4-29 作戦会議
公園は閑散としていた。辺りに人影はない。自動車の行き交う大都会の真ん中から飛んできたことと相まって、余計に静かに感じる。公園に設置されている時計を見ると、長針は六を過ぎている。間もなく気温が最高に達する時間帯だ。しかし現在、稔とラクトの近くに熱はない。
「ゾンビ・サバイバル、効果消えてたな」
「そうだね」
公園の隅っこにあるトイレのほうに向かって、二人は歩きながら会話する。しかし、いつまで経っても園児や児童の姿は見当たらない。日中ということもあるが、けれども、住宅街の中にある広場なのに昼一時半の利用者はゼロだった。しかしそれは、裏を返せば絶好の機会という意味になる。
珍しく無駄話をせずに着いたトイレの入口は、筒抜け構造になっていた。そのうえ通路から個室に入る形になっているので、この先に進めないなんてことは全くない。そんな中、ラクトがあることに気付いた。
「へえ、女性用トイレだけって訳じゃないんだね」
「確かに、性別を表す看板は取り付けられてないな」
「もっとも、トイレは完全個室制みたいだけど」
「大は小を兼ねるってことだろ」
「うまいね。ごもっともだと思うよ、それ」
男性用小便器があると、その分個室を減らすことになる。迫害したから傲慢さを働かせているだけとの味方もできるが、それでも、少ない土地を有効活用するためには全て個室の方がコストパフォーマンスが良い。しかしその刹那、ラクトが個室の扉を開けて絶句してしまった。カメラがあったからとかではない。
「和式……だと?」
「おいおい、どこにも洋式便器ねえじゃねえか」
ラクトが危惧していた事態が、日本ではなくギレリアルで起こってしまった。設置されていた水洗式トイレ全てが和式便器だったのである。おまけにトイレは段差付き。しかし本来、段差付きというのは男性の使用を意識してのものだ。
「どういうことなんだろうね?」
「さあな。まあ、とりあえず。カメラが無いことが判明した訳だ」
「そうだね。では早速、個室で作戦会議しますか」
「おう、そうだな」
二人は個室に入る。端から見れば異様な光景としか言えないのだが、決して十八禁の領域で行われるプレイをするためではない。しかし、今の状況で反論しても聞いてもらえないのがオチだ。それゆえ、使用せずとも個室の鍵を締める。それからすぐ、黒髪は紫姫を召喚した。
「それじゃ、これからどういう作戦を実行してもらうか再度説明するね」
「「どうぞ」」
稔と紫姫は同じタイミングで言った。重低音が絶妙に重なりあい、デュエット曲を歌わせたらそこそこ良いところいけそうな感じである。だが、作曲するほど暇ではない。曲作りから一時撤退し、ラクトは現況を踏まえた作戦会議の提案者となる。彼氏のように咳払いした後、真剣な眼差しで稔と紫姫のほうを見た。
「まず、アイテイルの能力で物質判定を行うんだけど、これを転用して建物内の構造図を製作してもらうことにする。次に、収集したデータを元に脱出経路を確認する。テレポートは原則として往復だけど、一方通行になる可能性を否定することは出来ないからね。あとは、さっき稔に話した通りだよ」
ラクトはそのまま話を続け、瞬時転移、透徹鏡壁、空冷消除を基本とした作戦を紫姫に話した。紫髪は最後まで口を挟まずに聞き手に回ったが、赤髪の説明終了と同時に質問をぶつけた。それはとても直球だった。
「作戦としては、貴女の考えを擁護したい。しかし、貴台の考えにそぐわない」
「それは――」
「我らは、あくまで正義を重んじる組織だ。テロや独裁政府への対抗や遊園地での真剣勝負など、これまで犯罪ではないことを堂々たる態度で行ってきた」
「けど、国王を連れ戻すことが私たちの最終目標なのは確かじゃん」
「尤もだ。だが、会話で解決することを原則としているのも確かだろう?」
組織の長である稔の考えを尊重してここまで来たのはラクトも紫姫も同じだ。だからまず論点となったのは、示された作戦と組織結成以来の考えとの合理性。ラクトは司令官であるが独裁者ではない。というか、もし権力を握らせるなら紫姫は迷わず稔を選ぶ。これはラクトも同じだった。だから、議論が拮抗する。
