EX-11 新たな勝負服
トイレを出て、再び合流した稔と紫姫。二人は約束通り、観覧車へと歩き始めた。観覧車が在るのは、帝都ディガビスタルから見た場合なら中洲の右側。つまり、そう遠くないところにそのアトラクションは設置されているのだ。遊園地の敷地を歩くのは唯でさえ苦痛だから、それを考えればとても良心的といえる。
そんな中、紫姫が観覧車へと続く道で売店を見つけた。混雑とまで行かないものの、レジを中心にそれなりの人影がある。全員楽しんでいるはずの遊園地で土産を買うのは違う気がしたが、その売店で売っていたのは
主にコスプレ道具。加えて店主は、紫姫にこんなことを言った。
「嬢ちゃん、コスプレしてみないかい?」
「コスプレ……?」
「そうそう。似合いそうなのは、これとかこれ。着てみないかい?」
店主が示した衣装。それは普遍的なメイド服と、旧日本軍が大正時代に使われていたような軍服だった。極端過ぎる点に稔は触れたくなったが、紫姫を止めることは出来ない。店主の出した提案に乗り気だったのである。それは、紫髪の発した言葉からも窺える。
「軍服を請願する!」
「そこまで願わなくてもいいよ、嬢ちゃん。ちなみに貸出と購入、どちらを希望する?」
「購入で!」
「おいおい、俺の拒否権は無いのかよ。……まあいいか、日頃の謝礼ってことで」
稔はそう言い、財布を取り出す。一方、紫姫と店主は大喜びだ。
「即決するとは男らしいのう! それじゃ、おじちゃん奮発しちゃうよ。一〇〇〇フィクスでどう?」
「安いな」
「買いかな?」
店主の問に対し、稔は「はい」と言って頷いた。すると、乗り気なおっさんは更に特典を付ける。ボロ儲けするようには思えない商売の仕方であるが、炎上マーケティングをしてでも業績を維持ないし回復しようとする企業よりも優しさに満ちているのは言うまでもない。
「それじゃ、スカートも付けちゃう!」
「でも、お高いんでしょう?」
「いえいえ。それがなんと、お値段変わらずの一〇〇〇フィクスなんです!」
深夜の通販番組なら後に観客からの声が続くが、遊園地は客を収容するためのスタジオではない。あくまでも客が自発的に動く場であり、観客の声など続くはずがなかった。もちろんそんなことは理解していたから、稔は店主がノリノリで話した後に落差を生じさせてしまう。
「しかし安いな」
「衣類を売る人間としては、美男美女が自作の服を着てくれるのが一番嬉しいもんでね」
「なるほど……」
「君も客商売をすれば分かるさ。社畜だの叩かれても、働くことで喜びを覚える奴も居るのだからの」
店主はそう言いながら、紫姫が注文した服類をハンガーから外した。彼は風雨に晒して女性客が更に寄って来づらくなることを憂慮していたようで、軍服含め衣類は全てビニール袋に入っている。とはいえど、ここは遊園地だ。移動中に着用するキャストも少なからず居る。
「お客さん、購入してすぐに着ますかね?」
「ああ、着る」
「では、外しておきますね」
稔が口を出す暇など無くて。その一方、紫姫と店主との間ではどんどんと話が進められていた。包まれていたビニール袋のテープで止められていた部分を剥がし、丁寧に取り出して袋の上へと置く。続いて店主は、これまたビニール袋に包まれた衣類を取り出した。テーブル下から出し、同じように開封して三点セットとする。そんな中で、稔は疑問を抱いた。
「バーコード、読み取らなくて大丈夫なんですか?」
「本当は読み取るのが先だけど、ここまで熱烈な軍服愛を見せてくれた彼女を待たせる訳にはいかないだろう? それに君、窃盗を起こせない顔をしているじゃないか。信頼の証拠だよ」
さり気なく罵倒された気がしたが、稔は気にせず「そうだったんですか」と返答しておく。翻り、店主は開封された袋に付けられていたバーコードを読み取る。それからレジ台でキーを打ち、値段を引いて言った通りの一〇〇〇フィクスで商品を提示した。しかし、それをしておきながら店主は困った表情を浮かべる。
「でも、スカート穿くならネクタイと紐も一緒に要るかね……」
「……値段、上がります?」
「いや、現状維持よ」
「商売にならないですよ、それ」
「大丈夫さ。エルダレアが平和になった以上、これからCIPにも客足が増えると思うし」
後方へ下がり、店主はネクタイと紐をそれぞれ一点持って軍服の上に置いた。それでも一式の値段は変わらない。通常価格より一〇〇〇フィクス程度安い可能性すらあるのに、店主は平然と振る舞っている。そんなところに、稔は尊敬の念を抱いた。だから、ここでキャンセルなんて出来ない。稔は財布から一〇〇〇フィクス札を取り出し、それを店主に手渡しした。
