4-42 陸軍大将ニコル・ラーナー
ノルンは、開いた口がふさがらなかった。ラクトを擁護する側に回った人物の声が明らかにオスティンの声で、しかも現れた時の姿は亡くなった主人そっくりだったのである。もう何がなんだか分からなくなって、彼女は首を左右に振って理解することを拒んだ。
「度が過ぎたようだね」
ノルンの反応に危機感を抱いたその人物は、そう言って変装を解いた。作り声もやめ、自らの素を前面に押し出す。そこに居たオスティンを射殺した人物は、女だった。ギレリアルでは低身長に該当するほどの大きさだが、彼女はラクトの身長よりは高い。迷彩服を着ていて、胸のポケットにはギレリアル連邦の国旗が縫い付けられていた。一目で、彼女が軍人だと分かる。
「なんか、見覚えがあるような……」
「陸軍大将、と言えば良いのかな?」
彼女の返答を聞いた瞬間、弥乃梨はハッとする。サテルデイタで高級感漂う車から降車した三名のうちの一人、指揮権を持つヴァレリア大統領と会談した三名のうちの一人、それが目の前に居る陸軍大将の女性だった。彼女は軍人らしい素振りを何一つ見せず、はにかみながら弥乃梨たちと接する。しかし、彼女の笑顔は殺された者の身内を怒らせた。
「なんで、マスターを殺したんですか?」
「この国では性犯罪に対して異常に厳しくてね。痴漢で殺されることもある。オスティンのここまでの行動を振り返っても、君は殺されておかしくないような事が一つも無いと言うかい?」
「それは……」
ノルンは陸軍大将の問いに答えようとしたが、まともな回答は出来なかった。弥乃梨は、冬のアラスカの地にパンツ一丁で投げ出されたかのように震えている。一方、彼は自分の魔法に感謝した。電車を使わずとも目的地に辿り着けることの有り難みを知り、自分の運勢に「ありがとう」と言う。
「僕は罪を犯した者に対してはきつく接する。けど、性別だけで罪を重くするような政府は大嫌いなんだ。こういう存在って、ギレリアルの中だと特異なんだよ」
「特異……」
「公務員、しかも軍人のくせに、僕は『人外』とされ国民扱いを受けていない者達を助けているからね。それもこれも、僕の持つ魔法があるからなんだけどさ」
そう言うと、陸軍大将は再び容姿や声をトレスした。先程のターゲットはオスティンだったが、今度は弥乃梨の容姿や声をそっくりに真似る。でも、彼女は人の心を読めなかった。容姿や声は本物と瓜二つでも、偽りの黒髪の個性までは再現されていない。もっとも、接した期間が長ければ話は別だが。
「どうだ。似ているだろう?」
「確かに似ている」
「そうか。まあ、それはいいんだ。それより、耳を貸してくれ」
陸軍大将は変装した姿から元の姿に戻り、声も元に直す。その後で、弥乃梨の耳元で質問を行う。耳が幸せになるようなコソコソ声に背筋がゾクッとした後、今度は違う理由で再び背筋にゾクッと電撃を走らせる。
「……君、男なのか?」
どう返すか悩んだ後で、弥乃梨は陸軍大将の問いに素直な返答をした。
「そうだ。話しかけた時に拒否感を示されると困るから、という理由で女装しているんだが……やはり、女装してる男なんて気持ち悪いよな?」
「いいや、君は気持ち悪くない。配慮しているだけじゃないか」
仲間以外にも、自分が女装しなければいけない理由を分かってくれる人が居ることを知って、弥乃梨は涙を流しそうになった。
「おっと申し忘れた。僕は、ニコル・ラーナー。ギレリアル連邦陸軍の大将を務めている。本来ならサテルデイタに居なければならないんだけど、警察組織がそれぞれの学校寮を警備している関係で治安維持担当の人員が足りなくてね」
「じゃあ、ニコルさんがオスティンを射殺したのって……」
「警察の代役として法律に則った対処をした、というそれだけのことだよ」
本来なら、弥乃梨たちが率先してオスティンを殺しに向かわなければならなかった。それでも優しく接してくれるニコルに、偽りの黒髪たちは申し訳ない気持ちになる。だが陸軍大将は、過ぎた事にとやかく言うのが嫌いだった。
