EX-1 百米降下のジェットコースター Ⅰ
園内の至る所に設置されている看板を頼りに、稔と紫姫はジェットコースターに到着した。待ち時間がわずか十分だと知り、自動的に乗車しない選択は無くなる。飲料の買い出しに行こうかと思ったりするが、入ればペットボトルのゴミ箱はない。よって、必然的に水分補給は延期となった。
「次にお待ちのお客様、二名様で宜しかったでしょうか」
「そうです」
同じ頃。稔に対し、遊園地のスタッフ――キャストが話し掛けてきた。黒髪男は挙動不審にならないで質問に返答すると、「こちらへお願いします」と言って『黒白』を先導する。チェーンで区切られた細い通路を進んでいくが、そこに人の姿はない。どうやら、稔と紫姫は最前席に座ることになったようだ。
「それでは、もうしばらく御待ち下さいませ」
頭を下げると、キャストはチェーンを跨いで通路を越えて次なる客の元へと向かった。一方、稔は区切られたチェーンに視線を移す。ジェットコースターの乗車駅がある方向には、二列あると目視による確認ができた。それから二十秒程度経過した頃、先に乗車していた人々を乗せたローラーコースターが出発した。
「ここのジェットコースターは後ろ向きなのか?」
「詳しくはわからないけど、見た感じそういうモードも存るみたいだな」
「そうなのか。なんだか、余計にうずうずしてきたぞ……」
紫姫は第三の精霊だ。つまり、軍機に搭乗していた司令官の意思を継いでいることになる。稔は飛行機でしか味わったことが無いが、一方、離陸する時の疾駆する感じが身に染み付いて離れないという話には共感した。それこそ紫姫がうずうずする原因であるのは言うまでもないし、話が進んで稔にも飛び火する。
「今更だけど、紫姫って高いところは大丈夫なのか?」
「無問題だ。絶叫系は初体験だから何とも言えないが、高所は楽々と行けるぞ」
「そっか。流石は飛行機に何回も乗ってるだけあるな」
「そうだな、慣れの側面も大きいだろう」
稔は三回くらいしか乗ったことが無いけれど、紫姫は二桁を越している。スクランブル時代から数えれば三桁をゆうに越す勢いだ。流石に四桁までは手が届きそうに無かったらしいが、一回しか搭乗したことのない稔からしたら紫姫の搭乗回数は既に尊敬の域に達していた。
「お、チェーンが二つ解除されたぞ」
紫姫の過去を振り返って数秒が経過した頃。乗車駅側から数えて二列で待機していた人々が、キャストによって待機スペースから駅舎の中へと引率されていった。カオスアイランドパークのジェットコースターは定員二十人らしく、キャストは発車する前に二十人を上回っていないか何重にもチェックを重ねる。
「では皆様、チェーンを跨いでください」
時を同じくして、待機スペース担当のキャストがマイクを使ってゲストを移動させ始めた。移動が終わるとゲストの整理係はマイクを下ろし、それから笛を吹いて完了を知らせる。管制塔からもその合図が確認できたようで、ジェットコースターが動き出した。
「では、移動します」
先程マイクを使って移動を指示していたキャストが、再び、マイクを使って乗車駅に一番近い列の二十名に指示を出した。最前席に乗車するのが確定となった稔と紫姫は、後続の人達のことも考えて逆らわず案内役に付いていく。おおよそ十歩くらいで乗車駅の駅舎内に入れ、それから乗車するローラーコースターの来るプラットホームへと移動した。と、階段を上る前にでキャストが止まる。
「皆様の乗車ホームは3番線となります。電光掲示板もご確認の上、落下物や御貴重品は外して指定の籠にお願いします。それでは、快適な空の旅を」
一つ礼をすると、キャストは待機スペースの方へと戻っていった。その一方、階段の上からキャストが一人降りてくる。そして、「ご登壇ください」と必死に訴えていた。稔と紫姫は待機スペースに戻ったキャストが発した意味深長な言葉を忘れることが出来ず、早く乗りたい気分になって一弾飛ばしで上階へ向かう。
「3番線ローラーコースターに乗車されるお客様。眼鏡、時計、帽子、手帳、文房具、携帯端末、布類、紙類などは、こちらのロッカーにお願いします」
乗車駅のホームはロッカーで区切られていた。貴重品全てを急いで預けろと指示されていることから察しが付けられるように、設置されていたのはコインロッカーという訳ではない。担当のキャストが責任を持って管理しているようだ。
「携帯と財布と……ハンカチとかか」
言いながら、稔はロッカーの中へ自分の物を入れていった。その一方、紫姫はハンカチもティッシュも携帯端末も手帳も無い。眼鏡や帽子も無いから、行わなければいけない事は皆無。だから紫姫は、自分だけ物を取り出す必要が無いことに感謝した。もちろん、取り出しては片付けるを繰り返す稔を笑いはしないが。
「どうぞ、預けられた方からご乗車下さい」
