4-72 部隊総長
第一小隊は、津波で本社社屋に深刻なダメージを受けた新聞社――もとい、災害派遣チーム・ベータの本部に戻ってきた。同頃、心機一転したのか、副隊長の興奮の度合いが下がり始める。話を切り出すにはこれ幸いと思い、弥乃梨は隊員にこれからすることを今一度説明した。
「これから、部隊総長に作戦の成果を報告してくる。今後の予定も確認してくる。それで、乗り込みたければついて来ても構わないんだが、……どうする?」
隊長は説明の上で一緒に来るか否かを問う。直後、隊員皆が首を横に振った。
「そうか。じゃあ、ここで会話とかして待っててくれ」
偽りの黒髪が指示を出すと、隊員たちはすぐに「はい」と返事をした。だが、弥乃梨は新聞社の社屋に入る際、「与えられた自由の意味を曲解して、また自分の前から姿を消すのではないか」ともしものことを考えてしまった。しかし、既に和解している。第一小隊の隊員を過度に心配する必要はない。
「行くぞ、論戦の女王」
「その言い方はやめろって前に言ったじゃん」
「人の顔見てニヤけてた仕返しだ」
「べ、別にニヤけてなんかないし!」
「はいはい嘘乙。はやく行くぞ」
ラクトは異議を唱えたが、弥乃梨は見事にスルーした。聞く耳を持たない姿勢を見せた隊長は、当然、副隊長から怒りを買う。だが、赤髪が異議を唱えた理由は、「自分の社会的地位や社会的立場が危うくなりそうだから」である。突発的な興奮が静まると、ラクトはその時の自分のことを恥ずかしく思って内省した。
そんな赤髪の内省が終了したのは、新聞社社屋の二階――すなわち、連邦陸軍災害派遣チーム・ベータの本部が置かれた部屋とを隔てる扉の前でのこと。警備員として扉の前に配置されていた兵士が、弥乃梨とラクトに声を掛けた時のことだった。女はまず、二人に対して真正面から質問をぶつけた。
「まだ日も暮れていないというのに、なぜここへ来たのですか?」
「部隊総長と話がしたいからだ。今日の成果と今後の予定についてな」
「役務を放棄したわけではないのですね?」
「もちろん。俺らは、するべき役務を終えた上でこの場所に居る」
「そうですか。しかし現在、残念なことに、部隊総長は席を外しております」
話が進む中で、ラクトが内省モードから対話モードに切り替わった。同頃、警備員が部隊総長が離席中であることを告げたのをまるで合図にしたかのように、階段から足音が聞こえてきた。まもなく、踊り場にある女性が現れる。
「部隊総長!」
その姿は、紛れもなく部隊総長レーフの姿だった。手を拭きながら階段を上ってきたことを考えると、化粧室に行っていたことが離席理由だと考えていいだろう。もっとも、水道が止まっている現在、水を供給する車両もないこの新聞社社屋の化粧室がまともに使用できるのかは不明だが。
「初日のうちに仕事を終えてしまうとは、さすがラーナーのお墨付きの女じゃ」
「(女扱いか……)」
弥乃梨はレーフが自分のことを「女扱い」したことについて、嬉しいような惨めなような気分になった。本当の自分がバレていないことは嬉しいが、本当の自分を否定されているような気もしてならない。
「ここで立って話すのも苦じゃろう。ほれ、入るのじゃ」
レーフが言うと、警備員は素早く本部が置かれている部屋の扉を開けた。午前見た部屋の様子からほとんど変わっていなかったが、唯一、部屋の中央に椅子が三つ並べられているのが分かる。赤髪が質問した。
「なんで椅子が三脚あるんですか?」
「君たちの椅子が二つ、あと一つは第二小隊の隊長のための椅子じゃ」
「第二小隊なんて活動中に見かけませんでしたけど……」
「いいや、活動中に見かけてるはずじゃぞ。例えば、上階の遺体安置所に――」
「つまり、第二小隊は本部の警備と管理をしているってことですか?」
「そうじゃ」
そういうことなら、そこら中を縦横無尽に探して見つからないのも頷ける。
