3-51 化学と核の兵器の先に-Ⅳ
「成……功……」
「そ。無毒にしたってこと。さあ、私を褒めるんだなっ!」
胸の下に手を組み、ラクトはガスマスクの向こうにドヤ顔を覗かせる。その一方、赤髪が鼻息を吹くような姿勢で居ることに紫姫は頭を悩ましていた。なにせ、自分も手伝ったのは事実なのである。それをあたかも一人でやったかのような言い回しをされては、流石の紫姫も憤怒の心にスイッチが入る。
「褒めるのは構わないが、その自分一人だけで全てをやり通したような口調はやめてもらいたいな」
「主幹が褒められるのは普通じゃん?」
「何を言っている。我は作業用の『人員』であり、作業用の『機械』ではないんだぞ」
紫姫とラクトの間に論争が始まろうとする中、第三者視点で見ていた稔は深く嘆息を漏らした。唯一の信頼できる男性を見つけたエロイムは話の内容を理解し、目の前の背中を向けている人物が何故ため息をしたのか把握する。それでも彼女に内心を読むことは出来なかったから、完全アウェイのその場では成り行きに身を任すしか無かった。翻り、稔はそんなエロイムの心情を察して配下の二大巨塔にこう話した。
「ラクトの主張も紫姫の主張も理解できるし、俺は二人とも褒めるぞ」
「なにその、『いいとこ取りしよ』みたいな戦略」
「バカ、漁夫の利なんか狙ってねえよ。つかお前ら、論戦するとか裏を返せば仲いいってことじゃん」
「……は?」
ラクトは若年が言いそうな一語反論を述べる。彼女が「なんだこいつ」と口から出すのも時間の問題だ。一方、紫姫は冷静かつ大人な対応を行った。理論的に説明されると頭が痛くなることを主人の内心を読んで理解し、極力簡潔にまとめて述べるように心掛けて紫髪は話す。
「貴台から見れば仲が良いかもしれないが、女の友情とは薄くて厚いものでな」
「複雑ってか」
「要するにそういうことだ。加えて、我もラクトも内心を読むことに精通している」
「うわ……」
稔は謎の察しの良さを見せた。心の中を読むことができれば相手の思っていることは手に取るように分かる。つまり、論戦が始まったら収拾の付かない事態に陥る可能性があるわけだ。それに、稔は自身を取り合うなんて状況は初めての経験だったから対応なんてものは知らない。傷つけたら自分への信頼が無くなる気さえした。
でも、ここで自分が仲介役を買ってでなければ後々『正妻戦争』なるものが勃発する可能性がある。戦禍は甚大だと捉えた稔は勇気を持って一歩、足を踏み出してみることにした。謦咳を一つ入れてラクトと紫姫からの視線を自分のものにした後、彼は二人が立っている間の隙間へと向かう。でもそれは、避難誘導の際に教師が行うような生徒数の確認作業では無い。ラクトと紫姫の間で立ち止まると、稔はこう言った。
「……目、つぶれ」
自分に出来る対応は一つしか無いと決め込むと、稔は自分が置かれた立場を自分なりに理解した上で行動を取った。両隣の華――二人を、それぞれ自分のほうへと寄せたのである。たとえエルダレアが北に位置していようが、ガスマスクや厚い布越しで暑苦しいのは言うまでもない。そういう要素以外の要素も含んだ汗を額に少し見せて、稔は一人ずつ褒めていく。
「んじゃまず――」
言ってまず、稔は紫姫のほうを向いた。簡潔に話を返し、彼女の褒めてほしいという要望に応える。
「ありがとな、手伝ってくれて。ところで、ラクトの指示はどうだった?」
「早く化学の教師になってほしいと思った次第だ。彼女の指示なら実験も上手くいくだろう」
「つまり、ラクトの心が綺麗な可能性は残っている、と……」
「おいこら、人を悪く言う――」
「残念だが、そのツッコミはそのまま返させてもらうぞ?」
ラクトから受けた抗議に冷静な対処を行った後、稔は引き続き紫姫からラクトの作業進行に関して話をしてもらった。自らを労ってくれていると分かった紫髪は、心よく引き受けて主人へと話をする。一方の赤髪は「ぐぬぬ……」と自責し、反論できない苦しみに駆られていた。
「んじゃ最後な。ラクトに言っておきたいことは?」
「……すまん。ラクトというより貴台に言っておきたい」
「どうかし――」
