4-70 大震災の爪痕
弥乃梨とラクトが紫姫の魂石の近くに移動してきて間もなく、第一小隊の隊員たちは自然と視線を二人の方に向けた。魂石越しに話していたときに紫姫が言っていたのは、どうやら反省からだったらしい。「相応の覚悟」をしないまま遺体の救助活動に従事した第一小隊の隊員たちは、偽りの黒髪と赤髪が移動してきたとき下を向いていた。
「隊長代理。遺体はどれくらい確認したんだ?」
「ざっと十人の遺体を確認した。遺体は遺体収納袋に入れてある」
「遺品とかは見つかったか?」
「遺体収納袋に遺品を収納するスペースが付いていたから、写真や小物はそこに収納している」
「遺体の安置所はどこだ?」
「北東方面第十五師団災害派遣チーム救助部隊・ベータ司令本部にある」
「あの新聞社か」
弥乃梨は次々と質問し、紫姫からここまでの捜索活動について情報を得る。作業の指揮を継承するにあたって最低限聞いておかなければならない情報を手にした後、偽りの黒髪は紫姫に「ありがとう」と感謝の言葉を発した。続いて、彼はアイテイルのほうへ向かう。
「あと、捜索する場所はどれくらいある?」
「ざっと千くらいでしょう。この自治体の人口は五万人程度なので、避難所に避難している人たちのおおよその人数と差し引けば、大体そのくらいになるかと」
「千か……」
ストレートにその数字の持つ意味を受け取れば、「捜索する場所の数」を表していることになる。しかし弥乃梨は、「捜索する人の数」がそれ以上あると認識してしまった。ここから千人を超える死人の顔を見ることを考えると、落ち込んでしまうのも不安を抱えてしまうのも無理ない。
けれども。たとえ女装していたとしても、弥乃梨がパーティーのリーダーであることは揺るがない。『タラータ・カルテット』の長だから、『第一小隊』の長だから。そう考えて、彼は苦しい顔や泣き顔を見せないように気持ちを整える。リーダーならば、メンバーに手本となるような背中を向けなければならない。
「わかった。早急にやろう」
「はい」
気持ちの整理をつけ、弥乃梨はアイテイルとの話を終わらせた。すぐさま前方方向へ歩み出ると、偽りの黒髪は咳払いして指示を――その前に。
「先に聞いておくが、みんな、体力や魔力は十分か?」
メンバーに迅速な指示を出すこともリーダーの務めであるが、そのためにはメンバーの個性や能力を適切に理解することが必要不可欠だ。弥乃梨は、そういった目的で第一小隊の各隊員の具合について質問する。だが、偽りの黒髪は女装しているだけであって女ではないから、質問は無駄に気を配って発した。
「はい」
でもさすが、そこら辺は軍人だった。第一小隊のメンバー全員に体調不良は認められない。弥乃梨はひと安心して、顔を上下に動かした。それからすぐ、偽りの黒髪は予定通り指示に入る。
「サタンと紫姫には、そっちの五人を任せていいか?」
「わかりました」
「――五人?」
「エディットを除く五人の隊員をお前らに任せるってことだ」
「なるほど、把握した」
できることならサタン一人で統括してほしいが、何から何まで一人で行うのはスーパーマンでないと不可能である。たとえ出来たとしても、彼女の魔力や体力の消費量が大変なことになる。そのため、弥乃梨は隊長代理として実績をあげてくれた紫姫にチームの統率を依頼し、サタンがより行動しやすい環境にした。
「あの、なんでこっちのチームじゃないんですか?」
「お前、相当な力持ちだろ? 第一小隊で一二を争うような」
「まあ、そうですけど……」
「言っちゃ悪いが、俺が統率するほうは知力、紫姫が統率するほうは体力を個性としてる編成なんだ。遺体の中が瓦礫の下にある可能性は結構ある。知力を主戦力としているような隊員のみじゃ、どうにもならないだろ?」
「確かにそうですね……」
弥乃梨の説明に納得したようで、エディットは何度も頷いていた。同頃、偽りの黒髪が何者かに強めにトントンと右肩を叩かれる。でも、誰がしたかはすぐに把握した。後ろを向いて確認すると、予想通りヘッドホンを持った赤髪が居た。
「知力が主戦力って私のことでしょ?」
「怒ってる?」
「別に」
