3-73 Art Lesson-3
紫姫を教師に加え、二人体制で似顔絵の教育を行うこととなった。稔とラクトも絆は深いが、稔と紫姫は難戦で勝利を収めた戦友。『黒白』と自分たちを呼称していることもあり、無難な組み合わせと言っても良かった。とはいえ、やはり気になるのが彼女の反応だ。恐る恐る稔はラクトのほうを見てみるが、赤髪はいつものように笑みを浮かばせている。
「気にしてないようだ」
赤髪のほうに向けられていた視線が、同じ髪の長さである紫髪のほうに向く。心を読める紫姫が情報をストレートに伝えたのだ。だが、これまでの戦いの中で騙された経験が何度か有った稔。正しく感情を読み取ることは一〇〇パーセント可能ではないことも頭に入れ、紫姫の言い分を全体的に受け入れつつも、ラクトに配慮する形で説明を進めた。
「取り終えたか。じゃ、次は『耳』だ。さっき取ったアタリの線を耳の一番下にして、耳を描いていく」
「耳を描く時も楕円形を描くと早く進むぞ」
結局、絵は円で出来ている。もっと言うなら、人の体は円形が基本と言ったところだ。取り敢えず円を描いておけば、はみ出さないように絵を描くことが出来る。n角形のnの部分を増やしていくことで円形に近づいていく話と同じように、形は全て円に通づるのだ。
「大きさはどれくらいですか?」
「それはセンスだな。横線から上に向かって、アタリ線を描いた時の比率で2か3くらいか?」
「難しいですね……。どうでしょう、これくらいですか?」
「そんなもんだな」
問うてきたのはサタンだ。彼女はテンション高めの絵師志望者と共同で盛り上げたりする一方、冷静さを持って真剣に話を聞いてくれていた。だからこそ質問が出たのであり、稔も茶化さず真面目に答える。「百聞は一見にしかず」という諺もあるくらいだ。サタンはその言葉を意識した訳ではなかったが、答えてもらった話を活かして描いて再度講師陣に聞いた。
その一方、ハイテンションガールが同じ頃に声を上げてくる。
「みのるん先生は描かなくていいんですか?」
「悪いな、この講座は料理番組じゃないんだ」
「つまり……自己満足?」
「あながち間違ってないかもな。でも、絵って所々オリジナリティーが入るもんだぞ? まあ、教える方面とは違うかもしれないけど……」
会話をしながら、全員が耳の部分を描き終えるのを待つ稔。また誰かから質問されるのではないかと思って待機するが、訂正したこともあって紫姫のほうが頼られていた。同性ということで話し易いというのも理由になっていたようだ。
「先輩、可哀想です。新参に仕事が吸い取られてしまって……」
「この罪源、なんてことを言いやがる」
「ラクトさん程ではないですが、私も皮肉ることくらい出来ますよ」
サタンは笑いながら言った。だが、そういう自覚なき笑みこそが恐怖を生むのである。ラクトの比ではない魔法を用いることが出来ることもあって、稔はサタンに実力行使された場合どうするか考えてしまった。だがすぐ全員が耳を描き終わったと聞いて、稔は我を取り戻して本題へ戻る。
「耳を描いたら、次は鼻と口だ。これはセットで覚えたほうが早い」
ほうれい線とか鼻の穴とか、マンガであれば描くことのない場所。しかし、似顔絵となるとそういう場所も描かざるを得ない。けれど、コツさえ覚えればどうということはない。だが、描けない人と描ける人の差が大きく出てしまうパーツであるのは事実だ。そのため、紫姫から一つ提案が出る。
「稔。鼻と口を後回しにして、目から描くべきだと思わないのか?」
「でも似顔絵だしな……。マンガとかのイラストだったら鼻は線を引けば済むから目から入ってもいいんだけど、いくらアタリ取ったからって似顔絵じゃなあ」
