4-69 暴行事件-Ⅲ
くるりと回ってそう大声を上げると、障碍者は拳銃の引き金を引いた。満面の笑みを浮かべたのを確認したとき、銃口から発された銃弾も自分たちの方へ凄まじい速さで向かっているということも確認する。同時、弥乃梨は周囲にバリアを展開した。そして、コンマ数秒のところでバリアが銃弾を弾く。
「まだまだ!」
拳銃は連発が可能なタイプだった。透明な防御壁は銃弾をしっかりと跳ね返しているが、何もせずに弾切れを待っていては命取りになりかねない。弥乃梨は、そのときがいつ来てもいいように双剣を構えた。
「アハハハ!」
紫色の光を放つ剣を見て大笑いする被害者女性。同じ頃、ラクトが手を広げてそこに息を吹きかけた。間もなく目と口を閉じ、内心で魔法使用を宣言する。再び彼女が目を開いた時、それを合図に相手の拳銃が炎を上げた。
「きゃあああ! あつい! あつい!」
融けゆく拳銃を見れば、ラクトが拳銃に対して相当な熱を浴びせたことが分かる。摂氏一〇〇〇度はゆうに超えているだろう。赤髪は、他者を火傷させる魔法を転用したに過ぎないから平然な表情を顔に浮かべているが、一方、偽りの黒髪はまだ見たことのない彼女の可能性に興味を持った。
「あれ?」
しかし、融けていた金属は燃えなくなった。すでに拳銃は熱を帯びておらず、真冬の山道に投棄されたかのような冷たさを帯びている。被害者女性は、「効力発揮期間を自分の思うがままに変更できる」というラクトの特別魔法の大原則を知らず、それでいて心を読む能力もなかったから、当然驚いていた。
「ひんっ……」
驚いたのも束の間。帯びた熱が冷たさへと変わるとき、被害者女性は思わず声を上げた。辺りに冷風が吹いた痕跡はないものの、障碍者は明らかに氷と触れている。だが、その氷が人の体温によって溶けることはない。冷たさを感覚神経に伝える機能を有していても、熱を吸収する機能を有しているわけではないのだ。
「くっ……」
けれど、被害者女性にとって温度なんて考えなくてもいい代物だった。考えねばならぬことはただ一つ、引き金を引くことのみ。しかし、銃口は氷によって塞がれてしまった。発砲時に引くレバーも氷によって封印されている。誰が強制的に使用を禁止したかといえばラクトなのだが、しかし、赤髪は嘘を吐く。
「なんで? なんでなの? なんで銃弾が出ないの?」
「脅かす目的で銃が行使したから止められたんじゃない?」
内心を調査したとき、ラクトは、相手が一丁しか銃を携帯していないことを把握していた。もちろん、内心調査が十割正しいとは限らないので、バリア解除レベルの無防備状態になることはできない。しかし、赤髪はそれなりの自信を持っていた。だから、弥乃梨より前に出て被害者女性の問いに答える。
「銃を使うことは悪いことだって、なんで決めつけるんですか? 人は自由を持っているはずです。人の苦しむ姿を楽しむ自由だって、認められるべきです」
弥乃梨もラクトも呆れて物が言えなくなった。しかし、銃の行使を不可能にした責任は二人にある。なれば、説明責任だって二人に存在しているはずである。偽りの黒髪は咳払いをした後で、一方の赤髪は特に何もせずに、それぞれ気持ちを整えてから、まずはラクトが被害者女性の主張について反論した。
「その自由は、あなたの自由である以上に世界中の人々の自由なんだよ。障碍者も健常者も関係ない。人種や性別や地位だって関係ない。組織的に権利が制限されることはあるかもしれないけど、根本的にある権利は誰もが等しく持ってる」
ここでいう『組織』は、所属組織や宗教のことだ。宗教的に食べるものを禁止されることがあるように、権利を制限されている現状は身近なところにある。
「たとえ障碍を抱えた場合であっても、たとえ父母から見放された場合であっても、人として生まれてきたかぎり、人として生涯を自由に生きる権利がある」
「権利を押し付けることは自由権の侵害に繋がると思います」
「でも、自由権しかなかったら、人が人として生きることは出来ないでしょ」
「生きることこそ自由権の行使です。なので、生きる権利と自由権は同等の権利だと考えるべきだと思います。よって、あなたの理屈は論破されました」
「いやいや。生きる権利と自由権が同等っていう理論は流石におかしい」
早口言葉を言うように「いや」と重ねて言うと、ラクトは続けて反論した。
「生きる権利には、『基本的人権の尊重』とか『個人の尊重』とか『奴隷のような扱いの否定』とかそういう事柄が含まれてるわけで。言い換えれば、『平等権』を言ってるわけじゃん。『自由権』を一緒くたにするのはおかしいよ」
