EX-6 第二の精霊・カムイゲイル
紫姫が台詞を発して寸秒し、告知した通りに話が進んでいるのを確認できる事柄が行われた。ゲイルが自身の二つ名を名乗り始めたのである。【詠唱】のような前振りを置くこともなく、風の精霊はドストレートに厨二ネームを発する。それは紫姫で言う、『死を恐れぬ紫の蝶』に似たものだ。
「――天上の風使い、ここに見参――」
身に纏うは白のドレス。ブラジャーなど当然着用しておらず、ゲイルが着けているのはビスチェである。同じ白色だから、遠目から見れば色の差異など分からない。ドレスに着慣れているであろう精霊ながら、ゲイルはフレアパンツを下に穿いていた。しかし、やはりそれは外側の白色と同化しているせいで見えない。
「精霊も罪源も、なんで揃いに揃って美女ばっかなんだよ……」
「本音が口から漏れてるぞ、シュヴァート」
「いやいや、お前も褒められてるんだぞ? 素直に喜べよ」
「我は貰った絵で十分喜んでいる。現段階でこれ以上嬉しがる必要は無い」
流石は紫姫だ。ディガビスタル市内の喫茶店で描いたイラストを貰って泣いただけある。稔は紫髪が一つのところに集中力を注いでいる姿を見て、見習わなければならないとつくづく思う。ちょうどその頃、第二の精霊との戦闘の幕が切って落とされた。ドレスを着た緑髪の美少女が、『黒白』に迫ってきたのである。
「(済まない、エースト。お前をここに呼んでやれなくて)」
エーストをバカにしているつもりはない。しかし稔は、「ことごとく女を怖がらせる女ならこの場面で一体どうするのだろう?」と考えてしまった。もっとも現在、稔のもとに紫姫以外の精霊・召使・罪源が飛んでくることは有り得ない。現実逃避は程々にして、稔と紫姫は向かってきたゲイルと交戦する。
「手始めに一発、お見舞いするわ」
「一体、何をする気――」
けれど、交戦するには情報が足りない。第十一階層というボス一歩手前、言い換えれば本当の『中ボス』が簡単に倒せるはずが無かった。無論、『黒白』は苦戦を強いられる。手始めにお見舞いされたのは特別魔法なんかではないが、尋常ではない威力を誇る魔法だった。
「――双極の強風――」
魔法の使用が宣言された直後、稔も紫姫も吹き荒れる風の餌食となった。それは台風のようである。前後に回って挟み撃ちするのも一手だったが、二人は崖から突き落とすように案を一蹴した。簡単な話である。稔は何とか踏ん張れたが、紫姫が主人に掴まっていないと太刀打ち出来なかったのだ。それほどの威力の風が二つも存在しているのも含め、稔と紫姫は自分たちの置かれた状況を知る。
「お二人はんがそんくらいの実力やったら、勝利は確定してんな」
「まだ、【詠唱】も『覚醒形態』も使用していないんだが?」
「そら、すんまへんな。悪気は無かったんや」
「謝れといった覚えはないし、ゲイルが謝る必要なんか微塵もねえよ」
「そらおおきに。まあ、楽しみましょうや。『黒白』はん」
挑発されているのだと捉えると、稔は冷静に返答した。こういう時こそ冷静さが必要なのだと自分に言い聞かせ、ゲイルが次にどのような手を打ってくるのかと神経の至るところへ刺々しさを施す。そしてそれは、訪れた。
「――氷冷の暴風――」
特別魔法の一つめ。ゲイルの特別魔法に関して紫姫が知り尽くしているのは言うまでもない。当然ながら、紫髪は稔に対抗策を指示した。黒髪男は紫姫の話を呑み、頷いて受けた指示通りに特別魔法の使用をする。
「――跳ね返しの透徹鏡壁――」
だが、その強風に鏡の壁は飛ばされそうになった。いざという時の為に双剣を準備して覚悟をしておくのだが、やはり本望は暴風を全て弾くこと。けれども、一向に強風の止む気配がない。稔はしておいた覚悟を一段階引き上げ、この場で敗北するのを辞さない構えで攻撃が止む時を待つ。その、同頃。
「紫姫。色々と解読できてるか?」
「済まない。我が相手の内心を呼んで掴める情報は魔法とか趣向が殆どなんだ。戦闘中、敵に自分の情報を開示する奴なんて居ないだろう?」
「セキュリティが堅いのか……」
稔が紫姫の心情を的確に表すと、紫髪は頷いて言う。
「そういうことだ。どうやら我は、アイドル活動でもバトルでもラクトの世話が要るみたいだな。本当は、貴台に頼られたいのだがな……」
「尊敬するってのも必要だぞ? ライバル意識の裏には尊敬があるしな」