アニメキャラとかは基本的に目を大きく描く。大きすぎると拒絶反応を起こしかねないが、適度に大きくすると可愛く見えるためだ。だがこれは、メタな話でブーメランな話でもある。稔がいくら忠実に似顔絵の描き方を伝授しようが、ハイテンションガールにしてもサタンにしても、受講者の目は少し大きい。
「……前言撤回だ」
その環境にあったことを教えるのもまた教育であると思い、稔は本来の意味の似顔絵から逸脱した方面に進むことを決めた。化け物レベルに目が大きい訳ではなかったが、通常の描き方よりはアニメキャラを描くときの描き方の方が描きやすいと思って、抵抗があった一方で彼は実行に移した。
「……現実離れした顔にしない程度に、似顔絵を描く」
所詮はラノベのキャラだ。現実に存在する人の目の大きさとは異なっている。そんな彼女らの目をそのままに描くことが、果たして『似顔絵を描くこと』なのか。稔の脳内には、事項を決定してもなお疑問が残った。けれど、描かせなくても教えることは出来る。稔はそれを踏まえ、説明を再開した。
「俺の居た世界で似顔絵と言えば、目や鼻、口はこんな感じに描かれる」
授業を引っ張っていくのは自分である。同じ教師役を務めている紫姫だって、稔が言う『現実世界』のことなんか知らない。知っていたとしても聞いたことだけだ。その世界に足を踏み込んだことが無いのだから、仕方が有るまい。だからこそ、そこで活躍できるのは一人しか居なかった。
「即興で描いたから雑と言われるかもしれないけど、俺の住んでいた世界で似顔絵と言えばこれが普通だ。鼻は三角形を模していて、口と目は楕円形に近い。目の中には円――眼球が入っているが、そこまで大きく描かれはしない」
素早く描いたこともあって、稔は描き終えてから修正したくなる。だが、何も知らない人が見れば「リアルだ……」と思えるような絵であるのは事実だ。だから、稔が生きてきた現実世界での似顔絵を教えることは出来たと言っていい。
「でも今回は、俺の生きてきた現実世界での似顔絵とは別の描き方で描いていくぞ。輪郭や耳は問題ないけど、顔面を構成するパーツが異なってるからな」
稔はそう言い、デッサンするような似顔絵というよりデフォルメに近い似顔絵を教えることを確認する。そもそもハイテンションガールが『絵師』と言った時点で考えておけば良かったのは言うまでもない。だが稔は、そういう過去の事は考えず教える者としてしっかりと教えていく心構えを行った。
「さて。さっき耳を描いたはずだけど、これは大まかな目の幅を示す。絵師によっては大きく描いたり小さく描いたりすることもあるけど、基本は耳の幅と目の幅はイコールだ。あと目は、無駄に配色が入ってる」
稔はメタな話を入れた。翻って受講生達は、自分たちの目に熱意がどれだけ注ぎ込まれているのかを再確認する。鏡が無かったことから対面に居る者の目を見ての確認となったが、それでも同じような作りであり、理解するのに時間は不必要だった。その一方、衝撃を呑み込むまでは多少の時間を要す。
「それじゃ、先に鼻だけ終わらしておく。目と口は連動するからな」
現実世界の似顔絵であれば、目を閉じて笑ったりしないから鼻と口をセットで描いても無問題だ。しかし、マドーロム世界では異なる。目を閉じて笑うことが出来る者が殆どであり、そうでなかったとしても、目が大きいせいで表情を変えるときには目と口を連動させる必要が必ず出てくる。
「……まあ、正面構図なら鼻は棒一本で十分なんだけどな」
稔は心内でそう言ったはずだったのだが、口に出してしまっていたようだ。流石、起きてから八時間近くという睡魔に襲われやすい時間帯だ。食後という呪縛からまだ解放されていなかったことも重なり、能力制御の一部が欠けてしまっていた。睡眠時間はそれなりに取ったと思っていた稔だが、考えてみれば移動中に寝たわけではない。彼はそういうことで睡眠の重要性を再確認した。