これは怒っている表情だ、と弥乃梨は確信した。偽りの黒髪の彼女は感情をコントロールすることを得意としているが、制御不能になると一気に表情に出るから、とてもわかりやすい。でも、ラクトの怒りはすぐ冷める。赤髪の性格を十分に理解していた弥乃梨は、「そうか」と言って話を流した。
「通信は魂石越しで行う。場所については随時教えるから、サタンはそれに従うこと。紫姫は、一つの場所で遺体発見から収納まで五分以内に収まるよう努力すること。五人は二人の指示をよく聞くこと。……いいか?」
「はい!」
「うむ」
ほぼ全員が「はい!」と返答したため、紫姫だけ目立ってしまった。元気いっぱいに返事したわけでないので、余計に目立つ。でも、他人の権利を侵害していない以上、それについてとやかく言うことはない。それは紫姫の立派な個性だ。
「それじゃ、アイテイル。行き先を指定してくれ」
「はい」
弥乃梨の指示にそう返すやいなや、銀髪はおもむろに折り畳まれた紙を取り出した。四つ折りのそれを元の形に戻すと、今度はそれをじっと見つめる。十秒くらいして出す指示の内容が固まったので、アイテイルはすぐに行き先を告げる。
「わかりました」
内容を把握した刹那、サタンを中心に紫姫と他隊員五名を巻き込んでバリアを形成した。そして、特にそれといった不具合もなくテレポートが完了する。紫髪組がその場を去った後、弥乃梨はすぐに口を開いた。
「俺らの行き先はどこだ?」
「ここに決まってるじゃないですか。この狭い平地を縦横無尽にあちこち回ってスタミナを浪費するとか愚の骨頂です。私たちはここを探します」
「ほとんど更地のようになってるんだが?」
「瓦礫がないことと死体がないことは、必ずしもイコールではありません」
「……シャベルとか使うのか?」
「いえ、使いません。ここらへんの死体は埋まっていないはずです」
アイテイルは心配を払拭するために言ったのだろうが、「今居る場所以外ではシャベルを使う可能性があるかもしれない」という解釈に至ってしまい、弥乃梨は逆に身震いを覚えてしまった。でも、然るべきその時まで、恐怖心は脳の片隅に置いておくに留める。必要以上の心配は不要だ。
「ではまず、この家を捜索します」
「家……」
机の上に置かれた本のようにポツンと佇む基礎部分を見て、弥乃梨は色々と想像してしまった。「この街に一体どれほどの津波が押し寄せたのだろうか」とか「ここに住んでいた人が一人でも多く無事で居ればいいな」と思い、基礎部分の周を歩く。しかし、足を前に出してすぐに気付いてしまった。
「ああ……」
ギレリアル連邦は東西に広く、首都サテルデイタと弥乃梨らが居るフルンティ周辺とでは三時間の時差がある。弥乃梨らがエルフィリアに一時的に移動した午後三時ごろに地震が起こったということは、フルンティ周辺では午前十一時ごろに地震が起こったということになる。
「――」
思わず声上げた弥乃梨の姿を見て、皆がそこへ集まってきた。偽りの黒髪たちはそこにあった光景を見て、心に相当なダメージを受けてしまう。だが、精神攻撃は止まらなかった。土の中に埋もれた額縁を発見して手に取ってすぐ、ラクトは一瞬しか見ていないのにも関わらず、心に大ダメージを負ってしまう。
「父子家庭だったのか……」
四人が見て悲観していた光景は、乳児に哺乳瓶でミルクを与える父親の姿を映したものだった。ラクトが発見した額縁にあったのは乳幼児の母の姿だった。病室で赤子を抱いている姿が額縁に収められていることを考えると、乳児の母は出産からわずかで亡くなってしまったのだろうか。
「ラクト、遺体収納袋作れるか?」
「うん……」
酷なことだと思った。でも、「実行する以外に術はない」と心を鬼にしてラクトに指示を出す。弥乃梨は彼女の涙ぐむ姿を見て思わず抱きしめてやろうかと思ったが、断腸の思いの末に避けた。二人が今置かれているところは、私人として過ごしていい空間ではない。あくまでも公人として振る舞わなければならない。
「弥乃梨さん、これって――」
ラクトが遺体収納袋を作り始めたのと同じくらいに、エディットが手帳のようなものを手にして見せてきた。指示や回答を出して欲しいのか同調して欲しいのか分からなかったが、状況的に前者だろうと思って、弥乃梨は引き続き中に何が記載されているか確認するよう兵士に指示を出す。
