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チートなしで敗戦国家を救うことになりました。  作者: 浅咲夏茶
三章B エルダレア編 《Changing the girlfriend's country》
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3-85 夕飯

 時刻は八時を回った。稔とラクトは来た道を戻って、民宿の従業員が使用するエリアから家族が使用するエリアへと入る。そして二人は、約束通りに台所まで向かった。三〇分程度の時間が空いていたから、寝かせていたカレーを温め始める。真の美味しさを発揮するためにも、抜かしてはならない行程だ。


 そんなふうにして作業を遂行し、カレーに温かさが戻ってきた頃。ガタガタガタ、と二階から駆け下りてくる誰かの足音が聞こえた。それから間もなくして、ガラガラガラ、と台所の扉も空く。


「約束の時間だー。でさー、二人はここまで何してたのー?」

「何をしてたって……なあ?」

「ね、ねえ……」


 口篭る二人。ラクトは話から逃れようと、おたまを手にカレーを混ぜた。稔は無言でサラダを盛りつけている。だが黒髪も赤髪も、そういう重たい空気に潰されそうになる中で料理を作るのは辛い話だった。互いに助けを求め、チラリチラリと視線を送り合う。――が、目を使った会話がバレないはずない。


「私を省いて二人だけで会話かー。ふーん」


 平坦な話し方の上、真面目な話を笑顔で茶化すように話されるものだから、怖さが半端なものではなかった。一言で言い表すなら『悪魔』である。けれど、そうなってしまうのは我が子を守るために必要だったからだ。夫からのDV被害で自殺していないのは、『悪魔』と呼称されてもおかしくない強い心があったためなのである。


「まあいーや。とりあえずー、私達はご飯を作ってもらうことで宿泊を許可してるわけだー。君達が美味しい料理を振る舞ってくれると期待してるぞー。……くれぐれも裏切らないでねー」

「大丈夫です。私、メシマズ嫁じゃないですから」

「ほうほー。では、お手並み拝見と行こうかー」

「分かりました」


 ラクトの作るカレーがどのような味であるか、稔はまだ知っていない。だから、綺麗に食事することで定評のある赤髪がどのような料理を振る舞ってくれるのか楽しみだった。そうして、稔は最後の更にサラダを盛り付け終える。一方ラクトは、炊飯器から皿にご飯を持ったくらいだった。


「大丈夫か?」

「出来れば、カレー盛って欲しい」

「量の指定はあるか?」

「カレー6のご飯4で良いんじゃないかな。福神漬けが有れば、カレー6・ご飯3・漬物1がベストなんだけどね。まあ、仕方ないさ。臨機応変に対応できなきゃ台所は任せられないだろうし」

「そうだな」


 もっとも、今回は経緯が特殊であることを頭に入れておく必要がある。そもそも、他人の家で食事を振る舞うことなど無いと言っていい。昼飯ならまだしも、夕飯なら少しでも豪華にする家庭が多いはずだ。加えて、時間的に買い出しにも行けない。稔とラクトが立たされていたのは、八方塞がりのやるしかないという場面だったのだ。


 回答して稔がカレーを盛る。おかわりの度に給食のおばちゃんから並々と盛られていた経験を思い返し、量は八分目に抑えておいた。同頃、ラクトがアニタの姉に質問する。


「あ、お姉さん」

「どうしたー?」

「お子さん、ご飯摂られますか?」

「そうだねー。出来れば食べさせたいなー」

「分かりました。じゃ、カレーと混ぜておきますね」

「よろしくー」


 二歳というと、離乳食が終わって着々と成長する時期だ。奥歯が生えて乳歯が生えるきるのは、大抵が二歳六ヶ月あたりから。成長は個人差を伴うし、二歳と言っても一括りには出来ないのだが、ラクトは取りあえずカレーライスを混ぜておくことにした。理由は単純だ。その方が食べやすい、ただそれだけのことである。


「稔、盛ってくれない?」

「引き受けた。……それは良いんだけど、子供用のカレー作ったか?」

「うん。大人用は中辛、子供用に甘口を作っておいたよ。――ほら」


 流石に二歳で大人と同じ量を摂取するのは無理がある。だから、二歳児用の量と大人用の量とには差がある。でも、こういう時に配慮の塊と化すラクト。子供が遠慮無くおかわり出来るよう、甘口を二皿分用意していた。


「母性の塊め」

「どこ見ていってんだか」


 そう言い、稔もラクトも互いにクスっと一笑する。それからそれぞれ食べ易くするための仕事をし、八時一〇分過ぎに盛り付けが完了した。予定よりは遅くなったが、カレーの食欲をそそる匂いが一〇分程度の時間で変化することはない。


「じゃ、お父さん呼んできますねー」

「お父さん?」

「夫のことですよー」

「ああ、そういうことですか」


 稔はふとした疑問を抱いて問うたが、その一方、ラクトが口篭ってしまう。だが、トラウマを共有していた稔にはお見通しだ。アニタの姉から茶化されるのを恐れ、悪魔が去った上で稔はラクトを慰め始める。


