4-37 学園都市・フルンティ-Ⅲ
現場は、【学生自治区】と呼ばれるフルンティ市の中で数少ない繁華街だった。道幅は車一台が通るのもやっとなほどである。既にビルの屋上へ避難を完了させていたらしく、繁華街の店で働いていた人の面影はない。かわりにあったのは、ギャルの集団が眼鏡を掛けた女子を暴行している様子だった。
「――入眠――」
しかし、仲介に入る時間はない。そこでラクトは、会話ではなく自身の魔法をもって暴行事件を解決する。赤髪は弥乃梨が何か言うだろうと思って神経を使ったが、偽りの黒髪は暴行した側の集団をバリアで囲うと、ラクトの手を強引に握ってビルの屋上へとテレポートした。置いてすぐ、二人は暴行された側のもとに戻る。
「ラクト、解除していいぞ」
「でも、すぐ近くに移動させただけじゃん。遠くに移動させなきゃ」
「連れ去られたと思われたくないからな。ほら、さっさとやれ」
「はーい」
ちゃらけて言うと、ラクトは『入眠』を解除した。同時、暴行した側もされた側も目を覚ます。双方ともに言い分があるとしても、先に手を出したほうが負けだ。それに、事件の経緯を知っている暇なんかない。今やるべきことは、建物の屋上に避難していない人達を避難させることだ。
「もう暴力を振られることはない。さあ、屋上へ逃げよう」
女装しているとはいえ、弥乃梨の心は男のまま。見ず知らずの女生徒の身体に触れるのは抵抗があった。でも、偽りの黒髪は心を鬼にして手を掴んだ。それから、ギャルを避難させたビルではないビルの屋上へテレポートする。
「あ、ありが――」
「礼は不要だぞ」
女生徒が感謝の気持ちを伝えている途中、弥乃梨は後ろを向いた。格好つけている自分を気持ち悪く感じながら、テレポートした地点まで戻る。着いてラクトと再開するやいなや、アイテイルの魂石が点滅した。それは別に危険信号という訳ではなく、携帯電話で言うところの通知機能のようなものだ。
「どうかしたか?」
「意識、取り戻されたんですね」
「あれくらいで死ぬかってんだ。……で、津波に関する続報か?」
「はい。今、目視で高い壁のような波を確認できています」
「高さは?」
「推定ですが、九メートル位はあるのではないでしょうか」
弥乃梨は言葉を失った。第二波の高さの一報である七メートルの津波でさえ巨大津波だというのに、まだ第二波は海上にある。これから陸地を駆け上がるに連れて高さが上昇していくことを考えると、十メートルを超える高さになってもおかしくなかった。それにまだ、第一波が引いていない。
「アイテイル。くれぐれも、命だけは落とすな」
「わかりました」
アイテイルの返事で魂石越しの通話が終わった。そして弥乃梨は、バリアが破壊された瞬間に精霊を魂石に呼び戻すことを決める。続いて、ラクトに言った。
「三人を高校の屋上に戻せ。第二波まで時間がない」
「紫姫は?」
「バリアが破壊されたら、俺の権限で強制的に魂石へ避難させる」
「わかった」
ラクトは言って頷いた。まもなく、紫姫を除く三人に通達メールを発信する。気が利くと定評のある赤髪は、メールの最後に『同意する場合は返信すること』と載せておいた。この文章を受けて「それでも続けたいです!」と頑なに作業をやめない者はなく、配信から三十秒後までにラクトは全員の同意を得る。
「私たちも避難しないとね」
「そういう訳にもいかない。俺らがフルンティに派遣されたのは、治安維持のためだからな。さっきみたいな事例が他にないとは考えられないだろ?」
「でも、ここに居たら確実に飲まれるよ?」
「誰か地上で警戒にあたるって言ったんだ。上で活動するに決まってんだろ」
「なら、ひとまず安心かな」
だが、二人が上で警戒活動をすることはなかった。ラクトが弥乃梨の考えを聞いてホッとした刹那、既に逃げ遅れ者の確認を終えていたはずの女子から一報が届いたのである。もちろん、海岸に一番近い高校に戻っていない訳ではない。
「司令。一人、私たちの高校の生徒で不明者が居るようです。」
「その子は登校してるの?」
「登校しているみたいです。それで今、教師が各階を捜索しています」
