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チートなしで敗戦国家を救うことになりました。  作者: 浅咲夏茶
四章 ギレリアル編 《The nation which has only women.》
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4-10 待機室前

 一気に青くなっていく顔。息をしているのは確認できたが、意識が朦朧としている。それまで壁に背中をつけて座っていた女性がコロッと床に倒れるのをギリギリのところで止めると、稔はゆっくりと彼女の頭を床に触れさせた。そして、着ていた上着を毛布代わりに上から掛ける。


「その他、緊急処置が必要な方は――」


 稔はあまり大きな声を出さないよう気をつけながら、待機室周辺で座り込む女性たちに体調を伺った。硫化水素テロで逃げ遅れた人はリールを除くと誰一人居ないようで、中毒系で心配することは特に無い。しかし、稔への病状報告は続く。


「うちの子、熱を――」

「家を教えてくだされば、瞬間移動いたしますが」

「ぜひ、お願いします……」

「分かりました」


 母親とみられる女性からの相談を受け、稔は冷静な判断をするために息を整えた。立たせるのは苦であろうと考え、母親とその娘を囲うようにバリアを使用する。だが、音がシャットアウトされる訳ではない。黒髪は個人情報保護の観点から、母親に耳元で行き先を言うように話した。復唱して行き先を確認すると、ついに稔はテレポートを使用する。


「――瞬時転移テレポート――」


 行き先は内心で宣言した。疑う余地のない話だが、音漏れすると分かっていながら個人情報を流すのは愚の骨頂。母親とその娘は何が起こっているかさっぱり分かっていないようだが、とりあえず無事に予定地へ着くことが出来た。


「シャワーを浴びて身体が冷めないうちに寝かせてあげてください。」

「わかりました」


 母親はそう言い、くるりと一八〇度回転して家の中へ入っていく。どうやら、解熱剤などは備蓄してあるようだ。ひどい熱なら診察を急ぐべきだが、顔の紅潮具合を見ても三七度後半台と見て取れるため何も言わない。母娘おやこが中へ入ったのを確認すると、稔はテレポートを使用した。


「――テレポート、元居た場所へ――」


 『瞬時転移』を使用した後、その場を一切動かないことを条件に使用できるリターン機能。場所をいちいち宣言するのが面倒くさいため、稔はそう言ってリリー大聖堂へと戻った。彼は移動した場所で誰かを蹴飛ばす可能性を憂慮したが、壁に背中をくっつけている人が大半だったので、世界遺産といえど観光客とはぶつからない。不幸中の幸いだった。すると、その頃。


「ご来客の皆様に連絡申し上げます。先程、リリー大聖堂一階の待機室にてテロ事件が発生しました。当施設の管理員を中心に調べました結果、事件の主犯とみられる人物は硫化水素を大量に吸い込んで即死しております」


 そのアナウンスで、待機室前で壁に肩を密着させていた女性たちが安堵の表情を見せるのが分かる。だが、その放送のつかの間。放送者は現実を告げた。


「しかし、ドアを閉めても完全に遮断できるわけではありません。ですから、待機室付近で待機されている方は一階中央のヴァルキリー像の近くに退避して頂ますよう、お願いします。繰り返して連絡申し上げます――」


 紛れもなく、ラクトの声だった。彼女は論戦で鍛え上げられた冷静さを武器に、アナウンス室から放送を入れている。笑顔が似合う普段の喋り口調とは異なり、彼女はやり過ぎと思うくらい堅苦しい言い方を用いていた。翻り、待機室前では二度目のアナウンスが始まると同時に稔が誘導を始めた。


「健常体の方は、急がずにヴァルキリー像前へ避難を開始して下さい! 負傷者は僕まで連絡をお願いします! 危険ですからすぐに移動を開始して下さい!」


 放送を邪魔するレベルなのは重々承知だった。けれど、自分に出来ることはこれしかないんだと思い、またテロ事件を起こすような気違いな男ばかりではないと知ってほしくて、稔は無我夢中になって観光客の避難作業に尽力した。