「お父さん、亡くしてるんだもんな……」

「そうだけど、まあ、そこまで気にしなくていいよ。たださ、思うんだよね」


 けれど、慰めは更に悲しい過去の記憶を呼び覚ますだけに過ぎなかった。


「もし、お父さんが生きていたらどうだったのかなって。彼氏を紹介できたんだろうなって。反対買うかもしれないけど、でも、そういうのが夢だったっていうか、そういうのを経験したかったっていうか……」


 家族が居るのは何ら普通のことだ。でも、普通のことを普通と思えない人だって居る。けれど、トラウマというものは当事者以外の人間が足を踏み込んでいいエリアではない。可哀想に思ったところで実際に打てる術はたかが知れている。でも、無視するのも断腸の思いを要する。


「ごめん。なんか、涙が――」

 

 笑顔を見せ、必死に涙を堪えようとするラクト。けれど、遠い日の思い出は蘇り続ける。止めようとしても止めようとしても、涙は一向に止まらない。むしろ酷くなる一方だ。


「お前がいつも俺に言ってる言葉があるだろ。『謝るな』って」

「……」

「元気振りまくお前も好きだが、素直じゃないお前は嫌いだ」

「そっか」

「おう。だから、いっぱい泣いて良い」

「ありがと。でも私、そこまで弱くないから、胸貸してもらえれば十分だよ」


 ラクトはそう言い、稔の胸目掛けて飛び込んだ。まっ平らな胸だが、女性のそれとは違って硬さがある。そんなところで、ラクトは顔をスリスリと擦り付けて犬のように甘えた。翻って稔は、可愛さを覚えて赤髪のてっぺんを撫で始める。


「気持ち、落ち着いたか?」

「うん。というか、稔がお父さんに思えてきた」

「そっか。まあ、将来的には父親になりたいのは山々だけどな。でも俺は、まだ時期早々だと思うかな。――ラクト?」


 自分の考えについて話していたところ、ラクトが顔を埋めたまま動かなくなったことに気づいた。稔は救急車沙汰を頭の中に思い描き、即座に赤髪の意識を確認する。だが彼女は、危険な状況を彷徨っていたわけではなかった。稔の服の袖を掴むと、顔を上げないままラクトは質問する。


「母親に求められるスキルってなんだと思う?」

「今、お前に備わってるスキルがあれば問題無いと思うぞ」

「そ、そっか……」


 稔から褒められ、更に顔面を紅潮させていくラクト。時を同じくして、稔とラクトの後方でトントンとノック音が鳴る。だが、「どうぞ」とか許可を求める前に扉が開いた。それを合図にアニタの姉とその子供、そして夫が入ってくる。


「私が居なくなった間に進展したのですね。でも、料理人さん達だって与えられている部屋があるんですし、異性交遊はそこでやってほしいです」

「これ、別に変な意味とかはなくて……」

「残念ですが、そういう風に受け取られかねません。というかですね、こちらには子供が居るんです。見せる程度ならまだしも、見せつけるのはダメでしょう」

「すみません……」

「いえ、結構です。時間も時間ですし、早く食べましょう」


 稔にそう言い、夫を前にして口調を変えたアニタの姉は椅子に座った。彼女が「お父さん」と呼んでいたDVの加害者はその対面に座る。稔とラクトは盛りつけ終えていたカレーライスとサラダを運び、そして、スプーンと箸を運ぶ。


 だが、稔が居るのは日本ではない。運ばれてすぐ、稔とラクトを尻目にしてアニタの姉達は号令も無しに食事を摂り始めたのだ。もちろん、それはアニタの姉の夫によるものだ。妻など産む機械で自分の傀儡人形だと思っていた彼からすれば、いい気味でしかない。当然、彼以外はその反対の気持ちである。そんな時、アニタの姉の夫は言った。


「君達も食べたらどうだい?」

「分かりました」


 屈したくない気分でいっぱいだったが、ここで無駄に対立を深めては後に響いてくると考え、稔はそう返答した。それを聞き、盛っておいた残り二つのカレーライスの入った皿とサラダの入った皿を分担して運び、そして二人は席に着く。


「じゃ、食べるか」

「そうだね」


 郷に入っては郷に従え。「いただきます」という言葉がアニタの姉の夫の前では場違いであることを察し、稔は口から出して言いたい気持ちを抑えて内心で言った。それはラクトも同様である。そんな中で二人はスプーンを持ち、内心で言う。それから口へとカレーを運ぶが――、過ぎていくのは無言の時間だけだ。


 気まずい雰囲気に、打破したい気持ちは根強い。だが、無料で宿屋に泊めさせてもらっている身でもある。稔とラクトは互いに込み上げてくる感情を目で確認する。もちろん、神経を尖らせて細心の注意を払った上でだ。が、気づかれた。


