EX-9 第六の精霊・アイテイル
思わず、稔と紫姫が声を揃えて言葉をこぼした。アイテイルが言い放った台詞は、どう考えても並大抵の精霊が言わないものである。主人と対等の関係を築くのではなく主人を支配下に収めようと言うのだから、どれほど異様かはすぐに分かるはずだ。けれども、稔は答えが分かった状況でも一応聞いておく。
「『支配下』じゃなくて『対等』はダメなのか?」
「ダメです。被支配者になるなんて、サディストとして心が傷みます」
「なんて自己中心的な発想なんだ……」
稔の配下には個性的な召使・精霊・罪源が既に居る。しかし、稔が目の前に見ていた第六の精霊はそれを遥かに上回っていた。敬語を使用している上に冷たいところから、すぐに彼女を攻略出来そうな気配も無い。それこそ、自己中心的な発想を行う女だ。『お姫様』ではなく、『女王様』でなければ心を許さないだろう。
「いいじゃないですか。誰にだって理解できない考えは有ります」
「まあ、そうだけども」
「というかですね。こんな会話で無駄な時間使うくらいなら、戦いましょうよ」
「やけに好戦的だな。けど、会話して攻略するのも一つの手だろう?」
「そうですね。でも、会話に慣れてる感があってチャラいので、実力行使を」
そう言うと、アイテイルは右手を広げた。稔がなおも会話で攻防を繰り広げようとすると、巨乳精霊は彼の考えを実力でぶち壊そうとする。同頃、彼女は冷気を貯め始めた。稔がそれに気づいたのは、『黒白』の周辺に巨大な風の流れが出来上がった頃である。稔と紫姫の居る場所にこそ風は来ていないが、もし二人の現在地が勢いのある風の通り道になったとしたら、確実に流される。
「最初に申しておきますと、私は風を操る精霊です」
流されそうになるほど強い勢いの風が止んだ頃。嵐の前の静けさに似たものを感じた稔と紫姫は、思わずアイテイルの話を聞きながら唾を呑んだ。どちらが先に攻撃するのかされるのか、二人は神経を尖らせて疑う。まさにそれは、一触即発の事態。稔は剣を構え、紫姫は空気砲を後方に控えて白色銃を手にする。
「まずは一つ、攻撃をお見舞いしましょう」
そう言い、アイテイルは直線のように見えた口を緩ませて曲線にする。すると刹那、彼女は姿を隠した。行方を闇魔した後、彼女は一体どこへ行ったのか。稔と紫姫は互いに背中を近づかせ、それぞれの戦友の背後を護る決意を固める。だが、それは意味を成さなかった。隠した後、アイテイルが姿を現したのは――。
「残念でしたね」
「上空……だと?」
アイテイルの姿は上空にあった。時間を詰めることで敵から隙を突かせないようにし、彼女は貯めていた空気を眼下に居た二人へと撃ち放つ。稔がバリアを張ろうとするが、それをするより逃げたほうが得策だと紫姫から指示を受け、背を合わせていた『黒白』は、それぞれ対称の方向へと避難した。すると、同頃。
「くっ――」
放たれた空気が凄まじい勢いで魔法陣へと向かっていた。放たれて寸秒しただけで、直立するのが不可能になるような強風が吹き荒れる。喫驚なことに、そんな苦境な中で稔は辛うじて立てていた。けれど、紫姫は立てない。だからこそ助けを求めるのだが、たとえ魂石越しだとしても、あまりの強風で声が遮られる。
そんな中、精霊戦争の無慈悲さが紫姫を襲う。
「残念ですが、貴方の主人は助けに来ません」
「……」
「それに、その銃で私を倒せるとでも思っているんですか?」
「無論だ」
そう言うと紫姫は、主人を除かないで『時間停止』を使用した。停止された時間は四八秒。紫姫が使用した『覚醒形態』と【詠唱】の効力が持続していた結果だ。けれど、空気砲を用いた魔法は特別魔法に該当する。だから、構えられても発射は出来ない。けれど、戦闘態勢にしておいたほうが吉策と思って発射準備だけは完了させておく。
そして時間は経過し、四五秒が過ぎ去る。
「我が主人を信じる限り、主人は我を信じる。だから私は、貴台を信じる――」
誰にも聞こえない中で思っていることを全て口にする紫姫。それは言い換えれば、彼女が銃弾を発射すると決意を固めたという意味でもある。紫髪がその台詞を言い切った頃、『時間停止』を使用してからの経過時間が四八秒を過ぎる。