「レシート、要るかい?」
「要らないです」
「そうかい。そんじゃ、ありがとうございましたの」
店主が礼をする。客が店員に礼をする必要は無いが、稔は依怙贔屓しているとしか思えないレベルで値引きをしてくれたため、礼をしておいた。それから、また紫姫とともに歩き始める。しかしすぐ、紫姫は魂石へ戻る旨を告げた。その理由は至って単純なものだ。早く、主人から購入してもらった服に着替えたかったのである。
「稔は、どこか休憩場所を見つけて待機していてくれ」
「分かった。……つか、ネクタイとかリボンとか結べるのか?」
「そこまで馬鹿にしないでくれ。精霊は、教養のない戦闘民族と一線を画すんだぞ?」
「そっか。それは悪かった」
「うむ。では、我は魂石へと戻る。何か問題があったら伝えてくれ」
紫姫はそう言い、稔の隣から内部へと移動した。その一方、黒髪男は飲料店探しを始める。だが、近辺に立ち並ぶのは建物内アトラクションの数々。レストラン街は観覧車方面では無かった。そのため稔は、続いて自動販売機探しを始める。紫姫が何を飲むかは不明だったが、別に彼女用の飲料を購入する必要はない。あくまでも、稔の休憩時間なのだ。
「……あれか?」
赤色の目立つ四角柱を見つけ、稔はそれが自動販売機だと分かって更に近づいていった。見れば、日本で売られているものと然程変わらない品揃いである。コールドとホットで分かれていて、そこからエルダレアの人々の良心を感じ取れた。そんなことはともかくとして、稔は取りあえず飲料購入に走る。
「(無難にコーラか?)」
稔はそう考え、無熱量炭酸飲料のボタンを選択した。人工甘味料たっぷりの依存性抜群、飲んだところで百害あって一利なし。稔はそんな飲料を購入する。もちろん、コールド一択だ。というより、温めた炭酸飲料なんて単なる甘味水でしかない。それを美味しいと連呼して飲むバカは流石に居ないはずだ。
「美味いな」
炭酸飲料なんて飲んでいる自分をバカバカしく思いつつも、稔はグビグビと喉の奥に流し込んでいく。購入したコーラはお得な六〇〇ミリリットルだった。日本で売られているものと値段は変わらないものの、その表記を見て得をした気分になる。たった一〇〇ミリリットルだろうが、飲む時間が数秒増えるだけだと言われようが、稔はその表記だけで高揚感を覚えた。
炭酸飲料である以上、給食で提供される牛乳のように十秒で飲み干すのは無理がある。訓練を積んでいなかったことが影響し、稔は頑張っても一気に四〇〇ミリリットル飲むのが限界だった。それから間もなく、ゲップが始まる。そんなふうに稔が恥を晒す中で、彼の隣に美少女が現れた。とはいえ、それが誰だか理解するのに時間は掛からない。
「学ラン、ブレザー風にしたんだな」
ミディアムヘアの紫髪、つまり紫姫だ。下に白色のワイシャツを着ていた彼女は、購入した学ランの第二ボタンまでを開けてブレザー風にしている。ラクトやアイテイル並みの巨乳では無いが、紫姫は胸の間にネクタイを通していた。それらの着こなしは素晴らしいのだが、反面、服とスカートに模様が縫われていなければ喪服にしか見えない。
「それとだ。先程の店主、マントも特典として付けてくれたようなんだが――」
「マント?」
「うむ。それで、着たいのだが――」
「別に確認とらなくていいぞ。紫姫も女の子なんだし、試行錯誤して可愛い雰囲気を醸し出せばいい」
「了解した。では、観覧車へと歩き始めていてくれ」
紫姫は言い、再度魂石に戻る。稔はコーラを飲み終わっていなかったから、まず飲み干すことを最優先事項とした。同時、空いたペットボトルの捨て場探しも始める。するとすぐさま、稔は自動販売機と対面の場所に在ることを確認した。稔は飲み干した後、すぐにペットボトルを捨てに行く。数秒後、紫姫が魂石から再登場した。
「着てみた」
紫姫の首元にはリングが追加されている。これは、後方で風に靡くマントを留めるためだ。風に流されている布は紫姫の腰から尻あたりまでの長さで、引きずれそうには無い。しかし、落ちたら困るのは確かである。紫姫の姿を執拗に舐めるように見ながら、稔はそんなことを思った。だが、口頭で発するのは単語一つだ。
「可愛い」
「こ、光栄だ」
