4-3 タクシー・ウィズ・ハイウェイ
空港の敷地内はショッピングモールに出来そうなくらい広大で、タクシー乗り場を探すのにも苦労した。歩いている最中、二人はモノレールに乗ろうとしたが面白みがないとの理由で却下。歩き始めて約三分が経過した頃、ようやく発見した。個人用タクシーがズラリと並ぶ、空港のタクシー乗り場だ。
「乗ろうぜ」
そう言ってラクトの手を引っ張る稔。肉付きのよい赤髪が、さらわれたり性的暴行を受けたりしまうのは何としても避けたいとの思いで黒髪が先に乗車する。危険性が無いことを確認すると、ラクトが乗り込んだ。同時に運転手が問う。
「どちらまで行かれますか?」
「リリー大聖堂まで」
「わかりました。ただ、今の時間帯は通勤時間帯と重なっています。渋滞に巻き込まれる可能性がありますが、高速道路をご利用になられますか?」
「運転手さんの判断でお願いします」
「分かりました。それでは、発車いたします」
そう言うと運転手は、すぐさま止まっていた車を発進させた。乗り場のタクシー列から巧みなハンドル捌きで抜けると、歩行者に細心の注意を払いながら、バスを横目に見ながら、徐行して空港敷地内の道路を進んでいく。
「しかしお客さん、珍しいですね。若いのにタクシーを利用するだなんて」
敷地を抜けるための交差点で信号機に引っ掛かってしまったので、空いた時間を飽きさせないようにと運転手が稔たちに会話を持ちかける。だが実際のところ、会話は稔と運転手の一対一で行われた。隣席に居る赤髪は子供のように純粋な目を浮かべて、車窓に映る大都会の光景に目を奪われている。
「そうですかね?」
「そうですよ。それに、異国でタクシーに乗るだなんて勇気があると思います」
「運転手さんからギレリアルの情報を聞きたくて乗っただけなんですが……」
「ああ、そういう理由でしたか」
あくまでも、稔とラクトがタクシーを選んだ理由は情報収集だ。いくら平和な国家であっても、その国をよく知らないままに見知らぬ地へ踏み出すのは自殺行為でしかない。犯罪に遭う可能性が低くても、言語の壁に当たる可能性があるからだ。だからこそ、まずは情報収集に徹する必要がある。
「ところでお客さま。声が低いんですけど、男性の方でいらっしゃいますか?」
「あ、はい、そうですが」
「お客さま。リリー大聖堂は、多くの観光客が訪れる有名なスポットです。しかし一つ、頭に入れておいてください。あの場所に男子用トイレは有りません」
「……え?」
運転手の話を聞いた刹那、稔に衝撃が走った。観光地なのにトイレが無いなど言語道断である。驚愕の事実を知って驚きを隠せない稔にクスっと笑みを浮かばせると、ドライバーは続けて理由の説明に入った。同頃、車が前方へと動く。
「警察から話は聞いているんでしょうけれど、Y染色体が無いということは男性としての基礎がなっていないという訳です。つまり――」
「ああ、そういうことですか……」
運転手にピー音を言わせるのに抵抗があった稔は、ギリギリのところで自分ペースに戻した。もちろん、ドライバーが要約して何を言おうとしていたか分からない状態で会話の主導権を握ったわけではない。けれど、その言葉の曖昧さが稔を苦しめてくれた。理解を示した根拠を示せと言わんばかりに、運転手が言う。
「『そういうこと』って具体的になんですか?」
「……それ、言わせますか?」
「やっぱり、こういう重要な話を誤解されていると嫌ですから」
理由としてはもっともだった。ドライバーが主張するように、染色体が消えるなんて言うのは重要な話だ。稔が居た世界でも現在進行形だというのだから、そうなるとどうなるかの例を知っておいて損はないだろう。それだけ重要な話だからこそ誤解を招きたくないという考えは、稔の心に強く響いた。
「わかりました」
ついに黒髪は決意した。バカにされたってどうでもいいと半ば自暴自棄になると、嘆息を吐いて咳払いする。それから口を開いて、稔は具体的な説明を行う。
「排尿の為の器官が成熟していないため、小便器は不要ということですよね」
「お客さん、理解力がありますね。その部位を示す医学用語を用いてもらっても良かったのですが、年代も年代ですよね。配慮が足りませんでした」