「あ、ああ、あ、あの……」

「どうかされましたか?」

「え、えと、その……、そこに居る女性、逃れるときに足を痛めたそうで――」

「わかりました。貴重な情報を提供いただき、誠にありがとうございます」


 稔は一礼すると、すぐさま怪我をしている女性のほうへと向かう。しかし彼がその人物を助けるということは、貧血を起こした例の女性を運ぶのが二の次になるということ。けれど、誰かを見捨てるなんて出来なかった。


「アイテイル」

「私でいいんですか? 戦闘にも出さなかったのに」

「バカ、お前だから良いんだよ、アイテイル。けど、くれぐれも風は起こすな」

「わかりました」


 アイテイルは深く聞かず、そう言って貧血を起こし寝かされている女性の元へ急行した。稔が銀髪を選んだ理由は至って簡単である。彼女が、見た目ではラクトに負けず劣らずの豊満な胸を所持しているからだ。「母親っぽい人物に慰められたほうが安心するのでは?」という彼の個人的な主観から、戦場に引きずり出さなかった精霊をあえて向かわせたのである。


「ご報告を受けて参りました。お怪我はどの部分にあるのでしょうか?」

「近寄らないでください!」

「敵対視されるのは理解しています。ですが、僕はテロリストとは正反対の男です。貴女を襲うつもりはありませんし、貴女を殺す気もありません」

「ヤブ医者は帰ってください!」

「確かに、僕は医者ではありません。しかし、貴女を助けたい」

「こんな蛮人に救助されるくらいなら、ここで死んだ方がマシです!」


 女はそう言って壁を叩いた。遺産を傷つけるなど言語道断、彼女の教養を疑ってしまう。だが、今それを口に出して良い結果が得られる訳がない。だからこそ稔は、正義感の裏にある優しさを前面に押し出した。


「僕は蛮人ではありません。どうか、差し伸べられた救助の手を押し返さないでください。この国の事情を知ってでも、僕は救助したいんです」

「理由はなんなんですか。私を助けようとする、その理由は!」

「傷ついているからです。傷ついている人を、僕は見過ごしたくない」


 稔は真面目な表情を見せながら、女の瞳に眼の焦点を合わせた。もちろん、目の前の女を落とそうと思ってやっているのではない。異性との交際が制限されている以上、自分が逮捕されないためにもこれは揺るがない。しかし、一方で。


「(なに、この男……)」


 彼の後ろを早歩きで歩く女性の姿。もし自分が健常な身体で経由地に避難できていれば、このようなイベントは発生しなかったと女はつくづく思う。でも、これは神が自分に与えてくれた偏見を直す機会なのではないか、と思ってしまう女の心があった。けれど、稔は他人の心を読む能力も魔法もない。


「まあ、いいです。僕と同じ意見を持つ貴女の同性が居ますから」


 五秒程度の沈黙を受けて、稔は「俺が関わらないほうが時間的に得だ」と確信を持った。「そこまでしてこの女性の偏見を直すことに意義があるのか」と思い始めていた黒髪は、そう発して紫姫が待機する精霊魂石に声を当てようとする。だが、その時。稔は、偏見持ちの女性を攻略することに成功した。


「いえ、構いません。あなたで大丈夫です」

「わかりました。怪我があるのはどちらの足ですか?」

「右の足首が……」


 話にあった場所を見る。確かに、あざができていた。


「立ちあがれますか?」

「無理です。本当に痛くて……」

「おんぶしましょうか?」

「恥ずかしいので結構です。肩を貸してください」

「どうぞ」


 依頼を受けて、口頭で返答した後に片膝をつく稔。肩を少し斜めにし、女が手を置きやすいように配慮した。とはいえ、あまりに距離が近いとラクトから誤解を招いてしまう可能性がある。そのため、黒髪は一定の幅を維持しながら同時に立った。すると、驚愕の事実が発生する。