「……どういうことだ?」
「ライバルってのは敵意だけで生まれるものじゃない。そいつを越えたいって思いが敵意と交じり合って生まれるんだ。だから、必ずそこに尊敬する心がある」
新興宗教団体の教祖の話に聞こえてくる台詞だが、稔にそのような意図は一切ない。紫姫を励まそうという気持ち一つしか無いのである。紫髪は主人の内心を読んだ後、笑みを浮かべて感謝の気持ちを言った。しかし、すぐ目の前に恐怖が差し迫っている。笑みの後ろで、紫姫は士気を高めていた。
「励ましの声をありがとう。けれど、悲しい現実も否定してはいけないようだ」
「バリアもここまでってか。……悲しい現実だな」
敵の攻撃を跳ね返していた絶対の防御壁。それが壊れるまでの間に『空冷消除』を撃ってゲイルの魔法を打ち消してしまえば、攻撃を身に受けることはない。稔も紫姫も双方がそう考え、息を合わせて首を上下に振ったあとで動き始めた。そして、運命の時間がやってくる。
「弱い癖に生意気や!」
どれだけの風を送り続けたかなんて分からない。そんな頃、稔が形成したバリアが一瞬にして木端微塵となった。砕かれた破片はガラスのように棘々している訳ではないから、破片が降下してきても痛くも痒くもない。だが、問題はそこではなかった。紫姫がどのようにゲイルの魔法を打ち消すか。最難点はそこだ。
「発射――」
しかし、そのような難点をも克服してしまうのが戦闘狂である。紫姫はバリアが解除されたコンマ数秒後発砲し、挑発ばかりを続けるゲイルに対して実弾攻撃を実行した。対象物は敵の魔法だが、台風のような凄まじい強風に逆らうのは大変面倒なこと。紫姫は苦肉の策として、二度としないと約束したことを行った。
でも、彼女が所望する未来はあくまでも『魔法を打ち消す』未来である。『空冷消除』という特別魔法は建前上その働きしか説明が為されていない。要は、敵の身体に損害を与えるのは魔法の転用に該当するということだ。しかし紫姫は目の前で、自分の攻撃によって散った人を見ている。その過去が忘れられない。
「怯えてんじゃねえよ、相棒」
だが、危機的な状況でこそ支え合うのが戦友というものだ。時を同じくして、敵サイドから驚嘆の声が聞こえる。稔はそれを見計らったかのように紫姫の顔を動かし、視線をゲイルの方に向かわせた。旧友の驚いた顔を見て、紫姫はどこか誇らしげな表情を浮かべる。
「紫姫はんにそないな魔法が使えるてのは初耳や。顔を合わせへん間に成長したんやな。せやけど、この戦いに勝つんはあたしやねん。これは揺るがへん」
しかしゲイルは、目を丸くしている一方で敵意を更に剥き出しにしていた。自身の特別魔法が消去される現実を見て、それまで以上に闘争心を燃やし始める。それは稔と紫姫も同じだ。けれど、『黒白』と『第二の精霊』も闘争心には限度を感じる。なぜならば、この戦いが《ゲーム》だからだ。
「ほんなら二発目行くで。『黒白』はん、覚悟しいや」
言った後、稔と紫姫に向かって一笑を浮かばせる稔。そして二つ目の特別魔法が来る――だが、そう思った矢先だった。稔の右の耳元に驚愕の事実が伝達された。「本当か?」と目を開くあまり真相に迫りたくなるが、ゲイルとの戦いで隙はわずかだと思って質問はしない。その頃、ゲイルは魔法使用宣言をしていた。
「――神聖なる突撃、準備――」
魔法使用宣言の最後、厨二病を患っていた稔のとっては聞き慣れた言葉が話された。しかし、驚愕の情報を手に入れていた稔にとっては驚きようのない話である。翻って、紫姫は自分の予想通りに話が進んでくれて一安心していた。そんな中、紫姫も特別魔法の使用するための準備に掛かる。
「稔。後で魔法を補給させて欲しいのだが、構わないか?」
「構わねえよ。でも、やるなら接吻な。度が過ぎると殺される」
「まったく、稔は大袈裟なことを言う」
大袈裟と言えば大袈裟。そうでないといえば大袈裟ではない。どちらとも取れる話だったから、稔は「そうだな」と言って紫姫の肩を持ち、言った台詞の意味を濁らせておいた。もっとも、覗こうと思えば人の心を読めるのが紫姫である。たとえ何を思ったのかを隠そうが、バレるまでは時間の問題だ。
「――確認――」