「じゃが、そんなことはどうでもいいじゃろ。ほれ、早う席に座るのじゃ」
疑問が解決し話が一区切りついたところで、話は次へと移った。弥乃梨とラクトは、レーフに指示されたとおり前に進んで置かれていたパイプ椅子に座る。同じように部隊総長が座席に座ったところで、報告会が始まった。
「それで、君たちは何をしにここへ来たのじゃ?」
「この町の存命者および犠牲者すべての発見が終了したことを告げに来た」
「それについては知っておる。どんな職種であれ、ほとんどの人が、本部に来る理由として『するべきことを終えたため』と挙げるからの。肝心なのはそれ以外の理由のほうじゃ。少数で話したい理由があるのじゃろう?」
レーフは、警備員と弥乃梨との間で交わされた話を聞いていなかったはずである。しかし、部隊総長は偽りの黒髪とラクトがここへ来た目的を見抜いた。否、正確には「見抜いていた」が正しい。第一小隊の隊長のことを「女扱い」した時、既に弥乃梨の目的の一つである「報告するため」というのを見抜いていた。
「もちろん。まず、今後の予定を確認しに来た」
「今後の予定なら大まかには決まっておるぞ。ほれ、計画表じゃ」
レーフは予備用に作られた計画表を弥乃梨に渡した。すぐさまラクトがパイプ椅子を偽りの黒髪のほうに近づける。二人とも計画表に視線が向かっているのを確認すると、部隊総長が口を開いた。
「第一小隊および第二小隊の夕食会場はこの新聞社じゃ。時刻は二十二時を予定しておる。その後、二十三時より入浴時間とし、小隊ごとにまとまって入浴する。新聞社の会議室に野外入浴セットを設置する予定じゃ」
入浴についての話が出たとき、弥乃梨もラクトも歓喜した。自意で断ったこともあるが、昨晩は風呂に入っていない上にシャワーすら浴びていないから、入浴時間が設けられているだけで喜べた。――が、二人の表情はすぐに硬くなる。
「就寝は二十四時を予定しておる。就寝場所はこの建物の最上階じゃ。津波の被害から免れていたから、余震および津波の際にも対応できると考えておる。なお、隊長には交代で建物を巡回してもらう予定じゃ」
「時間は?」
「第一小隊の隊長が二十四時から二十七時、第二小隊の隊長が二十七時から六時を予定しておる。ちなみに、明日の起床時間は朝七時じゃ」
「明日の予定は?」
「以降の説明は計画表をもって代えさせてもらう」
計画表を見ると、明日の夜までの計画が記載されている。第一小隊の欄には、『作業終了次第、隣接自治体へ移動し捜索活動を継続』とあった。朝九時から日没三十分後までが作業時間として設定されている。弥乃梨もラクトも「身支度に二時間も必要か?」と疑問を抱いたが、価値観の違いだと思って何も言わない。
「ところで質問なんだが、隊長だけ先に入浴とか、そういうのはないのか?」
「軍隊の設備は国民の血税によって使用されているから、それはできんな」
「そうか」
「じゃが、君は瞬間移動ができる。自らの裸体を晒すのが嫌だというのであれば、エルフィリアでシャワーを浴びてくるのはどうじゃ? 何も支給しないが」
レーフの提案に弥乃梨は目を丸くした。だが、同時に、心の中でホッとする。
「とはいえ、時間が限られておる。計画表を見てもらえばわかるが、作業が強制的に終了する日没三十分後から十八時半にかけて、私たちは、避難所である市役所庁舎付近に移動しなければならん」
「十八時四十五分から炊き出し作業、十九時半に夕食、二十時十五分から片付け、二十一時から市役所で各師団ごとに会議、二一時半から入浴場の設営……」
食事を提供するために避難所に移動することが計画表に明記されていた。市役所で師団ごとに会議を行うことも書かれていたが、十八時以降トイレに行く以外でまともに休憩できないことが、何よりの驚愕ポイントだった。
「シャワー施設に行くなら今しかないのか?」
「そうではないぞ。二人一緒にシャワー施設に行くのは警備上の観点から禁止するが、交代でシャワー施設に行くというのであれば問題ないじゃろう。それに、深夜のほうが心地いい眠りにつけると思うのじゃが」
