4-52 抗議
聞き覚えのない声に、弥乃梨とラクトは一気に顔を紅潮させた。しかし、返答しないままでは居られない。二人が対応しなければ、ほぼ確実と言っていいほど二人の警察官が出てくる。それに、「抱き合っている姿を見ていなかった」と相手に言わせるのは気が引けた。洗脳じみた行為をするのは正義に反する。
「どうしました?」
「ラーナー大将からのお届け物です。『軍人仕様で大盛りになってるから、四人で工夫して食べてください』との事でした。もっとも、警察官二人は難なく平らげるでしょうから、工夫が必要なのはあなたがた二人だけだと思いますが」
「ありがとう。君は?」
「私は軍用データ・アンドロイドですので、名前を所持していません」
「そっか。……じゃあな」
「失礼しました」
カウンターテーブルでデータ・アンドロイドから大盛り弁当の入ったダンボール一箱を受け取ると、弥乃梨はついさっきまで自分が座っていた席に戻った。ラクトからカッターを作ってもらい、貼られていた透明なガムテープを切断する。
「これはなかなか……」
データ・アンドロイドから「軍人仕様で大盛りになっている」と告げられていたから相応の覚悟はしていたが、二人が目にしたのは想像の上をいく量の弁当だった。プラスチックで出来た弁当箱が、まさかの二段構造だったのである。しかも、自宅で作って持っていく弁当箱のサイズの二段ではない。コンビニで売っている弁当箱の大きさで二段だ。
「カロリーは……せっ、一四〇〇!」
だが、女子にとって一番気になるのはカロリー。ラクトは弁当を一つ机の上に出し、貼られていた原材料名などの記されたシールを見た。すると、そこに書いてあったのは、一四〇〇キロカロリーというとんでもない値。
「余ったら俺が食うぞ?」
「頼んだ」
「やけに素直だな」
「ここまで多いと、流石に食べられないと思うし」
「まあでも、見極めは重要だな」
食べ過ぎると身体が警告を出す。「これ以上摂る必要はない」と満腹感を示すのだ。けれど、あまりにも量が多い場合は最初から「食べきれない」と脳が判断を下す。高カロリーというだけならまだしも、内容物の量の多さを見て、ラクトは完食を諦めた。
「じゃ、さっさと三人に配って食べ始めようぜ」
「そうだね」
上段におかず、下段に米飯が入った二段行動の弁当箱を手に、弥乃梨とラクトはそれぞれの警察官に弁当を渡しに行った。二人はまず、パソコンを開いたままトイレにフラっと入ってしまう無防備な警察官に弁当を渡す。その後で、取り調べ中の犯人にも同様の対応を取る。
裁判にかけられていない以上、彼は無罪と見なされなければならない。現場で罪を犯したシーンを見ていたからといって、感情的になってならない。被害者の気持ちに立つことも重要であるが、片方の意見だけを聞いてもう一方の意見に耳を傾けないというのは、紛れもなく独裁である。
しかし、ギレリアルは法治国家でありながら、そういった当たり前のことが守られていなかった。流石は、大統領権限で他人様の人権を躊躇なく剥奪する国家だけある。もう一人の警察官と取り調べを受けている最中の犯人のために夕飯を持って取調室を訪れた時、二人は信じられない光景を目にした。
「……」
犯人は、鎖で手と足を繋がれていた。彼の左上腕にある白色の正方形は、おそらく注射した後であろう。取調室の机の上には開封された透明な容器が置かれており、蓋は外され、中には使用済みと思わしき注射器が仕舞われている。
「――」
それだけではない。犯人は髪の毛を刈られ、坊主頭になっていた。それだけでも拷問だというのに、散髪後のケアが施されていない。髪の毛は洗われておらず、顔の皮膚などに付着した髪の毛は洗い流されていなかった。
「取り調べで拷問するのは、道徳的に違うと思うんだが?」
