3-75 アイドルユニットとP
もっとも、はしゃいだところで変人扱いされるのは目に見えている。現実世界では俗に『ブルートゥース』と呼ばれるヘッドホンながらも、稔はパソコンの周辺を動こうとはしなかった。ただただ、じっくりと彼女が――新アイドルグループのプロデューサーが作り上げた曲を聴いていく。
距離的に近い一方、ヘッドホンを装着していることで紫姫たちの声は遠くに聴こえる。女子達が盛り上がっている光景を見てハブられている感じもしなくはなかったが、稔は現実世界ならそういう立ち位置に居た。中学時代までに築きあげたものを自らの手で木端微塵にしたのだから、自分が悪いことなんて分かっていたはずなのに何処か悔しい。それに似た感情を稔は聴いている最中に持った。
「(嫉妬……か)」
男の嫉妬ほど見苦しいものはない。そういう風に稔は中学時代に習ったはずだった。付き合ってフラレてドン底に落ちて、挙句の果てに見つけた高校で友人関係をボロボロにし、自分より背の低い女に刺され――。考えれば考えるほど、出てくる出てくる黒歴史。稔が嫉妬した先に見たのは反省だった。
丁度その頃、一曲目の曲が最後のサビへと入った。アウトロに繋ぐ最後の盛り上がりである。楽譜で言えばフォルテシモ。fを二つ並ばせ、指揮者がとてつもなく大袈裟に手を振る。そんな箇所だ。それこそ激しい曲調だから、一曲目における指揮者の負担は計り知れない。とはいえ、一曲目は既に突っ走り終えたも同然の箇所まで来ていたから、歯を食いしばって立ち向かえばどうってこと無かろう。
けれど、そんな楽観的な考えを見事に否定する事案が起こった。まるで賢者モードのように冷静さを取り戻しつつあった稔に対し、激しい曲調から一変して、しんみりとした曲が二曲目に流されたのである。もちろんだが、ラクトに対して猛反発することはない。なにせ、赤髪が稔を怒らせた事実は無いのだ。ゆえに行き場を失った怒りの向けようが分からず、稔の心底には憤怒の感情ばかりが溜まっていった。
けれど、そんな憤怒の感情を馬鹿にする一方で包み込んでくれたのも二曲目だった。激しい曲調では幽霊部員のような扱いを受けていたピアノが本気を出し、弾かれて耳に届く音からは自分の気持ちを吐き出せと言っているように聴こえる。稔は怒っていたこともあって感情が高ぶっており、わんわんと子供のように泣きはしなかったが何度も嘆息を吐いていた。
「(いいな、この曲……)」
一曲目も良かったが、正反対の性質を持つ二曲目でも耳に心地よい快感は伝わった。先程までの積もりに積もった憤慨さえ、猛暑日のアイスのように溶けていく。包み込み、そして浄化するように溶かしてくれたのだ。
すると同時、新生アイドルユニットのプロデューサーがメッセージを送ってきた。パソコン内のソフトウェアが反応しているらしい。名称も使用方法や目的も知らないから、パソコン上級者たる稔はウイルスの可能性を疑って開くことに足踏みする。けれど、右下に追加メッセージが送られて一安心した。
『ウイルスじゃないんだから、開け(#^ω^)』
顔文字は受信者を意識してのものだ。動画上にコメントを打てることで知られる某動画サイトとか、二十世紀から存在する某巨大掲示板とか、そういうネットでコミュニケーションを取る場に多数出没していた稔。相手の心内を読める彼女として、彼氏を思っての行動は常識の範疇だった。
「(仕方ねえな……)」
内心で半ば諦めるように言うと、責任全てをラクトに背負わせる方向で稔は送り主の言うことを呑んだ。マウスを操作し、ポインタの先端部をソフトウェアのアイコンに持っていく。それは、二曲目の二番が中盤に差し掛かった時の事だ。
アイコンの色は水色だ。円形で、右斜め上と左斜め下が突起している。しかしそれを見ても全く角ばった印象を受けない。曲線を帯びているためだ。そしてそのアイコンデザインを決定づけるのが、円に描かれた文字である『T』。――要するに、現実世界で言う『ス○イプ』のデザインに酷似していた。
ソフトウェアを開くと、またもや『ス○イプ』に酷似していた。レイアウトはそれそっくりで、左側中央から下にかけてに連絡先、上が自分のアイコン、それ以外は相手とのやり取りをする場となっている。当然やり取りする場も酷似していて、上が相手の情報、中央がメッセージ内容、下が打ち込みスペースだった。