「……」
ラクトが言っていたのは『人として生涯を自由に生きる権利』だったが、省略されて『生きる権利』とされた結果、それに係る修飾語がなくなったおかげで議論が成立しなくなった。被害者女性は冷静になって自分の行いを思い返し、「よって、あなたの理屈は論破されました」などと発言したことを恥ずかしがる。
「それに、『平等権』と『自由権』が一緒って解釈されたら、『人として生涯を自由に生きる権利』を『自由に奪っていい』ことになる。その方法は国民間の殺害事件だけじゃない。国家が犯罪者に仕立てあげても『自由』の範疇になる。国家を治める首相や大統領だって国民の一人だからね」
専権事項を有しているからといって、国民としての権利を持っていないわけではない。一国の行政府トップとして強力な権限を発動できなくとも、平等権と自由権が同一のものと認識されれば最後、『他人の自由を自分の勝手で奪う権利』を首相や大統領が手に入れることになる。しかもそれは、合憲的な権利だ。
「そんなことされたら、たまったもんじゃないでしょ?」
「もちろんです」
「だから、権利は相手が被る可能性のある損害を考えて使う必要がある。『人の苦しむ姿を楽しむ自由』だって、見ているだけならまだしも、それを行動に移すなんてとんでもない。それはもう、自由と呼べる範囲じゃないよ。だから、すぐにやめて改善したほうがいいと思う」
「いや、見るだけって時点で問題大有りなんだが」
「それ、弥乃梨が悪と判断した時点で介入してくような性格だからでしょ」
「お前が言うな」
弥乃梨が話に割って入ったことで、それまでの話の流れがおかしくなる。でも、赤髪は言いたいことの大半をすでに言い切っており、それといった未練も特に無かったから、偽りの黒髪が話に入ってきたことに怒りを感じたりしなかった。
「話は変わるが……。お前、あいつらを訴えるつもりとかあるか?」
彼女が口を閉じてから五秒くらい沈黙が続いたので、弥乃梨は話題をころっと変えた。顔に焦りの表情は出ていないが、市役所職員に裁判の可能性を提示してしまっていることもあり、偽りの黒髪の内心は期待と焦りが入り交じる。先ほどの発言も視野に入れながら、弥乃梨は被害者女性が口を開くのをじっと待つ。
「ありません。私の心のねじ曲がった部分が感情をリードした結果、笑みをこぼしたわけでしょう。公務員の方々による暴力行為で負った痛みが解消されたわけではないですけど、彼女らの総攻撃はあなたがたの登場によって阻止されたじゃないですか。それに、自分のことを棚に上げて相手のことばかりを批判するのは間違いだと思います。なので、私は、今回の件について訴えるのは控えます」
被害者女性は原告になる可能性を否定した。同時、弥乃梨は内心でこう思う。
「(あとであの職員に対して詫びをしないと……)」
弥乃梨は市役所職員に対して『訴える可能性』を告げていた。『確定事項』と言ったわけではないから謝る必要はないのかもしれないが、『可能性』だからこそ余計な心配をしてしまう人が居るのも事実。それに現在、市役所職員は情緒不安定だ。そんな状況で何も伝えないのは、被害者に肩入れしたのと同義である。
「最後に一つだけ質問がある」
「なんですか?」
「これから、故意に銃を向ける予定はあるか?」
「ありません」
「なら、その意思を貫いてほしい。人の壊れゆく姿をお前の手で作るな」
自衛のための最終手段として行使する場合や、双方合意の上で両者一斉にその力を行使する場合を除き、力を行使することは自らの責任を増やすことに繋がる。しかし、笑いながら銃の引き金を引いていたことを考えると、弥乃梨の前の前にある障碍者にそれほどまでに過大な責任が背負えるとは到底思えない。
「銃、取り上げないんですか?」
「当然だろ。その銃はお前のものじゃないか。お前の意思で渡さないかぎり、俺らはその銃を受け取らない。たとえ、ここでお前が引き金を引いたとしてもな」
「……」
弥乃梨が言うと、被害者女性は口を閉ざした。そして、コクンと頷くのを三回繰り返す。少し間を開けてから、女は口角を上げて弥乃梨のほうに視線を向けた。かと思うと次の瞬間、女は深々と頭を下げる。
「あなたがたの優しさのおかげで助かったことを、改めて感謝いたします」
「お、おう……」
「以後、この銃は私の野望を実現するために使わないことにします」
被害者女性が反省と誓いの言葉を発した刹那、それを合図にラクトが凍結によって銃の使用を不可能にすることをやめた。弥乃梨は銃が氷を帯びなくなったのを見て誰の仕業かすぐに分かったが、誰がしたのかは告げない。理由は――。