強そうなのに、裏に女子っぽさを秘めている。紫姫のそういう元からの特徴が、マントと喪服一歩手前の軍服で大胆に強化されていた。紫髪はそんな周囲の視線は気にしていないようだったが、一方で稔を前にこんなことを言う。
「この服、バトルで着たい」
「戦闘に支障が出なければ良いぞ」
「本当か! やった!」
紫姫のテンションが一気に上がる。一方稔は、自分の投資で嬉しくなってくれる従順な精霊を見て、心の中の黒い部分が全て消えるような感じがした。目の保養、という言葉に近い心情である。けれど稔は、恥ずかしくてストレートに言えない。
「どうかしたか?」
「いや」
「そうか。でも我としては、包み隠さず話してもらえると嬉しいな」
そう言われて稔は、むしろ言葉という球を投げられないことを恥だと思った。だがそれは、自分に語彙が足りていないせいである。恥ずかしさなんて捨てようと思えば捨てられるが、語彙は定着しているものを消費していくに過ぎない。だから、臨機応変な対応が求められた時、辞書も無いのに増減するのは無理だ。
しかし稔は、それでも言うことにした。
「紫姫が可愛すぎて目の保養になってるんだ。それに、一〇〇〇円の投資でここまで喜んでくれる精霊だとは思わなくてな。余計に愛くるしい」
「……貴台の正妻はラクトだろう?」
「分かっているぞ、そんなことは。でも、可愛いのは否定出来ないだろ」
稔の言葉によって、紫姫は返答を考えられなくなる。もしこの状況で『わしゃわしゃ』や『なでなで』などをされたとしたら、紫姫の顔が火を通したフライパンレベルの熱さの熱を帯びる可能性も否めない。
「まあ、なんだ。『可愛い』と『好き嫌い』は別物だ」
「そうか」
「そうだ。てか、そういうのは観覧車で盛大に駄弁るべきだろ」
「確かに」
稔の考えに紫姫が賛同する。直後、黒髪男は紫髪に片手を差し伸べた。
「じゃ、行くか」
問いを受け、紫姫は顔を上下に振ることで回答とする。声に出せない訳ではなかったが、近くに居る知り合いから褒められたことで照れてしまったことで、恥ずかしさを感じて言い出せなかったのだ。その一方、紫姫は稔と手を繋ぐ。
「腕、捲ったらどうだ?」
提供された学ランは紫姫に似合っているように見えたが、実際は一年生と三年生みたいな差があった。言うならば、ブカブカという訳ではないがピッタリというわけでもないということだ。紫姫が手を繋ぐと稔の手が学ランの中に入ってしまう。だから黒髪男は、学ラン着用の先輩として提案する。
「いや、いい。『萌え袖』という要素を自ら消したくない」
「そっか。じゃ、そのままで」
稔の脳内にあった、オタク用語からネットスラングまでを網羅する用語辞典から言葉を引っ張ってきた紫姫。黒髪男からのツッコミを期待したのだが、悲しくも不発に終わった。そこで紫姫は、報復を計画する。けれど、観覧車間近で雰囲気をぶち壊すのは良くないということで取り下げた。
稔と紫姫は、会話しながら観覧車まで進んでいく。山の向こうにあった陽は沈み行く最中で、遊園地もちらほらと街灯が点き始めていた。それは、アトラクションも例外ではない。観覧車を間近にして、これから乗るアトラクションが光を放ち出したのである。
光景に胸を打たれて喫驚しながらも、稔と紫姫はそのまま進んでいった。そうして、観覧車のエリアへと入る。するとすぐ、二人はキャストに捕まった。もちろんそれは、乗る意思の確認でしかないのだが。
「一周一五分となります。乗られますか?」
「はい」
「分かりました。では、着いて来て下さい」
ウォータージェットコースターと同じ展開だ。でも今度は、絶叫する場所が存在しない良心的なアトラクション。高所恐怖症ではない稔と紫姫からすれば、駄弁るにはこれ以上ない素晴らしい場所だ。
「では、こちらからお乗り下さい」
キャストに付いていった先にあったのは、駅でいうところのプラットホーム。つまり乗る場所だ。スタッフは、そこで観覧車の扉を開けて言った。その指示を聞き、まずは紫姫が乗る。マントが絡まっていないことを確認し、続いて稔が乗る。直後、キャストが一言発して扉が閉められた。
「一五分後、またお会いしましょう」
その言葉が耳に届いてすぐ、駅でいうプラットホームが無くなった。つまりそれは、密閉空間から逃れることは出来ないことを表している。でも、稔は楽観的だった。そもそも駄弁るために来たので、当然といえば当然だが――。しかし一方、紫姫はその真逆の緊張した感じで居た。
「どうかしたか?」
稔が問う。すると刹那、紫姫は言った。
「稔。我は、貴台を好きになってしまった」