「でも、これ以上会話したってヴァレリアサイドは聞く耳を持たないよ」
「論戦は粘り強くしていくことが重要だと思うが」
「けどさ、相手側は討論続行を拒み続けてるじゃん? だからもう、実力行使しかないと私は思うんだよね。身バレさえしなければ、正義と悪は対立しないし」
「とはいえ、身バレした時のリスクがあまりにも多すぎるのも事実だ」
「たとえば?」
「政府の代表者が他国政府の役所が管理する施設に乗り込んだなんて情報が漏れて、もし我々かエルフィリア政府が収拾をつけられなければ、最終的に行われるのは戦争だ。ギレリアル十六億の人民に対して、エルフィリアは二千万の民しかいない。弱小国家が戦う場合、圧倒的軍事力を誇る味方を付ける必要がある」
魔法と科学は紙一重だ。少数精鋭では魔法の方に軍配があがるだろうが、長期化するほど人員供給が辛くなるのは言うまでもない。それにもし、世界を挑発して圧倒的敗北を喫した過去を持つ国家が徴兵制を導入すれば、国民から猛反発を受けるのは火を見るより明らかだ。そう考えると、データ・アンドロイドを多く確保しているギレリアルが有利と考えられる。
「なら、どうやって解決するのさ?」
「ヴァレリアと親しい者達を味方につけ、奴を精神的に追い詰めれば良い」
「でも、それじゃ時間が掛かり過ぎる。これは一刻を争う事態なんだよ?」
「しかし、急げばいいというものでもない」
論議が拮抗する中、稔が私案発表を示唆した。「ちょっといいか?」と言って二人の視線を自分に集めると、深呼吸して唾を呑んで口を開く。
「正義は悪であって、悪は正義である。俺の爺ちゃんはそう言ってた」
「稔のおじいさんって、日本軍兵士から自衛官になった人だよね?」
「ああ、そうだ」
家系を辿ると文民じゃない人が居る――。そんなことを聞いた紫姫は目を輝かせていた。誰かとの戦闘を経験した者同士、顔を知らなくても通じるものがあるらしい。でも、話を二度繰り返すのは面倒だ。一回で終わらせられればこの上ないので、稔は紫姫の注意を自分の方へ注がせるために咳払いする。
「正義も悪も自分の理想を掲げてその時を生きるんだ。だから人は、善人にも悪人にもなれる。それは国家もしかり。だから、その時頃に応じて建設的な自分の考えを持つことが必要なんだ――。祖父は、俺の担任にそう語ってたな」
稔が祖父からその話を聞いたのは、学校の授業。保守派の社会科教師が他の教師陣による反発を押し切って開催した『戦争体験者の話を聞く』というイベントの一幕、戦後日本の自虐史観について触れた時にそれは出た。
ちなみにそのイベントで、祖父は教育者達の反感を買うようなことをしている。『戦争はあってはならないもの』とした上で、『忘れないためにも双方の視点から歴史を捉えることが重要』とし、『感情的ではなく論理的に、建設的な話をすることが必要』と持論を語ったのだ。そしてそれらを、『子曰わく、学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆うし。』とまとめた。
けれど、それを話したところで作戦会議に良い影響があるかというと、首を縦に振ることは難しい。だから、稔は自分の過去を話したくなかった。また、戦後日本が歩んできた歴史の特異性など外国人には分かりづらい内容である。しかし話さなければ、ラクトや紫姫に心を読まれない限り知られることはない。
「担任?」
「ごめん、これについては色々とあるので話さないでおきたい。ダメか?」
「いいよいいよ。それより、前置きはいいから早く本題を話して欲しいかな」
「悪い悪い」
しかし、話を聞いていた二人は話さないことを批判しなかった。ラクトの考えに紫姫も同調し、紫髪も稔の提案を受け入れる。黒髪はホッとした後、ラクトが言ったとおり本題に入った。先程まで触れていた稔の祖父の話と絡ませながら、ラクトと紫姫の意見を掛け合わせて作った私案を発表する。