「なるほど」
巡回中に寝落ちするのは論外だが、入浴後に眠りに落ちやすいのは確かだ。とはいえ、入浴後といっても効果を発揮するのは二時間くらい後のことだ。計画表通り二十四時に就寝する場合、そこまで効果は期待できないかもしれない。
「じゃが、もし仲間と一緒に入浴しないというのなら、布団を敷いてもらう」
「構わない」
「《綺麗》に敷けるのじゃな?」
「ああ」
「ならひとつ、懸けてみようかの。もし出来ていなければ、入浴権は剥奪だ」
「臨むところだ」
ここに新たなバトルが決定した。しかし、話題はすぐに移り変わる。一度下を向いてすべての話を終えたいような素振りを見せるやいなや、レーフは勢い良く顔を上げて弥乃梨のほうを見た。裏がありそうな笑みを浮かべている。
「それで、ここに居る理由の二つめはなんなのじゃ?」
「明日の救助作戦についてなんだが、最初からこの町以外で活動する方向でいいか? あと、マスメディアから非難を買わないような対策もしてほしい」
「そもそも、君がここに来た時点で明日の計画は大幅に変更されているぞ。じゃから、君たちには最初からこの町以外で活動をしてもらう予定じゃ」
「マスメディアについては――」
「君は政府が『緊急事態宣言』を発令したことを知らないようじゃな」
レーフは弥乃梨をバカにするように鼻で笑ってそう言う。だが、部隊総長はすぐに態度を変えて、ギレリアル連邦における『緊急事態宣言』の効果について話した。その上で、部隊総長は偽りの黒髪の質問に答える。
「『緊急事態宣言』発令時、報道機関は政府の統制下に置かれる。もっとも、国民の不安感情を煽らない限りは何を報道してもよい。じゃが、軍の救出作戦の障害とならないように許可申請手続を踏む必要が出てくる」
「つまり……」
「拡大解釈すれば、報道機関がこの町に入るのを規制することは『可能』じゃ」
例えば報道機関がヘリコプターを飛ばす際、軍の救出作戦の障害をなくすという観点から、申請手続で飛行コースを告げなければ許可が下りない。裏を返せば、合法的な措置によってこの町に入るヘリコプターをゼロ機にできるのである。
「じゃあ――」
「じゃが、たとえ憲法で認められているからといって、軍が権力を濫用すれば反動が起こる。最悪の場合、『正義の味方』から『民衆の敵』になるかもしれん」
「そうか……」
軍隊は民衆の目の敵にされやすい性質を持つ。国民が一丸になって軍部を支持することもあれば、何らかの反動で国民が軍部を徹底的に非難することだってあるのだ。もっとも、軍隊はその国が誇る最強の武装集団。罵詈雑言やバッシングなどで軍人が肩身の狭い思いをしてしまうのは、仕方がないのかもしれない。
「じゃが、私は君たちのために最善を尽くすつもりじゃよ」
しかし当然、肩身の狭い思いをするのは嫌だった。国のためを思って活動しても褒められることはなく、嫌がらせを受け皿になることを強要される。そんなのは嫌だった。だから、軍人は仲間と繋がろうとする。上官は隊員を擁護する。
「私は君たちと違って無能じゃ。じゃが、だからこそ出来ることがあると考えておる。たとえば、この席に座って君たちの能力を最大限に引き出すこととかな。もちろん魔法のみならず、君たちの行動力や判断力、影響力も含んでじゃ」
その考え方は、『適材適所を理解し、自分の立場を理解し、するべき行動を実行する』という弥乃梨の考え方に酷似していた。だから、偽りの黒髪はレーフの言っていることについて大いに関心を持つ。居住環境が同じだと性格や思想も似通ってくるのか、弥乃梨ほどではないにしろ、ラクトも大いに関心を持った。
「そこでなんじゃが、ここで一つ、質問させてくれないかのう?」
「構わない」
弥乃梨が言うと、レーフは深呼吸した。そしてこう問う。
「なぜ、こんなに早く捜索活動を終了することが出来たのじゃ?」