キャストの声で片付け終えた人がどんどんと乗り込んでいった。紫姫は稔を待っていたから最後に乗ることとなったが、乗車させる担当のスタッフは広い心で笑顔を貫いていた。もっともそれは、言い換えれば『営業スマイル』でもある。それからすぐ、安全装置に関して話が進められた。
「現在、自動的に安全装置が動いています。停止しましたら、『施錠』のボタンを押して鍵を掛けて下さい」
前から見るとT字をした安全装置だ。おむつのような形と言ってもいいだろう。けれど、ジェットコースター走行中に手を挙げるためには必要不可欠なのものであり、侮ってはならない。だからこそ、稔も紫姫も安全装置の停止後すぐに『施錠』のボタンを押した。
「少々お待ちください」
稔と紫姫を皮切りに、安全装置の最終チェックを行うキャスト。揺らして動かないのを確認すると安全装置の何もない部分を軽く触れ、続けて、隣席ないし後席の安全装置を確認する。定員が二十人な一方、乗車率は一〇〇パーセントでなかった。だから、普通にする時よりは幾分か早く終わる。
終了してすぐ、管制塔に対してキャストが右手を挙げた。返答は「了承」。キャストは挙げた手を下ろし、一つ深呼吸してポケットから笛を取り出す。直後、主にローカル鉄道の駅で発車時に鳴らされるメロディラインが乗車したゲスト達の耳に届く。同頃、座席に取り付けられていたスピーカーから声が出る。
「Hello, everyone! The frighten fright will start in a few minutes. This Roller coaster keep running until we’ll be back there. ...Well, are you ready? If you're ready, cast will start the countdown」
稔の居た現実世界で言う『英語』で話が進む。要約すると、「ジェットコースターで恐怖と絶景の旅を」ということが一つ。「準備終わったらカウントダウンします」ということが一つだ。「今から始まります」という説明を聞き、稔は思わず「そんなの知ってるから!」と内心で言い放った。
「Ten, nine, eight...」
「(おいおい、カウントダウン待ってくれないのかよ……)」
話と違っていることに違和感を覚える稔。流暢な英語で話すことで意味を理解してもらわないようにとか、そういう日本人をターゲットにした姑息な真似に引っかかりはしなかったものの、話が通じない以上は深い意味を考えないほうがいいと思って、稔は無の心で発車を待った。
「Seven, six, five, four, three, two, one... Bon voyage!」
キャストから「行ってらっしゃい」と言われると、ローラーコースターが動き出した。うずうずとした気持ちは最高潮から落ちていき、楽しもうとするモードに切り替わる。乗車駅の駅舎から出た辺りのことだ。だが刹那、稔と紫姫の目の前には急勾配な坂が見えた。時を同じくし、管制塔からアナウンスが入る。
「エルダレア帝国最恐のローラーコースターへようこそ。これより、本車は高さ九十メートルまで上昇します。どうぞ、最後まで絶景をお楽しみ下さいませ」
真っ赤な嘘としか思えない話である。もう、最前席からは見えていた。絶景を楽しむどころではないことなんて丸分かりである。前方方向、上りきると地下まで一気に急降下するのだ。とはいえ免疫持ちの稔。耐性は十分にあった。
「Welcome to the most scary roller coaster in Empire of Eldalear! This car countinues to rise until you reach 90 meters height. So, please enjoy good view」
違う言語でも伝えられ、間もなくローラーコースターは坂を上り始めた。同じ頃、またもカウントが始まる。今度はダウンではなくアップだ。高度をメートルで刻んでいくらしい。その告知後に、またも問答無用で始まる。
「If this coaster starts to rise, we’ll begin to announce height with “meter”」
ジェットコースターに慣れている稔は、カウントが始まることを恐れてはいなかった。むしろ、後から来るであろう恐怖という快感を一身に受けるために踏んでおくべきステップと考えて楽しもうとしていた。だが、現実とは非情なものだ。楽しもうという思いは一気に蹴り落とされる。
「なん――」
目の前に見えたのは巨大な坂だ。山と言ってもいいくらいの高さで、五十メートルなんて簡単に越してしまっている。頭のネジが外れたような設計のローラーコースターを前にして、稔は一〇〇メートル在るのではないかと疑問視してしまう。もっとも、それはアナウンスで否定されてしまったが。
