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チートなしで敗戦国家を救うことになりました。  作者: 浅咲夏茶
四章 ギレリアル編 《The nation which has only women.》
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4-67 暴行事件-Ⅰ

「まず、顔を上げろ」

「嫌……」

「なら、無理やりでも顔を上げてもらう」

「あはははっ、ひゃめっ、あははははっ!」


 左肩にラクトの手が置かれていることを逆手に取り、弥乃梨はくすぐり攻撃を実行した。彼女は怖い場所には強いが、くすぐりには弱い。さすがに偽りの黒髪の左肩に手を置いていられず、また、顔を下に向け続けていられず、ついに赤髪の視線が弥乃梨のほうや上のほうに向く。


「なにしてくれて……ちょっ」

「泣き顔も可愛いけど、笑ってるお前のほうが俺は好きだぞ」

「そういうことを言うな……」

「さっきの『てめえを愛してるこの世の誰かを悲しませることになる』も良かったけどな。照れ隠しから呼び捨てで呼ばないところはさすがだと思った」

「……」


 特別ラクトの頭を撫でたりすることはなかったが、弥乃梨の発した言葉だけで彼女の顔は一気に紅潮していき、ついには髪の毛も瞳も顔も赤色で染まった。しかし、偽りの黒髪はさらに追い撃ちをかける。


「それと、頬をはたかれた痛みは問題ないから気にすんな。見ず知らずの誰かから顔面パンチ喰らわされたら流石にムカつくけど、今回はお前だからな。この傷みがラクトの優しさからくる痛みなら、俺はそれを受け入れる」


 弥乃梨とラクトの喧嘩はこれが最初ではないが、初対面からここまでで行われた喧嘩の回数は少ない。裏を返せば、真っ向からぶつかり合うことがあまりないということだ。でも、喧嘩を避ける性格は時に悪さをする。


「……受け入れる必要なんてないのに」

「お前だから受け入れたいんだよ」


 ラクトが小声で吐き捨てるように言うと、すぐに弥乃梨が返答した。赤髪はボソッと呟いた言葉がキャッチされていたことに喜び、そして、彼氏から特別扱いを受けたことで再び喜ぶ。なにせ、聞きたかった言葉がやっと聞けたのである。ラクトは嬉しくなって、照れた顔のまま表情を綻ばす。


「彼女と痛みを共有できて嬉しくない彼氏が居るか?」


 彼女の照れた顔を見た彼氏の頬も次第に紅潮していく。でまかせではなく本心から出てきた言葉なので、当然訂正できない。後々「恥ずかしいことを言った」と思い返したところで、もはや弥乃梨が取れる手段はないのである。


「顔真っ赤にしてやんの」

「うるさい。……ほら、さっさと仕事に戻るぞ」

「えー、もうちょっとからかわせてよ」

「させてたまるか」


 誂われることは嫌ではなかった。しかし、どれだけ自尊心やプライドが低くとも、彼女の前では極力愚かな振る舞いをしないでいようと思っている弥乃梨。赤髪の「誂いたい」という要求には、流石に応えられなかった。


「つか、お前って『仕事と私』とか言わないよな」

「リリスがワーストに対して散々言ってたから、反面教師にしてるだけだよ」

「なるほど」

「だいたい、社会的な地位と相手を想う気持ちを比較できるわけないじゃん。そういう私も、『他人と自分』を比較しちゃうことはあるんだけどさ」


 ラクトが言うように、労働は社会的な地位を保ったり向上させたりするためにするのだ。「保つ」は義務的なことを、「向上」は権利的なことを表すが、「相手を想う気持ち」は後者のために必要となる。もっとも、精神的な支えや実感を得るために相手を想う度合いは繁忙期か否かで変動するから、それらの事柄を一概に比較は出来ないのだが。


「お前にはお前らしさがあるんだし、そこまで気にする必要はないだろ。俺を除けば、ほとんど人にズバズバ切り込めるんだし。もっと自信持てよ」

「いや、仕事面での比較じゃなくて、精霊との関係というか……」

「つまり、俺がお前より精霊を選ぶかもしれないって焦ってんのか?」

「バカみたいだよね、私」

「全然。お前が他の男とつるんでたら、俺も自分とその男を比較すると思うし」

「……やっぱり似た者同士なんだね、私たち」

「これ何回目だよ」


 「似た者同士」であることはこれまで何度も確認しているから、偽りの黒髪は「何を今更言っているんだ」という意味を込め、冷静にツッコミを入れた。まもなく、ラクトが「確かに」と頷いて返答する。



