4-27 官邸サバイバル
確かに『跳ね返しの透徹鏡壁』はゾンビ化を遅らせることに一役買ったが、ヴァレリアによるゾンビ化魔法の威力は相当な火力だったらしい。弾くと一瞬にして崩壊した。
「もう一回!」
「範囲指定系は使用不可みたいだ……」
「じゃあ、テレポートは? 最悪、スマートフォンで助けを呼ぶことも――」
「範囲指定の例に挙がってるから無理だ。スマホは――どうだろうか」
瞬時にスマートフォンを形成し、ラクトは初期設定を終わらせて近くの基地局の電波を受信しようとする。だが、表示されたのは『圏外』の二文字だった。しかし、ハッキングはできない。その理由は単純だ。
「ゾンビが近づいてきてる……」
とはいえ、それほどすばしっこい性質ではない。ある程度の思考時間は確保できていた。だが、脳が破壊された彼らの思考判断能力は著しく鈍っている。そのため、会話で解決することは自殺行為と言って良かった。
「早くここから逃げ出そう。ラクト、木刀の準備を頼む」
「剣とかのほうが――」
「人を切ることで肉が刃の部分付着するから、木刀のほうが何かと便利なんだよ」
「わ、わかった!」
ゾンビが近づいてきていることもあって、ラクトは大急ぎで木刀を作成した。しかし、間に合いそうにない。そんな中、彼氏は座っていたパイプ椅子を投げるという行動に出た。ベイリーが机に上れないのを良いことに、破壊されたドアから入ってきたゾンビたちに向かって思い切り投げる。
「……よし」
至近距離で受けた椅子投げ攻撃により、多少のゾンビがその場に倒れた。そして、ようやく作られた木刀で倒れたゾンビを上から叩きつける。狙う場所は脳と左胸。二刀流を特別魔法で使っていたことで得た剣捌きを生きた屍たちを前に披露し、自分の強さを見せつけて後退するのを祈る。だが、現実は非情だ。
「逆効果か……」
下がるどころか、ゾンビ達はさらに稔の方へ寄ってきた。しかし、歩き方は非常にゆっくりとしている。二撃で気絶まで持っていくのは魔法無しだと非常に面倒だったが、ノロノロとした動きに彼は救われた。しかし、官邸職員はとても多い。稔一人で敵を倒しきるのは困難を極める。
「紫姫、聞こえるか?」
「聞こえている」
「緊急事態が発生したのは知っているな? 今すぐに出てきて欲しいんだが――」
しかし、やはり現実は非情だった。
「それは不可能だ。ロックが掛かっている」
「おいおい待てよ、そんなのありかよ……」
ゾンビを倒しながら、稔は現実を嗤った。自分たちが置かれた状況を打開するためには、官邸職員らを倒すことしか術がない。もちろん必要最低限の攻撃に抑えたかったが、水のように湧き出てくる奴らを見てしまったら最後、必要最低限なんて言葉は机上の空論と化していた。そんな中、彼氏の暴走しかねない状況に危機感を持った赤髪が質問をぶつける。
「ねえ、稔。麻痺魔法で叩けないかな?」
「確かに、一撃で倒せればもっと楽だな」
「じゃ、決まりだね」
言った刹那、ラクトは魔法使用宣言をした。
「――麻痺――」
その効果は覿面だった。一撃で一人を倒せるどころか、稔は一撃で三人も倒してしまったのである。全身を司る脳が破壊していることで、与えられた痺れが凄い痛みとなってゾンビの身体を駆け巡った。
「これならいける……!」
そう確信し、稔は次々とゾンビを気絶させていった。並行して移動可能範囲を拡張し、彼女とともに官邸からの脱出を図ろうと試みる。気絶させては道を広げてを繰り返していると、開始から十分程度で地道な努力がついに実った。うじゃうじゃと湧いていたゾンビの流れが止まったのである。
「やっと会議室から出れ――え?」
次に入ってきたゾンビは、歩く速さが異常だった。そのため稔とラクトは、会議室で更なる戦闘が起こることを覚悟して唾を呑む。すると次の瞬間、脳が破壊されているはずのゾンビが魔法に似た攻撃技を繰り出した。
「なん――」