魔法を使用するために必要な手順を順に追っていき、ついに魔法使用目前となる。だが、ゲイルが魔法を使用するまで時間の問題となったその時だ。明るい紫光に包まれたかと思うと、紫姫がその光を一時的に解除して言い放った。
「――S・F――」
言って、紫姫は敵のヒットポイントを五十パーセント減らす。無論、ゲイルは突如として受けた攻撃に戸惑いを隠せなくなった。しかし、それまで溜めていた魔法を放出しないなんていう狂気の沙汰を行えない。そこまで魔力が無限には無いから、撤回することも出来ず、ゲイルは二つめの特別魔法を使用した。
「――使用――」
それに負けじと、続けざまに紫姫も魔法使用宣言を行う。『空冷消除』を使用することが出来ない状況ではないが、生身の同族を武器で殺すのは気が引けた。どうしても倒さなければ次の階層へ進めないのは重々承知。故に、紫姫は余計に特攻魔法を使うしか術がないと判断したのだ。
「――闇と氷の駆動紫蝶――」
紫色の光に包まれた紫姫と、白色の光に包まれたゲイル。ブラック属性とビリジアン属性は対峙しても対等の威力だから、効果抜群ということはない。なれば、試されるのは両者のスピードだ。五十パーセントもヒットポイントを削ったため、相手を撃砕できる確率は紫姫の方が上に来るだろうが――油断できない。
「(頼むぞ、紫姫)」
近くに複製の達人が居れば『回復の薬』など簡単に増産できるものの、バトルツリーに乗り込んだのは『黒白』。ラクトの影は何処にもない。稔の手持ちがもう少しで底をつくこともあって、最終階層直前で消費するのは何としても抑えたかった。けれど、黒髪男が割って出たところで話が変わるはず無い。彼に出来ることは唯一つ、相棒が勝利することを祈ることだけだった。
「(勝ってくれ――)」
それから間もなく、白と紫の光が激突した。同時に聞こえる張り合った声は二人の叫声。戦闘に悲しみは付きまとうが、だからこそ、紫姫をこれ以上悲しませる訳にはいかない。祈りながら稔は、万が一を考えて意を決する。精霊ばかりに頼るのではなく、自分の命を捨てる覚悟で攻撃してやろうと思い至ったのだ。
「紫姫ッ!」
願う稔。その思いを精霊魂石から感じ取った紫姫は、歯を食いしばりながらゲイルの発する暴風を切り抜けていく。『死を恐れぬ紫の蝶』という呼称に相応しい攻撃態勢だ。そして遂に、紫色の光が白色の光を消し去る。
「嘘……やろ……?」
ゲイルは言い、現実を呑み込もうとしても無理だということを一身に表わしていた。一方の紫姫も、身体は壊れる寸前である。証拠に、ヒットポイントの減少率が半端な値ではなかった。ゲージカラーが黄色いから、まだ危険ゾーンではなく注意ゾーン。だがもし、表示方法をパーセントにしたならば――残り二十パーセントを切っているのは確実である。
「紫姫はん、ほんまに強くなってんな……」
「ゲイルも十分強いだろう。バトルツリーに入って初めてだぞ、苦戦したのは」
「そうなんや。そら意外やわ」
ゲイルは紫姫以上に傷を負っている。けれど、第二の精霊は笑顔を見せたままだ。理由は単純ほかならない。素直に、自分を打ち負かしてくれたことを褒めていたのだ。けれど彼女も精霊、つまりは女の子だ。ヒットポイントゲージの減少が止まらないのを見て、見せていた笑顔を一変させる。
「もっと話したいんやけどな」
「なら、機械越しにすればいいさ。自分用のメールアドレスとか持ってるか?」
「持っとる。これや」
スマートフォンをドレスの下から取り出すと、ゲイルは手慣れた手つきでロックを解除してメールアプリを開いた。稔もスマホを手にし、表示されたメールアドレスをカメラで記録する。それから紫姫と距離を置いた地点へ向かい、アドレス帳にそれをコピーして見ながら入力した。それらは全て、紫姫への感謝の気持ちである。少しでも旧友と世間話を楽しんで欲しかったのだ。
「さてと、あいつら遊園地でなに楽しんでんのか……」
だが、それはあくまで建前だ。稔の本音に足を踏み入れていない訳ではないけれど、彼の本音は他にある。それは、端末越しに配下の召使・精霊・罪源の様子を確認するというものだ。メールアドレスを入力して確認メールを送信した後、稔はデバイスを腕に装着した方の端末に移す。
「メジャーなアトラクションばっかだな……」
