3-72 Art Lesson-2
「それでは、今言った『輪郭』を取る作業から始めよう。さあ、ペンを持て」
稔はそう言って受講生らにペンを持つよう指示を出した。詳しく言うならシャーペンだが、別に語弊が有るわけでもない。ペンだって絵を描くことは出来るし、かいた線を消すことも出来る。だが、消しゴムで消すか、それとも修正テープや修正ペンで消すかはマチマチである。
「次に、描きやすい姿勢になって紙を置いてくれ。出来れば自分の身体と垂直の位置に紙を置くのが好ましいけど、斜めにしたほうが描きやすい人も現に居る。まあ、そういうのは好きにしていい」
そう言うと、稔も実践するために机に座った。だが、座った対面には誰も居ない。もっとも、教師の座る席は生徒の座る席と別の場所であることが主ではある。黒板がないことの辛さを噛み締めながらも、この不遇を跳ね返すことが出来たら教育者として立派だと思って彼は屈せず授業を続けた。
「じゃあまず、紙の中央のちょっと上辺りに点を一つ取ってみてくれ」
指示を出す稔。生徒たちは講師の話を疑わず、おのおの紙の中央部より少し上のところに点を取っていった。濃さの指定を行っていなかったことに気が付いて稔は焦ってしまうが、参加者の筆圧はそれほどでもないことが分かって一安心する。溜め込んだ息をゆっくりと吐き出し、講師は次なる指示を出した。
「その点を中心に円を描いてみて欲しい。コンパスとかを作る必要は無い。あくまでもフリーハンドで結構だ。濃く描かなければ何度も円を描いていいぞ」
稔の指示を聞いて、ペンのみで円を書いていく受講生ら。紙の中に円が一つ浮かんだ訳だが、誰一人として輪郭を描いているとは気がついていない。無論、「これ何か意味有るの?」という声も受講生の中からちらほら聞こえてきている。でも、面白い授業にするためを思って種明かしはしない。
「次に、さっき取った点から下にペンを垂直に下ろす。そうすると円と交わるだろ? そこを点として、それを中心にもう一回円を描いてみてくれ。さっきよりも小さいほうが良いかな。まあ、同じくらいでもいいけど」
円と半円をそれぞれ一つ。二つ円を描いてそれらを繋げ、一つの楕円を作ることで顔のパーツを入れていく時の基軸となる『アタリ』を取る時に必要となる輪郭の大まかな部分が出来上がる。萌え絵とは目の大きさが異なるから、それなりにパーツの配置も異なるわけだが。
「そして、この二つの円を繋げる」
そう言って輪郭を描く際の最終段階の説明へと入る。説明文だけでは足りないと感じ、稔は自分で描いた輪郭部の絵を受講者たちに見せた。二つの円を繋げて楕円形とし、既にアタリを入れられる状態になったものを頭の少し上に掲げた。
「完成するとこんな感じなんだが――」
「あまりに展開が早いと、どこぞの三分料理番組に聞こえてくるのは私だけ?」
「お前は音楽やってろよ!」
またもラクトから野次が飛んできた。稔は先程と同じようにツッコミを入れる。ヘルが学ぼうという姿勢を見せているのだから、ラクトがそのような巫山戯た行動を取れば真面目な態度をしている彼女に失礼なのは言うまでもない。音楽に関して疎いのが玉に瑕だったが、それでも言っていることに間違いは無いと思っていた稔は台詞の撤回など考えなかった。
だが、ラクトの言い分も間違いではない。尺の都合上、料理番組では作っておいた物を途中から投入してくるケースがしょっちゅう有る。稔のやっていることがそういう風に捉えられてもおかしくないのは事実だった。赤髪は誇らしげに胸を張ったりしない。けれどラクトは、そんなことを一時言いたそうにしていた。でも結局、くるりと後ろを向いてヘルをしごくことを再開する。
同じころ、稔の目の前に置かれていた二つのテーブルでは女達が騒ぎ出していた。稔が教えた方法で輪郭が浮かび上がり、自分に絵の才能が有るのではないかと思った者が居たのである。たかが、「だるまさんがころんだ」でいう『最初の一歩』のような話で盛り上がられても、稔は頭を抱えるしか無かった。