「取り調べに道徳など関係ありませんわ。私たち警察は、容疑者を囚人にすることが職務ですもの。悪が無くなると、私たちは職業を失ってしまいますわ」
「それならなおさらだ。依怙で人権を傷つけて良いわけないだろ?」
容疑者のひどい有様を見て、弥乃梨は思わず声を上げそうになった。しかし、冷静な対応を心掛ける。感情論で議論することは許されない。
「この国は女性のみに人権を保障していますの。種を残す以外にろくな活動をしない下劣な男共の人権はなくて当然ですわ。さっさと去勢して下さいまし」
「そういう個人の考え方を前提として取り調べを進めるのは間違いだと思うが」
「人が信条を持っているのは自明の理ではなくて?」
「それについては確かに自明の理だ。でも、拷問を行う理由にはならない」
拷問などが該当する自白の強要は、いかにも中世的で非道徳的である。もっとも、警察官も検察官も人間である。彼女らだって、信条を持つことからは逃げられない。だが、被害者の感情に感化されて拷問ありきで取り調べを行うことは別問題だ。そんなの警察官や検察官の依怙でしかない。
「実質的には、容疑者を囚人にすることが警察の職務かもしれない。だけど、なればなおさら、容疑者の主張をしっかり聞いて受け止めることが必要なはずだ」
「それは出来ませんわ。効率を考えていては、弁護士の仕事がなくなってしまいますもの。裁判所を毎日フルに活用するためには、犠牲も必要だと思いますわ」
「お前は、自分たちの都合で被疑者を苦しめることに躊躇いはないのか?」
「誤解なさってましてよ? 私は被疑者を苦しめることを善しとしていませんわ。人権を持たないから、逆らうことが出来ないから、苦しめているんですの」
「つまり、被疑者が女なら拷問しないということだな?」
「もちろん。『補償しろ!』と訴えられては困りますもの」
人権が女性にしか保障されていないように、刑事補償請求権は女性しか使えない。もっとも、保障の対象には性転換後して男性から女性になった人も含まれる。ギレリアルで権利が欲しい場合は、女性で居ることが重要なのだ。入国した時から異様さには気付いていたが、実例を間近で見た弥乃梨は、改めてギレリアル連邦が女尊男卑国家であることを理解した。
「あのさ」
「なんですの?」
「容疑者の肩を持つ気はないけど、私は、拷問するのは間違いだと思うよ」
「……あなた、本当に女ですの? 男尊女卑を許すことは間違いじゃなくて?」
警察官の言葉に、ラクトは思わず嘆息を吐いた。
「今の発言もそうだけど、拡大解釈とか煽りって左右両極端の人の常套句だよね。いや、男性の人権が蔑ろにされたから元のレベルまで戻そうってだけだよ? 今の扱いじゃ、独裁政権下のエルダレアの女性たちと同じなんだもん」
「なら、あなたは、ギレリアルが女尊男卑とおっしゃるんですの?」
「それ以外に形容する言葉が見当たらないんだけど」
「嘘ですわ! ギレリアルは法の下に皆が平等に暮らす国家ですもの!」
「法の下で女性だけが平等に暮らす国家、の間違いでは?」
「嘘に嘘を重ねて、恥ずかしくないんですの?」
警察官のその台詞を聞いたラクトは、思わず顔を綻ばせた。
「相手の人格を否定する言葉を当てるのって、追いつめられた人の常套手段だよね。警察官、それも取調官なら、もっと冷静な取り調べをしなきゃダメだよ?」
「私は冷静な取り調べを行っていますわ!」
「じゃあ、なんで怒鳴り声を上げてるの? 冷静な人はそんな怒り方しないよ」
「おちょくるのも大概にしてくださいまし!」
「誤解に誤解を重ねて苛立ってるような相手に謝る必要性なんか無いでしょ」
相手の言葉から言い返すために必要な重要点をピックアップし、必要に応じて脳内で編集し、落ち着いた表情で正論をぶつける。ラクトが警察官の弱みを突きつければ突きつけるほど、当然、相手の怒りは増大していく。
「ふざけないでくださいまし!」