「それは仲間のお陰だ。所詮、そいつ以外の第一小隊のメンバーは、人の存在を確認する魔法に従って行動しただけに過ぎない」
「興味深いことを言うのう」
そのとき、レーフは閃いた。
「その魔法を転用すれば、人があるところを紙面に記したりできるのか?」
「可能だ」
「なら、被災自治体のすべてを調査してもらえないじゃろうか」
「存命者と犠牲者が居る場所を特定し、数を把握しろってことだな?」
「そういうことじゃ」
「わかった」
精霊魂石にロックを掛けているアイテイルの心の黒い部分を浄化することが先手なのは重々承知の上だった。銀髪の考えを尊重したい気持ちは山々だった。でも、もしも自分たちが行動を起こしたことで一人でも多くの負傷者を存命させることが出来たならば、これ以上に光栄なことはないだろう。
「でも、するなら日中のほうがいい。それも、できれば今日――」
「データさえ送ってくれればいい。他部隊へのデータ移送はこちらが担当する」
「けど、そんなことしたら人員不足に陥らないか?」
「いいや。第一小隊の六名をこちらに回せば人員不足は起こらないはずじゃ」
「だとしても、六人全員が電子機器を巧みに操作できるとは限らないだろ?」
人数的な面において人員不足が解消できても、仕事面で使えなければ無用の長物でしかない。だが、弥乃梨のすぐ近くに救世主が居た。
「このお人好し隊長め! 大体さ、単にメールに画像添付するだけじゃん?」
「確かに言われてみれば……」
だが、その結論は浅はかだった。「教示する手間が省けるのではないか」と思った矢先、レーフが、メールに画像を添付するという行為をしないのが現代ギレリアル人のデバイス事情であることを告げたのである。どうやら大半の国民は、そういった手間のかかる行為をデータ・アンドロイドに一任しているらしい。
「でもまあ、なんとかなるさ。操作方法を教えるくらいなんてことない」
「使ったことないソフトウェアかもしれないのにか?」
「メールソフトウェアの操作方法なんて高が知れてるって」
明らかにフラグの臭いがしたが、弥乃梨はラクトの自信に一つかけてみることにした。赤髪のハッキング技術は、エルダレア独裁政府やカルト勢力に絶大なダメージを与えたこともある。ソフトウェアの使い方について説明する程度、彼女にとっては余裕すぎて、バカにしているのか疑いたくなるレベルの話だろう。
「そうか。じゃあ、頼む」
「うん。じゃ、皆を呼ぼう」
「ちょっと待ってろ」
弥乃梨は言い、すぐに第一小隊の六人が待機している新聞社の正面玄関前に向かう。階段を使うと必然的に警備員の前を通り過ぎることになるから、少しでも早く六人を二階に連れてくるためにも、偽りの黒髪はテレポートを使用した。
弥乃梨が第一小隊の六人に事情を説明し、新聞社社屋の二階に戻ってくるまでに掛かった時間は約一分ほどだった。もちろん、強引にバリアを張って連れて行くという手段も無くはなかったのだが、それでは犯罪者に等しい。
「戻ったんじゃな」
「救助作戦第二部の始まりだね」
「絶対に、今日の作業終了時刻までに一人でも多くの存命者を救出してやる」
ラクトの言葉に頷いた後、弥乃梨はこの作戦にかける思いを発した。偽りの黒髪の存命者救出に対する強い思いはすぐにラクトへと伝わり、今度は、そこから分岐する形で六人とレーフのほうへと伝わっていく。
そうして、災害派遣チーム・ベータの本部に集結した者達の士気が最高潮に達した頃。弥乃梨はアイテイルが魂石をロックしていないのを確認して、銀髪を呼んだ。召使を発見できなかったことについて悔やむ姿は既になく、精霊は弥乃梨の野望に乗る気でいっぱいだ。
「ラクト、そっちは頼んだ」
「頼まれた! ……あ、行き先はメールで知らせるね?」
「おう」
夕方四時の五分前。ラクトから届いたメールに目を通すやいなや、弥乃梨はその町にアイテイルと向かった。