というよりか。そもそも大声を上げているのは一人だけだった。嬉しくなって声を上げた者も多数だったが、そんな彼女らが集団になっても右に出ることが出来ない巨大な壁となる女が居たのである。もっとも、流石の稔も察しを付けることが出来るくらい単純な話だったが。
「またおまえか」
「叫声を上げた覚えはないんですが――」
「……大声を上げたことは認めるんだな?」
「いっ、嫌だな、大声なんて上げてなんか無いですよ? ハ、ハハハ……」
明らかに弱腰になっているハイテンションガール。それでも高いテンションを維持し続けているところは流石と言いたかったが、もっとも敬語を使うことも出来る彼女。稔は素直に謝ることも出来るのではないかとの考えに及ぶ。しかし、彼女はプライドが高いらしい。悲しいことに、謝罪を得ることは出来なかった。
「ふーん。まあいいや、授業を続ける」
だが、場を持っている講師役はハイテンションガールへ更に要求を行うことはなかった。軽い男という雰囲気を匂わせるが、稔の内心で「これ以上話を逸らすべきではない」という考えが強まった結果である。「無駄な謝罪は不要だ」と現在ヘルに絶賛指導中の音楽講師が言っていたのも記憶に新しい。
「輪郭部を描き終えたら、次は『アタリ』と呼ばれる線を入れていく。アナログ絵の場合は薄く描いたほうが跡で色塗りする時に綺麗に見えるが、白黒なら無問題だ。これもまた、やり過ぎない程度なら好きな筆圧で大丈夫だ」
筆圧の話を混ぜて話をすると、稔はラクトに茶化されたことに懲りず料理番組じみた行為を再度行った。真正面から見た顔も描きやすいだろうが、将来的には左右どちらかから見ている顔を描いたほうが良い。利き手側の顔であれば描きやすさも申し分ないから、その方向でアタリを取ることにする稔。
「じゃ、アタリの取り方に関して説明するぞ」
アタリと言うのは簡単だ。だが美術分野に興味のない人からしたら、「当選したの?」などと言われるのは目に見えている。稔は似顔絵を描く時のコツというよりかは、似顔絵を描いたとき上手に見える方法の一つを説明しているに過ぎない。それゆえ、あまり細々とした部分に時間を割いたりしてはいなかった。
「アタリっていうのは、目や鼻、口、髪の毛、影の配置も含め、似顔絵を描く時の基礎となる線のことを指す。例えば真正面から顔を見た時のアタリを取るとすれば――こんな感じだな」
立体的に見せるためには斜めから見たほうが一番良いのだが、どちらかに比重が傾いているアタリを描かせるのは意外と難しいことだ。そこから下書きに入ることも考慮すれば、初心者が「私にも出来そう」と思えるのは自ずと限られてくる。教育とは、教育者ができることを押し付けるものではないのだ。
例えるなら、ライトノベルだ。ライトノベルの文章は簡単に書かれていると俗に言われるが、いざ書いてみると書けなくなる人がわんさか居る。文章力だの、こんなの俺にも書けるだの、傲慢さしか無い言い分を言い放つ人に限って起こりやすい現象でもあるが、そういうトリックにハマると興味を失せることが結構ある。変なところで配慮を入れ、稔はアタリに関して説明を続行した。
「アタリ線は基本的に膨らみを持たせる感じで描く。理由は分かるか?」
「顔に肉が有るから……ですか?」
「正解だ。でも、別に垂直線が悪いって言ってるわけじゃない。垂直な線を描いたほうが適当ってことも有るしな。結局、作者のセンスってことろかな」
正面から見た顔で鼻がどちらかに傾いているのは、「なんだこの絵は?」と異常扱いされてもおかしくない。だが、左右どちらかの頬を大きく描くとなった時に鼻が直線として描かれていたら――それは異常である。もっとも、「画伯」と揶揄されるような特異的、悪い意味で天才的な絵を描くなら話は別だが。
「どういう構図で取るかは、その時々に応じて変えてもらいたい。だが今は、基礎を学ぶという意味で統一させてくれ。……いいか?」
「問題無いです!」
ハイテンションガールのみが一声を上げるが、他の受講生らも首を上下に振っていた。稔はそんな光景を見て、「本当に好きで出てきたんだろうか?」と疑問を持ってしまう。だが、彼女らが顔を渋らせて絵を描こうと魔法陣や魂石から出てきたという話は聞いていない。