「空冷消除ァァァァァ!」
構えていた巨大な銃から、紫姫はアイテイルの腹部を狙って空気砲弾を放つ。紫姫が張った声は、運動会で声援を送る応援団のように熱かった。鼓膜を破る程の威力は無いが、それほどの大声ならば、風があるため魂石を通しても内容が届かないなんていう理論は通じない。十分に伝わる声の大きさだ。
「嘘、でしょう?」
時を同じくしてそう言うのはアイテイルだ。腹部を撃ち抜かれ、途轍もない痛みが全身に走るのを即座に感じる。みるみるうちに顔面は青く染まっていき、第六の精霊は腹部に手を当てて叫声を上げた。軽く狂乱状態に陥っていた彼女は、常識というものを捨てる。それから数秒して、彼女の生み出した風が止む。魔法使用者の制御から外れた為だ。しかし、アイテイルはそれに気づいていない。
「貴方から強烈な一撃を食らってしまったのは本当に不覚ですが、貴方に私を倒すことが出来ないのは事実なんですよ。だって――あれ?」
「残念だな、アイテイル。お前の魔法は消えている」
「嘘……」
身体に痛みが走ったことは分かっていたものの、魔法の使用が出来なくなっていたのには気づいていなかったアイテイル。稔と紫姫との絆に干渉することで勝利を掴もうとしたのだが、もう、頼みの綱となっていた強風は何処にもない。
「最悪の展開ですね。はあ……」
アイテイルはそう言って嘆息を吐いた。既に特別魔法は二つ使用している。透明化する魔法と風のレーザーだ。しかしアイテイルは、まだ奥の手を使用していない。黒髪男をリスペクトして咳払いすると、第六の精霊は真面目な表情を顔に浮かばせていく。そして、最悪の展開を乗り切るために第二案の実行に移る。
「目の前に映る光の輝きは勝利の栄光。光を作り出すことはすなわち勝利を生むこと。風を起こすことは勝利を手にすること。今こそ風と光をこの手で作り出し、銀の翼を勝利色に染めん。第六精霊、銀の桜を胸にして散華を宣言する」
そう言い放つと、アイテイルは一先ず深呼吸を入れた。【詠唱】を使用したことから分かる通り、敵と交戦したくないという気持ちを彼女は持っていない。ラグナロクのように無慈悲な攻撃をしてくるとは限らないが、稔も紫姫も万が一に備えて二人の幅を狭めておいた。けれど、そこらで驚愕の事実が明かされた。
「アイテイルは三つの魔法を使用できるようだ」
「三つ?」
「そうだ。それも、三つ目は【詠唱】をしなければ使用不可能な強力な技だ」
名付けるなら『詠唱魔法』。そんな魔法をアイテイルが使用できるのである。回避すれば良いと楽観的になりたい気持ちもあったが、そう簡単に行くはずがない。稔は現実思考へと戻り、自分が生き延びるための情報を集め始める。
「ところでだ。その詠唱魔法を使用されたら、俺らの勝率はどれくらいだ?」
「我に限れば五分五分と言ったところだが、貴台の場合は分からない」
「そっか」
「確実に死ぬわけではないが、無闇矢鱈に攻撃しても良いことは何一つ無いからな。貴台を戦線に向かわせないのでは二人組の意味が無いし、相手からの攻撃に気を配りながら戦いを進めよう」
稔が言うと、紫姫が頷いて長い話を最後にする。けれど、戦いはすぐ間近に迫っていた。しかし、『黒白』がそれに気付いたのは攻撃を身に受ける僅か数秒前のこと。もちろん問答無用で魔法が使用されるわけで、その強烈な威力に思わず二人は目を丸くしてしまった。攻撃を回避した後、二人は感嘆の声を上げる。
「強いな……」
「そうだな。しかし、よく回避できたものだ」
稔と紫姫が攻撃対象とされた後、アイテイルは眩しいほどに輝く光線を二人に対して何度も放っていた。もし『黒白』以外にも被弾する可能性があるなら、それはもう無差別攻撃の一歩手前である。人道的とは到底言えない。そんな攻撃を躱せたことに、稔と紫姫は互いを褒め合った。しかし、攻撃は続く。
「――光線煌輝――」
