4-58 北東方面隊第十五師団・災害派遣チーム #1
フルンティ市役所の屋上に移動してまず目に映ったのは、一面水浸しになった都市の様子だった。地下鉄はおそらく使用不可能であろうし、地中に埋まった水道管やガス管、電気線は本来の力を発揮できていない。しかし、絶望を照らす光が無いわけではなかった。空は青く澄み渡り、風はさほど吹いていない。
「やあ。昨日は本当に助かったよ。それでいて今日も君たちに助けてもらうなんてね。嫌かもしれないが、本日も作戦に協力してもらえると嬉しい」
「馬鹿か。こういうときに助け合わないなら、いつ助け合うって言うんだ」
「いいことを言う」
ニコルは弥乃梨の話に納得する。だが、それ以上に雑談を深めることはない。建設的でない話をしたのは、気楽に話したほうがコミュニケーションを深めやすいからである。話が切り替わったことを知ってもらうべく咳払いした後、陸軍大将は今日一日の活動についての話を始めた。
「君たちにはギレリアル陸軍の一員として作戦に参加してもらいたいから、まずこのバッジを付けてもらう」
ニコルがポケットから取り出したのは二つのバッジ。戦車の右上にアルファベットのGがかかれているシンプルなデザインの胸章だ。弥乃梨とラクトが警察官の制服を借用していることを知っていたから、陸軍大将は胸ポケットの内側と外側で挟むタイプのものを渡す。まもなく、二人は胸ポケットにペンを入れる要領でそれを入れた。制服と同化しているので、悪い印象はない。
「警察官も多く作戦に従事するから着替える必要はない、と上から命令を受けたんだ。本来なら陸軍の制服を着させてあげたかったんだけどね……」
「気にするな。むしろ、外国の軍隊と区別しやすくていいと思うが?」
「そうかもしれないね」
大統領府に呼び出されるほど高い地位に在る大将と言うことは、作戦を指揮する中では最も高い位に在るということ。言い方を変えれば、ニコルは陸軍制服組のトップと言える。その上、と言うのだから、防衛関係を担当する省庁にダメ出しを喰らったと考えるべきだろう。
「それはそうと、作戦を開始する前に君たちの仲間となる隊員を紹介しておかなければならない。時間は有限だ。こっちに来てくれ」
既に他の部隊は作戦を開始しているらしく、屋上にはニコルと二人の新参隊員以外に一部隊しか居なかった。テレポートして時間短縮しようかと考えたが、大将の意に応えない訳にはいかないと思い、魔法の使用は控える。早足で歩いて十秒程度で、屋上に残った一部隊の人たちの列の前に着いた。
「ギレリアル連邦陸軍北東方面隊第十五師団長、一級中将ウィリアム・バイオレットです。本日はよろしくお願い致します」
すみれ色の髪の毛と迷彩柄の服がとても似合っている。師団長が頭を下げると同時に髪の毛が揺れ動いたが、ショートヘアなので動きは小さい。身長は弥乃梨より少し大きい一七七センチ。顔を綻ばせながらバイオレットは手を差し出した。協力関係を構築する第一歩として握手をしよう、ということである。
「こちらこそ」
弥乃梨も笑顔を浮かばせ、ここに握手が成立した。ニコルはそれを見て小さく頷く。新参と一級中将が手を話したのを合図に、陸軍大将が再び口を開いた。
「ウィリアム・バイオレット」
「はい!」
「これより救助作戦を開始する」
「イエス、マム! 一同、敬礼!」
第十五師団のメンバーはまだ帽子を被っていなかったから、右手ではなく礼で敬礼を行った。他国籍の新参者らはギレリアル陸軍の敬礼方法についてちっとも理解していなかったが、何とかそれっぽく見えるように努力する。
「成果を期待する」
五秒くらいして敬礼をやめる。隊員皆が顔を上げてニコルのほうを見ると、陸軍大将は一言言い残して市役所庁舎の中へと入っていった。これによって、以降は原則、一級中将であるバイオレットの司令が絶対となる。
「ところで、団長。呼び捨てで呼んでも大丈夫か?」
「構いません。書類上は私のほうが上の地位ですけど、大将から直々にそのバッジを貰っておられるので、能力的には貴方がたのほうが上の地位になります」
「そうか」
馴染まないと仲間に迷惑を掛けてしまうと思い、新参二人は第十五師団がどのような雰囲気なのかを確認する。だが、その前に確認しておかなければならないことがあった。すごく根本的なことなのに弥乃梨が言わなかったため、代わりにラクトがバイオレットに質問する。
「一つ思ったんだけど、この人数で『師団』なの?」
「ごめんなさい、『師団長』まででワンフレーズだったんです」
「そうなんだ。でも、人数的には『小隊』に見えるけど……」
「いえ、ここに居る人たちは皆が自分の率いる旅団を持っています。私と彼女らは同じ陸軍所属というだけで、同じところに所属している訳ではありません」
「私の誤解だったか」
