3-49 化学と核の兵器の先に-Ⅱ
稔とラクトは互いに砂浜に足をつけた事は、エルジクスが魔法陣を出てくる行為によって伝えられた。洗脳状態にある現在、エルジクスに頼らずして戦闘機を巧みに操ることは出来なかったから現れたのである。とはいえ、エルジクスは『洗脳魔法』さえ解除すれば少ししか役目がない訳で気にする必要は無い。
「――軍機から降機せよ――」
稔はエルジクスが作業を進めている裏で作戦を練る訳だが、途中で大きなあくびをしてしまう。見ていたラクトが堪え切れず失笑するが、小さな笑いだったので軍機に乗っていた人物にさほど影響は無い。一方のエルジクスは、これまでがそうだったように主人の許可なんて得なくていいものだと思って作業を進めていた。
「――洗脳状態、解除――」
だが、その宣言と共に稔がビクッと体を震えさせて主張する。考えていた作戦通りにいかない可能性が浮上したのだ。しかし、そこは精霊や召使に対して強気に出づらい男。稔はエルジクスを許し、自らの作戦もほぼ計画通りに実行する方針を固めた。その計画の第一弾として、初っ端から予定にない紫姫を魂石から呼び出す行為を行う。召喚理由は「魔法を使ってもらうため」だ。
「貴台、着替え中に呼び出すとは頂けんぞ。まあ良いがな」
寝て治癒に努めていたわけではない。だから、召喚された紫髪は稔たちの会話を自然に聞いてくれていた。何をすれば良いのかなんてことは既に承知済みであり、彼女は自分の役目だと知らされている任務を行っていく。というより、危険時に紫姫が使う魔法と言ったらそもそも一つしか無いわけだが。
「――十二秒間の時間停止、主人を除く――」
転送とは違い、時間停止の魔法は使用者である紫姫を軸にしている。主人の名前を外せば行動が不可能になるため、彼女を除いた主人の右腕として言い忘れないように気をつけた。そういうふうに主君への忠誠を誓う一方で、紫姫は稔のやろうとしていた行動に疑問感を示す。
「貴台に問いたいのだが、この作戦に我を採用した理由というのは『茶化されない』という前提からか?」
「簡単に言えばそうだな。声上げられたら困るし」
「言葉だけなら犯罪者の思考と思わしき発言は止めるべきだぞ、アメジスト……」
紫姫が軽蔑するような視線を送る。一方、言われた側は「そうか?」と言った。稔には意味深――真意を聞きたくなるような言葉を言ったという自覚が無かったのである。けれど、実力関係なしに最も頼りにできる精霊を失った時の代償は計り知れない。だから、稔は躊躇うこと無く謝罪の言葉を述べた。
「悪かったな。でもほら、読んだろ?」
「読んだが――」
紫姫には躊躇いがあった。自身の特別魔法を転用した時に見た稔の脳内に記されていた作戦が、余りにもデリカシーに欠けたものだったのである。注意しても作戦を続行しようという主人の熱意に押されそうになるが、やはり精霊と言えど女性だ。デリカシーの無い主人の考えに批判の思いは拭えない。
「同性だからと甘く考えたかもしれないが、我は嫌々やっているんだ。そこを意識してくれ」
「分かった」
紫姫は嫌々やっているのだと主張したが、その言葉を最後に指示された作業を始めた。停止している時間は一二秒しか無いわけで、紫姫としても会話だけで時間を経過させる訳にいかなかったのである。それに紫姫は、言うまでもないが『正義感』や『使命感』に溢れた少女だ。それゆえ、上からの指示には従うしか無かったとも言えた。
「俺、クズじゃん……」
稔は俯いて自責を始める。一方、紫姫は降機した軍人の身体の至るところを触ってボディチェックを始めた。拷問や検査は責任者である稔が動くべきだが、彼女持ちとして股間部や胸部は触れない。稔は誰かに罪を擦り付けるつもりは一切無かったが、作戦を実行している中でそう見えてしまって凄く落ち込んでしまった。その姿は死体が深海へと沈んでいくようである。
「銃は発見できなかったぞ。では――」
そう言い、紫姫は「そう気にするな」と稔を慰めてから場を去る。そうして時間停止魔法が効力を切らした後、向けた視線の先には軽装の人物が映った。紫姫によるボディチェックで銃や爆弾は見つかっていないことを聞かされていた稔は、取りあえず敵軍総司令官グリモワールからの洗脳が解かれているか確認する。
