4-63 北東方面隊第十五師団・災害派遣チーム #6
第一小隊は、死の可能性が極めて高い要救助者から順に捜索活動を行った。当然、最初のほうは市役所となりに設置された第十五師団の臨時病院に要救助者を搬送していたが、作業が進むに連れて搬送先が避難所に変更され、行う処置も簡単なものになっていく。
そうやって通常とはひと味違う捜索活動を開始し、一時間くらいが経過した頃のこと。弥乃梨らはアイテイルの指示で介護施設に戻ってきた。偽りの黒髪とエディットには戻ってきた意味が分からなかったが、勘の良いラクトは唯一戻ってきた真意を察する。アイテイルの内心を読み、自分の考えている内容が嘘か真か確認する作業も忘れない。
「ここにはお年寄りがたくさん居ます。障碍者も居ます。一番身体能力が長けている時代の方には分からないかもしれませんが、細心の注意が必要です」
「ああ、わかってる」
アイテイルの助言を受けて気を引き締めた後、弥乃梨はシェルターの出口に近づいて扉をノックした。地上と地下を隔てる扉は厚い金属で出来ているため、もちろん叩けば叩くほど痛い。でも、お寺の鐘のようなものなので、伝わる音量はとても大きかった。年老いてくると耳が遠くなるが、それでも大きすぎると迷惑以外の何物でもない。構成物質を知っていたアイテイルが注意を入れる。
「お年寄りが居ても、大きすぎる音を立てるのはやめたほうがいいと思います」
「そこまで大きな音を立てたつもりはないんだが――」
「いえ、弥乃梨さんが行ったことを批判したわけではありません。これ以上音を立てる必要はない、と言っているだけです。つまるところ、注意ですね」
「そうか」
弥乃梨とアイテイルが会話をしている中、エディットはプルプル震えていた。地下シェルターから上ってくる足音を幽霊が上ってくる足音と勘違いしてしまい、気味悪く感じていたのである。怖気づいた少尉の動揺する様を見て、ラクトの中のSっ気に火がついた。
「わっ!」
「ひゃっ! やっ、やめてくださいよぉ……」
「ごめんごめん。でも、上がってきてるのは介護施設の職員だと思うよ。この下、地下シェルターじゃん。幽霊なんか居ないってば」
エディットの弱々しい声を聞き、やり過ぎた感が否めず、ラクトは素直に謝った。しかし、それだけで終わらないのが赤髪だ。怖がる少尉を落ち着かせるため、ラクトはこの場所に幽霊が居ないことを明言する。でも、人は怖気づくと単なる音にさえも驚いてしまうものだ。扉が開いた音が聞こえた瞬間、エディットはまたブルっと震えてしまった。
「だから幽霊じゃないって」
「あなたのせいじゃないですか、副隊長……」
「ごめん」
エディットは嫌がる視線をラクトのほうに向け、ムスッとした表情を見せる。赤髪は同性愛者というわけではないが、あまりの可愛さに心を動かされてしまった。禁断症状こそ発しなかったが、あと数歩動いていれば少尉に抱きついていた可能性が否定できない。ラクトは、エディットを驚かしたところから猛省した。でも、表情は顔に出さない。
「施設を訪れてから一時間が経過しましたが、もう終盤に入ったんですか?」
地下シェルターから出てきた介護施設の職員は、早々に質問した。
「終盤というわけではない。でも、暗室にお年寄りを閉じ込めておくのはどうかと思ってな」
「そうですか。では、その心意気だけは評価したいと思います」
「どういうことだ?」
「地下シェルターは暗室ではありません。つかめる電波こそ限られますが、照明はちゃんと点いてます。それに、お年寄りをどうやって避難所まで運ぶんですか? ヘリでもあるんですか?」
地下シェルター内は暗室ではないそうだ。また、テレビの電波こそ掴めないものの、ラジオの電波やインターネット回線は頑張ればキャッチできるらしい。そんなことはさておき、介護施設の職員はお年寄りをどう避難所まで運ぶのか気にしていた。弥乃梨は、それについて回答する。
「シェルター内に居る全員を、一斉に避難所までテレポートさせたいと思う」