聞き覚えのない攻撃に、紫姫はアイテイルが一体何を思って攻撃をしようとしているか解読に入ろうとする。けれど、【詠唱】を済ませた精霊に解読を試みるのは愚の骨頂。通常よりも加速できるため、解読する対象者を定められなければ話が始まらない。無論、話にもならない。故に、紫姫はそれを放棄する。
「銃を使うしか無いか――」
稔がバリアを使用できることは周知の事実だ。しかし、そのバリアでは何発も飛んでくる攻撃を全て返せるかは分からない。同じ場所を何度も攻撃されれば嫌でも傷んでしまうように、塵も積もれば山となるという諺が現実になる可能性がある。だから紫姫は、稔にバリアを使用を指示しなかった。そのかわり――。
「稔は『六方向砲弾』をアイテイルに当ててくれ。だが、くれぐれも剣を使わないこと。それは自殺行為に他ならないからな」
「ああ、分かった」
稔はそう言い、紫姫から離れた場所へと向かう。分散しなければ戦友の背中を守れるが、上から何発も降ってくる以上は広範囲を防衛した方がいい。それこそ紫姫が発射する予定の『空冷消除』と対象が違うのだから、離れていたほうが集中力の向上を計ることが出来るし、そうなれば対象を見誤ることもなくなる。
だが、稔の出番は紫姫の後だ。彼女が相手の魔法を消し去った直後、ゼロコンマ数秒のところで撃つ必要がある。無論、稔は神経を尖らせて砲弾を発射する構えを取った。六方向を一方向に集約して大ダメージを与えることをを目標に、稔はアイテイルの現在位置を確認して時が来るのを待つ。
「――空冷消除――」
その言葉を合図に、アイテイルへの攻撃が始まった。紫姫の巨大銃は何発もの空気砲弾を発射し、光線を作り出す元である煌輝の塊を消去していく。第六の精霊はなおも攻撃を続けようとするが、そこで稔が『瞬時転移』を用いた。それが紫姫から指示を受けた魔法を使用するためなのは、言うまでもない。
「――六方向砲弾、アイテイルへ一方向に――」
魔法使用宣言を行う稔。一方アイテイルは、消された魔法を再度放とうと眼下に視線を移す。だが、殲滅するべき彼女の敵はその方向ではない。そのことにアイテイルが気づいたのは、攻撃が命中するほんの数秒前だ。無論、気がついたところで対策など打てるはずがなく、アイテイルは稔からの攻撃をまともに食らってしまった。一度ではなく六度も同じ魔法を食らったため、悲鳴は大きい。
「うあああああ!」
腹部に手を当てるアイテイル。彼女のヒットポイントゲージは勢い良く減少していた。減り始めて五秒くらいでヒットポイントは十五パーセント以下、すなわち危険領域へと突入する。しかし、ヒットポイントの減少は止むことを知らない。遂に数字が表すパーセントは二桁を割った。
「さあ、アイテイル。契約をしようか」
倒れることが確実となってきた段階で、精霊側から契約を拒否を受けた男がそう口にする。紫姫と契約した際と同じ行動であるが、紫髪とは対称的に、アイテイルは外道なやり方だと稔を非難をしたくなった。しかし、彼女にそれは言えなかった。これ以上戦ったところで負けは確定している。それでも葛藤はあった。
「(本当に、この男と契約していいのでしょうか?)」
アイテイルは俯き、考える時間が欲しいと言わんばかりに黙する。その間、稔は明るい表情を見せていた。笑顔を見せるのは照れくさいため、単なる妥協策である。けれど、たとえ妥協策だとしても効果は絶大だった。稔を見て眼下を見る行動をアイテイルが繰り返していたのだ。それは言うまでもなく、照れである。
「……」
それから少しばかし顔を紅潮させると、アイテイルは謦咳を入れて言った。視線は稔の方に向けられていたが、それは彼女らしさを見せるのに十分ではない。むしろ、クールっぽい口調の裏に隠れている彼女の隙が窺えた。もっとも、契約放棄をされては困る。弱みを握ったことをしめしめと思いながらも、稔はそれを言わないでおいた。
「わ、わかりました。契約の儀式をしましょう」
頭を掻きながらアイテイルは言う。翻って稔は、平静さを貫いて話を進めた。
「ああ。それじゃ、アイテイル。目を閉じてくれ」
稔に対して強気で居たアイテイルは何処へやら。彼女は目を閉じて接吻されるのを待った。そんな中、紫姫はあまりいい表情では無い。稔の彼女が自分でないと分かっていたが、それでもデートの途中と捉えられなくもないのだ。だから、アイテイルが泥棒猫のような立ち位置に思えてムスッとした表情を浮かべる。