「神様に私の願いが届いたみたいです。えへへ」
「よかったな」
反省の色が見れたから神が銃の使用禁止を解除してくれたのだと、被害者女性はそう思って疑わなかった。浮かんだ笑みは先ほどのように殺意を持った笑みではなく、女の良心から出てきた笑顔で、心の底から反省していることが窺える。でも、反省の証拠はもう一つあった。それは、銃の安全装置の使用である。
「神に誓って、この銃の使用を自制します」
被害者女性は、そう言って引き金の上にあるレバーを上げた。手動安全装置式の拳銃の場合、レバーを上げると安全で下げると発射可能とされている。
「ご迷惑をおかけしました。どうか、お許しください」
「心配するな。過ちを反省したお前を許さないわけがないだろう」
「本当にありがとうございました……」
被害者女性は再び感謝の言葉を告げると、車椅子の車輪を押して行くべき教室へ向かう。身体障碍者というと二人一組で行動しているイメージがあるが、それはイメージでしかない。車椅子バスケットボールや車椅子マラソンに挙げられるように、車椅子を自由自在に操って目的の場所まで動ける人だって居る。
「それじゃ、誤情報を流布した詫びしに行くか」
「そうだね」
被害者女性にすべきことは一通り終えたが、加害者女性にしなければならないことは終わっていない。ラクトから特別批判されることもなかったので、弥乃梨は彼女の手を取り、素早く市役所駐車場へテレポートする。
市役所駐車場に着いて間もなく、二人は庁舎に先ほどの市役所職員が入っていくのを目にした。弥乃梨はすぐさま十メートル前方へ進み、例の女性を追いかける。駐車場に移動してきたときこそ走る必要を感じたが、結局、早歩きで十分だった。二人の足音に気が付き、市役所職員がくるっと後ろを振り返る。
「なんです――あっ、あなたがたは!」
「被害者女性が公務員らの暴力行為を訴えないと明言したから、訂正に来た」
「その情報の存在は忘れていたから別に良かったんだが――」
「そうか。まあ、そういうことだ。仕事、引き続き頑張れよ」
要件は済んだ二人は、激励の言葉を発して庁舎を後にする。一方、市役所職員は弥乃梨とラクトの背中を見ながら呟くように言う。
「それだけのことを告げるために来たのか……」
でも、内心ではとても嬉しかった。二人が来てくれたおかげで心の中に積み重なった重荷がまた無くなった気がした。失いかけていた自分の本来あるべき姿を取り戻すことができたような気がした。もう少し頑張ったら、余裕を取り戻せるのではないかと思った。仕事に打ち込むための力が増えた気がした。
「さて、頑張らなければ」
弥乃梨とラクトの背中が見えなくなった後、市役所職員はそう言って気を引き締めた。くるりと前を向き、市役所庁舎の中央廊下を進んでいく。
一方その頃、弥乃梨とラクトは駐車場の外れ、それもつい先ほどまでラクトを慰めていたところに居た。ミニバスや乗用車や樹木がカモフラージュしてくれる好環境は、テレポートする場所としてはもってこいである。二人はまず、そこで紫姫と魂石越しの会話を行うことにした。
「紫姫。あれから何人救出したんだ?」
「……ゼロだ」
第一小隊の隊長代理が返した言葉は弥乃梨の心に深く突き刺さる。けれど、その言葉が返ってくるのは予想可能だった。生と死の間にある存命者から救出しようと言っていたアイテイルが、なぜ、地下シェルターに居た無傷の生存者たちを救出しようと弥乃梨に言ったのか。
「もう、この街に生存者は居ないんだっけか……」
「思い出したか」
地震発生から十九時間半。弥乃梨は、第一小隊が派遣された自治体の市街地に生存者がないことを改めて知った。でも、生存者がゼロだからといって、市街地を去ることは出来ない。その遺体が人の姿を留めている以上、たとえ無念の帰宅となろうとも、その遺体を家族と対面させないわけにいかない。
「でも、たとえ死者だとしても人であることに変わりはない。家族と合わないまま虫に食べられるのはあまりにも無念すぎる。だから、俺とラクトは紫姫たちと合流する。そういう方向でいいか?」
「構わない。だが、気持ちだけはしっかりした上で来てほしい。何十、何百という死人の顔を見ていたら、気をおかしくしかねない」
「わかった」
魂石越しの会話はそこで終わった。少しして、弥乃梨はラクトのほうを見て小さく頷く。ラクトは偽りの黒髪が何を言いたいのかすぐに理解し、同じように小さく頷いた。互いに目線を合わせてもう一度頷くと、彼氏は彼女を自分のほうへと寄せた。互いに気持ちが整理できたところで、弥乃梨は移動を実行した。