ドライバーはそう言って謝罪する。だが、運転中だ。頭は下げられていない。翻って稔は、運転手が「配慮が足らなかった」と言ったことに違和感を覚えていた。顔にこそ出さないものの、彼は内心でこう言う。
「(なら最初から聞くなよ。確認の名目はラクトに頼めよ――ん?)」
稔はそこまできて察した。ラクトがなぜ口を開かなかったのかを。運転手が反省の心を態度で表すために口を閉ざしている一方、稔は疑問に思ったことを赤髪の耳元で問うた。もちろん、ドライバーに聞こえないような小さい声でである。
「ラクト。お前もしかして、これを見越して会話に参加しなかったのか?」
「未来は分からなかったんだよ? でも、運転手が生物に関して学者並みの知識を持っていると知った時点で察した。それに、稔のことだから何でも返答するだろうなって思ってさ。どう考えても話が振られると思ったから離脱したんだよ」
ラクトは稔と同じくらいのボリュームで声を発し、彼の耳元で話した。他にも稔と同年代の男子が滞在している可能性は否定できないが、それでも三一歳以下の男女比が大変なことになっているのは事実である。
「やっぱり、途中で割り込んで注意したほうが良かった?」
「当然だろ。でも、それは結果論だ。俺は何の文句も言わねえよ」
「ちょ――」
「今度からそうしてくれればいい。失敗は成功のもとって言うだろ?」
顔を綻ばすと、右手をラクトの頭の上において円を描くように撫でる稔。不意打ちのような攻撃に、ラクトは思わず下を向いて体温を上昇させた。どんどんと顔を赤くしていく特異な主人の召使の姿を見て、運転手が稔に質問する。
「いいですよね、お客さまみたいな爆発を願いたいくらいに初々しいカップルって。私も嫁が居るんですが、共働きでなかなかイチャイチャできる時間を設けることが出来なくて。夜の営みも週一だし、どうにか出来ないものか……」
ドライバーの切実な悩みは、稔とラクトからすれば聞きたくない話だった。それまで顔を紅潮させていたラクトが一瞬で我に返り、稔は赤髪の変貌っぷりを見て運転手を白い目で見る。しかし、視線も態度も運転手には関係ない話だった。
「夜の関係、お二人はどうなんですか? 詳しく教えてくださいよ」
「……」
「――」
互いにそっぽを向く稔とラクト。運転席と助手席の中間の上に取り付けられた鏡に映る二人の様子を見て、運転手がクスっとした笑みを顔に浮かばせる。けれどそれからの沈黙は長く、さすがのドライバーもこれ以上聞くのは接客業として問題があると考え、夜の営みに関して客二名から聞き出すことは止めておいた。
「まあ、女性の場合は年齢を重ねるごとに夜の営みでの快感は高まっていきますし、いっぱい愛し合って将来をより良いものにしてくださいね」
「あ、ありがとうございます……」
ラクトは動揺しながら言う。衝撃の質問によって冷静さを失ってから、まだ彼女は平然さを取り戻していなかったのだ。恋人の前では恥ずかしさを隠せず、顔を赤らめている時間は稔と比較して圧倒的に長い。
「馬鹿な質問だと思いますけど、運転手さんと嫁さんは同性カップルですか?」
「はい。家族構成としては、私と嫁と子供が二人です」
「全員女性ですか?」
「そうですね。――あ、そうだ! この際聞かせてください!」
手を叩いてポンと音を出すと、タクシードライバーは稔とラクトに問うた。首を傾げるようなシーンではあるが、ハンドルを持ちながら首を傾げるという上級者向けの技に挑んで事故を起こしては本末転倒である。そのため、運転手はしっかりとハンドルを持って前方方向を見て運転していた。
「現在進行形の二人は、思春期、どうですか?」
「思春期のお子さんが居るんですか?」
「いやだなあ、流石にこの年齢で思春期の子供が居る訳ないでしょう」
稔は椅子という壁を超えた向こうに広がる、まるでスクリーンのような大きなフロントガラスを見た。すると運転席に、ラクトと同じように団子ヘアをした水色の髪の毛をした女性の姿が映る。前髪のヘアピンが白色だったり、ほうれい線が見えないことから、若く活発な女性だと言えた。
「うちの子は五歳と十歳です。二人とも可愛げがあって育てていて楽しいと感じます。でも、将来的には反抗期を迎えることになるわけですし、現役世代から今どきの反抗期事情を知っておくのも良いかなと思ったんです」