 そんなこんなで、弥乃梨とラクトの関係は喧嘩を経ていつもどおりに戻った。ようやく仕事に復帰できると思い、偽りの黒髪は魂石アメジストの向こうに居る紫姫に話しかける。だが、隊長代理以外の声が聞こえないほどに、第一小隊の本隊は殺伐とした空気だった。これまでの空気とは明らかに違う。


「なんだ」

「やるべきことが終わったからそっちに行きたいんだが――」

「了解した。では、急いで来るように」


 しかし、その時。


「……すまない。ちょっと遅れる」

「了解した。我は、貴台らが出来る限り早くこちらへ到着することを所望する」

「任せとけ」


 弥乃梨のその言葉で魂石越しの会話が終わる。本来なら、紫姫に合流の旨を告げたらすぐ本隊に合流するはずだったのだが、直前にトントンとラクトに肩を叩かれ、流れが変わった。会話終了後、赤髪は偽りの黒髪に対して言った。


「施設から避難してきた障碍者が虐められてるらしいから、助けに行こう」

「もちろん。場所は――あの中学校の教室棟二階か?」

「そうだよ。……テレポートして行くよね?」

「当然だろ」

「じゃ、行こう」


 弥乃梨の手をぎゅっと握るラクト。彼女の手を握り返すと、偽りの黒髪はすぐさま魔法使用の宣言を行った。似た者同士のカップルはどちらも過去に精神的苦痛を受けている。同じ立場にあった身として、いじめを許すわけにはいかない。




 中学校の教室棟二階に移動してきてすぐに、弥乃梨とラクトは暴行の生々しい音を耳にした。その音は、明らかに壁や床を殴ったり蹴ったりしているそれではない。赤髪はその音を聞いた刹那、暴行事件がどこで起きているのかを探るために心を読み始めた。目を閉じ、神経を尖らせ、その場所を突き止める。


「こっちだよ!」

「わかった」


 倫理観がなっていない心を探り当てると、ラクトは弥乃梨の手をそれまでよりさらに強く掴んだ。先導を開始する旨を告げ、すぐに走り出す。――が、それはほんの数秒のことで、廊下を曲がってすぐ暴行現場に出くわした。


「あぁん? なんかようかぁ? あぁん?」


 一対一の暴行ではなく、五対一の暴行だった。しかも、いじめられていたのは身体障碍者。身体が不自由で満足に抵抗できない人に対し、五人の女はなんとも非道なことをしてくれている。介護施設職員が混ざっていなかったために弥乃梨はひと安心したが、一方、ラクトはいても立ってもいられなかった。


「……そういうことするんですね」

「てめえはさっき申告に来た奴じゃねえか。てめえのせいで、こっちは大損害喰らってんだよ。菓子や飲料を独占するとか、他の避難者をバカにしてんのか!」


 暴行していたのは市役所の職員だった。市役所の職員は、中学校の教室棟の二階まで障碍者五人を含む介護施設の入居者と介護施設の職員を連れてきたらしいが、どうやら、食料や飲料の独占条件に腹が立って手を出してしまったようだ。


「バカにした覚えはないです。それに、私、ちゃんと市長に聞いたんですけど」

「えっ、お前、市長に聞きに行ったの?」

「証拠を提出しなきゃ勝てないじゃん」

「すげえ行動力だな……」


 ラクトが長く市役所庁舎から戻ってこなかった理由は、そういうことだった。弥乃梨が障碍者五名を無事に避難所まで届けた時にも、アイテイルと職員二名と物資を無事に避難所に届けた時にも影がなかった理由は、そういうことだった。


「ここには自信が詰まってるんだよ」


 市長室へ質問しに行った度胸に思わず脱帽する弥乃梨に対し、ラクトが自信ありげに胸をポンポンと二回叩いてそう返した。男は動くものについ目がいってしまうから、当然、揺れる胸に弥乃梨の視線は向かってしまう。すぐに視線を修正したが、偽りの黒髪の対応を赤髪が見逃すはずなく。でも、場面が場面なので、茶化したりおちょくるようなことは言わなかった。