稔が言い切る前に先走ると、紫姫は真剣な表情を浮かばせながら言った。主人が聞きたかった本当の内容と異なることは百も承知。けれど、主人が懸念を抱くであろう事柄に少し身を引く決意を固めたことを話して置かなければならないと考え、紫姫は思い切って言うことにした。
「魂石越しにラクトおいちゃラブしている姿を見てしまうと相当心が傷つくのだ。故に改善を要求する」
「どんな改善だ?」
「ラクトを早く嫁にしろ。その代わり、我は貴台の中で一番の戦友として欲しい」
「うんう――は? 後者は分かるとして、前者は流石に急ぎすぎじゃ……」
紫姫と強力な戦線が築けるのは既に理解していたから、稔としては今後控えているグリモワール戦でもタッグを組んで欲しいと申し出たいところだった。だが、後者は良いとして前者はそう簡単に納得できない。ある程度の道のり――段階は踏むべきだという考えが根底にあったのだ。
「では、そういうことだ。今後は『稔』と呼ぶと嫁にキレられると思うし、呼称を変えよう――」
「おいこら! こんな状況にして魂石に戻る気なのか?」
「うむ。では、戻らさせてもらおうか。……シュヴァート」
「おいてめ――」
思わず口調を乱してしまう稔。何を隠そう、紫姫が選択した『シュヴァート』という言葉は稔の脳内にあった厨二辞典の一角、ドイツ語単語帳から引っ張ってきた言葉だったからだ。一方、ラクトは失笑を隠せない。サリンという有毒物質を無毒物質にしてくれたのは紛れも無い事実だが、稔はそういう専門的な知識を持っているくせに調子に乗る態度が気に入らなかった。
「わ、笑うな!」
「厨二乙……ふっ、ごめん、笑い止まんな……ははっ」
他人の不幸で飯が美味いとか言わなきゃよかったと、稔は自らが行った現実世界での行動を悔やんだ。けれど、マド―ロムの世界線は言い換えればログアウト不能のデスゲーム世界線。よって、そう簡単に現実世界へと戻ることは出来ない。
「『シュヴァート』とか大草原不可避」
「人の心を読んでこれ以上傷を抉らないでくれ……」
額の中央に右手を当てると、稔は目を瞑って「やめてくれ……」とラクトにせがんだ。しかし、赤髪の猛攻は終わらない。稔が厨二病だということに確証が持てた以上攻撃は止むことを知らないのだ。ラクトが笑うだけでも傷が抉れてしまう状況では逆手に取る余裕なんてものは当然無く、稔は流れに身を任せて傷が治癒されるのを待つしかなかった。
「――終焉の剣――!」
「もうやめてくれ! 俺のライフはゼロなんだ!」
「はあああああっ!」
ラクトは稔が懸命に戦っていた時のことを茶化す。両手に剣を握って双剣とし、戦っていた数分前の彼氏の表情を忠実に再現するところに腰を入れていたから、ラクトのネタは無駄に完成度の高い仕上がりになっていた。随所で笑いをこぼして抉るのも忘れていないために質が悪い。だが同じ頃、稔は自分の取った行動と余りに似ていることで開き直ることが出来た。諦めが付いたのである。
「もう、それでいいよ。イジりたかったらイジってくれ」
「いやいや、流石にそういう態度されたら私もやんないよ」
「徹底的すぎなんだよ、お前」
「それが私だもん。諦めろ」
ラクトはそう言って破顔させた。この彼女に従えば徹底的に相手への攻撃をしてくれる。だが、逆らうとか弱みを握られるとかされると溜まったものではなくなってしまう。稔は過去の経験談を踏まえてラクトに虐められることを覚悟で諦めの言葉を言ったわけだが、結果的には双方とも諦めが付く形となった。
「まあ、なんだ。嫁とか言ってたけど、俺はまだ時頃じゃないと思う」
「そうだね。とかいって、私の資産は相当なわけですが」
「そうだったな。でもあれ、偽の金だろ?」
稔がそう言うが、一方のラクトは首を左右に振った。それと同時、主人は赤色の髪の毛の中に見えた悲しげな彼女の表情を見てしまう。基本的に相手の心情を窺うのが稔だ。それゆえ、地雷を踏んでしまった感じが否めずに慰めに入ろうとする。だが、そんな稔の助けをラクトが拒んだ。
「大丈夫。地雷じゃないし、いつかは話さなきゃ駄目な時が来ると思ってたし」
「そうか。だとしたら、どんな内容だ?」
ラクトは目線を上に向ける。空は透き通っていて雲ひとつ無く、未だに黒い雲なんてものは形成されていない。それにより、エロイムも被曝の被害を訴えていないこともあって、先程から続いている「実際は原爆投下していないんじゃないか」という説が支持される要素が次々と乱立していた。