「まず、ラクト案を実行する。だが、最初に行うことがある。回線ジャックだ」
「回線ジャック? まさか、電話とネット回線を?」
「ネット回線のハックは可能だろ?」
「だけど、電話のハッキングはやったことないよ?」
「問題ない。バリアを張ればいいだけだからな」
「なるほどね……」
しかし、ここで紫姫が言う。
「だが、貴台。ヴァレリアのゾンビ・サバイバルのようにはならないのか?」
「というと?」
「範囲指定魔法の使用不可と携帯電話の電波を圏外にするということだ」
「圏外ってまさか、さっき圏外だったのか?」
「気づかなかったのか……」
紫姫は稔の発言に落胆した。一方のラクトも同様の反応をする。しかしその方向に転用できれば、ラクトの負担が格段と減るのは確実だ。魂石越しに会話可能ということは、無線規格を必要としないことを同義である。
「でも、試してみる価値はあるんじゃない?」
「我も同意見だ」
「でも、転用ってどんな感じでするんだよ?」
稔の質問を受け、紫姫は鼻先でふんと笑った後で答えた。
「与えられた魔法の内容が根底から覆されない限り、魔法の使用目的を連想することで転用することが可能だ。これは今回限りで良い。もちろん、指定語句を発する必要はない。大切なことは、意味が通じることだ」
言い切った後、紫姫は頷いて破顔した。普段クールな子が見せる笑みは、背中を押す時に凄まじい効果を発揮する。稔の中にあった不安は一気に払拭され、彼は紫姫の説明からわずか数秒で魔法を使用した。
「(通信網を遮断する……)」
言葉には出さなかったが、黒髪は強く思って『跳ね返しの透徹鏡壁』を用いた。指定範囲は自分を中心点とした半径一メートル。ラクトが生成したスマホが圏外になっていれば通信網を遮断できたことと同義であるため、建物内まで範囲に含めて相手に隙を与えないように細心の注意を払った。
「どうだ?」
「いや、ラクトが携帯端末を作ってくれないと話しにならない」
「確かに。異世界準拠スマホより、こちらの世界準拠のほうがより正確だな」
紫姫が首を縦に振る一方、ラクトは慣れた手つきでスマホを生成していた。初期設定まで一通り終えたところで、彼女は彼氏にそれを渡す。受け取った黒髪はロック画面を解除し、時計などが表示される画面上部の黒いバーを見た。
「圏外……」
時計の隣に表示されていたのは『圏外』の文字だった。「SIMカードが挿入されていないのではないか?」と疑問を抱く稔だったが、文字の隣にはしっかりとキャリア名が表示されている。そして、稔がバリアを解除すると――。
「あ……」
圏外と表記されていたはずの場所に、五本の白い棒が起った。周辺に携帯電話の電波をキャッチすることを妨害する物が無いから、基地局から発信された電波は勢い良くと飛んでいる。その証拠に、アイコンタップからブラウザが立ち上がるまでわずか五秒しか掛からなかった。
「転用成功、おめでとう!」
「やったぜ。」
ラクトに褒められガッツポーズする稔。だが、ここで彼は本題を思い出した。でも、オオカミ少年のように同じ行動を取り過ぎると信用してもらえなくなる。
そこで稔は、咳払いという手段で彼女らの注意を自分に注がせるのを控えた。男の数が少ないことを利用し、「さて、話を戻す」と低い声で発したのである。
「俺が建物の周囲にバリアを張って回線を遮断する方向し、テレポートして建物内へ侵入、紫姫の協力を得て職員にバレないように監禁部屋から奪還する」
「貴台よ。その作戦でいくならば、眠らせてしまったほうがいいと思うぞ?」
「でも、一人ひとり眠らせていたら時間が――」
「貴台は本当に無知だな。『入眠』は、範囲指定も個人指定も可能だぞ」
「マジか……」
稔は紫姫の告白に喫驚したが、ラクトのほうに視線をそらすと首を縦に振っている。しかしラクトは、正確には違うとも話した。彼女曰く、『入眠』だけではなく状態異常系の魔法すべてで範囲指定にも個人指定にも出来るのだという。
「それなら、圧倒的に狭い範囲のバリアに抑えられるな」