「テレポート? あなたは魔法が使えるんですか?」
「もちろん」
弥乃梨は即答した。一方、介護施設の職員は偽りの黒髪をまるで怪しい人間のように捉える。しかし、自信満々な発言だったということもあり、女性は弥乃梨のことを信じてみることにした。もちろん条件付きである。
「わかりました。魔法の行使にそこまで自信を持たれているのなら、ここはひとつ、あなたに任せてみましょう。――ただ、条件があります。地下シェルターに居る方々を無傷で避難所まで届けてください」
「了解だ」
驚いて腰を抜かさない限り、避難所までの道程にお年寄りが怪我をする箇所はない。しかし、車椅子使用者だと話が変わってくる。市役所があるのは市街地が広がる平地ではなく高台の方だから、テレポート直後に油断していると、滑車が暴走して車椅子が坂を下っていく可能性がある。
「障碍者はどれくらい居る?」
「五人です。身体障碍者が三名、視覚と聴覚の障碍者がそれぞれ一名ずつです」
「介護施設の職員は何人だ?」
「十二人です」
「障碍者と職員を除いた入居者はどれくらいだ?」
「障碍者を除いた入居者は一四〇人です」
「一四〇……」
強制収容所で自意に反する恥辱や陵辱を味わっていた少年から老男までを救出したとき、人数は九〇人を上回っていたが百の位までは届いていなかった。しかし、今度は桁が違う。だが、運ぶ人数がざっと五〇人増えたところで仕事を断ることはない。むしろ弥乃梨は、「やってやろうじゃねえか」と乗り気だった。
「まあいい。まずは、健常者を先に避難所まで届ける。職員と障碍者は待機だ」
「私はどうすれば……」
「俺についてくればいい。今ここに居る全員、これから地下シェルターにテレポートするわけだし」
「同行させてくれるんですか? でしたら、お言葉に甘えさせてもらいます」
介護施設の職員はそう言って弥乃梨のほうに近づいていく。その女性とラクト、アイテイル、エディットの四人が自分から半径一メートル以内に居ることを確認すると、偽りの黒髪はバリアを張った。時間もないので、彼はすぐに地下へ直進しようとする。だが、主人の即決に対して銀髪が異議を唱えた。
「地下に向かって直進する気ならこっち来てください」
「ちょっ……!」
ガシっと弥乃梨の手を掴み、アイテイルは扉から少し離れた場所に連れて行く。バリア内に居ないと偽りの黒髪と一緒の場所にテレポートできないことを誰も言っていなかったが、エディットとその女性はラクトを真似して行動した。結果、弥乃梨とアイテイルが移動した場所に他三名も移動する。
「ここなら下に直進しても大丈夫なはずです」
「ありがとう」
弥乃梨の手を離してアイテイルは言った。偽りの黒髪は精霊に感謝を伝えた上で改めてテレポートする準備を行う。恥ずかしさから内心で魔法使用宣言をしようと思ったが、彼は「移動する瞬間が分からないと初体験者は驚いてしまうのではないか?」と考え、口から発して魔法使用を宣言することにした。
「――瞬時転移――」
だが、行き先までは発さなかった。初体験者のエディットと介護施設の女性職員には効力がまもなく発動することだけを告げ、後は、体験したことがあるラクトやアイテイルと同じようにその時を待ってもらう。
宣言から三秒後、五人は地下シェルター内に居た。突如として現れた軍人と警官に、シェルターに避難していたお年寄りは思わず驚いてしまう。少しして、施設の職員と思わしき四十代の女性が弥乃梨たちに近づいてきた。
「なにする気ですか?」
「避難所に移動してもらおうと思って、そのお願いに来たんです」
「ふざけないでください! このシェルターには、一週間分の食料と飲料が備蓄されています。津波警報が解除されるまではここに居たほうが絶対に安全です」
ギレリアル連邦東部の沿岸各地には、地震から十八時間経過してもなお津波警報や注意報が発表されていた。そんななかで地下シェルターから移動するのは、死ににいくようなものである。地下シェルターに食料と飲料が備蓄されているのだから、高台にある避難所まで移動する必要はないはずだ。だが、しかし。