「僕と身長差ないですよね。できる女、という感じが伝わってきます」

「ありがとうございます」


 片足で歩く女を見て少しでも気持ちを和らげてあげようと思って、稔は足を痛めた女のことを褒めちぎった。稔が一七五センチであるのに対して、女は一七二センチくらい。ギレリアルでは中の上くらいな身長のようで、女も高身長にコンプレックスを抱いている訳ではなかった。そのため、破顔している。


「病院に受診されるようでしたら、もう間もなく救援隊が来ると思うので、ヴァルキリー像付近で待機していてください。無理して動く必要は有りません」


 歩くペースを合わせながら、稔は女をヴァルキリー像前まで連れて行く。すると、スロープが見えた辺りで異様な空気になっているのに気がついた。女達がコソコソと話しているように見える。今でこそ肩を貸しているこの女も「蛮人」と自分を罵っていたのを思い返せば、至って相当な結果だ。


「(あれ?)」


 でも、それは見当違い。小耳に挟んだひそひそ話の内容を聞いて、稔は腰が抜けそうになった。ヴァルキリー像の手前にあった治療スペースに到達する寸前、彼の耳に飛び込んできた情報。それは――。


「あれって、ヴァレリアさんじゃ――」

「ホントだ! 大統領じゃん!」

「(大統領、だと……?)」

 

 一般人だと思って手を差し伸べた相手が、まさか一国の大統領だなんて思いもしなかった。冷静さを保ちながらも、話を聞くとすぐに冷や汗を出す稔。機内で寝ずに情報を収集していれば良かった、と心底思った。


「……すごく失礼だと思うのですが、大統領なのですか?」

「はい。ギレリアル連邦大統領、ヴァレリア・バーデットです。それに、全然失礼じゃないですよ。貴方は諸外国から来られた、言わば観光客なんですから」

「そうですが――」

「むしろ、嬉しいんです。私を大統領だからと特別扱いしないのは」


 ギレリアル連邦大統領。現実世界で言えばアメリカ大統領のような地位だ。選挙によって選ばれた、強い影響力を及ぼすほどの地位と行政府を統べる権力を持つ人物。それこそが稔の肩に手を置いてい女性、ヴァレリア・バーデットだ。


「ですが、大統領職にも関わらず護衛を配備していませんよね?」

「そうですね。でも、安全は確保できます」

「何故ですか?」

「国民が外出する際は、『NPC』を所持することが義務付けられていますからね」

「何の略称ですか?」

「『国民証明カード』の略です。武器や玩具を購入する際は提示が必須です」


 ギレリアル連邦の国民であることを証明するカード。それが『NPC』だ。年齢制限が掛けられている商品を購入する際には、提示を求められる。国民番号の役割も兼ねているから、誰がどんな商品を購入したか一目瞭然だ。国民が必要としている商品を調査したり、犯罪者の購入履歴を調べるためにも用いられるという。


「なお、外国人でもパスポートがあれば発行可能です。例として挙げた商品などを購入される場合は、パスポートを持って州庁に行って下さい」

「丁寧にありがとうございます」

「特別扱いされなかった御礼です。では、ありがとうございました」


 ふと前方を見ると、そこは治療スペースだった。通路では稔がリードしていたものの、ヴァルキリー像付近では主導権が移り変わっていたらしい。大統領からの礼を受けてそのことを知って、また、小さな行動に感謝されていることに動揺を隠せなかった。しかし、やるべきことはただ一つ。


「こちらこそ、お役に立てて光栄です。ありがとうございました」


 稔は尻から上と下で直角になるくらい頭を下げた。深々とした礼に、ヴァレリアはクスっと笑う。その後、大統領の身は救護担当の職員に引き継がれた。スロープ上に居た国民を中心に、携帯端末で椅子に座って治療を受けている大統領の姿を写真に収めている。もとい、その隣に居る稔の姿を写真に収めている。


「あの、名前を教えて下さい!」

「な、なんです――」

「サイン下さい! 有名人なんですよね?」

「別に有名人というわけでは……」


 サイン色紙――ではなく、スマホのメモアプリとタッチペンを渡そうとする女性たちに、稔はどうしていいか分からなくなった。ペンを受け取ったとすれば、長蛇の列が出来る可能性は否定出来ない。断れば、男性の地位向上を訴える絶好の機会を逃すことになる。黒髪の脳内回路は混戦状態に陥った。すると――。