「一つ言う。俺らは敵じゃない」
「嘘を言うな! このような無人島に連れてきた時点でお察し……あれ?」
稔の後ろに見えた赤髪の少女を見て、自分が悪い男たちに捕まったわけではないと気が付く軍人。けれど安堵の表情は消え、グルの可能性が否めないという事で彼女はラクトに問うた。自分用の顔写真入り身元証明書が無いのは言うまでもなく痛手だったが、聞かれたラクトは堂々と正直なことを話した。
「これ見て」
「パスポートか。――ところで、この『夜城稔』って誰だ?」
「俺だ。敵じゃないし連れ去った訳じゃない。互いに不時着しただけだ」
稔は正論に近いことを正直に話した。最後の不時着というのは証拠を出すと嘘とバレるために隠しておくが、それでも最初の方は真実を言ったまでである。けれど、機体から降りた軽装の軍人は稔の話を無視してあくまで一対一の話を行う姿勢を貫いた。稔の話など破却していいようなものだと考えていたのだ。
「お前の不倫相手か。……夜な夜な、お前はそのどでかい胸を揺らしてんのか?」
「おいこら、人の話を――」
「どでかいって訳じゃ……」
「お前も大概にしろ、ラクト!」
少々自己勝手が過ぎたような気がしたが、このままでは『不倫相手』と思われてしまうので思わず間に割って入っていった稔。一方で主人のそんな姿勢を見たラクトは、「ごめん、ちょっと調子乗ったわ」と笑い混じりに謝った。だが翻って、不倫相手などという嘘偽りの情報を流そうとする諸悪の根源は一切の謝罪を行わない。
「……お前、もしかして男と話せないのか?」
そんな中、そんなことが稔の脳裏を過った。もちろん、ラクトと一対一で話を進めようとしていた証拠と見て取ることも出来る。でも、流石にデマを言ったことへの謝罪が無いのは違うような気がした。だから、軍人が性別関係なしに面と向かって話し合えないのではないかと考えたのだ。
「悪いかよ!」
しかし、善意で行っていた稔の行動は地雷を踏み抜いただけに過ぎなかった。稔のデリカシーの無さは紫姫が呆れるほどなわけだが、今回の件はラクトも気がつけない難題。胸に怒りやトラウマを秘めている人の心は、どうしても読む際に幾つか段階を踏むことを有するのである。また、詐欺師も同様だ。
「悪かった。俺の配慮が足りなかった。でも、俺は怖くないぞ?」
「――」
「声が低い時点で話せないみたい」
「え……」
黙りこむ敵軍の軍機を操縦していた人物。軽装を見て女性と思わないほうが難しい体格をしている軍人だが、そんな彼女は真っ向から男の若人を否定してくれた。ここまで男性と距離を取ろうとしているのを見ると、一目惚れしない限り男性に寄っていくとは考えられまい。
「ねえ、稔。――全権を私に任せてくれないかな?」
「全……権……?」
「主従とかじゃなくて、交渉の」
「ああ。それなら任せるよ。そうなると……俺はここから離れるべきか?」
「そうだね。機体の中からサリンを探していてもらえると助かるかな」
「そうか。分かった」
稔はラクトから受けた依頼を二つ返事で引き受け、そのまま軍機の方へと向かった。それと同時、「軍事に関する機械ならお任せ」という人物を助手として採用し、紫姫からガスマスクと作業服を貸してもらって作業を効率よく進めようとする。けれど、そういった趣味を持ち合わせた人材は稔陣営に居なかった。
「仕方ない。紫姫、作業着を持って――」
「負担軽減を謳っている癖に我とラクトにサタンを酷使するとは、どういう風の吹き回しだ? まあ、『それが信頼の証』と貴台が言うのは明白なことだが」
「よく分かってんじゃん」
「おいおい、我は『ブラック司令官』と貴台を皮肉っているだけだぞ?」
「そこは提督と呼べ」
「エルジクスかサタンに頼んでくれ。我は海に興味など無い」
きっぱりと断られてしまう稔。某これくしょんゲームでブラックな鎮守府を築いた経験は無かったが、それは現実世界で学校に通う時間が存在したからである。学校という組織に所属する必要が無くなった今、改善しなければならない稔の本性が見え始めていた。
「まあ何だ。我を含めて貴台の配下は全員女なんだ。月一で股間から血を垂らすのは分かりきったことなのだし、それなりの気配りをして欲しい」