人外にしか見えない動きを見て、動揺しながら何がゾンビ化したのか察した。稔とラクトの目の前に現れたエネミーは、データ・アンドロイドが化けたもの。噛まれれば即終了なのは変わらずだが、魔法が存分に使えない環境下では圧倒的に不利である。そんななか、ラクトが稔の真横に出てきて言った。
「木刀で倒すのは無理があるから、ここは私がいく」
「ラクト、お前……」
機械に対して有効なのは、身体を痺れさせる魔法だ。回路に衝撃を与えることで正常な動作を取れなくなる可能性が高くなる。制御装置を作動させ、敵の動作を停止させようというのだ。しかし、制御装置未作動で攻撃続行となると逃げる術を失ってしまう。しかし、木刀で始末できる相手ではなかった。
「――麻痺――」
二発目の麻痺魔法を使用するラクト。彼女は使用時、範囲指定ではなく敵を指定している。そのため全ての特殊魔法において、ヴァレリアの魔法の影響で効力が発揮されないことはない。
「あ……」
だが、魔法が使用したことと相手を倒したことは必ずしもイコールではない。制御装置が作動して機能停止に陥ったデータ・アンドロイドも居たが、三分の二の機巧はゾンビのままだった。そうしてラクトが力不足を悔やむ中、稔は覚悟を決める。彼は持っていた木刀をラクトに預けて叫んだ。
「残り三分の二ってところか。しゃーなしだなッ!」
チェーンソー……ではなく、稔は一刀ずつ左右の手で剣を持つ。肉を一刀両断すると肉が刃に付着して切れ味が悪くなるが、これから斬る対象は肉質を人工的に表現しただけの機械だ。皮膚や筋肉、脂肪の部分を刃につけるわけではない。
「――終焉の剣――」
木刀から紫の光を帯びた剣に変えると、稔はそれを強く握りしめて会議室を駆けた。ゾンビ化して気絶した閣僚や報道関係者を床に見て、襲い掛かって来るデータ・アンドロイドらには向かっていく。二刀でエネミー達の胸部や腹部にバツ印を付け、思い切り押し込み、最後に勢い良く表面上を滑らせる。
「あと何体居るんだよ……」
稔が何度も何度も気絶させても途切れることなく、データ・アンドロイドは会議室内へ侵入してきた。同じ頃ラクトは、ゾンビたちの復活を阻止しようと気絶した者達を眠らせる。また並行して、彼女は稔の少し後ろに立つのを維持した。
倒しては眠らせてを繰り返し、稔とラクトはついに会議室からの脱出に成功する。しかし、官邸玄関も上階へと繋がる道もゾンビたちが塞がれていた。ゾンビはレッドカーペットの上をノロノロと歩いている。首から掛けている職員証は過去の証でしかなく、現在の彼らに公務員としての自覚は無い。
「木刀、サンキュー」
稔は預かってもらっていた木刀を再び手にし、玄関の方向に居るゾンビたちを捉える。そして、ラクトが麻痺魔法を使用したのを合図に、黒髪が行動を開始した。勢い良くレッドカーペットを走り、通路脇でノロノロと歩いていたゾンビを気絶させていく。稔はラクトがゾンビに襲われていないか確認することも怠らない。ときたま赤髪のほうに視線を向け、彼女に危険がないかチェックしていた。
「はあああああッ!」
同じように二刀の剣を振りかざす稔。すると、その時だった。彼の身体を電撃のような衝動が走った。隙を見せないよう後方へ一時撤退し、謎の衝撃の正体を知りたい気持ちを奮い立たせる。そんな中、ラクトがこんなことを言った。
「アイテイルとの関係が深まったことで、その特別魔法を得たんだろうね」
「特別魔法? どういう効果だ?」
「影分身だと思う。一時撤退のスピードが凄まじく早かったからね」
「影分身、か……」
稔は内心、「もっと強い特別魔法だったら良かったな」と思った。しかしよくよく考えれば、『テレポート』と抱き合わせて使用することで相当な強さを発揮できる。そしてそれは、今の状況を打破するためにとても必要なことであった。
「影分身!」