「誤認は誰にだってありますよ。しかし軍人たる者、誤認は許されません」
「うん」
力を行使することの危険性を改めて認識し、ラクトは言って頷いた。十秒程度待っても追加の質問が無かったので、バイオレットは旅団長らに対して指示を出す。話が終わると、彼女らは次々に飛び立っていった。パートナーの軍事用データ・アンドロイドが、管轄する旅団まで旅団長を連れて行く。
「それで、俺らはどうするんだ?」
「フルンティ市の捜索担当は飽和状態にありますし、学園都市に居ることを固持する必要もありません。なので、漁村等の過疎地域に向かってもらいます」
「了解した」
「それは良いのですが、どのように向かいましょう。魔法で行きますか?」
「ああ、魔法で行かせてもらう」
バイオレットから行き先を聞いた上で、弥乃梨はラクトと手を繋ぐ。二人が過疎地域への移動したと同時、一級中将は師団司令部に戻った。もう、市役所の屋上に人影はない。被災者も公務員も庁舎の中で各々の目的の為に過ごしている。
フルンティ市は砂浜の上に形成された学園都市であるが、未来ある優秀な人材を殺す建築物はなく、庁舎や学校などの公共施設およびマンションや商店などの一般住宅、その他あらゆる建物が倒壊するという例は無かった。もっとも、想定外の津波によってかっさらわれてしまった建物は少なからず存在する。
しかし、新参の二人が移動してきた町はもっと壊滅的な状況だった。コンクリート建築物は町役場や学校などの公共施設にしか当てはまっておらず、一戸建ての住居の大半は津波で流されてしまって、もちろん水道・ガス・電気などのライフラインは断たれている。けれど、被害はそれだけに留まらない。
「湿ってる……」
その土地に足を着けるやいなや、ねちょっという気持ち悪い音が聞こえた。靴の裏を見てみると泥が付着している。砂浜に移動してきたわけでも、民家の敷地内に移動してきたわけでもない。弥乃梨とラクトが居るのは道路上――すなわちアスファルトの上だ。巨大津波は、土砂をかき混ぜてその場に残したらしい。加えて警報も解除されていないうちだから、浸水状態もクリアされていない。
「なんてところに配属してくれてんだか」
「私も同意見だよ。ていうか、そもそも隊員が居ないし、戦車すら無いじゃん。コンクリート建造物以外の大半の建物が無いから見通し良いはずなのに」
「警報解除前だから戦車出動は厳しいと思うが……。けど、隊員の姿がどこにも見えないってのは確かにおかしいな。捨て駒にされた可能性すら考えられるぞ」
「でも、そういうのって考えるだけ無駄じゃん? さっさと仕事しようよ」
「寝起き早々仕事モードって、お前すげえよ……」
「とか言いつつ、ちゃんとやるくせに」
「うっせ」
少しニヤけ顔でラクトが言う。弥乃梨は素直に言うのが少し照れくさくて、否定と肯定を同じ量で混ぜた言葉を発した。起きて三十分くらいで仕事モードに突入する彼女の姿を見たら、肉体的に勝る彼氏が応えない訳にはいかない。
「あ……」
しかし、捜索活動で一番酷使するのは肉体ではなかった。精神である。
「――」
捜索を始めて数秒後に取り掛かった最初の家の下で亡くなっていた女性を見た時、弥乃梨もラクトも言葉を失ってしまう。苦悶の表情を浮かべ、口の中には大量の土砂が含まれていた。粉々になった屋根や積み重なったり散らばったりしているレンガが、まるで自分たちに覚悟を求めているかのように見えてくる。
だが、精神攻撃は止まらない。さらにかき分けた先に幼児が居たのだ。顔だけ見れば目を瞑っていつ幸せそうに見える。だが、現実は非情だ。幼女は母親の方を見て笑みを浮かべているが、息はない。頬には泥が塗られている。そしてなにより、親子に顔を向けた時に異臭がした。死体の腐敗が始まっている。
「マスクと軍手、作るね」
「おいラクト、お前――」
「気にすることじゃないってば」
ラクトは笑みを浮かばせていたが、瞳には涙が浮かんでいた。彼女がうつ状態になるのではないかと心配し、弥乃梨は必要品を形成していることなどお構いなしに声を掛ける。余計なお世話だと思われていることなど重々承知だ。でも、赤髪のことを思えば思うほど心配は止まらない。
そんななか、必要分二つのうち一つを作り終えた時のことである。ラクトの瞳から零れた涙の雫が白色の軍手を濡らした。なかなか止められず、彼女の涙はどんどん布を冷たくしていく。平常心を保とうとして必死に笑おうとしたが、顔は綻ばなかった。普段とは比べ物にならない悲しみがラクトを襲っている。
「一昨日の夜のこと思い出したのか?」
「同じ年齢かは分からないけど、身長はあの子と同じくらいだし」
「いや、年齢も同じくらいだと思う」
言うと、弥乃梨は一つの写真立てを手にした。そこには、亡くなった母子が笑って写っている。エルダレアで見たニュース番組内で言っていた日付から二日加算した今日と写真に写っている年月日との差を計算した結果、四捨五入して二だった。それが何を示すかといえば、幼児が二歳ということである。
