃には読み上げなどとっくに終わっていた。もっとも、そこはパーティー内で最も従順な精霊。偽りの黒髪に対抗心を持ってそそくさと読み上げたとしても、主人が困るのを心配する気持ちはそれを凌駕するほどに強かった。紫姫は心配を募らせながら平然を装い、弥乃梨に聞く。


「もう一度読み上げるべきか?」

「頼む」

「では、もう一度読み上げる」


 紫姫はそう言って依頼人の名前を再び読み上げる。紫髪は名から姓に移るところでしか間を開けなかったが、鍛えた入力スピードのおかげで、弥乃梨は一度ですべてを聞き取り入力することができた。


「ありがとう」

「こちらこそ」


 聞き取った文字列に間違いがないことを確認した後、魂石の向こうの精霊に感謝の言葉を掛けて、弥乃梨は紫姫との会話を終わらせた。電源ボタンを押してスマホをロックし来た道を戻っていく。偽りの黒髪は大きめの歩幅で歩き、市役所庁舎に入って例の市役所職員が担当する窓口に向かった。


「名前、確認したんですね」

「ああ」

「では、こちらの証明書に依頼人と代理人の名前を記入して下さい」

「……なんか追加されてないか?」


 弥乃梨は、提示された証明書に違和感を覚えた。市役所庁舎を出る前には書かれていなかった『FGR ARMY』という文字列が、『代理人』の枠の右側に書かれていたのである。これについて、市役所の職員はこう答えた。


「物資をギレリアル軍が管理している関係で、被災地域で物資を供給する場合は軍人か公務員の名前が必要なんです。本来なら私がサインしなければならないんですが、貴方が陸軍に所属しているということで簡略化させていただきました」

「なるほど」

「……質問は以上でよろしいですか?」

「ああ」

「では、これをどうぞ」


 質問が無いことを確認した後、市役所職員は弥乃梨に黒色のボールペンを渡した。偽りの黒髪はテーブルの上にスマホを置き、ロックを解除してメモアプリを見ながら、依頼人の名前を一字一字丁寧に書いていく。その一方、自分の名前はささっと書いた。スペルミスがないことを確認し、市役所職員に渡す。


「では、受理させていただきます。少々お待ちください」


 市役所職員はスペルミスなど確認しない。必要なことが枠に書かれているかどうかだけを確認する。その上で弥乃梨に証明書を受理する旨を告げると、女は物資の搬入が行われている市役所庁舎の三階に急行した。翻り、偽りの黒髪は個人情報保護の観点から名前についてのメモを削除する。


 おおよそ一分くらいして、市役所職員は再び弥乃梨の前に姿を見せた。女は、布に包まれた哺乳瓶四本が入った小さい段ボール箱を抱えている。段ボールの上部には、ギレリアル陸軍が提供を許可したことを明記する陽刻の印が押されていた。市役所職員は、その段ボール箱を軽々しく弥乃梨に渡す。


「こちらが四食分のミルクになります。熱を瓶内に留める工夫を施してはいますが、万一冷めてしまった場合は付属の機械で温めてください」

「分かった」


 市役所職員から段ボール箱を受け取って内容物の説明を聞くと、弥乃梨は頷いて返答した。朝の一件で顔を覚えただけに過ぎないのだが、一応は顔見知りなので去り際に「ありがとう」と声を掛ける。でも、偽りの黒髪の口から出た言葉はそれだけに留まらなかった。


「じゃあな、頑張れよ」

「ありがとうございます」


 市役所職員は動揺することなく冷静に返答した。弥乃梨は女から受け取った段ボール箱を抱えながら市役所庁舎のロビーを進み、正面玄関から人気のない場所に向かう。周囲に人が居ないことを確認して、テレポートを使用した。



「その段ボール箱には、例の品物が入っているのか?」

「そうだ」

「ミッション達成、ということだな? では、我は失礼する。ラクトは隣の隣の教室だ」


 中学校の校舎内に戻って弥乃梨が紫姫を見つけて早々に、紫髪が精霊魂石の中に戻る。面と向かって感謝の言葉を伝えようと思ったのだが、叶わなかったので、偽りの黒髪は魂石に向かって言うことにする。彼はその上で、ミルクの提供を依頼した本人が居る教室に向かった。


「失礼します。ミルクを届けに来ました」


 ノックして教室のドアを開ける弥乃梨。紫姫の言っていたとおり、そこにラクトの姿は無い。そのかわり、ミルクの提供を依頼した本人が泣きそうな勢いで偽りの黒髪のほうに近づいてきた。


「ありがとうございます……」

「気にしないでください。では、これで」


 依頼主は弥乃梨が教室から出て行くのを見ながら、何度も何度も「ありがとうございます」と感謝の気持ちを口にしていた。偽りの黒髪は、人の為になる活動を行えたことを誇らしく思いながら廊下を進み、紫姫が言っていた隣の隣の教室に入ろうとする。その時だ。


「おつかれ」

「おう」


 弥乃梨が教室に入ろうとするのとラクトが教室から出ようとするタイミングがピッタリと重なった。赤髪から二十個程度の紙容器が入ったポリ袋を受け取ると、偽りの黒髪らは次の教室に向かって歩き始める。だが、一階の教室には入らない。階段を上り、二人は二階の各教室を回ることにする。