そんなふうな明るい話の一方、ラクトは少しだけ暗い話を混ぜる。自身で悲しげな表情を浮かべているくせに「地雷じゃない」と主張しているから、話を聞いていないうちは「矛盾しているじゃないか」と稔は思った。だが、聞いていくうちに、少し悲しい話でも特に心理的な苦痛に関する話ではないことが分かる。
「嫁になる話に関しては母も姉も了承済みなわけだけどさ、ほら、父が」
「そういや、亡くなってるんだよな……」
「別に貧乏な家庭でもなくて、普通の中流と下流の中間くらいの家庭だったんだけどね。父も母も仲が良くてさ。だから母姉が強姦された時に犯人を探したわけだけど、自分がヴァンパイアだったからね。血が吸えなくなって――」
ラクトが父親に関して話を進める中、稔がふと疑問を抱いた。あからさまな行動はせずに端から見ると割りこむような形で、しかし自然に見えるように質問を行う。真剣そうな顔を浮かばせていないのは、あまり力が入っていない証拠だ。
「そういやお前、血とか吸わないよな?」
「どっちかっていうと母親似なんだよね。だから、あんまり影響が少なかった」
「で、代わりに清楚さのないビッチが誕生したと」
「ビッチ言うな。でも、そっちの欲求が強くなったのは事実な気がする」
「とか言いつつ、俺には敵わないんだろ?」
「あれほど戦闘に顔出して十回とか、ホントあの童貞どうかしてたよね」
昨夜の話について話を進めていく稔とラクト。砂浜を見ながら晴天下で話を進めていた。しかし、ふと互いに気配を感じて振り返ってみると人影の存在。言うまでもなくエロイムなのだが、見事に二人は話に気を取られて忘れてしまっていた。猛省する必要は無いにしても、他人に知られていいような話ではなかったので弱みを握られてしまった赤髪が交渉に入る。
「今の嘘じゃないけど、とりあえず忘れて!」
「金銭、過去の話に関しては忘れるべきと思うが、夜の話は必要なのか?」
「確かに話はしたけど、あれは口が滑ったようなもんで……」
「言い逃れは出来ないぞ、ラクト。あれだけ楽しげに話していたというのに」
「おいおい、『楽しげ』ってのは新事実だな?」
エロイムがラクトを追い詰めに入る。加えて楽しく会話をやっていた稔が、その途中で知ってしまった新たな情報を聞き漏らすまい。助けを求めようにも求められず、ラクトは二対一という圧倒的不利な状況になってしまった。それこそ、稔にしてみれば他人の弱点を散々バカにされたのだから、説明してほしいという気持ちが大きくなるのも頷ける。
「た、楽しげに話した事実なんか無いし! デタラメ言うな!」
「このように容疑者は謎の供述をしており――」
「謎じゃないから! 真実だから!」
ラクトが説明を行うものの、根拠となる事柄を提示できずに島に着いてから二度目の「ぐぬぬ」という表情を浮かべた。だが、エロイムも証拠は提示出来ないままなのも事実である。よって、稔はエロイムを信じきることも出来なかった。
そうやって話は流れ、ラクトとエロイムの双方が根拠となる事柄を提示出来ず終いで、稔は最終的に関係の深いほうの意見を信じることにした。つまり、赤髪が主張した事柄の方を支持したのである。だがそれと同じく、エロイムが言う。
「騙されなかったとはな。意外だ」
「騙してたのかよ! 全く。良かったぜ、ハニトラ掛けられなくて……」
「その言葉、『嫌よ嫌よも好きのうち』理論で捉えられるよね」
「つまり夜城は、私にハニトラを掛けてみろと挑発をしているということか」
「してないから。そんなことより、早くこの機体回収して戻んなきゃ駄目だろ」
稔が現実に目を向けてそう言うと、ラクトやエロイムから湧いてきたのは「なんでよ」とか「なぜだ」とか、稔の方針を否定するような事柄ばかりだ。本心としては一々説明するのは面倒くさいと思っていた稔だが、エロイムが自分の内心を読めないことを理解して説明を行うことにした。
「エロイム。お前の上司を叩きに行くぞ」
「叩く?」
「そうだ。悪名高い臨時政府を上回るような悪行をした以上は訴えに行かないと駄目だって思ってな。ところで、エロイムはどういう風に捉えてるんだ?」
「そこまで悪人といった感じは見受けられなかった。それと、警察が正式に機能していない今のエルダレアで敵方の行った悪行を把握するのは難しいだろう」