二曲目が最期のサビに入った頃、稔はマウスポインタを打ち込みスペースに移動させた。続けてその枠をクリックし、打ち込めるようにする。キーボード配置は日本のものと大差無く、稔は慣れた手つきでラクトのメッセージに返信した。
『指示通り開いたぞ。tk、このソフト何だ』
ラクトは質問を受けて返信する為に文章作成に入る。もちろんハッカーと言えど、ネイティヴスピーカーの会話スピードで返すことは出来ない。指がそこまで追いつかないのは言うまでもないだろう。だがしかし、彼女の返信速度が稔を超越するほどの速さであったのは事実だ。
『Talkってソフト。稔の居た世界で言うスカイペやライソに近い』
ラクトは伏せ字にするのが面倒くさかったため、あえて一文字だけ変更して稔に返信していた。彼女が自分の脳内を把握していたことを知っていた彼氏は、赤髪が何を言っているのか即座に理解する。
『なるほど。ところで、なんでこのソフトを開かせようとしたんだ?』
『日頃からお世話になってる精霊に絵を描いてあげないのかなって思って』
『ふーん。でも今、手元にペンタブなんか無いし』
『私の特別魔法忘れたのかな(・∀・;)?』
ラクトも稔も、返信スピードは十秒以内に抑えていた。そこには心友を思いやる気持ちが合間に見える。ラクトは使用している顔文字に名称をつけて多数登録しているようで、いちいち記号をタップして参照しない入力を可能にしていた。
名称を忘れれば元も子もない訳だが、既に彼女はハッカーとしての実力を見せている。操作手順に関する記憶が明確なのだから、名称を付けて登録した顔文字も同様に忘れていなかったのだろう。
『ペンタブなら十秒あれば送信できるぞ(`・ω・´)』
『描かせる方向で合致してるのか?』
『もちろん。というわけで、召使の権利として送らせてもらいます(´∀`)b』
『問答無用とか有り得ない件』
稔のノリはラクトに合わせているように見えているが、黒髪男の中学生時代と同じノリという面も併せ持っていた。そうこうしている間に画面の向こうでは赤髪がペンタブを製作し終える。続き、ラクトと意見を合致させていた紫姫が魂石越しにそれを送った。稔には阻止する手立てが無いから受け取らざるを得ない。
『受け取った?』
『受け取ったぞ。それはいいんだが、どのソフトを開けばいい?』
『【Bluellama】ってのがイラストソフト』
【ブルーリャマ】というソフトウェアの名称を聞き、稔は自分が使っていた無料お絵描きソフトの名前を思い出した。全くもって名称が正反対という訳ではなかったが、そのソフトのユーザーとしては似ているとしか思えない。だが、ペンタブが届いては描かない訳にもいかないと思って、稔は嘆息を吐きながら開く。
『Talkとスカイペの酷似さといい、なんでこんなに似てるんだよ……』
開いてみれば、明らかに似ているソフトの画面。端から端まで同一ということは無かったが、絵師ではないユーザーが絵を描くには申し分無い。紫姫がアナログかつ白黒の絵を描くために頑張ってくれたことを思い、やらされている感を捨てて稔は作業に取り掛かる。その頃、曲は三曲目に突入していた。
『夜六時にロパンリ集合だから、最低でも二時間は使えると思う』
『バカ。イラスト講座がそこまで長引くと思ってんのか』
『(ヾノ・∀・`)ナイナイ』
『安心した。極力、紫姫に負担を描けないように描く』
そうメッセージを送ると、稔は曲を聴きながらイラストを描くことにした。ラクトが塩対応などするはずなく、返信として『∩(*・∀・*)∩がんば♪♪』という顔文字を送る。翻って赤髪は、送信し終えて紫姫と共に講師の席へと座った。ラクトは美術の方面にも長けていたのだ。
「描きますかね……」
稔は深呼吸してペンタブをパソコンの前に置いた。続けざまにノート代わりのデバイスと共に送られてきたペンを持ち、黒髪男は体を伸ばす。心身を整えてから、稔は開かれたソフトウェアの『新規作成』というタブをクリックした。その刹那、それまで灰色だった画面中央に白枠が登場する。役割的には紙と同じだ。