「ロボットは無いの?」
「うちは校則が厳しいので、データ・アンドロイドを連れて登校することは出来ないんです。だから、人力で捜索する以外に方法はありません」
女子生徒は焦った声で話していた。無理もない。もう、高さ九メートル位の津波を目視で確認できている。バリアの内側の穏やかな波が、今まさに白い壁に飲み込まれようとしている。すぐ目の前に、死の恐怖が差し迫っている。
「どうすればよいでしょうか?」
「一番いいのは教師も生徒も助かること。でも、探しに行ったってことは覚悟できてるって受け取っていいはず。そっちに向かうから、待ってて」
「わかりました。待機します」
通話が終わった。直後、ラクトは弥乃梨に話を伝える。
「海岸に一番近い高校で、生徒が一人逃げ遅れてるっぽい」
「教室は?」
「わからない。でも、教師数名が彼女の捜索にあたってる」
「地震発生当時、生徒は教室か体育館に居たのか?」
「そうだよ。ちょうど五限の授業が終わった頃」
「なら保健室かトイレだな。けど、行方不明の生徒の情報を養護教諭が伝えていないから、保健室というのはないだろう。考えられるのはトイレだ」
しかし。ここまで女装がバレていないとはいえ、弥乃梨は女子トイレに入ることを躊躇った。バレた時のリスクが大きすぎるし、ドアをすり抜けて来られたら驚かないわけがない。そして何より、個室が多すぎる。
「四階建てだよね? 確か構内図を確認した時、トイレの数は一階につき二つだった。だったら、分身を八体にして探せばいいんじゃないかな」
「ラクトは体育館のトイレを見ろよ?」
「私、テレポート出来ない無能なんだけどな……」
「仕方ねえな」
嘆息を吐いて言うと、弥乃梨はバリア形成に携わった五体の分身を消した。間を置かず、偽りの黒髪は八体の分身を作り出す。分身が身に着けている衣類は本体の複製品であるため、容姿だけ見れば女の子だ。
「お前らは西棟で、お前らは東棟な。階は、一階、二階、三階、四階だ」
本体を中心に、分身は円を作っていた。円を半分にして行き先の建物を分けると、今度は分身に人差し指を向けて行き先の階を教える。弥乃梨の説明を聞き終えた分身たちは、次々とテレポートしていく。八体全員が偽りの黒髪の目の前から消えた後、ラクトとともに本体もトイレへと移動した。
すぐさまトイレの扉を開けて中へ入り、二人は息を殺して個室に逃げ遅れた生徒が居ないか確認する。しかもラクトは、口を閉ざしながら弥乃梨以外の誰かの心が読めないか探ることもしていた。
「赤……ちゃん?」
「どうした?」
「出産してるっぽい……」
生徒が行方不明になっていた理由は、誰からも気づかれずに出産するためだった。解析を進めていくにつれ、まだ赤子の頭が見えていないことが判明する。とはいえ、津波の恐怖はすぐ目の前まで来ていた。
「弥乃梨、バリア張って。用具室の時と同じ要領で」
「わかった。じゃあ、ラクトは屋上へ連絡してくれ」
しかしここに来て、声量が平常時と同程度になったことで女子生徒に存在を気づかれてしまう弥乃梨とラクト。誰にも気付かれないように出産しなければならないと考えていた女子生徒は、二人を寄せ付けないために怒鳴り散らした。
「来ないで!」
だが、弥乃梨もラクトも彼女の意見を無視した。偽りの黒髪は周囲にバリアを展開し、赤髪は屋上に待機していた魔法使用可能な生徒の一人に体育館トイレでの流れを鮮明に伝える。最後に「教師に伝えて」と言うと、ラクトは通話を切断した。でも、デバイスは離さない。次に赤髪は、音声認識ソフトを起動する。
「ワン・ワン・ワン」
『五秒後に緊急電話番号に掛けます』
ギレリアル国内において電話番号『111』は、日本でいうところの『119』。掛ければ救急車を呼び出すことになる。もちろん女子生徒は、これに反抗した。
「掛けないで! 病院で産んだらお金が掛かるじゃない!」
「なら、お前はここで産むつもりなのか? 津波に飲み込まれて死ぬぞ?」
「別に良いわよ! 育てるくらいなら、ここで死んだほうがマシだわ!」