「だろう? そうすることで、通信障害の発生エリアが監禁部屋のみとなる」
「回線と回線を一時的に遮断するってことだから、防犯カメラの映像も――」
「うむ。砂嵐にはならないが、黒画面にはなるだろうな」
青画面のほうがより自然に近いのは確かだが、そこまでする必要はない。あくまで自分たちの姿を移さずに国王奪還作戦を遂行することが必要とされているのだ。だが稔は、ここまで聞いて一つ疑問に思う。
「……紫姫って反対派なの?」
「否、貴台の話を聞いて意見が変わったまでだ。『正義は悪であり、悪は正義である』という貴台の祖父様が発された言葉によって、考えが改まったのだ」
「そっか。よかったよ、俺の考えに流されてるわけじゃなくて」
稔にしても、ラクトにしても、紫姫にしても、掲げる基本スタンスは変わらない。対話で解決することを前提とするが、残虐非道な行為を行っている場合や聞く耳を持たない場合は魔法をもって解決する。もちろん、攻撃は必要最低限だ。
「ところでさ、稔は国王以外も奪還する予定なの?」
「今後の人生をギレリアルで生きていくには世知辛いと思うから、難民という扱いでエルフィリア王国領に避難させたほうが良いと思うけどな」
「監獄の中で生きていくってことだもんね……」
同じような施設がギレリアルに幾つ在るかは不明だ。しかし、憲法解釈変更や人権侵害を見て見ぬふりをする対応などに目を瞑り、黙って見過ごすことは出来ない。基本的人権が棄てられてしまう前に、弱い立場の者達を救う必要がある。
「なんだか、国王奪還というより人権奪還という感じになってきたな」
「それでいいのさ。正義という大義名分を掲げてる以上は好都合だろ?」
「確かに、国王奪還だけを目的とするよりは強い印象を与えるな」
諸外国に対してギレリアルの汚点を晒し出すためには、国王奪還ではなく人権奪還の方向で監獄から男達を救出したほうが良い。稔と紫姫が同じ考えで調整を進める中、司令官であるラクトも二人と同じ考えになっていた。それからもう一度作戦を見直し、三人の共通認識であることを確認して頷く。
「アイテイル、公園わきの施設の構造図を製作してほしい」
「個室外での活動になりますよ?」
「構わない。けど、もし誰か怪しい人が居たら即時撤退な?」
「わかりました」
稔はアイテイルが待機する魂石と話して作成方法を決定し、銀髪はそれが決まったのを合図に個室の扉の向こうで姿を現した。そして、トイレを出て公園の土を踏む。彼女は周囲に誰も居ないことを確認し、自身の能力を転用して構造図作成に入った。約二分程度して、アイテイルが稔達のもとに帰還する。
「こちらが構内図です。コンパクトにまとめました」
「ありがとう。あとはゆっくり休んでくれ」
構内図を渡し、アイテイルは「はい」と言って魂石に戻る。一方の個室内に待機する三人は、もらった構内図を舐め回すように見て作戦案に見直す点が無いか確認する。しかし直す点は一つも見当たらず、三人は遂行する方針で合致した。しかし、ここでラクトが作戦に付け足しを求める。
「身バレ防止用に、カルメンナンバーを付けよう」
「カルメンナンバー?」
「うん。元々、『タラータ・カルテット』とか言ってたじゃん?」
「『カルテット・メンバー』って意味か」
「そうそう。でさ、どう?」
「いいんじゃないか?」
稔の言葉にラクトが満面の笑みを見せ、喜びの声を上げた。それから稔、自分、紫姫と人差し指を向けて、『ゼロゼロ』、『ゼロワン』、『ゼロツー』とした。サタンを『ゼロフォー』、アイテイルを『ゼロファイヴ』とすることも決まる。新しい身バレ防止策が出来たところで、ついに作戦が決行された。
「まず、変装用衣装を二人には着てもらおうか」
「いや、この服にサングラスで十分だろ」
「我も、貴台に買ってもらった軍服があるからそれで良い」
「分かった。でも、身バレしそうかどうか私がチェックする。いい?」
男装のプロによる変装チェックということで、稔も紫姫も首を上下に振った。それを合図に、黒白が変装する。




