3-87 午後11時
稔が回したチャンネルは公共放送のチャンネル。最新情報を知れるという利点は大きく、彼はテレビに釘付けになった。しかし、エルダレア帝国の旧政府軍とテロリストを中心とした軍隊との内戦が正体不明の革命者によって終焉を迎えたことだけが延々と流れ続けていたため、嫌気が差してチャンネルを切り替える。
「他の局だと報道特番やってないのな」
革命が行ったということで大々的なニュースになるのは頷ける話だ。しかし、公共放送以外のチャンネルでそういった番組は見られない。視聴者が楽しく見れない番組を夜の九時に流す訳にはいかないということで、バラエティ番組を放送していた。
「面白くねえな」
が、種族が違えば笑いのツボも違う。エルダレア帝国のバラエティ番組で稔が笑えないのは無理のない話だ。違う世界から来た人間である以上、まだまだマドーロムという世界を知り尽くしていない以上、当然の話である。
「……寝るか」
食事を終えてから歯を磨いていない。けれども、部屋の照明が点いている以上は仮眠程度の時間で目を覚ますだろうと思って、稔は床の上で横になった。もちろん、従業員の休憩室だからといって床が掃除されていない訳ではない。埃が髪の毛に着いてしまう可能性を踏まえて躊躇う気持ちも多少生じたが、眠気には勝てなかった。
「……」
ラクトとは違い、午前に三時間の仮眠をとっていなかった稔。加えて、遊園地ではしゃぎ回ったことや昼を過ぎて連戦となったことなど、様々なことが連鎖して、彼が眠りに着くまでに掛かった時間はわずか一分だった。眠気を抑えると言われる炭水化物を摂取したのにも関わらずである。
彼氏が寝て三分くらいが経過した頃。ようやく、ラクトがシャワールームから戻ってきた。しかし、床で寝転がっている彼氏を見て動揺を隠せるはずない。でも、稔がいつも通りに呼吸しているのを確認したため、安堵することが出来た。
それから約二時間ほど経った頃だ。時刻にして夜一一時。消費電力を増やしてはマズいということで、テレビの電源は落とされていた。そんな状況で稔が目を開けると、目の前にあったのは大きな膨らみが映る。また、後頭部には程よい温もりと同時に柔らかな感触を感じた。同時、優しい声が掛かる。
「起きた?」
「……今、何時だ?」
「十一時回ったくらい。膝枕堪能してもらうのは良いんだけど、流石に長いよ」
「ごめん」
「大丈夫だよ。別に稔、重たくないし」
身長の割には軽い方に分類されるが、ボディマス指数的は特に問題のない値を示すので気にするレベルではない。もっとも、そんな稔の体重はラクトの体重よりも重たい。男女で差が生じて当然の話とはいえ、黒髪は皮肉を言われているような気もしなくなかった。が、ラクトにその気はさらさら無い。
「ああ、そうそう。寝てる間に耳かきしておいた」
「そりゃ起きれないわけだ……」
三〇分、一時間程度で起きられるだろうと思っていた稔が予定時刻に起きられなかった理由、それは耳かきをされていたことだった。耳かきをされると迷走神経が刺激されて快感を感じる。快感の波に押された結果、睡眠から起きようと思っても不可能だったのだ。
「そういやラクト、着替えたんだな」
「コスプレって意味もあったけど、エプロン代わりにメイド服着てた訳だし」
稔はその心情を理解することを難しく思ったが、でも、メイド服を着たら可愛いのではないかと思ってしまう女子が居るのも事実だ。もちろん、白色のパーカーに着替えたからといって、彼女が可愛さを喪失した訳じゃない。
とはいえ、これ以上口から出す言葉も無い。故、ラクトは話題を切り替えた。
「というか、シャワー浴びきなよ」
「そうだな。時間も時間だし」
「衣服や下着は脱衣所の籠の中に置いてあるよ」
「ありがと。……ホント、お前は家事万能だな」
「自分の立場を理解して自分の出せる精一杯の力を尽くすべき。――誰かさんはそう言っていた気がするんだけど、それを言ったのは誰だったっけ?」
「俺だな」
ラクトが魔法を用いて衣服を作ったということを遠回しに告白すると、稔はそれを理解した上で返答した。そしてすぐ、彼は「じゃ」と言って脱衣所へと消えていく。一方、ラクトは頷き無言で返答する。
建物の外で活動した時間を合わせると結構な時間になったが、稔はそこまで長い時間シャワーを浴びることはなかった。もちろん、髪の毛も身体も隅々まで洗浄した上での話だ。早いから雑に行った、という方程式は成立しない。そんなこんなで一通りの活動を終え、稔はごく自然にシャワールームから出ようとする。
だが、そんな時のこと。脱衣所とシャワールームを隔てる扉に人の姿が映っていたのを確認した。無論、稔は悍ましいと感じて悪寒を覚える。でも、その正体は悪魔とかではない。稔の彼女の姿だ。
「お湯加減、いかがでしたか?」