「ふざけんな! 殺していい命なんかねえんだよ!」
「じゃあ貴方は、私の出産費用を払ってくれるの?」
その時だった。体育館トイレに、ジャージ姿の女性が現れた。生徒が着るような控えめの色のジャージではないことから、教師だと分かる。彼女はバリアの圏外から、個室に篭っている女子生徒に対して低い声で話した。
「それは負担する」
「……え?」
「フルンティ市はな、『犯罪の被害者になった時と中絶・出産する時のみ、生徒は市に必要な金額を請求することができる』と条例で定めているんだ」
さすがは【学生自治区】。学生に対して他の街では見られないような権利を与えていた。そんなこと知らなかった弥乃梨とラクトは、ポカーンとしている。一方教師は、二人を尻目に個室に篭もる女子生徒に対して言った。
「だから、こんな場所で産むな。山の向こうの、設備の整った病院で産め」
「はい……」
金銭的な不安が払拭され、女子生徒が強情を張るのをやめた。かわりに、乱れた服装を直し始める。だが、現実は非情そのものだった。点滅したアイテイルの魂石から、右から左へ流したくなるような続報が伝わったのである。
「バリアが破壊されました。高さは十メートルです」
「了解」
弥乃梨は、アイテイルとの魂石越しの会話を短く済ませる。それからすぐ、ラクトから得た情報をもとに、山の向こうにあるという病院へテレポートした。宣言が終わった頃にはもう服装を正していたから、女子生徒が赤っ恥をかくことはない。山の向こうの病院に着いてバリアを解除すると、弥乃梨はこう言った。
「健闘を祈る」
「はい」
怒鳴り散らしたことに関して謝罪することはなく、女子生徒は冷たい返事をして病院の中へ入っていった。「教師を見殺しにしたことを憎んでいるのでは?」と思って弥乃梨もラクトもイライラを声に出さなかったが、内心では、二人とも
感謝ひとつない態度に苛ついていた。
「さて、戻すか」
吐き捨てるように小声で言うと、弥乃梨は紫姫、アイテイル、サタンを魂石に戻した。三人の精霊は自分の任務を最後まで全う出来たと考えていたため、強制的に戻されたことに反発する精霊は誰ひとり居ない。
「市街地に戻るぞ」
「わかった」
魂石に精霊が戻ってから十秒ほど経過した頃、弥乃梨はそう言って再びテレポートを使用した。だが、海岸に一番近い高校付近の上空に移動するやいなや、二人は衝撃的な映像を視界に捉えてしまった。海岸に一番近い高校の体育館の屋根が、ほぼ見えなくなるくらい水に浸かってしまっていたのだ。
「ねえ。あのビル、あの高さじゃ――」
ラクトが指差したのは、三階建てのビルの屋上。そこには十名ほど人の姿があり、現在の津波の高さではビルの屋上すらも浸水してしまう。よく見ると、その中には先ほどのギャル集団が居た。しかし、弥乃梨は彼女らを見放せるほど鬼のような心を持っていない。
「――跳ね返しの透徹鏡壁――」
ビルの屋上に向け、銃弾を飛ばすようにバリアを仕掛ける。もちろん、津波を弾き返すことが目的というわけではない。弥乃梨の真の目的は、他の学校施設の屋上へ避難させることだった。震災が起きれば、ほぼ確実に行方不明者が出る。そして、支援物資の供給が行われる。だから、被災者をある程度まとめておくと被災者情報を早く整理でき、様々な活動がスムーズになるのだ。
「ここら近辺で空きのある屋上は?」
「三人が居る学校は、西棟だけしか使ってなかったはずだよ」
「それなら、そこへ避難させよう」
そう言うと、弥乃梨はギャル集団の近くにテレポートした。自分が球の中心点であることを宣言しておくことで、何も言わなくても、移動した地点を中心点とする球状のバリアに変化してくれる。すぐさま屋上に居る全員がバリア内に入っていることを確認し、偽りの黒髪は内心でテレポートの使用を宣言した。
海岸に一番近い学校の東棟へ十名ほどを移動させると、弥乃梨はすぐにバリアを解除し、礼を言われる前にその場から飛び立った。逃げ遅れて飲み込まれた人が居ないか、偽りの黒髪はラクトとともに超高層マンションに激突しないよう気をつけながら探す。




