3-94 機内食
稔はラクトの意見を聞き、自分がどのような料理を注文するか悩む。自国の文化など貶して欧米贔屓している現代日本だが、そういう風潮が稔にも身についていたらしい。『野菜炒め牛丼セット』なんかよりも、同じ値段で頼めるのであれば『ギレリアル定食』のほうを注文したいと彼は思った。
「やっぱ、ギレリアル定食かな」
「そっか。まあ、私見で束縛するようじゃ本当の意味で彼氏彼女の関係とは言えないし、自分の好きなものを頼めばいいさ。一昨日、昨日と戦闘尽くしで疲れただろうし、肉食メインになるのも頷けるよ」
ラクトの私見は栄養的に考えての話だったが、稔は一昨日昨日と連戦してきている。食欲・睡眠欲・性欲からなる三大欲求全てを満たせているからとはいえ、それが十分かと問われると首を上下に振ることは出来なかった。
もちろん、最後の欲求は確実に解消されている。疲れ果てて寝たということで、また自分から起きたという点から真ん中の欲求も解消されているだろう。なれば、残るは最初の欲求のみ。
「ニキビが出来ない程度に肉取らないと追々で体に響いてくるし、食べないと」
「さっきと言ってることが真逆なんだが――」
「女ってそういう生き物なんだよ。自己保身が一番成立しやすい意見を言う」
「つまりラクトは、自己保身に走ったってことか?」
稔が問うと、ラクトは首を左右に振った。ぶんぶんと目で追うのが疲れるほど勢い良く振る。頭痛の時には絶対に出来ない技だ。その後、赤髪は右手人差し指を稔の鼻頭に当てて言う。
「いやいや、なに誤解してんの。私、肉類嫌ってるわけじゃないよ? というか、むしろ好きだし。それこそ、料理違うと交換イベントが発生するじゃん?」
「どこのギャルゲーマーだ。お前は主人公ポジじゃなくてヒロインポジだろ」
「いやいや、ギャルゲーマーはてめーだろ!」
「うっ、頭が……」
胸が大きく博識、料理が出来て献身的なサポートが出来る。そんな、絵に描いたような良き彼女。ギャルゲーで有れば、人気投票で一位になるかはキャラデザの問題として、それなりに票が入りそうなキャラだ。
もちろん、彼女の人生を振り返ることで票数が少なくなるのは間違いない。しかし、キャラクターの歴史を追わず目立つところだけを見たならば、恐らく学校で生徒会長やってて他生徒から崇拝されるポジションであるのは間違いない。
「まあその、建前上は野菜を供給するってことになるわけだし……」
「『野菜炒め牛丼セット』でそれほど野菜類を摂取できるとは思えないけどな」
「でも、稔が注文しようとしているのよりは十分に供給出来ると思うよ?」
「……確かに」
「という訳で、それぞれ現時点で頼もうとしている料理を注文しようよ」
「分かった。じゃ、頼もう」
男という生き物は、何か一つに縛られる傾向がある。それを買うと決めたら他のものに目を向けなくなるとか、自ら選択肢を狭める行為を好むのだ。だから、女性が買物をする時間より確実に早く買物を済ますことが出来る。もっとも、普段から財布を開く行為を行っているわけではないので、レジ近辺では奥様方に敵わない男性陣が続出するが。その点、ラクトは即決できる女だった。
「ふと思ったんだが、ラクトって男っぽい一面入ってないか?」
「失礼な。体型的に見れば標準的な女子だと思うよ?」
「童貞男子の妄想をぶち壊すようなことを言うんじゃない」
「体重面で?」
「そうだ」
稔はそう言い、ラクトの問いに対して大きく頷いた。日本人女性の平均体重は約五三キログラムで、平均身長は約一六一センチ。ラクトの身長と体重は平均と大差のないの数値だ。稔が言うように、童貞男子の妄想を木端微塵に破壊する常識である。だが、発言した当の本人は既にそういう現実的なものを理解しているので特に問題ない。
「――じゃねえよ! 俺が言いたいのは、お前の性格面だ」
「性格面?」
「そうだ。即決しようとしただろ、今。デパートとかで買い物すると大抵付き合わされるのに、お前はそれをしない。だから、ラクトはどこか男っぽいなって思ったんだよ」
「ああ、そういうことね」
稔の意見を聞き、ラクトは首を上下に振って理解したことを示す。それから間を空けずに、彼女は話した。当てていた人差し指が、今度は機体の天井を指している。
「フェミニストに限らず、虫の良い奴を嫌ってる証拠だと思う、それ」