しかし。ペラペラとページを捲り始めてほんのわずかしか経っていないのに、エディットの表情はまるで人が変わったように豹変した。もっとも、「見てはいけない物を見てしまった」という思いは抱いていないようである。だが、そのさまは、額縁を見て憂鬱な気分になったラクトといたりて似ていた。
「どうかしたか?」
「この手帳は母子手帳みたいです。これを見る限り、どうやら、実母は母乳が出なかったらしく、出産こそ自力でしたものの、授乳は妻に頼っていたようです」
なんと、額縁の写真に写っていた父親らしき人物は女だった。と同時に、額縁に写っている赤子の妻でもあるらしい。弥乃梨たちは、ただ妻が赤子をあやしているようにしか捉えていなかったが、よく見ると胸部に肌色が見えた。全裸でも上裸でもないから、乳房より上は露出できる服を着用していると考えられる。
「見てください。授乳できない悔しさからか、手帳には子どもの成長が事細かく記されています。ところどころに赤ちゃんの笑顔も見れます」
授乳できない実母とじゃれ合う赤子の姿。母と互いの頬を合わせて無邪気に微笑むその姿は、多くの人を笑顔にさせてくれていたはずである。だが、もうその姿は写真でしか見ることができない。「一人歩きしたい」とか「友達を作りたい」という赤子の夢は、永遠に叶わないものとなった。
「人って、こんなにも無力で愚かなんですね」
「当然だろ。ヒトだって生物だ。他の動物や植物より知能が高いから横暴な真似ができるだけで、力にだって限界があるし、ヒト含め他の生物に対し、いつかそのツケが回ってくるとも知らずに横暴な真似を働く姿は実に滑稽で実に愚かだ」
人は自然の前に敵わない。人が自己の欲求を解消するために自然を破壊すればするほど、自然は憤怒の気持ちを抱く。それが限界突破したとき、自然は発狂する。それこそが、まさに地震であり津波であり噴火であり台風である。だからこそ人は、形は違えど古来から神に祈りを捧げ、神の御加護を得ようとしてきた。
「でも、無力だったから、力に限界があったから、ヒトは段階的にその力を発展させてきた。時間こそ掛かるが、昔《限界》と思われていたことが覆されるのは良くある話だ。それに、愚かだからこそ、ヒトは他の生物に横暴な真似を働いて高度な文明を築くことができた。見方は一つじゃないぞ、エディット」
考え方は人の数だけあるとよく言われるが、そのとおりである。学術的には答えがただ一つに定まることもあるが、自分の意見を述べる場合は、必ずしも一つの考えが正しいとは限らない。だからこそ、互いに意見をぶつけることが必要なのだ。もし互いに意見を衝突させなくていい世界が実現したら、この世界から戦争は追放されるだろう。
「さすが上官。言うことが違いますね」
「そんなに褒めるな。俺は思っていることを口にしただけなんだから」
「そういう謙虚なところが、弥乃梨さんらしいです」
弥乃梨は自分でコントロールできない賛美が一番嫌いだった。何かを扇動するために自分を賛美させることには寛容でも、自分が何かに扇動されているような感じを受ける賛美は許容できない。だから、思わず謙虚に見える対応してしまう。だが、それを『謙虚』と言わない論者がすぐ近くに一人居た。
「見方を変えれば、冷たいことの表れでもあると思うけどね」
「俺が冷たい奴とでも?」
「八方美人な対応、って言ったほうが良かったかな?」
「すげえ毒吐くな、おい……」
「毒を吐かなきゃ他の視点から見た場合の意見なんて言えないっての」
毒を吐かなければ他の視点から見た意見など言えっこない、というラクトの意見はもっともだ。ただ、気をつけておきたいのは、その「毒」が相手の人格や性格を否定するようなものであってはならないということである。相手のことを悪く言うと、相手の意見に意見したことにならない。
「……互いのことを理解したところで、作業始めよっか?」
やるべきことから逸れることがよくないということなど、ここまで幾度と学んできた。それこそ公人である今、必要性のない話を話をする必要性はない。ラクトは話が良い感じに終わったのを機に、路線を大きく転換させることにした。弥乃梨とエディットは迷うことなく賛成し、首を上下に振る。
そして再び、遺体回収作業が始まった。
引き続き執筆します。