「反抗期事情……」
重要なところを復唱する稔。後部座席に座る二人は、それから互いに悩み始めた。どちらかというと思春期の終わりのエリアに居るわけで、自分たちの経験談を話すことになるのは目に見えている。面白い話を抽出して話すべきだと思い、バカップルはそれぞれの生き様を振り返ってみた。
そうして、走馬灯のように過去を思い返して話をまとめ終えると、稔がまだ悩んでいるのを見てラクトが反抗期事情の話が始めた。
「私のケースはレアケースなんですが、私の思春期は『行動』という言葉で纏められると思います。もともとバカだったんですが、独学で基本教科も実技教科も学んでいきまして。それで、『弱者に寄り添う国を作れ!』と声高らかにデモを起こしました。――まあ、最終的には逮捕されたんですけどね。でも、そういう過去の黒歴史を全て包み込んでくれる人に出会えて良かったと思ってます」
クスっと笑って話を結ぶラクトが居る一方で、運転手はとても真面目に話を聞いていた。そして最後、「複雑な過去ですね……」と心配そうな声でコメントを残す。それから間もなく、今度は稔の番がやってきた。
「僕の場合も、やはり『行動』ですかね。付き合っていた子に振られて、それでドラム始めたんです。イライラしたって理由で。それまで不良っぽく演じていたのをそれきっかけに全部やめて。振られた反動で『孤独な俺カッケー』とか思って学校じゃ友人なんて作りませんでした。ですけど、こうやって最愛の人を見つけられたからプラマイゼロかなって思います」
高校では孤独王。でも稔は、この異世界で彼女を再びつくった。それは以前のような軽い感情で受け入れた、言い換えれば『気軽に別れることのできる』交際相手ではない。互いに関わりを持っていく中で、「別れてはならない」と思えた彼女なのだ。尽くしたいとか支えたいとか稔が思えているのはそのためである。
「相互補完関係があるカップルなんですね」
「そうかもしれないです」
「そういう関係をぜひ長続きさせてください。壊れないと思いますけどね」
「「はい、わかりました!」」
アドバイスのようなものを恋愛――結婚の先輩から告げられると、稔とラクトは声を揃えて言った。召使が内心を読まずに言葉を合わせたことから、バカップルに動揺が走る。しかし運転手は、それに口出ししなかった。
「おお、高速道だ……!」
「はい、高速道路に乗らせていただきます。通勤時間帯なのにスイスイ行けるみたいです。道中サービスエリアありますが、寄っていかれますか?」
「男子トイレはありますか?」
「ギレリアルは大陸国家です。休憩施設をそこまで鬼畜な設計にはしません」
「でしたら、お願いします」
「喜んでお引き受けいたします」
運転手がそう言った頃、タクシーは料金所を通過した。日本でいう『ETC』のシステムがギレリアルでも構築されていて、料金額が表示される機械の上にカードが機械に挟まれた状態で取り付けられている。
「サービスエリアまでは五分ほどです。雑談等をしてお待ちください」
そう言い、運転手は時速一〇〇キロのスピードまで車を加速させる。通勤時間帯とは思えない異様な進みっぷりに、一同は思わず絶句していた。一方でラクトは、首都にある高速道路の交通量ではないことに不穏な空気を感じる。けれど、都会の中に地方都市のような一面を見るのもまた楽しい。彼女は内心に思いを留め、口に出さず周囲の光景をまた堪能し始めた。
「(雑談もいいけど、旅の醍醐味といえば風景だよな……)」
ラクトの考えに賛同し、赤髪とは遂になるほうの窓から外の光景を見る。ギレリアルでは電気や水素を主なエネルギーとした車が主流だ。加えて、消音とか減音する機能が施されている。そのため、高速道の両端に防音壁は設置されていない。工場も民家もホテルも駅も、全てが新鮮に目に映る設計となっていた。
その中に、一際目立つ巨大な教会。それこそが、今から向かう場所『リリー大聖堂』だ。中央の高さ一〇〇メートルは超すであろう塔と、それを囲うように東西南北それぞれに一つずつの塔。中世ヨーロッパを思い起こさせる芸術的な作りの聖堂だった。それは、ライトアップされた塔も美しいなのが明白な程である。