ラクトの煽り文句に誘われ、警察官は赤髪の頬を勢い良く平手打ちした。大きな音が部屋中に響き、彼女の右頬には赤いあざのような痕が残っている。頬を赤く染める場合は照れるときもあるけれど、その赤みは、明らかに平手打ちの影響で付けられたものだった。刹那、ラクトは言葉を失う。
「魔法が使えるから高圧的な態度を取ると言うんですの? 魔法が使えたら相手を傷つけてもいいと仰るんですの? 私は違うと思いますわ。説教または自分の意見を聞かせるときは、相手と同等の目線で話をするべきではなくて?」
確かに、ラクトは高圧的な態度を取っていた。上から目線な彼女の発言は、悪く言えば独裁者のヴァレリア大統領をキレさせたほどである。しかし、赤髪だけが非難される言われはない。警察官の理論もまた、論理的に破綻していた。
「ラクトが高圧的な態度で話をしていたことは確かだ。これは認める。だが、俺の彼女は魔法で人を傷つけるような奴じゃない。それに、お前の理論で話を進めれば、お前は、魔法で人を傷つけるような奴に司令を出していたことになる」
「仲間を裏切ることは、よくある行為じゃありませんの」
「それは通説だ。ラクトはお前の要求に応えなかった訳ではないじゃないか」
「それとこれとは別問題ではなくて?」
「感情のままに否定論を吐くのは、ぜひともやめてほしい」
否定から入っているのは弥乃梨も同様だったが、それは感情から行っているわけではなかった。怒鳴り声を上げたわけでもなく、追いつめられた人の常套句を発したわけでもない。偽りの黒髪の言葉で痛いところを突かれた相手サイドは黙りこんでしまう。数秒を経て、彼氏は彼女を弁護するために証明を行った。
「これから、『ラクトが人を傷つけていない』ということの証明を行う」
数学はあまり得意ではなかったが、証明することは、話術で人を弁護する為には避けて通れない道だ。弥乃梨は頭の中で、今一度、自分の意見を整理する。
「過程より、そこの犯人の暴走は最終的に会話で決着が着いた。その最前線に立ったのは、紛れもなくラクトである。これに際しては俺も犯人の体力を削っていたが、ラクトだけに限れば、彼女は平和的解決をした。俺にはできない」
犯人がラクトのスタイルを気に入ってくれたおかげでもあるのだが、運を味方につけることも才能の一つである。それに、あのような戦意が昂ぶる場面を話し合いで切り抜けた点は、それ相応の評価をされなければならない。
「同じく過程より、フルンティ駅構内で魔法によって人体に損傷を負った人たちに専用の薬を投与した。これにより、負傷者は痛みを感じなくなった。それを一人で行ったのは、紛れもなくラクトである。俺には出来ない所業だ」
これもまた、先ほどと同様に相応の評価を受けるべき点だ。薬を百パーセント完璧にコピーし、患者に適切な措置を施すことが出来たのである。これは紛れもなく、ラクトが化学を好きであることと、措置を施すために必要なものを製造する魔法を使えたことが重なりあったからこそ出来た所業だ。
「さらに過程より、未曾有の大津波がフルンティ市を襲ったが、ラクトは津波から多くの人々を救っている。俺が帰宅困難者以外の者を家に送っていたとき、並行して緊急時用のキットを手渡したのは、紛れもなくラクトだ。それに加え、帰宅困難者に必要な食料の供給まで行っている」
弥乃梨はラクトが光源の役割を果たしていたことや、被災者の心を慰めたことを言い忘れたことを後になって気付いた。だが、ペースを乱してまで「それと――」と付け足すのは邪道である。戻らず、証明を先に進ませる。
「以上の三点から、ラクトは人の為になる善行を主な活動としていることは明白であり、俺の彼女が人を傷つけていないことは明らかである」