ズバズバ言う召使ではないところで疑惑の払拭が難しくなったが、もしもそういう話を訴えるとすれば、雑用係の紫姫くらいだろうという結論に落ち着き、稔は引き続いてアタリの描き方の説明を再開する。
「じゃ、今回は真正面からアタリを取ってみる。それじゃ最初に、さっき取った点を通る直線を描いてみてくれ。正面からだから、筋肉の質感は横線で補う」
既にアタリ線が記されていた稔用のスケッチブック。だが彼は、その紙に記された線を再度なぞった。あまり濃く描くと訂正が面倒くさいと言っていたから、有限実行と言わんばかりに、稔は最初描いた時よりも何段階も薄く線をなぞる。
「描いたか? それじゃ、横線に移る。輪郭の上部は髪の毛になるから、上6下4くらいの比率になるように、丸みを帯びた線を描く。あまり丸みを帯びさせすぎると上向きになるから、少し丸みを帯びたくらいが良いかな」
正面からの構図であれば、垂直にアタリを取るのが基本である。しかし、多少上向きに線をとっておくことで頬の質感を表現しやすくなる。頬の膨らみがどの場所から始まるのか一目瞭然になるからだ。上級者になると、目の下がどの辺りになるかも把握することが出来る。
とはいえ、そういう主観は程々にした方が良いのは確かである。絵が出来上がった訳ではなかった紫姫だが、離れた席から稔の説明に対して異論を投げた。文句ばかりを付けてくる訳ではないことから、紫髪は絵を描いているうちに受講生らに教えたい気になったようだ。
「待て。正面構図のアタリは垂直な二線が基本だろう?」
「そうだけど……」
「確かに嘘を言っている訳でないのは認める。だが稔よ、誤認を招く言い方は止めた方がいい。受講生らを洗脳することがあっては溜まってものでない」
「そうだな」
紫姫の言い分は間違っていない。教師は生徒を洗脳するために居る訳ではないのだ。あくまでも事実を話して次世代の若者を作っていくのが教師の役目であって、自分自身の主張だけを生徒に話すのは言語道断である。もっともデジダルデバイスが発達した今、生徒らが自分で情報を得ることは容易になっている。ゆえに、「洗脳しづらい」と言えなくもない。
そんななかで稔は、「後から説明するつもりだった」とか言う台詞を発さずに紫姫から言われたことを噛み締めて受講生らに訂正を行った。だが、『自己流』と区切れば嘘でも無い。あくまでも稔は、謝罪ではなく訂正を行うに留めた。
「質感に重点を置くのが俺の主義でな。自己流と基準を照らし合わさないで説明をしてしまった。俺が説明した方法でも出来なくはないが、基本は垂直線を二つ描いてアタリとするってことを付加しておく」
しかし直後、稔の反撃と言わんばかりの言葉が紫姫を襲う。彼にそういう考えは一切無かったのだが、端から見ればそういう風に取られても仕方が無い。
「てか。紫姫、もしかして遠回しに『教師役やりたい』って言ってる?」
「そっ、そんな理由は我の言動に含まれていないぞ?」
「そうか? 俺は、知識が有るなら教師陣として参加して欲しいんだけどな」
紫姫は稔と同じように教師役をやりたかった。しかし、貸し借りという話が消える可能性を考えて葛藤する。だが最後、紫姫は教師陣の一員となる方向で決着を付けた。稔に言われて参加したような感じになった感じは否めないが。
「わ、我も参加して良いのなら……参加させてもらいたい」
「そうしてくれ。それじゃ手始めに、お前の絵を」
「影を着ける前なのだが――」
「教育中なのに教師が他の物事に対して夢中になっちゃうとか有り得ないぞ」
「う……」
もっともな批判を浴びる紫姫。先程言った意見が正論だっただけに、受講生の中からは「正論返し」なる言葉も飛び出していた。本意ではなかったが、紫姫は恥をかきたくなかった為にまだ未完成の絵を見せることにする。
「評価が悪いのは目に見えているが、どうだ?」
「紫姫、お前って奴は――」
デフォルメされていたが、紫姫は稔にしか見えない似顔絵を紙に記していた。本人の言う通り、まだ影は着けられていない。しかし、あまりの出来栄えに教師も受講生も息を呑んで口を閉ざしてしまった。
「じゃ、紫姫も先生な。早くこっちに来い」
「わっ、分かった!」