「か、描いたか。じゃ、目と口を描いていくぞ」
正面構図となると、王道は笑顔。そう考え、稔は笑顔の描き方を教えることにした。どちらかというとドヤ顔っぽくなるが、眉毛でどうにかしようと結論付けて説明することにする。
「まずは目だ。太い瞼を描くことから入るぞ」
ハイテンションガールから茶化された経験を踏まえ、稔は描きながら説明を行うことにした。まず最初、アニメキャラの命である目で眼球を目立たせている太い瞼を描く。上だけ太く描くか下にも太い線を描くかは絵師によって異なるが、場に居る受講生らの大半が上だけ太い線。似顔絵と謳っている以上は則ってするべきだと考え、稔は上瞼だけ太く描くことにした。
「紫姫。ちょっと被写体を頼みたい」
「了解だ。だが、時間を掛け過ぎるのは止めてもらいたいな」
「そんなの分かってる」
どうみてもフラグとしか思えない台詞を発した後、稔は特徴的な太い瞼を描き始めた。曲線を描いては曲線を描き、何重にも重ねて瞼の色の濃さを演出していた。また、色を塗らずに何本も横に線を描いていったことが影響し、瞼らしさもしっかりと見て取れる仕上がりになっている。
「片目だけでも三十秒は掛かるぞ、これ……」
稔は愚痴のようなものを零しながらも瞼を描いていく。紫姫は短時間で似顔絵を完成させてしまった訳だが、考えてみれば常人の為せる業ではない。稔は紫姫が偉業を成し遂げたのではないかと思いながら、自分の似顔絵を描いていた時の紫姫と照らしあわせて考えてみる。
「取り敢えず、影なしでこんなもんかね」
色々と考えて紫姫が間違いなく絵の分野では尊敬できる人物だという考えに至った頃、稔はようやく描いていた瞼を完成させた。だが、それだけではない。稔は話を円滑に進めようと少し先の段階まで手を伸ばしており、影無しながらもフラットな色遣いで大体の部分を描き終えていた。
「みのるん先生、上手ですね」
「ありがとう。コツを紹介すると、鼻から均等間隔の場所に目を設置することかな。そしてこの時、目の横幅と同じくらい離せればベストだと思う」
「なるほど」
アニメで使われるような目の描き方を抽象的に教えると、稔は最終段階の口に移った。髪の描き方も教えるべきだとは思ったのだが、それに関しては「デッサンしろ」としか言い様がない。強いて言うなら、アタリの縦線のどこかに前髪の一番下の点を置いておくくらいだ。
「では最後、口だ。似顔絵なら、ここで表情をコントロールする。今回は、笑顔を描くことにする。もっとも、この世界で笑顔って言ったら線一本描くだけで良いみたいだけどな。だが、口はなんだかんだセンスが問われるから難しいぞ」
白い歯を見せるような笑顔もあったが、稔の描いた絵では両目がぱっちりと開いていた。そのため、その考えは即座に破棄される。曲線で線を一本ないし短長のある曲線を二本描くという事で最終決定し、稔はそれを軸に話を進めていく。
「口にも描き方は結構あるんだが、今回は一番簡単な曲線一本にしようと思う。そういえばさっき、紫姫が俺の似顔絵を描いた時は二本線を使ってたよな?」
「そうだが。……けれど、なぜそのように不必要な部分は覚えているんだ?」
「そりゃ自分の似顔絵だしな。出来栄えが良ければ脳裏に焼き付けられるだろ」
「なるほど。考えてみれば、成立しないような話でもないな」
下手か上手か、どちらか極端に走ったイラストは記憶に残りやすい。たとえ一回見ただけでも差は歴然としている。一方、中途半端で在りがちな絵となってくると、記憶から抹消されてしまうのも時間の問題だ。見れる絵を描いただけでも評価されることはあるだろうが、けれども、差異化を図らなければ記憶に残りづらくなるのである。