ゾンビを誘発しないように小声で魔法使用を宣言すると、稔の隣に彼の分身が一体できあがった。瓜二つのそれは身代わりとしての側面も持っていて、火力を高めるためにモードを切り替えることは出来ない。しかし魔法使用者に制限が無いということは、言い換えればオートモードで戦ってくれるということ。
「ラクトを頼む」
「ああ、分かった」
稔は自身の分身にそう声を掛け、背中を押して送り出した。それと同時に、彼は大きく深呼吸する。短く目を瞑って木刀に入魂すると、黒髪はレッドカーペットの上を通って自分に近づいてくるゾンビたちに振りかざしていった。
「はああッ!」
気絶させ、眠らせ、稔とラクトは連携して脱出するための道を確保していく。だが、玄関まで残り一メートルを切った頃。ついに魔力消費削減のツケが回ってきた。振りかざした木刀が、上と下で真っ二つに壊れたのである。
「え……」
稔の脳裏に絶望の結末が過った。しかし、一時撤退できないほど追い詰められていた訳ではない。黒髪は嫌でも剣の切れ味を悪くしたくないと、ラクトに木刀の発注を再び行った。十秒ほどして、先程より若干短い木刀が稔に手渡される。
「強度と使い勝手の向上を考えて軽量化とコンパクト化してみたよ」
「おお。じゃ、もう少し待ってろ」
「了解」
彼女との会話は短く済まし、稔は再びゾンビたちの居る方向へ駆けていく。彼は軽量化とコンパクト化が施されたその木刀で、先ほど倒せなかった相手を叩いた。まもなく生きた屍がその場に倒れたが、稔はそんなことに興味ない。
同じような行動の繰り返しで、稔とラクトは官邸玄関を塞いでいたゾンビ集団の駆逐に成功した。倒れたゾンビ達はラクトが眠らせていたから、彼女らは簡単に起き上がれない。自己防衛の名目で作り出してしまった殺伐空間を突き進み、二人はそのまま大統領官邸を出た。
「あれ、ゾンビが居ない?」
正門に向かって玄関から歩き出してすぐ、ラクトが建物内と大きく違う点に気付いた。ゾンビと思わしき姿が何処にも見当たらない。しかし、こうも影がないと警戒してしまうものだ。だが、本当にどこにも居ない。――と、その時。正門の方から高身長の金髪女性が歩いてきた。
「脱出したみたいですね、二人とも」
「なんでこんなことするんだ!」
「まあまあ、そう激情に駆られないで下さい。知能がないように見えますよ?」
「――」
ヴァレリアが稔を憫笑した。一方の黒髪はイライラを募らせる。しかし何を血迷ったか、大統領は手のうちを明かした。両手を挙げて稔のほうをじっと見る。
「……どうした?」
「降伏の意思です」
「嘘を吐くな。どうせ、裏に何か隠してるんだろ?」
「いいえ。私の魔法、時間を置かないと再使用できませんから」
「本当に降伏の意思しかないみたいだな……」
稔は相手の態度を見て、反省の様子が色濃く出ているのを確認した。許せる話ではなかったが、しかし謝った点は評価できると考える。けれど、そんなの無用だった。なにしろ、大統領に降伏の意思はまだ無かったのだから。
「これで信用するなんて、貴方はとんだ御人好しですね。でも、残念!」
カッターナイフを取り出して笑みを浮かべる大統領。彼女は台詞と同じペースで稔のほうに突き刺す計画を進める。しかし、その計画は破綻した。金髪の後ろに女の影が映ったかと思うと、女がそのカッターナイフを奪取し、大統領に切り傷を負わせたのである。刹那、ヴァレリアの表情が絶望に変わる。
「お前……」
「認めたくないですが、貴方に心を奪われてしまったようなので」
稔は見覚えのある顔が誰の顔なのか思い出す。その顔は――警吏だ。股間部を執拗に触った例の警備担当者だ。しかし、手を貸してくれたことには感謝しなければならない。稔は大統領のキレ顔など尻目に、警吏に感謝の言葉を投げた。
「ありがとう」
しかし、これを聞いたヴァレリアが怒鳴り声を上げる。
「私の目の前で会話しないで! 下劣な生き物のくせに生意気よ!」