「お知らせです。ヴァルキリー像付近に居る男性は、エルダレアの独裁政府とテロ組織『ルルド・デビル』を倒した張本人です。サインをお求めの場合は、列を作ってお並び下さい。それでは、救護隊が来るまで今しばらくお待ち下さい」


 ラクトは、稔に「サインするべきだ」と自分の意見を放送に乗せる。それに続いて、アナウンスが終了した刹那のこと。足首の痛みを少しでも身体に走らせないために椅子で待機しようとするヴァレリアが、稔に対して言った。


「貴方は私と似ています。凄い経歴を持つ一方、他人ひとから尊敬されたくないと思っているから。でも私は、ときに応えることも重要だと考えます」

「応えること、ですか」

「はい。国の背景を知った上で負傷した私の救助に携われてくれたのですから、大勢の人の要求に応えることを貴方が苦と感じているようには思えません」

「……」


 差別されている側の人間が、男女差別をしている国家の長を助けた。スロープ上に居る人達が稔のことを写真に収めているのを見れば、ツイッターのようなサイトに画像がアップされるのは確実だ。報道機関に情報がいくのも時間の問題である。断るに断れない状況と痛感して、稔はついに決意した。


「分かりました。サインに応じたいと思います」


 稔の台詞を聞いた周囲の女性たちが、最初に「サイン下さい!」と言った人を越そうとして騒ぎを起こし始めた。けれど、これでは本末転倒である。救助に来てくれる人達からしたら、迷惑以外の何物でもないからだ。


「色紙やそれに代わる物を用意された方は、列を作って並んでください」


 そんな時。彼女は、稔を思ってアナウンスを入れた。黒髪は嫁スキルが半端ないと確信すると同時に、再会したらアイス奢ろうかと考える。適宜に内心を読むことが出来て、彼氏が他の女性と仲良くなるくらいで嫉妬しない寛容さを持ち合わせているラクト。そんな彼女に、稔は「ありがとう」と内心で言った。


「我も手伝うぞ」

「紫姫はサインしなくていいんだぞ? 別に休憩してても――」

「貴台を邪魔するつもりはない。一列に並ばせるだけだ」


 魂石から現れたかと思うと、紫姫は列を整理するために最後尾を目指して進んでいった。けれどすぐ、紫髪の役割がサブからメインに切り替わる。石から美少女が登場するという奇想天外さに、紫姫からのサインを求める女性たちが急増したのだ。しかし、紫姫は気が強い。関わりの無い人物には敵対心を向ける。


「我は貴様らの要求に応じぬ。仕える者の役に立ちたいだけだからな」

「もっと罵って!」

「もっと罵って欲しいと思った奴は元の場所へ帰れ。見たくない」

「エッスヒメ! エッスヒメ!」

「や、やめてくれ……」


 紫姫しきだからS姫(えすひめ)らしいが、その名前は本人が嫌がっていた。紫姫の嫌そうな表情を受けて、言い出しっぺなどが「あれ?」という顔をする。戦友の悲しむ表情を見て、稔は助けてやりたい気持ちでいっぱいになった。しかし彼は、サインを続行する。救援隊が来る前に騒ぎを沈静化させるためだ。


「『エスヒメ』という名前は、悪いものではないと思うが、我はその名前を使ってほしくない。名も無き我に『紫姫』という名前を授けてくれた人が居るから」

「それって……あの人?」

「うむ。貴様らのサインを担当しているあの男こそが、我のあるじだ」


 落ち込む女性達の間に衝撃が走る。だが、それは起爆剤だった。紫姫が名付けられた経緯を話してすぐ、一人が右手を上げて大声を発したのである。それを起点に、言い出しっぺに賛同する者が次々と大声を上げる。


「ツンデレメイド! ツンデレメイド! ツンデレ最高ォォ!」

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