 市役所隣の中学校の二階には、地下シェルターから避難してきた高齢者や障碍者が多く居る。皆、弥乃梨らが連れてきた人達だ。偽りの黒髪と赤髪は「こっちに来てどうですか」とか「辛かったでしょうね」と問いかけ、彼女らに寄り添った対応を心掛ける。膝をつき目線を合わせて会話していたので、時折、「君たちは王家の血筋でも引いているのかい?」などと質問されたこともあった。


 出会った人達に笑顔をまきながら弥乃梨とラクトは紙容器の回収作業を続ける。もちろん、中学校の三階にも赴いた。三階の教室には二人と同年代の女子が数多く居たので、二人は彼女らと共通の話題で盛り上がることが出来た。一方、偽りの黒髪と赤髪は必要に応じて二階でやったような心のケアを行うことも忘れない。




 全ての作業が終わったのは予定から二十分以上遅れた午後八時半すぎのことだった。弥乃梨が「五分で終わらせる」とほざいていたこともあり、第一小隊が全員揃うやいなや、一般隊員の一人が弥乃梨に批判コメントを発する。


「有言実行できませんでしたね、隊長」

「本当に申し訳ない」

「私達の所要時間は七分、対して隊長達は二五分。しかし、回収した紙容器の量に大きな違いは認められません。……ふざけていらっしゃるんですか?」

「俺の指示ミスだ。本当に申し訳なかった」


 弥乃梨は軽く頭を下げた。でももう、第一小隊はしっかりと小隊としてまとまっていた。一般隊員は隊長が謝罪したのを見ると「改善してください」とだけ告げ、彼女はそれ以上追及することもなく、謀反するような真似もしない。


「それじゃ、予定通り合同バスタイムだ。これから、野外入浴セット前に移動する」


 予てから言っていた『合同バスタイム』を実現させるべく、弥乃梨は周囲にバリアを展開して野外入浴セット前までテレポートする。程なくして市役所庁舎の真ん前に着くと、偽りの黒髪は一般隊員達に対して集合時刻と集合場所を告げた。


「集合は二一時、野外入浴セット前とする。俺らが使っていい時間まであと五分くらい時間があるから、わずかとは思うが、つかの間の自由時間を楽しんでくれ」

「はい」


 一般隊員の返事を聞くと、弥乃梨は少し溜めてから言う。


「解散!」


 隊長の指示を聞くやいなや、一般隊員らは散らばって――いかなかった。理由は単純。入浴開始可能時刻まで五分と弥乃梨が言ったことで、「五分しかないならトイレに行こう」と皆一斉にトイレへ向かったのである。だが、野外入浴セット付近に二台設置されていたトイレには行列が出来ていた。


 それでも、野外入浴セット付近に設置されていたトイレ二台を起点に出来ていた大行列に並ぶ一般隊員たち。市役所庁舎内のトイレは水洗式のものであるため、自ずと大行列になってしまうようだ。そんなふうに業種を越えて大行列を作る女たちを遠目で見ながら、ラクトは弥乃梨に問う。


「弥乃梨は、あれを見てどう思う?」

「女って大変なんだなあ、と改めて思う」

「もっと設置すればいいのにね」

「けど、設置する間隔が近すぎると擬音装置の大合奏が起こるだろ」

「擬音装置の存在、知ってるんだ?」

「まあ、ぼちぼちな」


 弥乃梨はパンドラの箱を開けてしまった気がして心臓の鼓動を早める。ラクトに限って「変態」とかこじつけてくることは無いだろうと思いつつも、《それ》が設置されている大半は女性用トイレなので、偽りの黒髪は突き刺さるフレーズが飛んで来るのではないかと警戒する。


「……なんでそんな応戦する気満々なの?」

「なんか、パンドラの箱を開けてしまった気がしてさ」

「さすがに、その程度で『変態』とか言う女は居ないと思うよ。てか、上手い皮肉だなって思った」

「どこがだよ」


 笑みを浮かべながら言うラクトと、その気が全く無くて色々驚く弥乃梨。


「風呂は例外として、原則、食料目的以外に水は使えないんだよ? それなのに擬音装置使うとか自殺行為にも程があるじゃん」

「確かに、『してませんよ』じゃなくて『してますよ』って受け取られるかもな……」

「でも、大合奏までいけば本来の意味になるかもね」

「途中で演奏が止まるような無能合奏団の演奏を聞く奴なんて居るのか?」


 話の内容はとてつもなく下らないのだが、色んな人と接してきたことで溜まったストレスを発散するには、そういう話がベストだった。ゆえに二人は、軍人向けに野外入浴セットが開放されるまでの四分間、心ゆくまでこのとてつもなく下らない擬音装置の話を続ける。ある程度の鬱憤晴らしを終えたところで、二人は公人としての話をした。


「んじゃ、風呂周辺の警備に行くか」

「そうだね」


 テレポートを使用してではなく、二人は歩いて、これから三十分の間警備を担当するエリアに向かう。朝渡された拳銃があることを確認した後、第一小隊の皆がどこらへんに居るのか確認しながら公務員・軍人専用の入浴場付近に向かう。到着後、二人は手をグーにして拳を合わせて同じタイミングで同じ台詞を言い、すぐに警備作業を始めた。


「「頑張ろう!」」


 三十分という長いようで短いようで何とも言えない時間が無事に過ぎ去ることを祈りながら、二人は一組になって、それぞれの入浴セットの周辺を隈なくパトロールする。

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