表示された情報をスクロールして見ていく中、稔は普通のアトラクションしか出ていないことを皮肉って言った。観覧車、お化け屋敷、水に濡れるジェットコースターに濡れないジェットコースター、メリーゴーランド、コーヒーカップ。どれも至って普通の乗り物である。けれど稔は、まだ乗っていないアトラクションに興味を示していた。なかでも――。
「濡れるジェットコースターか」
やましい気持ちは微塵も無いけれど、紫姫は絶叫系が無理な女子には分類されない。お化け屋敷よりはジェットコースターの方が楽しいはずだと思って、稔はバトルツリーをクリアした後に向かうアトラクションを決定した。スプラッシュ山やジェラシック公園に近い絶叫系マシンらしく、稔の高揚感は止まらない。けれどその時、稔は先々のことを考えるのを止めた。
「戻ったのか、魂石の中へと……」
山を上れば、必ず地に下る必要がある。それまでしていた会話が止んだことでゲイルが支配人の魂石内へ帰還したことを知り、稔は落胆した紫姫を慰めるために声を掛けた。でも、紫姫は顔を上げない。俯いて、ゲイルの居た場所のすぐ隣で正座していた。悲しみが痺れを覆い隠していて、感情の変化が見られない。
「いつまで謝っても許さない奴が居る一方で、謝ることを拒否する奴も居る。でも、どちらにせよ求めることがある。分かるか? ――それは、反省の心だ。紫姫は二階層での経験を活かして戦った。結果はこうなってしまったが、精霊は生き返る。前向きに考えろ。経験を粉にするよりは絶対にマシなんだから」
長文を話し終えてすぐ、稔は自身のその言動を黒歴史に追加する。でも、言い切った後に紫姫の背中を擦ったことで紫姫を慰めることは出来た。下を向いたまま罪を償いきれないと自責の念に駆られていた紫姫が、顔を上げたのである。
「我は悪くないのか?」
「ゲイルに心の底から褒められただろ。悪い訳がない」
「そうなのか……」
初めて聞く話らしく、紫姫は驚いていた。それに対して稔が言う。
「友人を思う気持ちも分かるが、ゲイルは死んだ訳じゃないんだ。だからその、元気を出して欲しい。身勝手なのは重々承知だけど、笑顔で居て欲しいんだ」
「笑顔、か」
紫姫は、稔の話を頷きながら聞いた後に話の要点を復唱した。黒髪男は自分の願いばかりを押し通そうとしたことを良く思っていないのではないかと考えてしまい、紫姫がどう出るか過剰に気にしてしまう。そんな、心配の声が心の奥底から込み上げてくる中。喉から出そうになる直前で話の流れが急変した。
「笑顔なら幾らでも見せてやるぞ、シュヴァート」
傷つきながら浮かばせる笑顔。その表情に稔は涙を流しそうになった。同時、自分が精霊ばかりに重役を背負わせたことを再確認する。けれど、そのことを気にしているのは稔だけだ。紫姫は精霊として役目を全うしたまでと考えていたから、身体を労ってくれる稔に感謝しながらも、過剰すぎる親心を白い目で見る。
「それと。重役を背負わせるのは嫌ではない。むしろ、もっと背負わせてくれ」
「正気か?」
「無論だ。我は貴台に頼られたい。生活面で赤髪に勝れない分、戦闘面で貴台に頼られたいんだ。だからその、踏み躙らないで欲しい。私のこの思いを」
一人称が一時的に変化した。それは言い換えるなら、デレモードへ足を踏み入れたということだ。紫姫に対して過剰な親心を注いでいた稔は、そのことにすぐ感づく。そして、理解した上で最善の策だと思った行動を取った。
「分かった」
紫姫の頭の上に左手をポンと乗せ、稔はそこを撫でる。返答として「ありがとう」と言葉が返ってくると、黒髪男は紫髪に手を差し伸ばすことで返答とした。一方、ツンデレのツンの方の成分を含む行動に紫姫は笑顔で返しの言葉を返す。
「ほら、十二階層行くぞ?」
「ああ」
開かれた扉の先へと向かう『黒白』。しかし、その扉の向こうに広がっていたのは雲ひとつ無いの快晴の世界。眼下には遊園地が見え、稔と紫姫が降下するのは時間の問題だ。けれど、それを防ぐものが作られた。
「魔法陣……?」
二重丸の中に星印が書かれているものが三つ作られていて、それぞれ隣り合った方向に直線を引けば正三角形を描ける。赤い光を放っているが、夕焼けの色と異なるため同化していない。稔と紫姫は敵の登場に神経を尖らせながら、十二階層の情報を収集する。すると直後、黒髪の貧乳美女が降りてきた。
「ようこそ、最終階層へ。ボクの名前は『ラグナロク』。まずは、ここまで来たキミ達に慈悲の心を――」