「――」
しかし、紫姫の思いは後回しにされた。アイテイルとの契約を先に取り付けたほうが良いと稔が判断したのである。無論、紫姫の心の中にあったモヤモヤはまだ晴れていない。しかし紫髪は、古参なら少し寛容的になるべきと思って感情を偽る。だが、紫姫の偽装はバレバレだった。新参契約者にとっては尚更である。しかし、稔はそれに気づいていない。それに対し、アイテイルがこう言った。
「主人公は罪です。察せないばかりか、心ない行動で花を傷つけますから」
「そうだよな。鈍感って最低だ」
盛大なブーメランであるが、稔は自分に言われているとは思わなかった。主人公全般への批評だと思ったのである。けれどそれは、単なる見当違いだ。契約して早々ながら、アイテイルは主人の鈍感さに思わず嘲りの笑いを浮かべる。
「まあいいです。とりあえず治癒を行いたいので、これをどうぞ」
アイテイルから渡されたのは精霊魂石だ。稔からしたら見慣れた結晶である。丁寧に扱う必要があると思って、稔は紫姫とエーストの魂石と同じ場所に置いておくことにした。日に日に魂石越しの会話がし辛くなっていくが、自分がこの世界の不条理を直している証拠だと考え、稔は特に気にしない。
「では、魂石に戻ります。それと私、貴方をこの世界に送り込んだ張本人と面識があるんです。なので、もしレア様と対話したい場合は、私にご相談下さいね」
「わかった。じゃ、身体を大事にな」
「誰のせいでこうなったと思ってるんですか」
アイテイルは、言いながらクスっと失笑を浮かべた。それから間もなくし、話題を切り替えてもいい場所が訪れる。早く自分の魂石に帰りたい気分で居たアイテイルは、笑わせてくれたお礼として戻る前に先の話の回答を言っておいた。
「あまり紫姫さんを苛めないで下さい。彼女の心、意外と繊細ですから」
「分かった」
「――では、落下にご注意下さい」
「「え?」」
それまで歩んできた一連の流れが、アイテイルが去る前の最後の台詞で一瞬にして崩壊した。稔と紫姫は、思わず声を合わせて言う。紫髪は、聞き間違いかもしれないと思って再度言うことをアイテイルに求める。だが、返答は無い。すると寸秒、ラグナロクが展開してから稼働を続けていた魔法陣が消えた。そして、すぐに落下が始まる。絶叫系に恐怖を抱かない二人は、降下中も会話を続けた。
「どうやら、セルフフリーフォールらしい」
「やけにポジティブだな、稔」
「だってここ、遊園地だろ? だったら、前向きに行かない他はないだろ」
「確かにな」
紫姫は落下中に頷く。けれどそれは、翼を生やせるからこそ出来る所業だ。重心を前に傾けさせるなど、翼なき稔のような一般人が行っていい行動ではない。態勢を立て直せれば何てことはないが、最悪、うつ伏せになって地面に叩きつけられる可能性が出てくる。そんな中で、なおも会話は続いていた。
「ところでだ。紫姫は次、どのアトラクションに行きたい?」
「ウォーターライドが良いな。水を纏ったジェットコースターだ」
「ああ、あれか」
遊園地でよく目にするアトラクションだ。数多くあるアトラクションの中で、唯一濡れてしまうゾーンになっている遊園地もちらほら在る。カオス・アイランド・パークもそのうちの一つだ。紫姫の言うアトラクションを除き、水の掛かるエリアは無い。もっとも、下手をすればバトルツリーでも水を浴びるが。
「紫姫。手、ちゃんと繋いでろよ」
「わっ……」
紫姫の手を取り、安全を確保しながら着陸する稔。「さっき無視した詫びの印に」なんて考えは微塵もない。この活動が『黒白』の絆を深めるために行っていることを再確認する意味で行ったまでだ。
「どうかしたか?」
「いや、なんでもない……」
しかし、紫姫からすればエスコートされているようなもの。それこそ恋心を抱いている異性からされたのだ。顔を赤らめるのも、挙動不審になるのも頷ける。
「じゃ、ウォーターライドに行こうか」
「う、うむ」