「そうだな。つか、お前って保健の知識あるのな」
「身長は低いかもしれないが、これでも立派な女なんだ。あまり見下すでない」
「ごめん」
ラクトに比べたら、紫姫の身体は出る場所は余り出ていないし身長も低い。けれど、身を持って体験しているからこそ分かることがあるのだ。異性の事を知らなくても、自分の事に関して知らない訳ではない。つまり、無垢な小学生ではないのである。そんなことを知り、稔は謝罪の言葉を言っておいた。
「まあ良い。それより、我々はラクトから任された行動をしなければならない」
「ああ、早く回収しなきゃな」
サリンという危険な化学兵器を早く回収しなければ大変なことになるのは目に見えた話であり、稔にしても紫姫にしても共通の認識だった。互いに頷き、ブラック企業をモジッた話題をしている暇など無いのだと集中力を取り戻す。証拠に唾を呑み、二人は施錠が解かれたままの機体へと乗り込んだ。
「一人席なんだな」
「ここまで狭いと、原子爆弾自体があったか怪しくなってくるな……」
確かに原爆が投下されたとされる時、稔もラクトも落下地点に居合わせていなかった。もっとも、落下地点付近に居たら死んでしまうのは言うまでもない。身体が溶け出す可能性すらあるのだ。もちろん、『臆病者』とかどうこうの話ではない。核兵器が投下されると分かっていたら逃げるのは当然である。
「投下されなかった可能性、か。音だけならフェイクの可能性も有るしな……」
言い、音だけを使用すると考えれば原爆投下が嘘の可能性があるという見方を示せると稔は考えた。完全防備だったこともあり、稔もラクトも紫姫も放射能の被害を受けてはいない。加えて放射能を計るための計測機器を持参した訳でないため、本当に原子爆弾が投下されたか否かは不明である。
「いや、音だけではない」
「え?」
「キノコ雲、それに黒い雲や雨がないだろう」
「確かにな。でも、そう短時間で発生するものか?」
「我は発生すると思うぞ」
食い違う意見を持つ稔と紫姫。無論、サリン回収作戦は一向に進まない。二人とも上空を見て、黒い雲をはじめ雨雲が無いか確認を始めたことは中でも象徴的な事例と言えた。しかし、白色の雲も黒色の雲も無い。
「洗脳状態だったんだよな、そういや……」
そんな中で稔は、自分たちが行った作戦では軍人を問いただすことが不可能であることを思い知った。搭乗者が核兵器を落とした感覚を覚えていない以上、批判なんか出来っこないのだ。もし仮に、落としていないのに批難ばかりしていたとしたら謝るのは自分たちの方である。
「後でサタンにも情報提供を求めれば良い。我々が即刻すべきことは他にある」
「ごめんな、こんな主人で」
「相方の悪いところを正すのも相方の仕事だと思うんだが?」
複雑な台詞だが、要約すれば『片方を助けるのはもう片方』という意味である。そういうことはラクトとの間で学んでいたはずだったのだが、稔は忘れてしまっていた。そんな中でようやく思い出したということで、稔は忘れないようにと脳裏に焼き付けておくことにする。
咳払いし、稔は自分が指示することをアイコンタクトで伝わす。もっとも、心を読める人間からしたら嫌味以外の何物でもないわけだが。
「じゃ、怪しげな袋を重点的に探すことにしよう」
「了解した」
そうして機体に乗り込んだ『黒白』は、機体内に有るという話のサリンを探し始めた。怪しげな箱の中を開けたりして探していくが、なかなか見つからない。手で直に触れるのは即ち自殺行為であるから、作業着を活用して布越しに物を持ったり摘んだりする二人。
「本当にあるのか?」
「同感だ。でも、まだ諦める時頃ではないぞ」
紫姫の励ましによって諦める気持ちが薄れた稔は、がぜんやる気を出して紫姫が目をつけなかったような機体の操縦席付近を中心に捜索していく。そして、遂に黒白の努力が実った。どう見ても怪しいとしか思えない、色の着いた液体が入った透明なビニール袋を発見したのである。
「これは……」
「黒か?」
ファスナー付きの袋を見て、思わず黒白は互いに顔を合わせて短な会話をする。続いてゴクリと唾を呑み、頷いて袋を慎重に分かりやすい位置に置いた。




