3-67 喫茶店スターバック
いざ喫茶店の前に立ってみると、仄かに珈琲の香りがした。外観は透明なガラス張りになっていて、バリスタらしき人物がコーヒーを淹れている。建物は二階建て。下から見上げるだけでは展望デッキがあるようには見えなかったが、晴れていれば使用可能な場所もあるようだ。
「私を凌ぐほどの巨乳とは、これいかに」
「胸の下に青紐があったら面白そうなんだけどな……」
ツインテという訳ではないが、髪の毛が黒色で服が白色ベースだったので『例の紐』という語句を思い浮かべてしまった稔。ロリ体型という訳ではなかったが、似合いそうだったので堪え切れず発してしまう。一方で稔が隣に従えていた彼女は乗り気で、提案を聞くと青色の紐を早速用意してくれた。
「これでいい?」
「俺に交渉しろって言いたいのかもしれないけど、別にそういう訳じゃないから」
「パーカーの上でやるのは馬鹿みたいだし、取りあえず戻すしか無いか」
「そうしてほしいな。別に俺、コスプレを強要する変態って訳じゃないからさ」
稔がそう言って自分のことを否定するが、コスプレなんてものは赤髪の特別魔法を使用すれば幾らでも出来る訳で、その魔法の使用者であるラクトの情熱を燃やしてしまった。表面上で彼女は笑いを浮かべていたが、内面では謎の対抗心が生まれていたのである。もっとも、稔との関係を壊したい気持ちは微塵もない。屈服させようという気もない。なぜか、謎の対抗心が生まれたのだ。
「まあ、ご希望なら後でするけど」
「しなくていいよ。気持ちだけ受け取っておく。なにせ、お前の髪の毛じゃツインテ出来ないし」
「確かに」
カツラを買うという選択肢が無いわけではない。けれど、「無駄金を使うべきではない」というのは二人とも共通の認識だった。というよりか、カツラなんてものは作り出せばいいわけで購入する必要が無い。また、遠回しに「お前らしく」と稔が言っていると内心を読んで理解すると、ラクトは流れの上で生まれた全てを白紙に戻す。無論、なぜか生まれた対抗心もその時にはもう消えていた。
「てか、バリスタで会話弾むとか異常だと思うんだけど」
「それで立ち往生するのも異常だな。……入るか、店に迷惑ってこともあるし」
稔が言うとラクトが無言で頷く。もう強引に引っ張る必要もなかったから、腕を掴むのを止めて手を繋ぐ。要するに元通りにしたというわけだ。バカップルぶりを見せつけることが店員に迷惑であることも知らず、稔とラクトは浮かれた気持ちで店へと入る。同時、入店音らしき音が鳴った。看板がス○ーバックスに近いかと思えば、入店音はまるでファミ○ーマートで聞けるそれのようだ。
ファミファミファミーマ、ファミファミマ。ゲシュタルト崩壊を起こしそうな文章列であるが、稔の耳に聞こえたのは例えるならそれだった。音程も等しく、もはや比喩のレベルではない。だが稔は、店員がそれを知るわけもないと思って口に出さなかった。ラクトは内心を読んで理解するという通例を踏む。それと同じ頃に店員が言う。
「いらっしゃいませ。どうぞ、お好きな席にお座り下さい」
見慣れた光景だ。お客様という神様が入店してきたことへの感謝の気持ちを表している。また、「頑張ろう」と自分を激励する意味も含まれている。しかしもう一つ、店員が思った気持ちがあった。それはカップルの来店に向けられた怒りだ。不遇な自分を恵んで欲しいという感情が生んだ怒りである。もちろん、感情を表に出さないのが店員のご法度だ。故に、バリスタが入店してきた二人に見せた顔は笑顔だった。
「ここにするか」
バリスタの説明を聞いて稔が座ったのはカウンター席だ。ラクトも静かに頷いて稔の隣席に座る。女性の客はカウンター席に座ることが多いと思っていた店員だったが、カウンター席に座る客がゼロという意味ではないから変に干渉したりもしない。そんな中、笑顔の裏に隠された怒りの度合いは更に増していた。そこに座られてはイチャコラシーンを目の前で見せてつけられてしまうからだ。
「(この客……)」
店員がイライラしている事などつゆ知らず、稔とラクトはカウンター席で注文する品を相談し始める。メニューの一覧表がどこかに掲示されている訳ではなかったから、注文するためには近くにあったメニューの書かれた冊子を見る必要があった。だが、席を開けず座った二人は自然と顔を近づかせている。
「(リアル満喫してんな、こいつら)」
バリスタの裏にある怖さは深い。もう戻れないところまで来てしまった。リア充はイコール悪であると思っていた彼女は、それまで浮かばせていた笑顔をどんどん真顔に近づかせていく。証明写真で使われるような表情の無い顔だ。
「どれ頼む?」
「俺はブラックでいいかな」
「さすが厨二病だ。じゃあ、私はカフェオレ頼もうかな」
「子供ぶっても無駄だぞ」
稔とラクトは互いに相手の悪口を言って歯を食いしばる。「ぐぬぬ」と内心で言っており、「この……」と拳で語りあう寸前の姿勢だ。同時、そんな二人を見ていたバリスタが「こいつらに淹れるの止めようかな」という思いを強める。しかし、どう抵抗しようが客様は神様。そのような対応をしては損益でしかない。
けれど、イチャコラしている二人に対して「やめろ」という権限が店員に無いわけでもない。理由が「営業妨害」であれば、客様に対して言っても問題ないと考えたのである。話す言葉には配慮をして、バリスタは言う。
「申し訳ございません。夫婦喧嘩は止めて頂けないでしょうか」