「話を戻しますね」


 言って、ラクトは話の中心軸に戻る。


「どんな理由をくっつけようが、暴行した時点で負けですよ? 正当防衛なら話は変わりますけど、貴方の場合、先制攻撃じゃないですか。たとえそうでなくとも、明らかに不自由な生活をしている人に対して慈悲なき対応をするのは、市役所職員としては不適切だと思います」


 不正に生活保護費を受給する輩も居るから、慈悲なき対応をされてしまうのは仕方がないのかもしれない。でも、障碍者の場合は、不自由な思いをしているのだと明らかに分かる。過度に手厚くする必要はないが、健常者と同等かそれ以上でなく、それ以下の扱いを行うのは絶対におかしい。


「うっせんだよ!」


 叫声を上げると、市役所職員はラクトに殴りかかってきた。だが、そこで弥乃梨が咄嗟に機敏な動きを見せる。振り上げられた拳を掴むと、もう片方の手もがっちりと掴み、偽りの黒髪は力が均衡した状態まで持ち込んだ。


「暴行でストレスを発散すんなよ。ただの迷惑だから」

「なに触ってんだよ! 離れろよ畜生!」


 正攻法では攻略できないと分かると、市役所職員は弥乃梨に対して足掛けをした。実に姑息で卑怯な手法であるが、偽りの黒髪は慣れた素振りで女の技を適切に回避する。しかも、テレポートや影分身などの魔法を使っていない。


「くそがっ!」


 足掛けが効かないことを知ると今度、市役所職員は膝蹴りをした。しかし、これまた慣れた素振りで技を回避する弥乃梨。正面から蹴りかかってくることが容易に予想できたため、彼は左斜め前にすっと移動し、見事ノーダメージを維持することに成功した。一方、市役所職員の鬱憤は堆積に堆積を重ねる。


「こ、ここは、一旦落ち着こうじゃないか……」

「別に構わないが」


 弥乃梨は自分の主義主張を強引に押し通そうとせず、あくまでも相手の意見を尊重した対応を取った。休戦を持ちかけてくれば応じるし、休戦解除を持ちかけてきても当然応じる。そして、相手に戦意がある以上、相手が自分に向かってきたら対抗する。相手の意見を尊重するとはそういうことだ。


「掛かったな!」


 市役所職員は、休戦の解除宣言を発して弥乃梨に再度足掛けを行った。油断してしまった偽りの黒髪は、思わずバランスを崩しそうになる。しかし、これまた油断大敵。勝利を確信した市役所職員が作った僅かな隙を捉えると、弥乃梨は女の両手を強い力で掴んで自分の方へ引き寄せた。


「わっ――」


 市役所職員が自分に掛けた足が浮いたことを素早く確認すると、弥乃梨は、一気に女の両手を相手側に押し返した。と同時に、巻き添えになりそうな体勢を改める。そして、四十度以上相手の足が傾いたのを確認すると、偽りの黒髪は特別冷静になって手を離した。当然、市役所職員はその場に転倒する。


「まだ、やるのか?」

「……」

「戦意があるならイエスと言え。ないならノーと言え」

「謝罪は――」

「謝罪はお前の下す判断による。俺は謝罪を強要したりしない」


 戦闘の続行こそ問うたが、弥乃梨に謝罪を強要する気はない。もちろん彼の内心は、「公人が堂々と法に反した行為をしたのだから謝罪して欲しい」という気持ちでいっぱいになっている。しかし、謝罪を強要することは許されない。その権利を有しているのは、集団暴行の被害を受けた障碍者ただ一人だけである。


「四人はどうするんだ?」


 端から見れば「倫理観がなっていない」と思われるような輩であっても、善の心を持っていることは十分に有り得る。その実例は弥乃梨のすぐ近くにあった。親分たる市役所職員が弥乃梨と対決しているとき、障碍者に暴行を働いていた市役所職員以外の四名は、障碍者に対する暴力行為をやめていたのである。


「姉貴の判断に委ねます……」


 落ち着いた表情で市役所職員の攻撃を受け止め、回避し、反撃していた弥乃梨に恐怖を覚えてしまったらしく、四名は萎れた声で偽りの黒髪の問いに答えた。相手の子分から回答を得た後、弥乃梨は市役所職員のほうに視線を移す。


「お前の弟子はこう言っているんだが――」


 市役所職員の弟子たる四名は皆、親分のほうに視点を合わせている。質問するには絶好の環境が整ったところで、偽りの黒髪は口を開いた。


「お前の答えは《続行》か? それとも《終戦》か?」

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