「……何してんの?」
メイド服からパーカーに着替えたのを稔が確認してから経過した時間は、三十分に満たない。そんな中で再度メイド服に着替えたラクト。彼女からは相当な熱意が窺えた。加えて、『猫耳』と『猫しっぽ』が追加されている。
「猫っぽさを追加しただけだよ。……似合うかな?」
そう言い、ラクトは稔に問う。基本的な部分に変化は見られないが、一点、履いているニーソックスが黒色から白色に変更されていた。稔はそのことも含めてラクトのメイド服を賞賛する。
「白色のニーソックスとメイド服は至高だと思うな。絶対領域もばっちりだ」
「そっか。へへ……」
小さく声に出すと、ラクトは満面に喜色を浮かばせる。基本的に抜けている箇所がないラクトだが、態度や対応の面では愛嬌があるようだ。稔は笑顔のラクトを見ながらそんなことを思った。同時、そろそろタオルで股間部を隠すのも限界なので退いて欲しいとも思った。
「ラクト。可愛さを振りまいてくれたのは嬉しいんだけど、そろそろ戻れ」
「嫌って言ったら?」
「嫌って言うだろうな、確実に」
「なんでさ?」
「当然だろ。メイドだからって主人の着替えを監視する義務がある訳じゃない」
「そうだけど……」
稔は筋肉面において自信など無かった。でも、上半身を見せることに抵抗を抱くことはない。水泳の時間となれば確実に上半身裸になるのだから、当然のことだ。しかし、着替えとなると別である。それよりもなにも、問題はラクトだ。絶対領域の威力が凄まじく、視線を下方向に向けることが出来ない。
「まあいいや。湯冷めしちゃ困るし」
「誰のせいだコラ」
「ごめんごめん。じゃ私、戻るね」
「おう、早くしろ」
股間部にタオルを当てる必要が無ければ、大胆な行動に出られた可能性は大いにある。大胆でなくとも、ラクトの頭をグリグリするくらいなら出来ただろう。しかし稔は、リスクを考えてそれらの行動を取らなかった。
ラクトが部屋から退出すると、それを合図に稔が着替え始める。男子たるものパンツさえ有れば基本的に家中うろつけるため、まずは支給されたそれを穿き、続けて腹部を冷めさせないようにシャツを着た。ズボンとTシャツを着終え、遂に街中を移動しても問題ない態勢が整う。
「今日はもう寝るかな……」
その言葉を口にした後、稔は脱衣所の扉を開けた。しかし、あろうことか主室の照明は落とされている。テレビの電源も当然オフだ。でもそのかわり、暗闇に支配された主室には一筋の月の光が照明代わりに取り入れられている。
そしてその光が入っている場所、つまり窓の近くにはラクトが居た。右斜めから差し込んでいるため、彼女の右半身は明るい色をしている。また、メイド服ではあり得ない色をしていたことから、彼女がパーカーを再び着たのだと分かる。
「なにしてんだ?」
「いや、一人で寝るのって怖いじゃん? だから、一緒に寝る人を待っててさ」
「いやいや、一人暮らししてきただろ、お前。苦し紛れの言い訳は要らねえよ」
ラクトは稔に出会うまで独り身だった。十七歳ながら、風俗店で稼ぐなどして生計を立てていた凄腕少女だった。加えて映画館という名の暗闇に一人で潜入できる時点で、一人で寝るのが怖いというのは言い訳にしか聞こえない。
「それで、実際はなにをしてんだ?」
稔は台詞だけなら警察官のような言い方をして問う。するとラクトは、パーカーのチャックを下ろし始めた。胸の谷間が見えた辺りまで下げて手を離すと、彼女が白色パーカーの下に灰色のインナーを着ていることが分かる。そして続けざまに、今度は後方に用意していた枕を手にした。彼女はそれを前に回し、腹部の前で抱きしめる。だが、恥ずかしさで動揺がラクトを襲った。
「その……」
上手く言葉に言い表せない。積もるのは照れの感情だけで、ラクトの顔は赤く染まる一方だ。翻り稔は、当初何を言いたいのか分からなかったが、枕に書かれていた文字を見て意味を理解した。とはいえ、真偽は不明。聞かなければ分からない。でも稔は、重要な局面だと察して足踏みしなかった。
「それって、Yes/No枕……か?」
稔のストレートな質問。それに対してラクトは、枕をさらに強く抱きしめながら小さく頷いた。黒髪はその対応を見て小動物さを覚え、つい先ほど猫耳メイド姿だったラクトのことを思い返す。そのせいで、赤髪と同様に少し顔に赤らめを浮かばせる。とはいえまだ軽症で、彼にとって喋ることは苦でなかった。
「つまり、そういう意味で良いんだな?」
稔が問うと、ラクトは視線を下にして小さく首を上下に振る。二重に確認するべきとも思ったが、黒髪は二度手間だと思って省いた。そして稔は、布団の前で待機するラクトの方向へと向かう。
短いようで長いエルダレアでの一日は、そうして夜の更けとともに幕を下ろした。