「でも、電気一週間分は備蓄できてないだろ?」
「ですが、ライフラインが復旧するまで真っ暗であっても、特に問題は――」
「問題大有りだ。ただでさえ免疫力の低いお年寄りに風邪引かせる気か?」
「毛布は供給できているので、風邪については問題ないはずです」
「そんなこと承知済みだ。問題は、医薬品が供給できるかどうかってところだ」
お年寄りは持病を持っていることが多い。そして、免疫力が弱い。もし彼女らが感染症に罹ってもなお、地下シェルターという狭い空間に長時間必要な処置も施さずに居続けたら――。集団感染は避けて通れないだろう。もし地下シェルターで一週間過ごすならば、医薬品を持続的に補給できる環境である必要がある。
「一四五名の入居者の処方箋や頓服薬の一週間分を補給できるのか?」
「不可能です。このシェルターの上にあった建物は流されてしまいましたから」
「なら、避難所に来たほうがいい。一日中暗い部屋に居ることになる可能性、普段飲んでいる薬を飲むことが出来なる可能性があるシェルターよりはマシだ」
極夜の時だって月または星座が地上を照らすというのに、真っ暗なところで二四時間暮らすなんて冗談じゃなかった。職員と数名のお年寄りしか光源となり得る機器を所持していない中、真っ暗闇で生活させたら確実に衝突が起こる。また、暴力行為の対処や三食の調理も難しくなるだろう。
「わかりました。避難所に移動しましょう。ただ――」
「『ただ』?」
「食料と飲料は私たちの管轄下に置かせてもらいます。山分けはありません」
「そうか。まあ、それで一週間生活が出来るなら、それでいいんじゃないか?」
「ありがとうございます」
妥協点を見つけ、出てきた介護施設職員は元居た場所に戻っていった。弥乃梨は咳払いしてこれから行うことの説明を始める。このとき、足腰が弱いとか耳が遠いとか、そういうお年寄り特有の支障を持っている人たちに配慮して話した。
「これから、皆さんは市役所の方へ移動します。歩行でも車でもヘリでもありません。皆さんはこれから、魔法の力で市役所の方へと移動します」
概要を説明した後、弥乃梨はサタンを呼び出した。捜索活動開始から一時間のうちに健常者の移動作業が精霊罪源の仕事になっていたので、それに従って、偽りの黒髪は紫髪に一四〇人を任せる。しかし一人で担当するには人数が多すぎるので、数秒後、ラクトとエディットも担当に配属した。
「そっちの指揮はラクトに任せた」
「任された!」
短く会話した後、弥乃梨班とラクト班に分かれた。前者は介護施設の職員一二名と障碍者を呼んでから、後者はそのままの状態で、それぞれこれから使用する魔法について説明し、また魔法使用時に驚かれないように心構えをしてもらう。ラクト班が話を始めて少ししてから、弥乃梨班で説明が始まった。
「詳細の説明の前に。職員は、二人と五人と五人と三組に分かれてほしい」
円滑に説明を進めるために、弥乃梨は職員を三つのグループに分けた。職員十二人は特に抵抗することなく、偽りの黒髪の指示に従って動く。全グループの動きが大体止まったところで、弥乃梨は再び口を開いた。
「勘がいい人は察しているかもしれんが、二人のチームは荷物を運ぶ係だ。一番最後にシェルターを出ることになる。五人のチームの一つめは、健常者一四〇名と一緒に移動する。二つめのほうは、障碍者とともに移動する」
「もう移動してしまったほうがいいですかね?」
「もちろん」
弥乃梨は質問にそう返答したが、後になってラクトらに何も言っていなかったことを思い出した。でも、長い間一緒に行動していると心を読まなくても相手の思っていることを分かるようになる。偽りの黒髪がふとラクトのほうを見たとき、赤髪は笑って彼の指示に従った。
「仲良いですよね、弥乃梨さんとラクトさん」
「……妬いてんのか?」
「私、他人の恋愛に干渉するような女じゃないですから」