「過去より未来を考えなって。過去は教訓でしかないんだからさ」
「良いこと言いますね」
「それが僕の貫くモットーだからね」
そう言ってニコルは嫣然と笑う。一方で、主人を殺した張本人の笑みを見る度にノルンはイライラ・パラメーターを上昇させていた。まるで主人が殺された事実を抹消することを是とするような発言が行われ、ついに堪忍袋の緒が切れる。
「人のマスターを殺しておいて、何の反省もしないなんて有り得ません!」
「おいおい、君はまだそんなことを気にかけているのかい? 過去に関わった奴のことなんて忘れてしまったほうが気楽だぞ。アングリーよりラーフだ」
「大切な人を殺された者の気持ちなんて、貴女には分からないでしょうねッ!」
ニコルは笑みを絶やさずにモットーを話す。しかし、ノルンからは、主人の死をバカにするような態度だと思われて怒りを買ってしまった。精神攻撃を行う暇もなく、彼女は右拳に強い力を込めて放物線を描く。が――。
「あ……」
殴れなかった。理由は単純、運命の女神の目の前にオスティンが居たのである。もちろん、すぐにそれがニコルが化けているだけだと理解したが、一時的にノルンの拳が静止したのは確かだった。一方、陸軍大将はその隙を逃さない。変装状態を解除した刹那、ニコルはオスティンを殺した銃を彼女に向けた。
「ぱーん」
ニヤッと笑みを浮かべて効果音を発した直後、陸軍大将は何の躊躇いもなく引き金を引いた。しかし、銃弾はノルンに被弾しない。可視化されていないトランポリンのようなもので跳ね返り、勢いそのままにニコルの腰部を直撃した。
「へえ。君はそっちの肩を持つんだね、弥乃梨くん」
「議論も経ずに銃弾を撃ちこむような戦闘狂は嫌いだからな」
「ふーん。でも、なんの通達も無しに敵陣営に寝返るのは許せないかな」
「そうか。それで、何をする気だ?」
「決まっているじゃないか。――人外扱いされていた男たちへの支援を止める」
ニコルはそう言うと、またニヤッとした笑みを浮かべた。しかし、迫害されている者達を支援することなど、弥乃梨にも出来る。もし、偽りの黒髪がニコルがこれまで行ってきた支援事業を担うことになると、金銭的な面でサポートが切れる反面、精神的な面でのサポートが著しく強化されることになる。
「……それくらいで俺がこっちから移るとでも?」
「君の情報を警察に伝えてくる」
「勝手にしろ」
「いいのかい? もし伝えられれば、君はこの街で救助作戦や治安維持作戦が出来なくなる。行政からは完全に見限られるだろう。それでも、君はその女の肩を持つのかい? 僕は、権力者からの信頼を得たほうが得だと思うけど」
ニコルの言う権力者とは、サテルデイタの閣僚たちのことだ。彼女らから厚い信頼を得ることが、行動の幅を広げるのに繋がるのは言うまでもない。しかし、ノルンを見捨てれば、孤独な召使を生むことに繋がる。
「分かった。お前の意見に賛同しよう。ただ――」
「ただ、なんだ?」
「俺はノルンと敵対しないし、お前とも敵対しない。要は、第三勢力になる」
「つまり、私たちの戦いに干渉しないということか」
必要なときは魔法で戦うことも辞さない弥乃梨だが、第三者スタートの場合は戦いに干渉しないようにしようと決めた。特に魔力の消費量が大変なことになっている今日のような場合だと、死にに行くような動きと言っても過言ではない。
「オスティンは罪を犯したが、ノルンは何もしていない。もしニコルがノルンと戦うのであれば、それは私利によるものとみなして中立の立場をとる」
「いや、その理屈はおかしい。『公務執行妨害罪』で、既にノルンは犯罪者だ」
「でも、ニコルは軍人なんじゃ……」
「ついさっき言ったじゃないか。僕は警察の代わりとして来た、と」
