4-34 未曾有の災害
稔はエルフィリア王国の上層部に逆らおうなんて真似はせず、ギレリアルに戻って災害に見舞われた被災者を救出する決意を固める。でも、稔が避難させた難民たちの中には地震がどのようなものなのか知らない人が多かった。そのため、不安を払拭せずにその場を立ち去ることは出来ない。
「みんな落ち着いてくれ! ギレリアル連邦で地震が発生した。速報値のマグニチュードは八・四を観測、津波の心配は調査中。とりあえず、今のところエルフィリア王国内の安全に問題は無いっぽい」
「部屋の鍵を今から渡すので、揺れが収まったら書かれている番号の部屋に向かって下さい」
現状報告の後、サタンが魂石から現れてそう言った。すでにエルフィリア政府が承諾した証として公営マンションの鍵を紫髪に譲渡しており、同時に配布する義務も与えられていたらしい。稔がとやかく言う前に彼女は鍵の配布を始めた。もちろん、黒髪はサタンの姿勢を批判しない。
「そこに突っ立って居ないで下さい。配布作業手伝っても良いんですよ?」
「それは不要です。ここは私とサタンでやるので」
聞き覚えのある声を耳にしたと思うと、やはり魂石から精霊が現れていた。銀色ストレートのロングヘアを靡かせるのはアイテイルだ。彼女はいつの間にかサタンと仲良くなっていたようで、揃いも揃って自信あり気な笑みを浮かべる。一方稔は、彼女らのやる気を応援して素直に身を引く。
「よし。じゃ、こっちは頼んだ」
「難民の皆さんが自部屋に戻ったのを確認して合流したいと思います」
「よろしく頼む」
「お互い頑張りましょう、先輩」
サタンが右拳をグーにして前に突き出す。間もなくアイテイルが同様の行動をし、稔は両拳をグーにして前に出した。三人はそれらを合わせて頷く。被害をこれ以上広げないために最大限の努力をすることを誓うと、彼らは二手に分かれてそれぞれの担当場所へ移動した。
「いつまで抱きついてんだよ」
「揺れ、まだ収まってないじゃん?」
「それは幻覚とかだろ。もう収まってんぞ」
「そうかな?」
「まあ、俺としては密着してたほうが色々と燃えるんだがな」
稔の発言に、ラクトは白い目線を送った。「ふーん」とか「ないわー」とか、ちょっとでもいいから反応が欲しかった黒髪だったが、赤髪は未だに揺れが続いていると思っているらしく返しが鈍い。
「……大丈夫か?」
「地震とか初めてだから、怖いっていうか?」
「ライフライン止まってるだろうから、夜は怖いだろうな」
「……」
「でも、ギレリアルで暮らす大半は女だし、襲われるとか無いと思うぞ」
自否会のメンバーが避難所に押し寄せるケースは稀有な例だが、かといって根底から例を否定できる訳ではない。しかし、ラクトはそんなこと気にしていなかった。というより、稔が提示した稀有な例の話については納得していた。
「そうじゃなくて。その、さ。略奪というか、窃盗というか――」
「『秩序の崩壊』か?」
「うん。民族性とかも関わってくるんだろうけど、ギレリアルって災害がしょっちゅう起こる環境じゃないからさ。最悪、軍隊が出動したりするかもしれない」
「軍隊か……」
巨大地震に見舞われて被災者となっても、社会の秩序を維持するために列を作って並ぶ人ばかりではないということを、稔はギレリアルでの地震をきっかけに知った。それから間もなく、彼はギレリアルに移動する旨をラクトに告げる。
「これからギレリアルに行く。ラクト、準備はいいか?」
「私、頼れないよ?」
「俺がカバーすっから気にすんな。お互い様だろ」
「そっか。……うん、じゃあ行こっか」
抱きつき状態から手繋ぎ状態へと移行したのを確認して、稔はラクトとギレリアル連邦の政府庁舎前に再び向かった。回線混雑時でもないので、政府庁舎前に着くまでに掛かった時間は一秒にも満たない。
着いた場所は食事後に来た際と同じだった。周囲の歩道には人の気配がほとんど見られず、見覚えのある警吏が正門前で警備活動に従事している。しかし、横断歩道まで歩いて分かったことがあった。建物の倒壊は一切起こっていなかった一方、路肩に黒光りした高級車が数多く駐車していたのである。