「これが、被災地の現実なのかな……」
「そうかもしれない。人の感情などお構いなしに人命を奪うのが自然災害だから」
生物界の王として君臨する人間様だが、自然相手だと手も足も出ない。どれほど先進的で高度な対応だったとしても、何らかのミスが起これば万全の対応は不可能になる。想定外の事態が人間様を窮地へと追い込んでしまうこともある。
「……少し元気出たか?」
「今の私に笑えなんて無理難題を課されちゃ困るけど、でも、覚悟はできたよ」
「そっか」
腐敗していく過程の遺体を見て笑うことなど不可能だし、傷ついた心を癒やすのには時間が必要だ。ラクトはいつもの雰囲気を取り戻しつつあるが、それでも元気を取り戻せているわけではない。
「ちょっと待っててね」
そう言うとラクトは、濡れてしまった軍手を消去して新たに作り直した。捜索活動と並行して第十五師団のメンバーを探さなければならないので、品質を保証できるギリギリの速さで二人分作る。
「はい」
「ありがとな。でも、無理だけはするなよ?」
「わかってる」
そう言ってマスクを着けて軍手をする。ラクトの後を追い、弥乃梨も同じように異臭対策と危険物対策を行った。二人ともマスク姿になったところで、赤髪は黒色の遺体収納袋を作る。一つは大人用Mサイズ、もう一つは子供用Sサイズで、髪や皮膚に付着した泥を落とした上でそれぞれの袋に親子の遺体を収納する。
収納して間もなく、母親の入った遺体収納袋の隣に正座する二人。一時的ながら瓦礫のない場所に移動させていたので、座るのは容易だった。弥乃梨とラクトは、息を整えてから亡くなった親子の冥福を祈って合掌する。
祈りを捧げた後、二人は目を開けて立ち上がった。ラクトは同時に、避難所となっているであろう学校がどこにあるのか確認を始める。だいたい二十秒くらいで見つかったが、在るのは山の麓。徒歩で十分は掛かるだろう。遺体安置所が在る可能性は極めて高いが、そこまで運搬するのが大変難しい。
「もっと近くに無いのかな……」
ボソッとラクトが吐き捨てるように言う。刹那、魂石からアイテイルが登場した。銀髪は真面目な状況であることを正しく理解し、優しさそのままに真剣な面持ちで二人のほうを見る。そして、自分の能力を使うことを提案した。
「三分間待っていてください。まず、半径三キロ圏内を捜索します」
「いつもより時間が掛かるのは、瓦礫が散乱してるせい?」
「そのとおりです。これはどうしようもありません」
「そっか。じゃ、お願い」
「わかりました」
手始めに遺体収納袋の構造を把握すると、アイテイルは周囲三キロ圏内の物質を洗いざらい調べていった。戦車は二台ヒットし、遺体収納袋のヒット数は軽く百を超える。これでは収集がつかないので、安置所についての調査結果と陸軍兵士の制服がどこにあるか調査した結果を照らし合わせ、近隣地域に場所を絞る。
「近くにあるっぽい?」
「はい。直線距離で二十メートルです」
三分が経過する前に結果が出たので、時間いっぱいまで隠す必要はないと考えたアイテイルはラクトの質問に対して自然に答えた。回答を聞いた赤髪は、割と近い距離だったので、周囲に陸軍兵士の姿が無いか目で探し始める。けれど、そんなことをする必要性は皆無だった。
「ん?」
頭上で何かが通過したような気がして弥乃梨が空を見上げた。ラクトとアイテイルも同じように上を見る。すると、低い位置をデータ・アンドロイドが飛行していた。三人には大きな風音で聞き取れなかったが、機巧は一言言ったらしい。ラクト曰く、「目標確認」とのこと。宣言どおり、下に降りて近づいてくる。
「わ、私は戻りますっ!」
近づくにつれて銀髪の顔は紅潮していき、最終的には魂石に戻ってしまった。「何がそこまでアイテイルを恥ずかしがらせたのか」と思ってデータ・アンドロイドのほうを凝視すると、弥乃梨は、ついにその理由を知った。
「ノーパンのロボット……だと?」
見続けるのも悪く無いと思ったが、エロに従順になる必要はない。弥乃梨は視線をラクトのほうに向けて精神の安定を図った。数十秒し、データ・アンドロイドが道路上に着地する。少し移動して弥乃梨の目の前に立つと、機巧は言った。
「あなたがたについては存じております。この親子の遺体については私どもが運搬いたしますので、どうか、早急にチームリーダーと顔を合わせてください」
「お、おう」
急かされてすぐは回答に困ったが、考えてみれば、自分たちは司令官の席に座る将の名を知らない。これでは信用など生まれるわけがないと考え、弥乃梨は一通りの手順を踏んでテレポートを使用した。場所指定でも良かったが、直線距離が出ているので、それで移動する。