「このジェットコースターは高さ九十メートル御座います。最高点より降下しますと、地下十メートルまで一気に加速致しますから、手を挙げる際や会話をする際には風圧にご注意下さい」
「そんなに加速するとか凄いな……」
具体的な時速は示さなかったが、恐らく相当な速さが出るのだろう。三分で一周と言っていたのがまるで嘘のようだ。だが、しかし。ローラーコースターが上昇し始めると、キャストを批判するような話をすることは出来なくなった。遊園地の詳細が徐々に明らかになってきたからだ。どの場所に何が在るのか、そういうことも空から見れば丸分かりである。無論、下で動いている人の姓名なんざ知るはずもないけれど。
「加速スピードは比べ物にならないが、この角度はまるで軍機のようだな」
「確かにな。四五度はあるだろ、これ」
下降にエンジンは不要であるが、物が上昇するためにはエンジンが必要だ。飛行機などは大変なスピードで加速するし、車などもギアを切り替えて坂道を登ることがある。だが、それを考慮したとしてもローラーコースターの傾斜角度は異様だった。最大傾斜角度は五五度。稔の予想を上回る傾斜だ。
「ん?」
そんな頃、稔と紫姫はメーターカウントが為されていることを知る。高度のカウントは現在、二段階目。高さ二十メートル地点付近にローラーコースターの車体は置かれているそうだ。もっともそれは、なおも上昇を続けて止まらない。
そして、最大傾斜角度が来る。それまでの上昇なんて飛行機が滑走路に移動している時に似た焦らしだ、と感じさせてくれるくらいの大変な急上昇が待ち構えていたのだ。また、ボールを転がしたら相当な勢いで下るような坂に差し掛かった刹那。
「うおっ……」
「わっ……」
稔は思わず声を出してしまった。紫姫も同じように声をあげる。女の子らしい声と言うか、素というか。紫姫は意識せずに出した声としては今までの中でも一番可愛い部類に入る声を発し、稔は隣に紫髪を置いたことを一瞬ばかし後悔する。だが、ならばそれを好機と捉えようとし、稔は紫姫をイジることにした。
「紫姫も案外、可愛い声出すんだな」
「今の声は我が発したわけではな――」
「別に糊塗する必要は無いぞ。嘘吐いてもバレバレだし」
「……」
紫姫は口を閉ざした。それから顔を渋らせて頬を膨らます。……それまでは良かったのだが、紫姫は稔の左頬を強く引っ張ってくれた。抓られて痛くないなんて言うのは相当なマゾヒストだし、無論、稔は「痛いから!」と紫姫に言い放った。紫髪はそんな黒髪男の様子を楽しんでいるようで、クスっと顔を綻ばせる。
「もしや紫姫って、意外に……Sか?」
「そういう訳ではないと思うが……。第一、我は人を虐めることは嫌いだぞ? もっとも、悪行を犯したものを成敗するのは引き受けるが」
「無駄な正義感に駆られて戦地に赴くのは身の程知らずがすることだぞ」
「見事すぎるブーメラン発言だな」
だが、それは想定済だった。紫姫からの指摘を受け、稔は「狙って言ったんだがな」と失笑交じりに話す。同じ頃、ローラーコースター全体の中でも最大の傾斜角度を乗り切った。けれど、飛行機のように水平状態なんてものは無い。それと同じく、加算されたメーターカウントがアナウンスされた。
「Seventy meters」
高さは七十メートル。最大高度まで残り二十メートルの地点を通過し、左右の景色も上空から見るものと大差ないものに成っていた。クリスマスの夜、サンタに抱きついて街を見下ろしているかのようだ。ディガビスタルは帝都である以上に古都だったから、山の向こうの遠空に沈みゆく夕陽も見える。
時を同じくした頃、徐々に上昇速度が減速し始めた。高さ九十メートルの最高地点にもう少しで到達すると遠回しに伝えているのだ。そして遂に、速度がどんどんと減速していく中で最終段階まで一歩手前のメートル数が聞こえる。
「Eighty meters」
寸秒、稔は唾を呑んだ。対して紫姫は、乗車前の興奮なんて何処へやら。深呼吸して初体験の急降下と急加速に備えていた。最高到達地点が待ってくれない以上、失神しないためには腹を決めておくことが必要なのは言うまでもない。そしてついに、最終カウントが聞こえ始めた。
「Five, four, three, two, one...」
ローラーコースターに乗っていた客達が皆、唾をゴクリと呑み込む。多い者では三回、大抵の乗客は一回は確実に行っていた。しかし、悲しくも意識したことによって逆効果を生んでしまった人も居たらしい。それまで聞こえていたリア充の声と思わしき声が、八五メートルという高度を境に消えていた。
なおも車体は上昇を続け、出発から二十秒程度で最高到達地点に達す。だがそれは、決して安全材料なんてものではない。全く正反対の性質を持つ、言うならば『全ての元凶』だ。過去に類を見ない高度な高さから落とされる恐怖が、目の前にした絶景が、乗客たちの脳内を刺激して止まない。――と。
「It’s max! Let's enjoy free fall!」