「――は?」
「ごめん、言葉不足で。要するに、自己中心的な奴が嫌いってこと」
「ああ、そういう……」
「インキュバスも、リリスもそう。自己中な奴って、自分の行動が周りに迷惑を掛けていることが分からないんだよ。苦渋の決断になるはずの英断が、奴らからしたら単なる私見にしか過ぎない。断腸の思いなんかしないんだよ、あいつら」
この結論で本当に良いのか。このまま実行して問題は無いのか。それが本当に最善策なのか。相手が受ける損害は最低値かそれに近い値であるか。色々なことを思って決断して、それでも後悔するくらいが丁度いいのだ。長い間付き合ってきた人物とか関係の深い人物であれば、なおさらのことである。
「例が特異だよね、ごめん。でも、自己中が嫌いなのは確かなんだよ。だから私は、出来る限りを尽くす。たとえ身のためじゃなくても、それで誰かを救えるのなら、誰かを支えることができるのなら、何かを変えることが出来るのなら。腐敗した世界に一輪の花を咲かせることが出来れば、それだけで幸せなんだよ」
「深いこと言うな、おい」
「褒めてもらえて嬉しいな。へへ……」
自然と浮かぶ笑み。愛する人がそれを浮かべると、心は自然と和やかになる。
「結論だけ言うと、自己中心的な奴が嫌いだから自己中心的にならないよう努めてるって訳さ。だから、極力やれることは自分でやってる。引き受けられることは引き受けてる。自分に対する評価は――常人的なものだと思う」
ラクトはそう言うが、しかし、稔は違った意見だ。
「いや、インキュバスに復讐心を抱かない時点で過小評価だろ……」
「バカ。復讐したところで、生まれるのは復讐心しかないよ。そうして負の連鎖が生まれる。あいつを許すのは百年経っても無理だろうけど、批判し過ぎても自分に痛みが返ってくるだけじゃん。だから、復讐する気にならないんだよ」
慰謝料を請求するのを嫌がるほど精神的に大人なラクトだが、彼女はインキュバスの話をこれまでしていないというと嘘になる。していなければ、稔が彼女の過去の話など知っているはずがない。彼女が行ったデモの様子がどのようだったかは不明だが、稔は、ラクトがデモ中もインキュバスの話をしなかったと思っていた。でも、真実は違う。
「こういう考えが形成されたのも、デモのおかげなんだよ」
「そう、なのか……」
稔が暗そうな雰囲気を感じて、重たいことを受け止めるために台詞の中間に間を入れて言った。翻り、ラクトは「うん」と言って続ける。
「インキュバスが母と姉を犯したことの鬱憤晴らしに男性器をもぎ取ってた過去は、本当に記憶から消したいよ。なんで、言論で戦わなかったんだろうって。優れた人材が性別によって決定されるわけ無いじゃんって。思うほど嫌になるよ。けど、忘れない。記憶の消去なんて愚の骨頂だから。最低行為を忘れるなんて、それこそ最低だから。だから、与えたダメージを忘れることは出来ない」
戦争はいけない。それは事実だ。しかし現代日本では、「なぜ戦争をしてはいけないのか」という議論が全く尽くされていない。思考停止することこそが正しいのだと、メディアや親から洗脳されるからだ。
「(戦うことがダメな理由は自分も相手も傷つくから、か……)」
何かを守るため、いつの時代も人は戦ってきた。だから、「戦争はいけない」という考えだけで全てを終わらせることは出来ない。正しいことを正しいと言えない世界を壊そうと言える勢力は必要不可欠なのだ。ラクトが、『女性の権利』を訴えたように。稔が、狂った政治で苦しむ世界を壊すように。
「戦っちゃダメなんて、そんなの理想論だよ。確実に自分が傷つくし、相手も傷つく。そして、その周囲に居る人も傷を負ってしまう。でも、戦わなければ時は経過しない。愚かな動物に出来ることは、過去を記憶することだけなんだよ」
「過去を記憶する、か……」
二度と起こしてはいけない。だから人々は、記憶する必要がある。少しでも、武器ではなく言語を用いた戦いに移行するために。稔は、『正義』を掲げるチームのリーダーとして、ラクトの話を聞いた上でこう言った。
「もしも次に戦いが起こったら、言論で勝負したいな」
「同意見だよ。まあ、ひれ伏させなければいけない状況になる場合は使うことも止むを得ないと思うけどね。もちろん、『最低限の力で』だけど」