「話したいことがあったら、なんでも話して下さい」

「いえ、なんでもないです」

「そうですか。でも僕、嘘つく人って大嫌いなんですよ。それはもう、再起不能になるくらいこてんぱんにね。だから、言いたいことは素直に言って下さい」

「……」


 カレーを口に運びつつ、笑顔を浮かばせるアニタの姉の夫。優しい声の途中に飛んでもない言葉を混ぜて話を進める姿勢は、先程のアニタの姉と同じである。


「(言うべきか……?)」


 翻り、稔は葛藤の渦中に居た。口ごもり、今この瞬間に何をするべきなのか自問する。同時に思い返す、ラクトとアイテイルからの声。そして何より、頼られる主人になろうとしたのは自分である。それは押し付けを寛容な心で受け入れるという意味ではない。あくまで、率先して自分が動こうという意味だ。


「(自己犠牲……か)」


 だが、その裏には自己犠牲が伴う。怖い奴を相手にした時、どのような仕打ちを受けるかは容易に判断できるはずだ。先のことを見越せば、アニタの姉に更なる暴力被害が及ぶかもしれない。緊縛というコンテンツは両方合意の上であるから見応えがあるのであって、他者のことを恰も奴隷のように合意なしで扱うのは非道極まりない。――が、そういうことが現実に起こる可能性がある。


 暴行を受けるのは怖い。だが、戦いから目を背けることは出来ない。一度決めた、アニタの姉の生きている心地がしない生活をぶち壊してやろうという事柄。それを達成するためには、アニタの姉の夫の心の闇を壊すしかない。殴られる決心をすると、稔はアニタの姉の夫に言った。


「お兄さん」

「なんだい?」

「自分の嫁を奴隷のように暴力を振るうのは止めて下さい」

「おいおい、僕がそんなことをするとでも言うのかい?」


 まだ引き返すことは出来た。しかし、稔は正義を貫く。


「もちろん。弱い立場だからと見下して自分の支配欲を満たしたいだけ、育児に参加することもなく、妻を子供製造機としか見ていない、最低な男。俺からしたら、貴方はそういう認識です。――言いたいこと、ありますか?」


 稔は真剣な表情を浮かべた。しかし、それは敵対心によるものである。向上心なんて何一つ無い。正義感という名の衝動に駆られて出てきた感情でしかないのだ。その一方で、暴力を盛んに振るうアニタの姉の夫も衝動に駆られる。


「歯……食いしばれ!」

「う……」


 拳を握り、アニタの姉の夫は勢い良くグーパンチを稔に喰らわした。だが、彼の怒りがそれで収まるはずがない。もっとも、振れば振るほど正論を稔が言っていると証明していることになる。でも、相手方の口を封じれば何てことはない。


「立て」

「――ッ!」


 二度目のグーパンチ。稔は頬に損傷を負った。だが、彼は再び立つ。


「ぼっちになると、精神力が鍛えられるんだ。……最高の皮肉だろ?」

「黙れ! くたばれ! このクソが!」


 怒りのあまり、冷静さを失うアニタの姉の夫。暴力を振ってでも相手の正論を消し去りたいと、彼は再び拳を握る。そして、それを稔目掛けて当てに掛かるのだが――外れた。その刹那、バランスを崩したアニタの姉の夫を床に押し倒す稔。そして、彼の両手を拘束した。


「なん……」

「お前の嫁がどれだけ我慢してたか分かってんのか?」

「我慢? 何を偉そうに……」

「偉そう? それは悪かったな。けど、嘘を吐いて偉そうにする奴よりは遥かにマシだと思うぜ。実力行使でも勝てなかった誰かさんとは違ってな」


 稔は内心で傲慢さを高めていく。一方、屈辱を味わう渦中に居たアニタの姉の夫は、敵意を一層強めた。だが、固め技を掛けられているような状態で身動きを取るのは難しい。でも、男はやろうとしたことを諦めなかった。しかし結局、圧倒的な実力差の前にアニタの姉の夫は沈んだ。


「俺の考えを一から十まで呑めとは言わない。でも、道徳に反する行為は絶対に許さない」


 だから稔は、あくまでも固めで相手を封じた。言論と必要最低限の実力行使で勝利を収めたのである。もちろんそんなことを言われたら、沈んだアニタの姉の夫が言い返せるはずない。そうして徐々に相手が平静さを取り戻していくのを見て、稔は固めを解く。自分が復讐されるのではないかと多少の怯えを感じたが、男は黒髪に暴力を振ることはなかった。


「話が逸れたけど、これだけ美味なんだ。温かいうちに食べよう」

「そうですね」


 拳を交わした二人が喧嘩する前の関係に戻った後、今度は話の活発な夕飯が始まった。アニタの姉とその夫との間の夫婦生活の話をすると再び争うことに成りかねなかったから、話の主役は稔とラクトだ。


 そんなこんなで、夕ごはんの時間が過ぎていく。

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