『レイヤー1』の使用色を橙色にすると、稔は持っていたペンをペンタブに触れさせる。その後、現実世界で培った絵の描き方に則ってイラストを描いていった。大雑把に輪郭を描いてアタリを描き、身体を描く。紫姫はラクトほど豊満では無いが、横からのアングルなら胸の膨らみはしっかりと把握できた。
女性的な曲線を描きながら稔は和風な三曲目を聴く。耳に伝わってくる歌詞は厨二病を拗らせた感じだ。もっとも、そのほうが鼻歌を歌い易いのは事実である。加え、気分の高揚によってイラストを描くスピードが上がるのは否定出来ない。
「オラオラオラオラ!」
ラフ画なら少し粗放に描いてもパーツが分かれば問題ない。その先に下描きがあるのだから、そこで忠実に描けば取り返しがつく。また稔は、漫画で言う『ペン入れ』を入念にやる芸風。本気を出すのはラフ描きの先、下描きでなのだ。
男である以上、女の体を描くには限界がある。もちろん逆も然りだ。けれど、だからといって早急に諦めるのはおかしい。『自分が発揮できる最大限の力を出す』というのが稔の信念だからだ。それを押し付けるつもりはなかったが、それでも自分で決めたことを自身が貫かないのがおかしいなんて言うまでもない。
そうして稔は、三曲目が終わる頃にはラフ画を完成させていた。紫姫より遅いスピードな上、時間を取り戻すのが不可能だということなんて即座に理解可能である。けれども決めたことは成し遂げてやろうと思っていた稔に、そんなのは通用しない。『レイヤー1』を『レイヤー2』に変更して、すぐ下描きに移る。
「色はこれでいくか」
下描きで使用する色を橙色から青色に変更すると、『レイヤー1』で描いたラフ画の上に『レイヤー2』で下描き絵を描いていく。目に関してはレイヤーを変更して後で描くと決めたから、稔がまず着手したのは体だ。
確かに目は複雑だが、一方で体も肩を並べるほど難しい。だから稔は、先に同じレベルの部分を片付けようとしたのだ。同じ頃、稔のテンションを上げてくれた三曲目が終わろうとしていた。しかし、一曲ごとのファイルを一緒くたにしたものを流していたため、気分を高ぶらせるためにとリピート再生できない。
だが、四曲目も三曲目同様にテンションMAXだった。その曲を聴きながら、稔は丁寧かつ猛スピードで下描きを行う。ラフ絵で描いた構図は紫姫の凛々しい姿だったから、もはや似顔絵という側面は無い。しかし稔は、家宝として飾れるレベルに描いてやろうと必死になってペンを走らせた。
それから五分くらいして、飛行機のような速さで稔は身体と輪郭を描き終えてしまった。だが、ここで休憩を取っている暇など無い。なおブラック企業の社畜のように見えるが、これはあくまで稔が燃えているだけだ。ラクトの言葉に急げという意味は含まれていないし、受け取る側の紫姫もそれは同じである。
燃えていた稔はレイヤーを1に戻し、先程描かなかった目を描き始めた。紫姫の目はしっかり光彩が入っているが、イラストを描く場合、まずは眼球に光が当たっていないヤンデレ目を描く。別にレイプ目とも呼ばれる目だ。
太い瞼を描き、楕円を描いて下部を直線に近い曲線とする。中央に黒点を取ってリアル目における瞳孔とした。その後はレイプ目のまま放置し、鼻と口を描いていく。ラフ絵では銃を描いていなかったが、紫姫を象徴するものといえば銃か魂石だ。被写体の特徴を描かないわけにもいかず、稔は拳銃を描き始める。
「これ、狙撃銃じゃ……」
頭を真っ白にして描いた銃は、紫姫が『白色の銃弾』で使用する拳銃とは全くもって違う。だが、もう既にデッサンという意味での似顔絵という体は成していなかったから、稔は紫髪が使用する銃と一切関係のない銃を描くことにした。
「絵師は永遠の厨二病だし、紫姫用の新しい銃を描いてしまうか」
稔はそう言って銃のラフ画に取り掛かった。ギターのように左右の手を使用しなければならない大きさで設定し、ネットで検索して出てきた色々な銃を融合する。そうして、他部よりも繊細なラフを描き挙げていく。そして僅か八分後、世界で一つだけの銃が完成した。
「さあ、下描きだ」
そう言い、稔は『レイヤー2』に変更する。