ラクトからある程度の話は聞いていたようで、エロイムは洗脳が解けた後に自分が置かれている状況を理解したようだ。その後の考えにラクトの影響が強く反映されたのなら、それが新たな洗脳に繋がらないことを祈るばかりだったが。
その一方、情報を収集するために必要な手順はある程度決まっている。他人の思想に口を出すより共同で事柄を実行する方が有意義との考えから、稔はエロイムとラクトを連れて図書館などで資料を探そうと考えた。そんなことを口に出して質問すると、彼の考えを呑んだ精霊が魂石越しに話してきた。
「図書館とかは――」
「稔さん。情勢的には臨時政府庁舎を使用するべきだと思いますよ」
「サタンか。お前どこに行ったってか、何処に居るんだ?」
「臨時政府庁舎です。アニタさんとベルゼブブさんは第三会議室の方に移動させて置きました。それで本題ですが、サディスティーアの部屋に資料があるわけですよ。私としては、これらの資料を活用できないものかと思うんですが――」
サタンは稔が話を弾むように進ませないのとは対照的に、自分から話を進めていく。臨時政府庁舎内の何室に居るかまでは言わなかったものの、おおよその場所が掴めたので稔は不問とした。そして丁度その頃、魂石越しにアニタの声が聞こえてくる。
「稔さんですか。とりあえず、同盟だけ結んでおくことを告知しておきますね」
「そうか。ところで、そっちの指揮権はどっちが持つつもりなんだ?」
「私が持つつもりですよ、エンデ先輩」
「紫姫と同じように俺を嘲弄する気か? まともな精霊は居ないのか?」
シュヴァートという格好良いようで厨二病さが滲み出て聞こえる単語を戦友の精霊に捨て台詞とされた挙句、真面目かつ冷静で最凶のイメージが名高い精霊にまで馬鹿にされたとしたら、もはや主人としての尊厳は危ういを通り越していると言っていい。ただ、そういう状況にはならなかった。
「嫌ですね。先輩、私はまともですよ? その証拠に、資料も探してみますね」
「それは助かる。そうなると、俺らは帝都に向かえばいいのか?」
「はい、その方向でお願いします。ああ――」
サタンは話をしている最中に何かをふと思い出したらしい。稔が隣と後ろの二名、そして機体を連れて帝都へと向かおうとした中で話を長引かせてくれた。とはいえ役に立たない雑談ではなく、作戦と取っていいような内容だったので耳を貸さないことは出来ない。
「エッサイムさんが帝都で待ってます。それと、彼曰くエロイムさんの機体に原爆は積まれていないとのことです。私の担当した機体は実弾所持でしたけどね」
「でも、音――」
「何を言ってるんですか、稔さん。そちらは黒い雲もない快晴でしょう。要するに音を投下したんです。まあ、サリン散布担当だったのは事実みたいですけど」
サタンから次々と新たな情報を提供してもらい、レープール島の付近で被曝の被害はないという可能性が高まったと稔は考えた。資料を提供してもらったのは事実であり、稔はなんの躊躇無くして「ありがとう」と魂石の向こうの精霊に言っていた。精霊から帰ってきた言葉は「いえいえ」との謙虚な台詞だ。
「紫姫さんが戦友なら私は盟友として。互いに頑張りましょうね、先輩」
「ああ」
「では、互いの健闘を祈って終了としますね」
その言葉を聞き取ってサタンに「分かった」と返答したのだが、稔が返答をする間もなく魂石の伝達機能は切られてしまった。集中力の阻害を生むような会話を聞かないようにするためという名目が大きかったのだが、実際何かあった時に連絡が取れないのは非常に痛いために稔はその旨を伝えようとする。僅かな希望を持って魂石の向こうに話しかけて聞こうとした。だがその時だ。
「シュヴァート。終了は俗に言う『留守番』の対応と同じだ」
「そうか。あと、名前はお前の好きなように呼んでくれ」
「了解だ。では、そうするぞ」
サタンが出なくなったことから自分の出番だと思ったのか、精霊である紫姫が魂石を出てきて答えを伝えてくれた。少しそれた話が最後に付加されたが、稔はサタンに情報が届いていることをしれて安心する。そして直後、遂に稔達の帝都への移動が始まった。
「――テレポート、ディビガスタルへ――」