「どうしたんだろ?」
「閣僚を呼び出したんじゃないか? 臨時会みたいな」
「いやいや。これほど大きな災害なんだし、国家非常事態宣言を発令するほうが先決だと思うなあ。災害対策も必要だけど、注意喚起を促すのが先でしょ」
「遅かれ早かれ記者会見するだろ。それより、本当に俺らが入っていいのか?」
「上官の命令に不服を申し立てなかった以上は従うのが使いの仕事じゃん?」
「……確かに」
ラクトの意見に同意し、稔たちは警吏が居る正門目掛けて横断歩道を渡った。信号は通常通り作動しており、サテルデイタ市内で停電は発生していないと考えられる。しかし、ギレリアルは東西に広い国家だ。エルフィリアと一番近いのはサテルデイタが位置する西部地方ではなく東部地方だから、国家全体で停電の発生件数がゼロとは断定できない。
「またお会いしましたね。どうぞ、お通り下さい」
「それはいいんだが、……あの車はなんなんだ?」
「大統領閣下は陸海空軍の総司令官を呼ばれたそうなので、その方々の物かと」
「そっか。教えてくれてありがとな」
「いえ、こちらこそ」
警吏が一礼したのを合図に、稔とラクトは大統領官邸の敷地内へ入った。しかし、明らかに二人の歩幅は狭くなっている。理由は単純だ。軍人三名を呼んでいることを今一度思い返し、漂う空気の棘に足を攻撃されていたのである。でも、入ったからには覚悟しなければならない。
「早く行くぞ」
稔の言葉にラクトは大きく首を上下に振った。会話を通して仲間意識を高めた二人は、それまでの重い足取りが嘘のように早歩きになっていた。しかも、歩くペースが上がっている。いつもより早いのに、互いに離脱しないで足取りを進めている。だから、庁舎に着くまで二十秒も掛からなかった。
「あなたは……」
グレー色のスーツを身に纏った女性が官邸の正面玄関に立っていた。稔の記憶媒体が必死になって該当の人物の顔を探し当てると、その人が誰か分かる。しかし、補佐役ということが分かっても本来の役職が何であるかは分からなかった。
「大統領の側近の方ですよね?」
「間違ってないですね。私は大統領の義妹ですし」
髪色は金色でなく茶色で、ツリ目。舐め回すように見るのはラクトに任せるとして、顔だけ見ても姉とつくりが大違いだった。年齢は二十代前半、織桜と同じかそれ以下と思われる。身長は稔と同じくらいだ。
「そうでしたか。ところで、なんで待ってたんですか?」
「義妹である以前に、私は国防省の長官なんです」
「つまり、軍部を動かす実質的な最高責任者ってわけですか」
「そういうことになります」
と、ここで稔サイドの話し手が代わる。
「でも、なぜ私達を呼んだんですか? 大統領に暴言を吐いたんですよ?」
「データ・アンドロイドが殺されていないことを評価したんです」
「は、はあ……」
ラクトはちんぷんかんぷんだった。それは稔もしかりである。
「敵を殺さない。悪の排除と対を成すそれを、あなたがたは行っているのです」
「いや、独裁政府のトップ殺しましたけど……」
「しかし、暴走の果てに在ったデータ・アンドロイドを殺さずに存命させたのも事実です。自分が殺されるかもしれないというのに、それを出来る限り生かそうとする姿勢を評価して、勝手ながら呼ばせていただきました」
副大統領の言っていることは、タラータ・カルテットが誰かと対戦する時の基本方針の一つだ。敵を殺したところで戦いは終わらないし、だからといって野放しにしていては自らの首を締めてしまう最大の要因になる。
「それで、どういう仕事を依頼するつもり気なんですか?」
「治安維持です」
「「やっぱりか」」
稔もラクトも分かりきっていたと言わんばかり、半ば副大統領に失望するように言った。茶髪は呼び出した二人が機嫌を損ねたのではないかと気になって、計画を大きく見直すことになるではないかと思って、質問をすぐ口に出す。
「やっぱりご多忙ですよね……」