「悩み事あったら相談しろよ? まあ、俺よりラクトのほうが気楽だと思うが」
「弥乃梨さんは仲間に対して媚を売りすぎです。今は公人なんですよ?」
「媚は売ってない。つか、公人だからこそ仲間に優しく接するんだろ、バカ」
「バカって言ったほうがバカなんですよ……」
ここまで自分のことを新参と思い込んで謙虚に振舞ってきたアイテイルは、弥乃梨が馴れ馴れしく接してくれたことに驚いてしまう。言い返す言葉が見つからなくなって黙っていればよかったものの、咄嗟に口が動いてしまい、銀髪は小学生並みの感想を口から発してしまった。それを見た弥乃梨は、内心で笑う。
「(こいつ、可愛いところあるんだな……)」
これから控えている事柄に迅速な対応をするため言葉には出さなかったが、偽りの黒髪は銀髪の可愛さを最大評価した。弥乃梨の顔が綻んでしまったのはアイテイルにも伝わったらしく、「どの点がそんなに笑えるんですか?」と首を傾げる。でも、弥乃梨が話を軌道修正すると、銀髪の質問したい気持ちは薄れた。
「話を戻す」
介護施設の職員七人を前にすると、偽りの黒髪は次々と指示を出した。
「一四〇人が一斉に移動したら、障碍者五人と職員五人が移動する。俺は避難所まで同行するが、着いた後はあの赤髪の指示を聞いてほしい」
「わかりました。でも、移動するなら平地がいいです」
「平地? ……市役所って斜面に在るのか?」
「いや、そういうわけではないです。でも、役所の付近は山ですし――」
「でも、役所の駐車場は斜面じゃないだろ?」
「まあ、そうですけど――」
いくら地震大国でないとはいえ、斜面の上に土台を敷いて建物を建てるはずがない。からくり屋敷にするならまだしも、床が斜めでは快適な生活など不可能である。それこそ、市の中枢機能を担う施設が粗末では話にならない。だから、高台にあって斜面が近くに在るということは、盛り土がしてあるといえる。
「でも、身体障碍者が三人居るな……。ロビーまで運ぶべきか?」
「いえ、問題ないと思います。市役所のバリアフリー化は済んでいますので」
「そうか。じゃあ、五人とも駐車場に移動させる方向で異論はないな?」
「はい」
「わかった。じゃあ早速、移動を開始する」
弥乃梨が言った刹那、サタンが魔法使用を宣言した。偽りの黒髪と精霊罪源は朝の一件から溝が深まっているように見える。だが、それでも二人は主人と精霊の関係を保持していた。それを証明するかのように、介護施設の居住者を移動させるときにサタンの内面的な部分が現れる。
『移動成功しましたよ、先輩』
「おお。じゃあ、引き続きそっちで作業に当ってくれ」
『わかりました』
姿を消してからまもなく、サタンが移動完了の報告を魂石越しに行った。またそれは、朝の一件からの雪解けでもあった。一度話すと気が楽になることがあるが、精霊罪源もこれによって主人に対する申し訳無さの払拭に成功したらしい。
「すまん、サタン。そこから動くないでもらっていいか?」
「別に構いませんけど……何をするつもりですか?」
「そっちに移動するだけだ」
「ああ、なるほど」
魔法使用を宣言しても良かった。しかし、介護施設の居住者に一つの傷も負わせないことを条件としている以上、安全に移動できたほうがいいに越したことはない。ゆえに弥乃梨は、精霊魂石だからこそ出来る方法で移動することにする。
「アイテイルには、物資の持ち出し作業に従事して欲しい」
「わかりました」
「職員五名は、障碍者五名と二人一組のペアを組んで下さい
偽りの黒髪はアイテイルに仕事を依頼するとバリアを張り、今度は職員に指示を出した。弥乃梨の指示を受けると職員は、車椅子の後ろに立ったり、障碍者の隣に立ったりして、不自由な人が安心して場所を移動できるように補助する。
「じゃ、これから移動する」
五つペアが出来上がったのを合図に、弥乃梨はサタンの居る場所への移動を実行した。待ち時間などはなく、避難所への移動は快適に進む。