その瞬間、弥乃梨の中のノルンを擁護する発言に必要な根拠が全て消滅した。言い返すことの出来ない偽りの黒髪の姿を見て、ニコルは自信ありげにまた顔を綻ばす。しかし、決着は陸軍大将の思い描くように進まなかった。多くの人々を論破してきた血が騒ぎ、ラクトが口を開いたのである。
「確かに、『公務執行妨害罪』で立件できなくない事案だと思います。でも、妨害されたからといって実害を受けていないのですから、射殺用の銃で発砲するのは度が過ぎているのではないでしょうか。私は、両者に非があると考えます」
「ふむ……」
威嚇用の銃ならまだしも、ニコルがノルンに使ったのはオスティンを殺したのと同じ射殺用の銃だった。ラクトは陸軍大将の言い分に概ね納得していたが、唯一気になった点をピックアップし、それを根拠にして持論を展開する。
「君の言い分には大いに納得した。その点については、謝罪する」
ラクトの言い分に反論はなく、ニコルは素直に受け入れて頭を下げる。珍しく見せた真面目な態度に、弥乃梨らは驚きを隠せなかった。一方、ノルンは謝ってもらって当然という態度。あまりの傲慢さに、赤髪は怒りを覚えた。
「貴女も謝罪したらどうですか?」
「誰に? 私は何一つ悪いことしてないのに、なぜ謝らなければならないの?」
「感情論で物事を解決しないでください」
「私は遺族なの。大切なマスターを殺された可哀想な女の子なの。貴女だって、自分の主人が殺された時に悲しむでしょう? 感情のままに加害者と敵対するでしょう? 苦しい時に、理性論で解決することを押し付けないで!」
自分に非はないと主張する運命の女神と、ノルンとニコルを仲直りさせたくて奮闘するラクト。声を大にして相手の論理を封じようとする者と冷静に相手の弱みを探る者の相容れぬ主張がぶつかりあい、会話は平行線をたどる。
「『私は遺族』とか、貴女の笑いのセンスには脱帽しました。まず、貴女は遺族ではありません。貴女のマスターが殺されたのは、彼が悪事を働いたからです。『大切な』と言うなら、なぜ彼が犯罪に走った時に止めなかったんですか?」
「マスターは召使の言うことに聞く耳を持たないんです。だから――」
「意見は一方通行ということですか。それなのに、主人が殺された時に悲しむんですね。ひどいマゾヒズムを見ました。奴隷扱いを受けて喜ぶとは」
「私はマゾでも奴隷でもありません!」
「なら、『飼いならされたメス牛』とでも言いましょうか」
ラクトの煽りを真に受けてノルンは必死に反論する。『マゾ』とか『奴隷』とか『メス牛』とか言われて、ついには涙を流してしまった。しかし、こうならないと話は始まらない。なぜなら、赤髪が毒を吐き続けたのが、相手の怒りを増長して戦闘することを辞さないところまで持っていくためだからである。
「ああ、ごめんなさい。貧相な身体の貴女を牛に例えるのは間違いですね」
「もう、やめて……」
「涙を流せば許される、なんて考えは通用しませんよ。感情論は嫌いなので」
ラクトがどんどん鬼畜になっていく。サタンを虐められた報復として、オスティンが言っていた言葉をそのまま借用してノルンにぶつけた。そして、ついに涙腺のダムが崩壊する。運命の女神は反論できなくなって、泣きじゃくった。
「おい、流石にやり過ぎなんじゃ……」
「事実を突き付けられて、言い返すことも受け入れることも出来ない。ノルンはそういう情けない自分に泣いているんです。だから、思いやりは要りません」
「でも――」
「まあ、見ていて下さい。私がノルンを泣かせたのには理由があります」
そう言うと、ラクトは弥乃梨のもとに向かった。バリアを檻にするため、バリアの跳ね返す面の変更とバリア外へのテレポートを要求する。偽りの黒髪は嘆息を吐いた後、赤髪の頭に手を置いて言った。
「ラクト。お前、いくら報復攻撃とはいえやり過ぎだ」
「……ごめん」
「けど、俺は論争の帝王様の罪を半分頂く。いいな?」
「うん、ありがと」