「そういう訳じゃないです。予想していたのと同じだっただけです」
「ということは、受け入れていただけるということでしょうか?」
「もちろん。拒否する理由が見当たりません」
「ありがとうございます!」
感極まって、副大統領は瞳から涙を流していた。ハンカチを持っているものだろうと二人とも思っていたが、ラクトが稔の背中をトントンと叩いて折り畳まれた正方形の布を渡す。同時、赤髪は口パクで言った。
「コウカンドアゲトケ」
大聖堂で数多くの女性からサインを求められたことを踏まえ、好感度を上げておいたほうがさらに信頼してくれると考えたラクト。稔は彼女の後押しを受け、男が持っていてもおかしくないような黒無地のハンカチを副大統領に手渡した。
「どうぞ、お使いください」
「ありがとうございます……」
副大統領がそれで涙を拭き取る。自分で持っていない訳でもなかったので、茶髪は稔にその布を返した。同頃、今度は副大統領がトントンと背中を叩かれる。紫姫ほどの身長で稔とラクトの居た場所からは見えなかったが、その女性もまた閣僚だった。特に、今回のような災害では情報発信の肝となる省の長官である。
「そちらの方は?」
「彼女は、GSDA気象部の部長です。気象部の情報発信責任者でもあります」
副大統領は、日本でいうところの気象庁の担当者だと説明する。見た目はいわゆる合法ロリだが、票を得て成る役職ではないので、年齢は二十歳を超えているとみられる。でも、人の外見を考えたところで何も始まらない。
「単刀直入に聞きます。津波の注意報や警報は発表されていますか?」
「はい。それと、今回の地震はプレート境界での地震が連動して起きたものと考察できます。沿岸部では五メートルを有に超す津波が襲来するでしょう」
「テレビとかで情報は――」
「流していますが、ここまで大きな地震はこれまでに経験したことがなく――」
副大統領も気象部長も、その方面のエキスパートだ。しかし、紙面上の情報しか知らないエキスパートが、いざという時に真の力を発揮するとは限らない。未曾有の災害に直面した時、想定外の事態を対処できるとは限らない。
「鉄筋コンクリート製のビルに避難するか、高台に避難するか。避難避難と連呼するのではなく、ちゃんと具体例を示して避難する場所を伝えていますか?」
「はい、一応は」
「そうですか。ちなみに、沿岸部の最大都市は?」
「フルンティ。人口三百万人を有する連邦唯一の学園都市》――」
稔の質問に答えたのは意外にもラクトだった。「本当か?」と黒髪は問おうとしたが、副大統領と気象部長が頷いているのを見て質問する気を失う。
「他に、十万人を超える都市は――」
「ギレリアルの海は冬になると大荒れするため、海岸沿いの街は漁師町が多いんです。それゆえ、フルンティ市を除いて人口十万人以上の都市は有りません」
「なら、フルンティの治安維持を中心に活動したい」
「わかりました。同年代の方が治安維持に当たっているほうが自然でしょうし」
「ありが――え、同年代ってどういう……」
感謝の気持ちを伝える途中、年齢の話が出て、稔は背筋に衝撃を走らせた。
「姉の年齢と比較して頂ければ、年齢を掴むことなど容易ですよ」
「そういや、そんなこと言ってたっけ……」
てっきり、織桜あたりが裏で話していたのではないかと考えたのだが、実際は知られたくない情報を自分から漏らしていただけ。稔はペラペラと喋っている自分を再現し、顔を下に向けて猛反省した。二十秒くらいして顔を上げると、それまでの態度を嘘のように改め、深呼吸して副大統領と気象部長に背を向ける。
「やるべきことは尽くします。なので、二人もやるべきことを尽くして下さい」
稔の言葉を聞いて、副大統領も気象部長も大きく頷いた。一方の稔は、ラクトが自分と同じほうを向いた刹那に深呼吸をする。まもなく、黒髪は呟いた。
「――治安維持作戦、開始――」
黒髪は胸の内で『テレポート』の使用を宣言し、稔とラクトはフルンティへと急行した。