「では、参考程度に我の似顔絵を見ておけ……という話で良いか?」
「ああ。俺の説明との照合を計るためにも良策だと思うしな」
そう言っている裏で、稔は口を描き終えていた。髪の毛に手を入れていないから誰かは分かるまい。けれども注視してみてみると、稔が描いた人物が彼の彼女に告示していることが理解できた。輪郭や目、口に至るまでそっくりだ。そんなことをサタンが指摘するが、稔には思いもよらない話で動揺を隠し切れない。
「紫姫さんに似顔絵を描かせておいて、先輩は彼女の似顔絵を描くんですか」
「俺は適当に描いてきたんだけど――似てるか?」
「はい。少なくとも、私は先輩に難癖を付けている訳ではないです」
「皆はどう思う?」
稔はそう言って受講生ら全員に問うた。だがバリスタの娘を除けば、彼女らが積極的に言葉を発する訳ではないということは経験からして理解できる。話してもらうように働きかけるより挙手してもらったほうが彼女らの負担が少ないと思って、稔は咳払いして前言を撤回した。
「ラクトに似てると思う人」
「――紫姫さん以外全員手を挙げていますね」
「嘘だろ……」
稔は挙手してもらった結果に唖然とした。圧倒的に自分が不利だと確信せざるを得ない。全員一致にならなかったのが不幸中の幸いと言ったところだろうが、多数決を取ることによって話を進めようとした以上、たとえ自分に悪い結果であろうと逆らうべきではない。
「では話を戻す。俺が意識せずに描いていった絵がラクトに見えるって事は把握したが、これ以上そんな話をしても脱線し続けて、日が暮れるまで終わらない」
「異議なしです」
「……話題を振ったのはお前だろ、サタン」
「後輩が犯した悪行の責任は先輩が取るものですよ?」
「善心を持つ先輩の寛大な心を踏み躙る行為はやめておけ」
稔はそう言ってサタンを注意する。だが、精霊罪源は上品に笑みを浮かべるだけで反省の色を見せることはない。でも、そんなことに懲りていては本末転倒。自分から「脱線しないように」と言っておきながら、ブーメランである。
「今描いた描き方が線を一本しか使わない描き方だ。曲線を描いて終了のな」
「我が先程描いたのが、線を二本使う描き方だ。先に一本線を引いた後で一部を消して消して間を開けるのも良いし、最初から二本線で描くのもまた一手だな」
「強いて言えば、リアルさを出すなら一線、マンガチックなら二線ってとこか」
少し主観が入るが、稔の話した内容は間違っていることではない。ドヤ顔のような笑顔を描くとき、曲線は二本であることが多い。また、目が半円のような曲線となった場合は口が開くから、その場合の笑顔とはまた話が別である。
「髪の毛に関しては――特に教えることはないかな。どうしてもと言わなきゃならないとなれば、前髪の最下点を決めておくくらいか」
「基本は作者の力量ということですか?」
「簡単にいえばそうなる。目と同じくらい凝ってる場所だからな、髪は」
もっともそれは、作品内のキャラ全員の顔が一緒だと言われる場合の理由だ。良くも悪くも髪の毛に頼っている部分が多い以上、仕方が無いとも言えるが。
「まあ、なんだ。聞くより手を動かす方が重要だし、描いてみろ」
「無計画ですね」
「自主性を重んじてるだけだ、バカ」
サタンとそんな会話を交わしていた一方、「描いてみろ」という稔の言葉を合図に続々とシャーペンを持つ音が聞こえる。だが、五秒くらい経過して誰を描くのか指示を出していなかったことに気が付き、彼はすかさず補足を入れた。
「今回の似顔絵は、自分の向いに居る人物の顔だ。首を描くかは否かは好きにしろ」