直後、弥乃梨はバリア外へテレポートする。これで、ノルンを囲う球状の檻が完成した。同じ頃、泣きじゃくっていた運命の女神が涙をピタッと止める。弥乃梨もラクトも彼女が戦闘を開始すると思ってばかりいたが、実際は違った。
「私は、もう抵抗しません。亡くなったマスターを尊敬しません。魔法は人を不幸にします。だから、使いません。私は、自由と平和と明るい未来を求めます」
魔法を使えないように自ら自分を縛った彼女の意思を尊重したい気持ちは山々だったが、魔法がないと力の序列で下位になる者も居る。弥乃梨は彼女を囲っていた障害を解除した後、ノルンに言った。
「ならお前は、犯罪に遭ったら防衛しないんだな? 連れ去られそうになっても抵抗せずに付いていくんだな? 勝手気ままに、わがままに過ごすんだな?」
「はい」
「まあ、頑張れよ」
「わかりました」
本当は「いいえ」と言って欲しかった。でも、己の決めた道を信じて欲しい気持ちもあった。そして、重要なネジが取れてしまっているように見えていても、本人はそれでも良いと言っている。だから、弥乃梨はノルンを激励した。
「今からお前は自由の身だ。じゃ、また会う日まで」
「はい、また会う日まで」
背中を押され、ノルンはエルフィリア王国を目指して飛び立った。オスティンがこの世から消えたことを彼が働いていた職場に告げるべく、バレブリュッケ市へと向かう。フルンティ市からは片道七時間以上は掛かるが、彼女は寒さを度外視してマドーロム大陸を西から東へ横断する。
「やっぱり、やりすぎたよね……」
終わった後で、ラクトは顔を俯かせる。
「気にするな。先制攻撃を吹っ掛けてきたのは向こう側だし、こっちには反撃する権利がある。もちろん、オスティンの死やノルンのキャラ性が変わったことを正当化することは出来ない。でも、ノルンは水に流した。それに、過度な心配は相手も自分も傷つける。だから、記憶したら前を向こうぜ。な?」
弥乃梨は少しだけ破顔し、俯いたラクトを慰めた。赤髪は「そうだね」と言って偽りの黒髪の話に理解を示す。それから少し経って、ニコルが言った。
「さて、配給の時間だ。戻って、弁当の配布を行うぞ」
「「はい!」」
次なるミッションが告げられると、二人は元気よく返事をする。けれど、同時に一つ気になることがあった。配給作業を一秒でも早く行うべきとも思ったが、質問したい衝動を抑えきれず、弥乃梨はニコルに問う。
「ちょっと待て。ノルンに公務執行妨害罪を適用するんじゃなかったのか?」
「本当はそうしたかったが、そこの赤髪ちゃんの話を聞いて逮捕を見送った。それに、一八〇度キャラクター性が変わった子から罰金を頂くのは心が痛むし」
「軍人の癖に優しいんだな」
「周囲に鬼しか居ないから突出して見えるだけだと思うが」
「一理あるな」
頷く弥乃梨。同じ頃、ラクトは主人の隣でモジモジしていた。
「どうした?」
「いや、なんでも……」
「我慢すんなよ。シャワーになったら話にならないから」
「うっさいバカ!」
ラクトがモジモジしている理由を把握した弥乃梨は、ニヤけ顔で彼女をイジった。方や赤髪は、彼氏の心を読んだ瞬間にツンとした発言をする。翻り、ニコルは二人を見てクスっと笑った。その後で、陸軍大将は二人に言う。
「イチャイチャするのは後にしてもらえないかな」
「わ、悪い……」
「謝る暇があるなら、態度で誠意を見せてほしいな」
口を閉ざす弥乃梨。喋りづらい雰囲気に押されてラクトも黙っている。ニコルは、若々しい二人の元気を殺したことを悔んだ。でも、過去は教訓でしかない。陸軍大将は咳払いして、弥乃梨の左肩とラクトの右肩に、それぞれ自分の左手と右手を置いた。ニコルは深呼吸して、彼女らに言う。
「僕は君達を咎めたいわけじゃない。無駄な行動をやめて欲しいだけなんだ。だから、さっさとテレポートを使える者は八階に飛ばせ」
「わかった」
ニコルの言葉に返答した後、弥乃梨は、密着していることを確認した上でテレポートを使用した。