弥乃梨はできるだけ多くの根拠を述べたつもりだったが、災害発生より前、今日一日のここまでの活動に範囲を広げて考えてみると、ラクトが人を傷つけるような女ではないことは十分に分かる。弥乃梨は自分の証明に強い自信を持ち、深呼吸をした上で最終結論に入った。
「よって、ラクトは人を傷つけていない。だから、お前の言うことには間違いが含まれている。根も葉もない内容は、早急に訂正されるべきだ」
本来は『仮定』という語を証明で用いるが、弥乃梨は、過去に行った行為を意味する『過程』という言葉にした。これは、和歌でいうところの『掛詞』である。どこにも意外性は見当たらないが、咄嗟に思いついた掛けなので仕方ない。
「しかし、それは要求に応じなかったことの証明ではありませんわよね?」
「それに関して証明する必要は無い。『それとこれとは別問題』とお前が発言しているからな。『別問題』なら、それについてこちらが証明する必要はない」
「しかし、あなたの証明は、私の台詞の一部分を否定しただけではなくて?」
「否定できない部分を否定するのは間違いだからな。それは強情を張ってるだけに過ぎない。論理的に解決するのなら、負けを認めることも重要なことだろ」
弥乃梨は警察官を皮肉った。だが、遠回しの批判を受けてもなお、警察官は反論を続ける。偽りの黒髪は、いつまでたっても終わらない論戦に苛立ちを覚え始めた。だが、なればこそ、この論戦を終えてから味わうものは例えることの出来ないものになるだろうと考え、彼氏は引き続き警察官との論戦に応じる。
「では、『仲間を裏切ることは通説』とした根拠を教えて頂けまして?」
「今の証明を、ほぼそっくりそのまま転用すれば済む話だ」
「なんですって?」
紙面上で証明の問題を解くときにシャーペンの芯が普段より多く減るように、口頭で証明する場合は集中力が普段より多く減る。二回も証明するのは面倒くさかったので、来るであろう質問にも対応できるように証明していた。
「さっきの証明を思い出してみろ。災害発生からここまでの殆どの場面で、ラクトは俺を支えてくれた。人を裏切るだなんてとんでもないことを言うな」
「しかし、それは『あなただから裏切らなかった』ということではなくて?」
「俺とラクトは恋仲、つまり仲間だ。なら、『仲間を裏切らなかった』ということと同義になる。お前は『仲間を裏切ることはよくある』と話していたが、それは一般論。個人の特徴を述べる場合に用いるものには使えないはずだが?」
「……」
ここまで『仮定』と『過程』を掛けたり、『恋仲』を『恋の仲間』という意味で使ったりと、漢字の持つ造形力をふんだんに生かしているせいで、弥乃梨は英語表現が難しくなっている気がしてならなかった。でも、翻訳は一言一句を丁寧に伝えていたらしい。否定できる点を否定し終えた時、警察官は口を閉ざした。
「というか、こんな無駄話で時間を取られている暇はないんだ。俺らは夕飯を届けに来ただけで、拷問をやめるべきだという共通認識の下、お前を叩きに行っただけだからな。謝罪の言葉は要らないし、俺もこいつも謝罪しない。誠意ある態度をもって、謝罪と反省の言葉に代えてもらえれば結構だ」
そう言い、弥乃梨は取調室のテーブルの上に大きな弁当箱二つを置いた。食事シーンを監視するほど悪趣味ではないので、弥乃梨は、拷問をこれ以上続ける気であれば実力行使に移る考えを持つ。報復が憎しみの連鎖を生むことは重々承知であったが、それ相応のことを続けるのだから、なんらかの制裁は必要である。
「今回だけ、特別に拷問して取り調べするのはやめますわ」
「約束だぞ」
右手を差し伸べる弥乃梨。警察官は同じ手で握り返した。長くなったが、取りあえず用事は済んだので、偽りの黒髪は取調室を離れることにする。その際、一言発して行くことにした。彼氏は彼女からもコメントをもらおうと思ったが、現実はそうはいかず、ラクトは口を閉ざしたままだった。
「俺たちはこれで失礼する」