「ああ、そうだな」
暗くなる話を五分に渡って繰り広げた後、稔は咳払いして本題に戻す。
「注文すっぞ」
「そういえば、それが本題だったね……」
ディスプレイの放つ光が前よりも暗くなっている。スマホのように自動消灯する機能が搭載されているのだ。しかし、それではボタンを押す手間が増えて面倒だ。それでは困る、と適当な場所をタップして稔とラクトは注文を進めた。
「確定ボタンを押せばいいのか?」
「恐らくね」
だが、『確定』ボタンなるものは表示されていない。映っているのは『Enter』のボタンだ。設置されているのは料理が表示されている画面の下部。注文したい料理の画像をタップし、一つ注文することを『皿数』を決めるボックスに入力する。だが、ここで問題が生じた。
「『Q'ty』ってなんだ?」
「先生がムダ知識披露するくせに、分かんないの?」
「わからないんだなあ、これが」
「それ、『Quantity』って言葉の略」
「つまり、『数量』か」
「そういうことだと思うよ」
ラクトはそう言って、正しいかどうかは一先ずやってみないと分からないことを仄めかした。しかし、稔はその言葉を聞いてすぐさま実行に移る。それほど動かない状態では注文する量など一つで良いから、失敗すれば頼み直せばいいと思ったのだ。だから彼は、『Q'ty』の隣の枠に『1』と入力すると、すぐ『Enter』ボタンを押した。続いてラクトが、『野菜炒め牛丼セット』を一つ注文する。
「じゃあ、それに便乗して」
連打するように二人が押すと、続いて出てきたのは同じ画面だ。『Order has been completed. Please continue to enjoy air travel』と表示されている。要するに、「注文が完了したので、これからも空の旅を楽しんでください」ということだ。――が、これから七時間も喋り尽くす力は無い。
「ラクト。寝ようぜ」
「私は景色眺めてたいな。てか稔、さっき『寝るのは昼飯食べてから』って言ってたじゃん。あれ、嘘だったの?」
「嘘だったらしい」
「そうなんだ。まあ、快適な旅と何度も言うんだし、寝たければ寝ちゃえ」
「ああ、そうする。んじゃまあ、快適な空の旅を楽しんでくだされ」
「はっ!」
座席を後方に下げると迷惑になるかと思ったが、稔の後方に乗客は乗っていなかった。席を倒しても迷惑にならないことが分かったので、黒髪は迷うことなく席の角度を四五度近くにする。初めて搭乗したラクトにそう言葉を掛けて上司に対するような返しを受けると、遂に稔は睡魔を受け入れた。
「稔のコーヒー飲んでいい?」
「ああ、構わねえぞ」
「分かった。じゃ、御礼にこれ」
「アイマスク?」
「うん。それ使って寝て」
「ありがとう」
彼女からアイマスクを貰い、すぐにそれを装着する稔。目を閉じて座席の方に体重を預けると、彼はそれから五分くらいで稔は睡魔に敗北した。すう、すう、という音が鼻から漏れているのを確認すると、ラクトが稔の頭を撫でる。
「朝の仕返しだからな……」
自然と、ラクトの顔は赤くなっていた。しかし、されている側はそんなの知ったこっちゃない話。彼女が赤面になっているなんて分からなかったから、更に彼女の頬を赤らめさせることが出来た。
「俺の嫁は、決まりだな……」
「よ、嫁……」
耐え切れない恥ずかしさに駆られ、外へ視線を逸らすラクト。撫でていた手を自分の座席内に収め、もう片方は窓の近くの丁度いい肘置きスペースに肘から下を置く。赤髪は一連の流れで自分のことが評価されているのだと思わせ、恥ずかしさを払拭しようする。だが、彼女にそれは不可能だった。
「恥ずかしいこと、禁止……」
ラクトは口からそう漏らす。直後、収めていた手を再び稔の方へと向かわせ、今度は彼の手を握った。しかし、視線は飛行機の外にある。外の景色を楽しむことで恥ずかしさを打ち消していたのだ。
「ああもう、私も寝ちゃえっ!」
ラクトはそう言い、眼下の景色などどうでもいいと思ってアイマスクをもう一つ作る。それを装着し、稔と同じように角度を緩やかにして睡魔に身を任せた。けれど、恥ずかしさを忘れるのには時間が必要である。そのため彼女は、大体一五分くらいして睡魔に敗北した。
時刻は八時ちょっと前。そこから二人は、約四時間に及ぶ休憩時間をとった。