「夫婦喧嘩じゃ無いんだがな……ハハ」
「残念ですが、端から見ればそう見えてしまうと思いますよ」
稔は業務を妨害していると指摘を受けたのだと察しを付けると、クレーマーじみた反論をすることなく「そうですか」と言って頷く。同じようにラクトも察しを付けた。それに続き、黒髪男は喫茶店に入った理由を思い返す。双方を批判した二人だったが、注文する品が決まっていないわけではなかったから、既に決まっていた頼む商品名を述べる。
「では、ブラックコーヒーとカフェオレをそれぞれ一つ」
「かしこまりました。『ブラック』一つと『オ・レ』一つですね」
確認のために店員が復唱すると、稔は「はい」と言って頷いた。それによって注文が確定し、バリスタは背後にあった機械の方を向いて立つ。上に設置されていた棚から珈琲を淹れるためのコップを取り出すと、それを機械の近くに置く。
「その機械は何だ?」
「焙煎機です。高圧も低圧も対応可能な機械なので、味は保証しますよ」
置かれていた機械は焙煎機と呼ばれるものだ。形状はコンビニで珈琲を飲む時に使うものに酷似している。見てみれば、機械の下部には『圧力』のボタン。隣には『豆選択』なるボタンもあった。素人の目では珈琲豆なんて同じものだと思ってしまいがちだが、バリスタは豆の違いを認識できるのだ。
「手作業をご希望でしたか?」
「いいや。美味しければ俺もこいつも文句は言わないさ」
稔は冊子を閉じ、元あった場所に片付けながら言った。ラクトは料理が出来る女ではあったが、コーヒーに特別な思い入れがある訳でもないから特に言及することもない。というよりか、司令官という席を降りた直後だったために気を休めたいという気持ちのほうが強くて反論する気自体が無かった。
「しかしこの店、コーヒーのいい匂いが漂うな」
「珈琲の芳香剤を作ったんですよ。香りの根源を珈琲に変えるだけですけどね」
「自作か。それにしては凄い出来栄えだな。商品化しても良いくらいだろ」
「お褒めいただき有り難うございます」
イチャコラシーンを見せつけた前科持ち野郎から言われた褒め言葉だったが、バリスタは心の底から嬉しい気持ちになってしまった。後になって我に返り、自分が相手の思う壺にはまってしまったことを後悔する。裏を見せないような態度を彼女は見せていたが、その時だけ裏がバレるような態度を取ってしまった。
バリスタが僅か数秒だけ見せた素の姿。並大抵の人物であれば見逃すような一瞬だったが、気の利く召使が捉えた獲物を逃さなかった。だが赤髪は、得た情報を稔に伝えると無意味になってしまうと考えて伏せておく。それと同じ頃、再び敵意を持った店員によって焙煎機の中にコーヒーが淹れられた。
「先にブラックコーヒーです」
「ありがとう」
白色のコーヒーカップの中に淹れられ、焙煎されてすぐの珈琲が稔の手に渡った。機械近くには、クリーム色と白色の中間くらいの色のコーヒーカップがまだ残っている。黒色の液体が入っていることから、珈琲が淹れられていないという訳ではなさそうだ。
店員の行動に目をやっていると、バリスタが少し移動して銀色の容器を手に取った。稔は中に何が入っているのか気になって質問しようとするが、赤髪がそれを阻止する。バリスタの代わりに答えを言おうという魂胆だ。
「私が注文したのってカフェオレじゃん? つまりは……そういうことだよ」
「なるほど、ミルクが入っているのか」
バリスタはミルクピッチャーからカップ内へとミルクを注ぐ。黒色だった珈琲はミルクによって白色と混合し茶色と化していく。そんな中、店員がラクトに一つ提案をした。彼女はバリスタである以前にラテアート職人らしく、カフェオレでもその実力を惜しみなく発揮したいということでの提案だ。
「お客様、アートをご希望されますか?」
「可能なら、ぜひお願いします!」
「分かりました」
アート職人ではあるものの、彼女の内心にあった対抗心が引きつったこともあって描く物を選択させる余裕は無かった。とはいえ、キレた態度を見せることはない。ラテアート職人という肩書を穢す訳にもいかないから、彼女は再びミルクピッチャーを持って温厚さを見せる。だが、裏面は一八〇度反対だった。
「(このバカップルが。少しは恵まれない境遇に居る私に配慮しろっての)」
ミルクピッチャーでミルクを巧みに操り、バリスタは芸術作品を作り出すことに専念する。だが、その裏に自分自身が恵まれない境遇にあることへの苛立ちが隠されていることを忘れてはならない。
「お客様、注文の品になります」
十秒が経過した頃、職人と言わざるを得ない出来栄えのカフェオレアート作品がラクトに出された。茶色い液体の水面上に白色で描かれていたのはハートだ。カップルへの苛立ちを表現するのに最適だと判断したのである。
「お支払いは後払いになります。どうぞ、ごゆっくり」
そう言ってバリスタはカウンターの前から去る。二階にも客が居るための対応だ。それと同じ頃、稔とラクトは注文して出てきた珈琲を口に運んだ。口に含んだ直後、口内にそれぞれ特有の甘苦の味が広がる。含んだものを全て喉の奥へと運び進ませると、稔とラクトは同時に感想を言い放った。
「「美味しい」」
コーヒーカップを置かなかったこともあり、稔とラクトはまた口に運ぶ。だがその結果、すぐに飲み干してしまった。
私事ながら、26、27、28日の新話投稿は有りません。253話目(3-68)は29日の投稿と致します。ご了承下さい。




